風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

別府アルゲリッチ音楽祭 @東京オペラシティ(5月16日)

2022-05-19 23:16:42 | クラシック音楽




前夜遅くにみゆきさんの『ホームにて』を聴いていて寝不足だったので、在宅勤務の昼休みに寝ようと思ったのに仕事が超絶忙しく、それでも無理やり早退してオペラシティへ。

【べルリオーズ:序曲 ローマの謝肉祭】
オケは、東京音楽大学付属オーケストラ・アカデミー。指揮は、チョン・ミンさん。チョン・ミョンフンさんの息子さんなんですね
この演奏、とっても楽しかった。このアカデミーは4月に開講したばかりで、今日はその第一期生の初演奏会とのこと。募集要項では30歳以下となっていたけど、音大の院生さんとかが多いのかな。普段メジャーオケを聴くことが多い私だけど、若いオーケストラもいいものですね~。全く怖気づいていなくて、勢いがあって。特にこういう祝祭的な曲にはピッタリ。指揮者の特徴なのか、盛り上げるところは思いきり盛り上げても、統制はちゃんととれていて美しかった。
コンマスさんは出てきたときから他のメンバーと貫禄が違うと思ったら(人種も違うけど)、帰宅してから知りましたが、ゲストのヴァイオリニストさんだったんですね。ウィリアム・チキートさん。後半のブラームスのソロも美しかった。コロンビア出身とのこと。

【シューマン:ピアノ協奏曲イ短調op.54】
アルゲリッチが舞台に登場した途端、客席から爆発的な拍手。ファンは3年間待ち望んでいたんだものね
初めて生で見たアルゲリッチは、映像で見ていた本当にそのまま。
この協奏曲でのアルゲリッチは若い奏者達を見守っているような、引っ張っているようなそんな雰囲気で、思いきりオケに顔を向けながら演奏するこの感じを私は物凄くよく知っている。そう、ニューシティ管弦楽団とベートーヴェンのピアノ協奏曲を演奏したときのツィメルマンとソックリ
まだ成熟していないオケの音はベルリオーズと違いシューマンには合っていない感じもしたけれど、アルゲリッチにももう少し突っ込んだ演奏をしてほしかった気もしたけれど、それでも若い彼らがアルゲリッチを前に怯むことなく演奏していて、この子達は今日の彼女との共演から沢山のものを吸収して、クラシック音楽の未来に花を咲かせてくれるのだろうな、と。それはアルゲリッチの願いでもあるのだろうな、と。だから今日の演奏はこれはこれでいいのだ、と感じました。

今日の席は3階R2列の真ん中あたりで、アルゲリッチの表情もよく見えました。とても魅力的な笑顔。
初めて聴く彼女の生音は、やはり生で聴かないとわからないことがある、と改めて感じました。もちろん音色も美しいし色彩豊かなのだけど、アルゲリッチのピアノの特徴ってそれだけではないのだな、と。音の推進力と生命力がすごい。全く力まずに弾いているのに、生きている音がピアノから流れ出てきて、その音の個性がオケを含めたその曲全体の個性に自然となってしまうような、そんな不思議なパワーをもった音。どんなにテンポが揺れても、どんな音も、全ての音が自然な音楽に聴こえる。彼女の体は音楽でできているのではなかろうか。ていうかもはや音楽ではない何ものかというか。面白いなあ。凄いなあ。

