つらいー。。。
まだ準備が終わってないのにー。。。
私は強い薬は飲めない体質なので、粗塩でうがいをくりかえしてます。
これでだいぶ楽になりました。
風邪には暖かいものを食べて、粗塩でうがいをして、暖かくしてたっぷり眠るのが一番で、そうすれば風邪薬などいらないのだと、お医者さんも言っていました。
まぁインフルエンザなどにかかった場合はそうもいっていられないでしょうが、普通の風邪ならなかなか有効ですよー。
「格好つけてもしょうがないじゃないですか。装った自分じゃ、失敗しても反省もできない」
(俳優 加藤晴彦)
昔なにかのテレビ番組で言っていた言葉。
ほんとうにそのとおりだな、と思いました。
今日も昨日も 異国の丘に
重い雪空 陽が薄い
倒れちゃならない 祖国の土に
辿りつくまで その日まで
年明けから1年間は帰国する予定がないため、今日は祖父母の家へ遊びに行ってきました。おじいちゃんは末期癌で、短くて明日長くて1年といわれているので、会っておこうとおもいました。
子供のときから本当に可愛がってもらったおじいちゃんです。
最近はすこし痴呆症気味なので一年間海外へ行くことは伝えませんでした。
帰るときに「またくるからね」と言うと「今度はもっとゆっくり来なさい」と笑っていました。
これで最後なのかなと一瞬思うと泣きそうになりましたが、まさか泣いたりしたら変に思うでしょうし(癌のことは知らせていません)、いつものように帰ってきました。
私も元気で帰ってくるから、一年後までどうか元気で頑張ってね。おじいちゃん。。。
今日はこの冬初というくらい寒くて、「雪が降りそうだねー」と話していたら、おじいちゃんがぼそっと、けれど珍しく大きな声ではっきりと「重い雪空 陽が薄い・・・」と呟きました。
私も周りの家族も何のことかわからず「え?なにそれ?」と聞きましたが、「いい加減に言っただけだ」と笑っていました。
でもどうにもそのときの言い方が(それに詩っぽい言い回しが)気になったので、先ほど帰宅した後にgoogleで検索をかけてみたら、一発でヒットしました。
ああそうか。『異国の丘』の歌詞だったのか。
私も劇団四季のミュージカルは見たことがあったけれど、3番の歌詞までは覚えていませんでした。
『異国の丘』はシベリア抑留兵士の間で作られ、歌われていた歌です。
祖父も元シベリア抑留者です。
あれから60年たち、私にとっては太平洋戦争もシベリア抑留も教科書の中の出来事でしかないけれど、祖父のなかでは記憶の中に刻み込まれている実体験なんだなと今更ながらに感じました。
その太平洋戦争のときに敵国であったイギリスに私は来年こうして留学する。そんな時代に私は生まれることができた。
「戦争なんてあんな馬鹿なことは絶対にしてはいけない。戦争して良いことなんか何もない。日本は負けてよかった。軍国主義じゃなくなったんだから」
そう言い続けてきた祖父とも、もう二度と会えないかもしれない。。。
決して無駄な一年にするものか、と今夜あらためて感じました。
よごれた街のことば
使い慣れてた
拒むことさえ忘れていた
私の心はきれいだろうか
光あることば探しにゆこう
幾億の人の渦に巻かれ
ことばを失くしてる異国にいても
耳を傾けて
ひそやかに頷いていたい
光あるものを探しにゆこう
渡ってゆく風に身をまかせて
まだ見ぬ人と街、去りゆく記憶
愛おしみながら
軽やかな旅人でいたい
(大山百合香 『光あるもの』 中国鉄道大紀行テーマ曲)
携帯電話会社のセミナーに参加して、イギリスの携帯電話を無料でゲットしてきました。
ああよかった~。すごい助かるよ~(お金が)
ステイ先でネットが使えないそうなので、最近は毎日you tubeからお気に入りの動画を山ほどダウンロードしています。
テレビとか自由に見られないと思うので、部屋で見て元気をもらおうと思って。
ダウンロードの仕方からおぼえたんですけど、すごく簡単なんですね~。知らなかった。
もっと早くやればよかったなぁ。
渡英まであと2週間。あいかわらず気持ちの浮き沈みが激しいです。
ていうかほとんど沈んでいます。
