@報知新聞社
――思い入れの強い作品だということですが。
紀尾井町のおじさん(二代目尾上松緑)から、「これはチーム戦だぜ」って。「チームでやっていかないと面白くないよ。自分のチームをつくれよ」といわれた。それが今回、そのチームがそろっているのでありがたい。やっぱり安心なんですよね、全員いつもの顔がそろっていると、セリフの間ですとか、そんなものが違ってこないので。
(朝日新聞 2020年9月)
開幕後に話を聞いた。菊五郎にとって8か月ぶりの舞台。歌舞伎ができる喜びを「本当に身震いしたね。こんなに仕事休んだことないし、自分の体が役者の体になっているか気になったり。初日に心配は消えたけれど」。はにかみを含んだ江戸っ子かたぎ。本心をそのまま言葉にしないことの多い人が実感のこもった表現をした。歌舞伎が人生そのもので、生きている証しであることをうかがわせる。
感染予防で制約の多い中での公演。「大向こうの声もないし、ひとつ空けての客席でしょ。思った以上に雰囲気は違う。歌舞伎がいかにお客さまの力との相乗効果で盛り上がってきたか。痛感させられるよね」
今月は歌舞伎座、名古屋・御園座とコロナ禍では最多3劇場で歌舞伎上演中。感染リスクはゼロでなく、満員でない日が続く。特に歌舞伎人気を支えてきた高齢層が戻ってきていないことが大きい。しばらく試練の時だろう。「引っ込みグセがつくと再び出て来てもらうのは大変。どうすればいいのか。でも対策や経営まで役者が考えて神経使うと自分の本当の“お仕事”がおかしくなるからね」
公演のない間、ウォーキングを中心に体力維持に努めた。この間、15年間かわいがっていた大型犬が死んだ。「女房(富司純子、74)と2人でいても会話が減って家の中がシ~ンとして。子猫2匹を買ってきた。うん、かわいいよ。娘(寺島しのぶ、47)や孫(寺嶋眞秀、8)もたまに顔見せるけれど、あれは完全に猫見たさで来てるな」
現在、長男・尾上菊之助(43)の息子、尾上丑之助(6)とも共演中。「孫とも楽屋は別々なんだ。母親が心配して楽屋に来たくても自由に入れない。僕なんて第2部に出るから第1部の者が一人でもいたら入れない。3日連続で待たされた。こんなの初めて。びっくりするよ」
ウィズ・コロナ時代の新しい生活様式。歌舞伎俳優を束ねる日本俳優協会のトップとしても悩む。「新様式に慣れないね。あいさつも元気よくできない。マスクを着けての稽古は長ぜりふだと苦しい。歌舞伎は密で始まって密、密、密。密大好きで成り立ってきたんだよな」と「密の尊さ」を改めて思うという。そして「『この方法で』と言えないもどかしさ。皆さん個々に気をつけて。人に迷惑をかけないようお願いします。それしか言えないもの」
今月演じている魚屋宗五郎は、音羽屋の家の芸。「毎回これが最後のつもりで」の思いで臨んでいる。じわじわ酒に酔っていく過程が見せ場で至難とされる。「おじいさん(6代目菊五郎)が、昼間に芝居で飲むから『夜飲む酒がまずい』と。信じられなかったけれど、今月は、それが分かるな」。この感覚はコロナ禍もさることながら、さらに芸に磨きがかかったことを意味するのかもしれない。
若い世代によるオンライン歌舞伎も生まれた。一方で菊五郎はアナログの力を重んじたい。「僕にできるのはただ懸命に舞台に立ち続けること。『今月面白かったよ』というお客さんの口コミの力を信じ、やっぱり大事にしたいんだよ」。原点を見つめ直しながら、踏ん張り続ける覚悟だ。
(スポーツ報知 2020年10月)
【新皿屋舗月雨暈 魚屋宗五郎】
11月公演と順番が逆になってしまいましたが、10月公演の感想を。
歌舞伎座で仁左衛門さんが石を切るのも観たかったのだけれど、私は菊五郎さんの宗五郎がとっても好きで、10月は多忙でどちらか一択だったため、こちらを選んだのでありました。
ところでこの演目の正式名称の「新皿屋舗月雨暈」って、「しんさらやしきつきのあまがさ」って読むんですね。”新皿屋舗”が怪談の『皿屋敷』からなのはわかるけど、”月雨暈”とは?と調べてみたら、”暈(かさ)”とは「太陽や月に薄い雲がかかった際にその周囲に光の輪が現れる大気光学現象」のことで、「月が暈をかぶると雨」という言い伝えがあるのだそうです。へ~。歌舞伎のおかげでまた一つ賢くなった。
というわけで、菊五郎さんの『魚屋宗五郎』。
