Aプロに続き、行ってきました。
人間が「表現する」ことの尊さのようなものを感じました。
どうも私の場合、この人達の踊っている姿を観ていると、好みとかそういうのを超えてしまうのよね。。。(それでもブチブチ言うときは言ってますけど笑)
【ピアフ】
私の観客とは、知識のある(あるいは知識があると思っている)観客ではなく、愛のある観客です。愛する人間の前で、知識のある人など何になるでしょう?
(モーリス・ベジャール。ダンスマガジン11月号より)
おお、タイトルから想像していたものと全然ちがう、女性ダンサーが全く出てこない、吃驚するほどの男祭りであった
私はピアフという人については2007年の仏映画と美輪さんの歌うシャンソンくらいしか知らないのですが、美輪さんのリサイタルで感じた「天国から一番遠くみえるところ、地面に一番近いところが、実は神様に一番近い場所なのではないか」ということを、その映画からも感じました。これは先日聴いたブラームスのドイツレクイエムの第一曲の歌詞「祝福されたるは 悲しみを負う人」にも通じるもの。映画の終盤でピアフは、インタビューに穏やかにこう答えます。「大人の女性にアドバイスを送るとしたら?」「愛しなさい」「若い少女へは?」「愛しなさい」「小さな子供へは?」「愛しなさい」。
ここで踊るダンサー達はおそらく、ピアフが愛し、ピアフを愛した男達。他に女を作る男もいれば、ピアフを愛する自分を愛している男もいる(男がピアフの写真にキスをしようとすると写真が鏡にすり替わり、そこに映る自分の姿にうっとりと口づける演出がある)。
でも、一番最後の曲『水に流して』のとき、ダンサー達はみんなすごくいい表情をしているのよね。そして彼らはピアフの大きな写真に一斉に礼をする。ここで彼らがピアフへ示した愛は、そのまま素直に受け取っていいものだと思う。
「良いことも悪いことも、私にとっては同じこと」。この歌詞が、私はとても好きなんです。
邪な感想としては、この作品、次々出てくる色んなタイプのイイ男尽くしが楽しすぎる。まさかの舞台上一斉脱ぎ脱ぎまであり
。『冷淡な美男子』のアンジェロ・ペルフィドは自分が美男子だと思ってないと絶対にできない表情をしていて、「きゃー
」となりました。プログラムを見たらイタリア男でした。さすが。
この作品の世界初演は日本だったそうです。もしかしたら東京バレエ団とかもやったりしてるのかな。
あとプログラムのコラムでは『私の回転木馬』がラストの曲とあるので、曲順もオリジナルからどこかの段階で変わったりしてるのかも。
【兄弟】
司会:那須野圭右さんと大貫真幹さんは非常に仲がいいそうですが、この作品が作られる間のエピソードなどあれば。
那須野圭右:大貫と寝るとき以外はずっと一緒で、それをジルが見て、「お前ら兄弟みたいだな、それをバレエにしてみようか」と言って始まりました。そこに吉田兄弟の三味線と60年代、70年代の曲で作ろういったことでこの作品が出来上がりました。
司会:この作品に対してやはり思い入れは強いですか?
那須野圭右:ジルが初めてメインのキャストとして作品を作ってくれた作品ですし、それを日本で上演できるのは嬉しいですね。
(記者会見より)
ツイッターの評判を読む限りでは、ジルの振付は実に人気がないですね笑。
私はベジャールのことは考えずに一つの独立した作品として観れば、この『兄弟』はとても楽しめました。「寝るとき以外は一緒というほど仲のいい二人を見ていて、思いついた」のがこの作品とは、シンコペのときも思ったけど、ジルの頭の中って一体どうなってるんだろ。まあ原作まんまといえばまんまなんですけど。このボルヘスの原作、ジルがインタビューで言っていたので事前に読んでみたのですが(邦題は『じゃま者』)、アルゼンチンの作家なんですね。こういうひょんなことで今まで全く接点のなかった国の作家を知ることができるのは楽しいです。アルゼンチンというと、アルゲリッチとエビータくらいしか思い浮かばないような人間なので
。あ、バレンボイムもか。
今回の作品では、お兄さんが那須野さんで、弟が大貫さん。やっぱり那須野さんの踊り、セクシーでかっこよくて大好き。自分が女性と戯れてる場面を見ている弟に気付いて、シッてするところとかもとっても素敵だった。弟な雰囲気いっぱいの大貫さんとの息もピッタリ。