そして、この人は半年前のフレイレの最後の時間を深く知っている人なのだな…と、そんなことを思いながら聴いていました。

【シューマン:幻想曲集op.73】
【ショパン:序奏と華麗なポロネーズ op.3(アンコール)】
【ショパン:チェロ・ソナタ ト短調 op.65から 第3楽章 ラルゴ(アンコール)】
この3曲は、ミッシャ・マイスキーのチェロとの共演。マイスキーの生演奏を聴くのも、私は初めて。
今日は何故かチェロが低く聴こえて(あるいはピアノの方が高いとか?)、ピアノとチェロの音の高さが合っていないように感じられてしまい、最初の方は音楽に集中できなかったのが残念でありました。でもそういう感想はただの一つも見かけなかったので、やはり私の耳が不安定なのかも 引き続き絶対音感狂い中by老化です。
それはそれとして。
面白いデュオだなあ。音もリズムもそれぞれに表情豊かで個性的で、一見バラバラに好き放題弾いているように聴こえるのに、実はしっかり呼吸が合っている。マイスキーは客席を向いていて二人はアイコンタクトも殆どしていないのに、これほど「それぞれが自由に弾いて、でも合っている」演奏を何故できるのだろう。やはり二人の長い間の信頼関係ゆえなんでしょうかね。
力まず、自由自在で、色気があって、今そこで生まれたばかりのような音楽が聴こえてくる。長い経験を積んだ人にしかできない、大人の演奏に感じました。先ほどまで聴いていた若いオケの演奏(言い換えればまだ硬い演奏)とのギャップが凄くて、楽しかったです。

なんとなくこのお二人はアンコールはやってくれないのではと思っていたのだけど、2曲もやってくれて嬉しかった。舞台に出てくるときも去るときも、舞台上ではないかのように普通に会話している二人(大物感)。
このアンコール曲、ショパンの曲だということは帰宅してから知ったのですが、『ライヴ・イン・ジャパン』という二人のアルバムからの2曲を弾いてくださったんですね。
どちらもすごくよかったなあ。。。。。今日の演奏、アンコールのこの2曲が一番感動した。二人とも、しなやかで、自由で、色っぽくて。でも気取っていなくて。気軽に最上級のワインがふるまわれているような、そんな感じを覚えました。
op.3の躍動感も素晴らしかったけど(二人とも意外やこういう曲が似合う~)、op.65の音の空気にすっかり魂をもっていかれてしまった。。。。。寂しい、というのとも少し違う、言葉にできない静かで深くて温かい演奏だった。これは3楽章なので本来はこの後に明るい4楽章が続くのだけど、この曲で最後であるような静かな静かな終わり方でした。私は聴きながらフレイレのことを思っていたのだけれど、二人の優しい演奏に心が少し救われました。帰宅してからショパンの曲だったと知り、さらに救われた気持ちになれた。アルゲリッチが10代の頃に初めて聴いたフレイレの演奏がショパンで、彼が最後の夜に弾いていたのもショパンだったそうなので…。

(20分間の休憩)
休憩時間に3階から2階のホワイエを眺めていたら、平野啓一郎さんがお一人で立っていらしたのだけど、顔も見えず、後ろ姿の頭の形だけで平野さんだとわかって吃驚である。彼のファンなわけでもなく、特に変わった髪型や体型でもないし、その時は平野さんとアルゲリッチの繋がりも知らなかったのに。念のためtwitterで確認したら、やはりいらしていた。

【ブラームス:交響曲第1番ハ長調op.68】
ツィメさんのときと違い、休憩時間で帰ってしまうファンが少なくてよかった。
演奏については、個人的にはもう少しふくよかな音のブラームスが好みなのだけど、今日のような元気いっぱいの若々しい演奏も、これはこれで良かったな。ただもう少し最後に向けてじわじわ盛り上がっていく演奏の方が好きではある。今日の演奏は全楽章がクライマックスのようで、最後の方は耳も痛くなってしまった 
ブラームスの音楽って、明が暗に打ち克つというより、明も暗も抱えながら心の中に収めて生きた人の音楽に感じる。私は、人生については、終わりよければ全て良しとはとっくに思わなくなっていて。悲しい終わりを迎えたシューマンの人生にも、晩年には諦念を感じさせる音楽を作ったブラームスの人生にも、こういう前向きな音楽を作った時間が確かにあって、それも全て一人の人の人生なんだと思う。今日は真ん中にアルゲリッチ&マイスキーの演奏があったので、その二人と若いオーケストラの音や空気の違いを実感として感じながら聴いたので、四楽章のあのメロディの部分ではそういうことをぶわぁっと感じて、泣きそうになってしまった。それは若いオケの音だったからこその感動だったと思う。
しかし・・・この曲を作るのにブラームスは21年かけたのよね・・・。それを思うと、あちこちで表れるふとしたメロディーが妙に可愛らしく聴こえて、ニヤニヤしてしまう。ブラームス大好き。
演奏後は、客席からいっぱいの拍手
それに応えて、四楽章コーダのアンコール。若いっていいね~

