どうでもいい。俺が解剖を引き受けたのはあの青白い炭火のためかもしれない。戸田の煙草のためかもしれない、あれでもそれでも、どうでもいいことだ、考えぬこと。眠ること。考えても仕方のないこと。俺一人ではどうにもならぬ世の中なのだ。
……
「神というものはあるのかなあ」
「神?」
「なんや、まあヘンな話やけど、こう、人間は自分を押しながすものから――運命というんやろうが、どうしても脱れられんやろ。そういうものから自由にしてくれるものを神とよぶならばや」
「さあ、俺にはわからん。……俺にはもう神があっても、なくてもどうでもいいんや」
……
殺した、殺した、殺した、殺した……耳もとでだれかの声がリズムをとりながら繰りかえしている。(俺あ、なにもしない)勝呂はその声を懸命に消そうとする。(俺あ、なにもしない)だがこの説得も心の中で撥ねかえり、小さな渦をまき、消えていった。(成程、お前はなにもしなかったとさ。おばはんが死ぬ時も、今度もなにもしなかった。だがお前はいつも、そこにいたのじゃ。そこにいてなにもしなかったのじゃ)
……
「仕方がないからねえ。あの時だってどうにも仕方がなかったのだが、これからだって自信がない。これからも同じような境遇におかれたら僕はやはり、アレをやってしまうかもしれない……アレをねえ」
(遠藤周作 『海と毒薬』)
この15日は、67回目の終戦記念日でした。
世界からなんと言われようとも、とにもかくにも日本はこれで67年間、不戦を守り抜いたのです。
これだけは世界に堂々と誇っていいことです。
そして、二度と同じ悲劇は繰り返さないと、国民一人一人が決意を新たにせねばなりません。
それが、67年目の今を生きる私達の義務なのですから。
さて、今回ご紹介する『海と毒薬』は、私にとって『沈黙』につづき2作目の遠藤氏の作品です。
はじめて読んだのはだいぶ前でしたが、先日「九州大学生体解剖事件」に関わった最後の目撃者に関する記事がYahooニュースに掲載されていて、ひさしぶりにこの作品のことを思い出した次第です。
九大生体解剖事件とは、太平洋戦争中に九州帝国大学の医師達が墜落したB29の米軍捕虜8名に対し生体解剖を行った事件で、この事件をフィクション化したものが、この『海と毒薬』です。
この作品のテーマとして言われるのは、「神なき日本人の“罪の意識”の不在」について。
しかし正直なところ私は、遠藤氏のこの考えに共感してはいません。
なぜなら“神の不在”と“罪の意識の不在”は、決してイコールではないと思うからです。
私がこの作品で強い印象を受け、考えさせられたのは、もっと別な部分。
文庫版の解説でも触れられている、上の引用部分です。
作中で幾度も繰り返されるこの「どうでもいい」、「仕方がない」という言葉。
この虚無感、疲労感、諦め、そしてその結果の罪の意識の希薄な無責任。
この小説の主人公である医師の勝呂は、非常に、非常に普通の、どこにでもいる平凡な青年だ。
しかし、街では毎夜空襲で無数の人間が死に、病院では医学部長の座を巡る教授達の争いがあり、そのために実験的な治療や手術が行われ、患者達は何も知らずに死んでゆく。
そして勝呂がただ一人死なすまいと思っていた「おばはん」が死ぬ。
そんなときである、教授から米兵の「生体解剖実験」に立ち会う話がもちかけられたのは。
彼には断ることもできた。
だが、彼は断らなかった。賛成もしなかったが、異議を唱えることもしなかった。
彼は「なにもしなかった」。
考えることを拒否し、もうどうでもいいと、自分にはなにもできないと、しかたがないことなのだと、自分に言い聞かせ。
そしてついに、その日を迎える。
九州大学生体解剖事件の最後の目撃者であり、当時医学生として解剖に立ち会った東野利夫医師は、次のように言っている。
「軍人と医者が残虐非道なことをしたが、これは事件の本質ではない。当時の心理状態は平和な時代には考えられないほど、おかしな状態だった」
「いかに戦争というものが人命を預かる人間でもここまで狂ったというか、そういうことが二度とあってはならないが、戦争時代にあったという事実、軍がしたからしたという言い訳は今後は二度と出来ないし、してはいけない」
「戦争は人を狂わせる」――。
東野医師のこの言葉に、個人の犯罪を戦争のせいにしていると感じる人もいるかもしれない。
しかし、自分だけはそうはならないと、私達は本当に言い切れるのか。
「戦争」という異常な状況は、人間に正常な判断を失わせる。
感受性を失わせる。
人を人でなくさせる。
私も、あなたも、誰もが加害者になり得るのだ。
アメリカは日本に原爆を落とした。けれど日本も戦時中、原爆の開発を行っていた。
莫大な予算と人員の差で、アメリカがより早くその開発に成功したにすぎない。
もし日本が先に開発に成功していたら(その可能性は皆無であったが)、迷うことなくそれを使用していただろう。
しかし戦争中は、そのことについて疑問に思う者は誰もいない。
仮に疑問に思う者がいたとしても、暴走した国では言論の自由は機能しない。
それが戦争であり、その異常性こそが戦争の正体なのだ。
だからこそ私達日本人は、非戦の誓いを守り抜き、それを永久に貫くことのできる道を必死に模索していかねばならないのである。
67年前、日本という国に命を捧げ、戦い、そして散っていった無数の魂に報いるためにも。
そこには、日本だけではない、全人類の希望があると私は信じている。
「どうでもいい」「自分には何もできない」「しかたがない」――。
勝呂のこの独白は、現代の私達にも、覚えがあり過ぎるほどある感情だろう。
それなら、もし自分が勝呂と同じ状況下に置かれたら?
彼のようにはならないと、どうして言い切れるだろうか。
言い訳は、いくらでもでてくる。
そして、国民一人一人がそういう意識でい続けるかぎり、再び同じ悲劇は必ず起こる。
国民一人一人が当事者なのである。
そのことを、私達はもっともっと意識しなければならないと思う。