マリッジブルーに似てる気がするけど(経験ないから想像だが)、ちがうところは相手がおらず一人で乗り越えなきゃならないところですかねぇ。
この違いは大きすぎるわ。
だって沈んでいる理由は親や友達と離れるのがさびしいからだもの。。
私の友達は海外滞在経験者が多いのですが、みんなは日本を出るときこういう気持ちにならなかったのかなぁ。
こんなに自分が寂しがり屋だったとは知らなかったから、なんだかびっくりです。
意外とかわいい部分があったのね、私も。。
こういう発見ができるから、あえて環境を変えることもやはり大切ですね。
そういえば大学時代にアメリカに三ヶ月ほど留学したときも、東京駅で親に見送られたときにタクシーの中で泣きそうになったものだった(当時はまだ一人暮らしの経験もなかったので)。
そのときは向こうに着いたらすぐに慣れて、夜寝る前に「日本からこんな遠くに離れているんだなぁ」と考えてその開放感に幸せになったりしていたのだけれど。
あれから10年以上たった今回はちょっと違うだろうなぁ。
20代後半にアラスカへ行ったとき、帰る場所があるから旅は楽しいのだな、と初めて感じた。それまでの旅行では感じなかったこと。
ずっと死ぬまで旅を続けるような人生も憧れますけどね。
私にはあまり向いていないのかな、とも感じている今日この頃です。
これから一年間一人でがんばってきて日本に帰ってきたら、結婚したいなぁとまで思ってたりしてて。弱りすぎですかね(笑)
ま。
留学はずっとやりたかったことなので、やらないといつか絶対に後悔するという確信があって決めたことなので、せいいっぱい悔いのない一年にしてこようと思います。
旅は常に自分に冷やかな寝床を提供してくれるであろう。外界との対決が――対決とは大げさだが――それが淋しさのかたちをとるにせよ、憤りのかたちをとるにせよ、新鮮な驚きのかたちをとるにせよ、継之助の心を瞬時も休めないであろう。旅にあってこそ心が躁(さわ)ぎたて、弾みにみちあふれるようにおもえる。その状態に心をおかねば、この胸中の問題は解決すまい。
(司馬遼太郎 『峠』)
人生は十分に長い。
礼儀を尽くす時間は、いつだってたっぷりある。
(ラルフ・ウォルドー・エマーソン「社会の目的」)
『喜びの泉 ターシャ・テューダーと言葉の花束』より。
しばし羽を休めた枝が
細すぎて折れるかと思えても
それを感じながら
いざとなれば飛べばよいと
気楽に歌い続ける
鳥のようであれ
(ビクトル・ユゴー)
『喜びの泉 ターシャ・テューダーと言葉の花束』より。
お金は異様にかかるは、銀行口座や現地での滞在のこととか調べなければならないはで、何もかもがめんどうくさくなってきたよぉぉおおーーーーー。。。。。
自分で選んだ道を後悔しそうですよ。
わかってますとも。
これは私の悪い癖です。
トラブルにぶつかると、それと戦うよりも面倒くさくなってぜんぶ投げ出したくなるのよ。
あ~~~~~。
大声で叫んでこのストレスを発散したいっっっ。
でももう後には戻れないのだから、できるだけ実りある一年にすることに全力投球いたしましょう。
仕方がないからね(おいおい)
自分の力が及ぶかぎり、がんばりますよ!!!
選んだコース内容に100%自信が持てないからこんなことを思うのだけど、よく考えてみれば100%自信を持てる選択肢なんてどこにもないのである。
昔読んだ「BASARA」という少女コミックにこんな言葉がありました(赤の王のセリフ)。
考えるべきはするかしないかじゃない。
すると決めたことをいかにして成すか。それのみだ。
常に自分に問え。迷いはないか。最善は尽くしたか。
一年後、最善を尽くしたとはっきり言うことさえできれば、きっとだいじょうぶ。
なんとかなる。
こんな私でも結果さえきちんと出せれば1人くらいは拾う神がきっといる。
というわけでその「結果」ですが。
コース内容とは別に、そうだなぁ、TOEIC985点でいかがだろうか(そもそも何点満点だっけ?)。
TOEICが英会話力に関係ないのは百も承知ですが、目に見える目標がほしいので。
1年間で150点アップをめざすぞ!
あと英検1級合格とか(とかって・・)。