来月もあと2回、アルゲリッチを聴く予定です。すみだホールのフレンズと、サントリーホールのクレーメルとのデュオ。


©別府アルゲリッチ音楽祭

©別府アルゲリッチ音楽祭


フルートもオーボエもとってもよかったですブラボー

Chopin: Introduction and Polonaise, Op. 3 - Introduction - Lento (Live)


Chopin: Introduction and Polonaise, Op. 3 - Alla Polacca - Allegro con spirito (Live)


Martha Argerich & Mischa Maisky play Chopin - Cello sonata in G minor Op. 65, 3rd mov



◆◆◆◆◆

Odszedł Nelson Freire / Nelson Freire has passed away

フレイレが亡くなったときにChopin Instituteがこんな追悼をあげてくれていたこと、いま知りました。
説明文によると2007年のFestival Chopin and his Europeの演奏とのこと。
今回の演奏会の前夜にみゆきさんの『ホームにて』を聴いたと書きましたが、久しぶりに聴いたけれど、現実の故郷だけでなく、心の故郷、”今はもういない懐かしい人達がいた場所”、”かつてあった、でも今はもうない場所”、"帰りたいけど二度と帰れない、でもいつか還れるかもしれない場所”を歌った歌のようにも聴こえ、フレイレを思いました。
フレイレが22歳の時にバスの事故でご両親を亡くしていたことは知っていましたが、その事故が彼の演奏会に行く途中の事故であったこと(バスが高架橋から谷に転落したそうです)、そのバスに彼も一緒に乗っていて数少ない生き残りの一人であったことを、先日知りました。
現在や未来よりも過去の時間を思うことが好きだと、子供の頃が一番幸せなときだったと言っていたフレイレ。『精霊の踊り』を弾いていたときの彼も、そういう時間や人達を想っていたのではないだろうか。
ところで、Chopin Instituteのこの追悼映像にもアルゲリッチとの写真がいくつもありますね。2003年のドキュメンタリー映画でも彼女について語る場面が多くあるけれど、以下のNew York Timsが書いている場面もその一つ。フレイレに初めてジャズを聴かせたのはアルゲリッチなんですよね。それからすっかり夢中になってしまったそうです。

Whatever repertoire Mr. Freire turned to, he had a depth of tonal variety, a poetry of phrasing and a natural, almost joyous refinement.

In “Nelson Freire,” a 2003 documentary film, he is shown watching a video of a joyous Errol Garner playing jazz piano. “I’ve never seen anyone play with such pleasure,” he said.

“That’s how I found the piano,” Mr. Freire continued. “The piano was the moment, when I was little, when I felt pleasure. I’m not happy after a concert if I haven’t felt that kind of pleasure for at least a moment. Classical pianists used to have this joy. Rubinstein had it. Horowitz had it, too. Guiomar Novaes had it, and Martha Argerich has it.”

What about you, the interviewer asked?

Mr. Freire lit a cigarette, looked up shyly, and smiled.

(The New York Times, Nov 4, 2021)

 

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PCを捨てる

2022-05-09 23:22:29 | 日々いろいろ




自宅のPCの調子が悪くなったので、最近買い替えをしたのです。
古いPCは東芝製の2011年秋モデルなので、なんと11年ももったんですね。ビックリ。今の新しいHP製のPCが11年後も使える気は全くしない。それは今東芝製を買ったとしても同じ。ていうか11年後って何歳だ?56歳か。
そんなわけで古いPCの廃棄は久しぶりなのですが、ええと、まずはデータを消去しなきゃいけないのよね。
11年前のマニュアルどおりにやってもうまくいかなかったので(OSをアップグレードしたためと思われる)、ネットで調べた「設定→回復→PCをリセットする→全データを削除」という方法を試してみたら、初期化が完了するまでなんと8時間もかかったよ。。。「このPCを初期状態に戻しています 21%」の画面が5時間くらい変わらなくて、いい加減に強制終了したくなったけどPCはカタカタ頑張っているようだったから、根気よく放置しておいたら(ヘンな日本語)、ちゃんと初期化されました。
初期化だけでは不十分という話もあるけど、怪しい業者ではなく東芝に回収してもらうので、もうこれで完了とする。