閉ざされた二人だけの世界での強すぎる絆と愛情。それは外側の人間から見ると、閉鎖的で歪んでいて異常なものであることは確か。でも私達の世界には、ベジャールのような全ての人間を受け入れる大きな大きな愛や絆が存在していると同時に、こういう種類の愛や絆を拠り所に生きている、またそういう風にしか生きられない人間達も確かに存在しているのだと思う。その道徳的な良し悪しは別にして。
ジルがこの作品で言いたかったことと私が感じたことは違うかもしれないけれど、ベジャールの作品と並んでこういう作品を観られたことは、興味深い体験でした。女性役のリザ・カノも素晴らしかった。ガブリエル・アレナス・ルイスの役は、私は、兄弟の内面の女性に対する純粋な愛情の部分なのかな、と思いながら観ていました(一回しか観ていないので全く自信ないですが)。彼らが兄弟ではなく、そしてここには描かれていないけれどおそらくあるであろう特殊な事情もなく、ただの一人の存在であったなら、ああいう風にあの女性を愛せることもあったのかもしれないな、と。でも彼らは二人で、目の前には何よりも一番の存在である兄がいて、弟がいる。それだけは決して失うのことのできない相手。その世界を壊す人間は、例え愛していても(まあその愛も相当歪んだものですが)、消さなければならない。・・・そういう話かな、と。全然違うかもしれないけど笑。女性の首絞めシーンはかなりリアルで、最近の某事件を思い出してしまいちょっと辛かったです。そして背後に流れるのは、美空ひばりの美しい「la vie en rose (ばら色の人生)」という・・・。
那須野さんは記者会見で「今回の来日公演がたぶん最後の舞台になると思います」と仰っていたけれど、BBLを去るだけなのかな、それとも踊り自体をもう踊られないのかな…。カテコのときは拍手を送りたいので私は基本オペラグラスを覗かないのですが、一瞬見たら、感無量の表情をされてた。。。。
(休憩25分)
【アニマ・ブルース】
こちらもジル振付。
R側の席だったので舞台右手奥が全く見えず、そんななので作品についての感想は控えますが、意味がわかるようなわからないような?でも私はなかなか楽しかったです。作品がどうこうより、カテリーナやジュリアンやエリザベットが踊る姿を観ているだけでとても楽しかった。
ジャケットを脱ぐジュリアン、項垂れて腕ぶらんぶらんなジュリアン、相変わらずお腹から指の先まで絶えず神経を届かせているジュリアン、でもそれを感じさせないジュリアン。いいダンサーといい歌舞伎役者ってやっぱり共通するものがあるのだなぁ。
ダンサー達は自分の役の解釈について確信をもって踊っているように見えて、観ているこちらは全く確信を持てていないのだけれど笑、「何かを表現する」という行為は本当に面白いものだなあと思いながら観ていました。
というわけで最後まで全力で踊るジュリアン。この後休憩なしで『ボレロ』なのに・・・!
今回の2つのジル作品についてはシンコペと同じく単体でチケットを買おうとまでは思わないけれど、ベジャール作品との組み合わせで1つ見るとかなら私はノープロブレムかなぁ(ジルがよく使うあの感電みたいな動きは苦手ですけど)。一方で私の場合はまだまだ観たことのないベジャール作品がいっぱいあるので、やっぱりベジャールの作品をこのバレエ団でたっぷり観たいというのも本音です。
ところでジル作品には全く拍手をしない女性達が私の周りにちらほらいらっしゃいましたが、私は少なくとも演者達の頑張りが伝わってきた舞台に一切拍手を送らないということが心情的にできないんですよね・・・。例えその作品が好みじゃなかったとしても。その代わり「大きく拍手する」「控えめに拍手する」の違いはつけますが。私の隣の女性も全く拍手をしていなくて、私が拍手をしていると「こんな作品に拍手をするなんて信じられない」という目で見ていて・・・。自分が嫌いなものはみんなも嫌いじゃないと気が済まないのかなぁ。正直、バレエの客席は苦手です。。。バレエ公演のトイレやロビーでよく耳に入る大声のダメ出し談義も本当に苦痛。。。舞台の上はあんなに美しいのになぁ・・・。友人によると大人のバレエ教室の内部などはもっとドス黒いらしいですが。。。
(転換5分)
【ボレロ】
『ボレロ』のメロディ、それはひとつのチャレンジであると同時に、ジル・ロマンからぼくへの贈り物でした。この贈り物をぼくは苦しみのなかで受け取りました。なぜなら、メロディを何ものかに成し得るようになるには、身体的な試練を通過しなければならない。それは何年経っても、つねに厳しいものです。(中略)モーリスはぼくにすべてを教えてくれました。自分とは何か、自分とはいかなる者か、自分は何をしているのか、自分はいかにそれを行っているのか……。ぼくはモーリスのおかげで”存在して”いるんです。そして、いまぼくは自分の道を前へと進みつづけています、ジルと一緒に。