私が観るのは、2014年以来の6年ぶり。なんと、そんなにたっていたのか。
今回の菊五郎さん、一つ一つを丁寧に演じておられるように感じました。といって、もちろん不自然さはカケラもなく。この演目での音羽屋の笑いと泣きのどちらも最高に魅せる絶妙さは、流石ですよね。
前回観た際はどちらかというとお酒に酔っていく場面の至芸に見惚れて絶妙な掛け合いやポコポコした空気に笑ってという印象が強かったのだけれど、今回は妹を亡くした宗五郎の悲しみ、妹への愛情が胸に迫ったな。。。
最初の花道の出の、悄然とした姿。深い悲しみがしんみりと伝わってきた。後ろを向いて木魚を叩いているときも、前回はその姿に可笑しみを感じたのだけれど、今回は彼の心のうちを想像した。そしておなぎから真実を聞いて酒に酔って、前半の最後、殿様の屋敷へとかけていく宗五郎が花道の七三で片肌脱いで前を見据える目と姿には、「ああ、菊五郎さんだなあ」と胸がいっぱいになりました。
今回の公演には寺島しのぶさんが眞秀君と一緒に観に来られていたそうで(私とは別の日ですが)、観劇後にブログでこんな風に書かれていました。
「父の宗五郎は名人芸。酔って屋敷に乗り込む前、七三で片肌脱いで見栄を切ったときには涙が溢れて止まらなかった。・・・芝居が終わり知らないお客様が"音羽屋さんの宗五郎は天下一品ですね"と声をかけてくださった。多分私の返しは"有難うございます"でなければならなかったけど"そうですね。私もそう思います!"と興奮している私は口走ってしまいました。やっぱり劇場はいい!舞台はいい!・・・今のご時世、エンターテインメントに時間や労力を使えない!と思っていらっしゃる方や、怖くて劇場へ行けないとおっしゃる方もいらっしゃるはずです。でも、見てよかったぁーと思えた瞬間、心が豊かになることもとても大事な事だなあと思います。」
本当に、そうだよね。
私はこの演目は菊五郎さん以外では勘九郎で観ていて、勘九郎も「勘九郎の宗五郎」としてとてもよかったけれど、私の大好きな菊五郎さんのタイプとは違うのよね。菊五郎さんのThe 江戸っ子な音羽屋風な宗五郎、継いでくれる人は誰かいないのか・・・菊ちゃんはタイプが違うし・・・と思っていてふと思いついた。松緑は!?おじいさん(二代目松緑)の当たり役だし、イケる気がする!私は見ていないけれど前にやってるのよね。ぜひ極めてほしい!!
脇は、殿様以外は基本的に前回観たときと同じメンバー。みんな本当に上手いよねえ。時蔵さん(おはま)と團蔵さん(宗五郎父)、しみじみとした情が滲んでいて、なんか家族っていいなあと感じました。梅枝(おなぎ)も萬次郎さん(茶屋女房)も抜群の安定感。左團次さん(家老)も、菊五郎さんの宗五郎にはこの方以外の家老はいないと感じさせる。菊五郎さんも仰っているけど、これ以上ないメンバーだと感じる。殿様役は今回は彦三郎でしたが、個人的には前回の錦之助さんのおおらかな感じの方が好きだったかも。
丁稚の登場に大きな拍手が起きていたけれど、丑之助君だったんですね。大きくなったなあ。
【太刀盗人】
この演目を観るのは今回が初めて。狂言が元になっている演目が歌舞伎には沢山あるけど、私、好きなんですよね。深刻じゃないくだらないことを延々とやっていて、悪い人が出てこなくて、というより悪い人も舞台全体のとぼけた温かな空気の中に包まれていて。トゲトゲした気分になってしまうことの多い日常生活の中で、こういうちょっと現代では体験できないような大らかさに触れるとほっとする。
なんてのんびり気分で観ながらも、松緑(九郎兵衛)の踊り、上手いなあ!ハキッと綺麗で、観ていて楽しかったし興奮しました。紀尾井町!
コロナ禍で日本中が沈んだ気持ちになっている中で『魚屋宗五郎』や『太刀盗人』のような明るい気分になれる演目を選んでくれたところに「音羽屋らしさ」のようなものを感じた一日でした。
そういえば菊五郎さんのおうちで飼われていたあの真っ白い可愛いワンちゃん、亡くなってしまったんですね。菊五郎さんと並んでいると大型犬が二匹いるようで、見ていて和む光景だったなあ。「2人でいても会話が減って家の中がシ~ンとして。子猫2匹を買ってきた。」と。富司純子さんと菊五郎さんが家でシ~ンとしている光景、、、面白いと言っては失礼だけど、ちょっと面白い。
※<評>菊五郎の宗五郎 胸に迫る絶品 国立劇場 10月歌舞伎公演など(東京新聞)