(ジュリアン・ファヴロー。ダンス・マガジン11月号より)
会場で配役表の紙を見て、今更ですが、ボレロって15分間なんだなあ、と不思議な気持ちがしました。いつ観ても(といってもBBLでしか観たことがないけれど)時間の感覚を感じない。確実に終わりへと向かっていることはわかるけれど、通常の時間感覚が完全に頭から消えてなくなるんですよね。ボレロってやっぱり傑作だなぁ。ああいう音楽を作ったラヴェルもすごいし、それにああいう振付を考えたベジャールもすごい。
そして今回のボレロ。
もうなによりも、、、
ジュリアーーーーーン
もうもうもう、ほんっっっっと素晴らしかった。。。。。。
始まったとき、前幕で使われた光の紙?が掃き切れてなくて完全な暗闇にはなっていなかったけど、そんなんどうでもいい。
ジュリアンの『ボレロ』は2013年にも観ていて、そのときは一日目より二日目の方が良かったそうで、今回の『魔笛』も一日目→二日目→三日目と尻上がりに良くなっていたらしいので(幸い私はどちらも良かったと言われている回を観られました)、今回一回勝負のボレロはどうなるのかしら…と少し心配していたのだけれど、前幕でギリギリまで踊って心身ともに温まっていたのがかえって良かったのか、今回は最初から踊りに入り込んでいるように見えました。まぁ最初からジュリアンの肌が汗で少し光っていたので私にとってのボレロの魅力の一つである「最初は乾いているメロディの肌がだんだん汗で光ってくるのを見る楽しみ」は少なかったですが(変態ぽいですか?いや、その変化もほんっと綺麗なんですって!)。
手だけを照らしていた照明から顔の表情がわかる照明に切り替わったとき、正面をまっすぐに見つめる眼に厳しさがあって、この時点で2013年との違いに、うわぁ、今日のジュリアンやばいやばいやばい…!と既に心臓ドキドキ。
ダンサーってこんなに変わるものなんだ、と胸がいっぱいになりました。リズムとの関係性も前回から変化していて、孤高性とカリスマ性と柔らかみが増してた。リズムがメロディを放れないのではなく、メロディに惹き付けられているのが強く伝わってきました。そしてやっぱり前回と同様にジュリアンはリズムに愛されているんだなあ、と強く感じました。BBLのリズムはメロディと同じくらい大好き。でも今回は殆どジュリアンばかりを見てしまったけれど。あと前回大好きだった那須野さんのリズムが観られなかったのはとても残念だったな・・・。
例によって上階席なので、ジュリアンが真上に顔を向けているときもずっと表情が見えていたのですけど、あの表情はもう・・・・泣。ジュリアンって斜め上や上を見るときになんともいえない独特な表情をしますよね。孤高や孤独ともちょっと違う、透明感というか。前回のボレロで感じた「光を求めるような表情」の上に今回はさらに、そういうものを全て経たうえで辿り着いた場所まで彼が行っているような・・・彼自身が光に見えたよ。魔笛のときと同じく、夜の闇も内包して存在している光。厳しいけど、やっぱり優しくて。私は2013年のジュリアンの光を求め続けているようなメロディとそんな彼を放っておけないようなリズム達との関係性も大好きだったから、あのときのジュリアンと、その更に先の場所まで行っている今回のジュリアンと、両方観ることができて本当に幸せです。ああもう大好き×10000個!あと10000回観たい!
会場の熱狂&スタオベも凄かったですね。みんなもやっぱり感動したよね~。
一度おりたカーテンが再び上がって、円卓の上に一人立っているジュリアンのあの表情・・・
リズムが両側から手を貸してジュリアンを円卓から降ろしてみんなで「お~!」な雄叫びをあげるカテコは仲間!っていう感じがして大好きなので、また見られて嬉しかったです。
天国のベジャールさんも今のジュリアンのメロディを観て、絶対に喜んでくれていると思うなあ。
エリザベットのボレロもそうだけど、この温みのあるBBLのボレロが私は本当に本当に大好き。
今月の怒涛の観劇尽くしも、これにて終了です。いっぱいの感動に出会えた月だったけど、その最後にこんなものを観ることができて、私は幸せ者です。本当にありがとう、ジル&BBLの皆さん!!!
※記者会見:ジル・ロマン&那須野圭右
※webぶらあぼ:ジル・ロマン
「ボレロ」 ~ モーリス・ベジャール・バレエ団2017年日本公演