さて、回収の依頼もしたし、あとは梱包するだけ。
ふむ・・・。最近使っていなかったから、ホコリだらけ・・・。
私は元々物に執着がない人間で、これまでの私なら「どうせ廃棄するPCだし」とそのまま梱包していたと思うけれど、今回はホコリをはらい、水拭きしました。
というのも、亡くなった友人との会話をふと思い出したからで。

以前友人と雑談していたときに「古くなった下着や靴下って、最後はどうしてる?」と聞かれ、「雑巾替わりにベランダとかトイレとかを拭いてから捨ててる」と言ったら、「うちの母と同じだ(笑)」と笑っていて。「私はそれができなくて。洗って、たたんで、『今までありがとうございました』ってお礼を言ってから捨ててるの」と。私は感動して、一人暮らしで誰も見ていなかったとしても彼女ならきっと一人でそうしているに違いないと感じ、「優しいね~~~!」と言ったら、「いや、本当は母やcookieさんみたいに最後までちゃんと使ってあげた方がいいんだよ。でも、私はそうできなくて」と笑っていました。

彼女はとても真面目で(といって真面目一辺倒なわけでもなく、面白いところもあった)、彼女が亡くなったときに同僚が「彼女が『ジャムの作り方を教えてほしい』と言ったから教えてあげたら、本当に作って持ってきてくれて。普通は話の流れでそういう会話になっても、実際にそうする人って少ないじゃない?でも彼女はそういう人だったよね」と。
私も覚えがあって、雑談の中で「神楽坂って行ったことがないから行ってみたいんだよね」と言ったら、美味しいお店を教えてくれてその時は会話が終わって。そしたら翌日にそのお店の載った神楽坂の散策マップのコピーをわざわざ持ってきてくれて。ネットで調べればそういう情報はすぐに手に入るのに。そういうことが、彼女との間ではいっぱいあったな。自宅から昔の歌舞伎の筋書や彼女の宝物(仁左衛門さんの襲名のときのテレフォンカード)をわざわざ持ってきて、見せてくれたり。その時のノリで適当に言ったり聞いたりしない、というよりおそらくそういうことを思いつきさえしない、世の中にそういう人間がいるということも思い浮かばない、そんな人だった。
相手がそうだと、私も変わって。彼女が喜びそうな本を持っていったりして。それを彼女もちゃんと読んで、感想を言ってくれたり。

話が長くなってしまいましたが、そんな彼女のことを思い出したら、11年間一人暮らしの私と共に頑張ってくれて楽しみをいっぱいくれたPCをホコリだらけの姿のまま捨ててしまうことができなくなってしまい。
軽く濡らしたキッチンタオルで拭いてやりながら、これを買ったときは近所の電気屋で限定セールで、この赤色が気に入ってその場で衝動買いしたんだったなあとか思い出し、そうしたら自然と「今までありがとう」と声をかけたくなる気持ちになったのでした。
彼女からは本当に、人間の優しさやこの世界の美しさを沢山教えてもらった。丁寧に生活するということも。
これからはもう少し本当に大切なものだけを自分のもとに置いて、しっかり愛着をもって大事にしよう。でも布物は捨てる前にベランダ掃除に使うけど笑。

そういえば友人はそういうタイプなので、物を捨てられないのだと言っていたな。何年も前に彼女が食べて美味しかった台湾のパイナップルケーキのお店のリーフレットを大切にとってあって(彼女の自宅の整理箱の中は完璧に年代順の地層になっているからすぐに見つけ出せるのだと言っていた笑)、同僚が台湾に出張に行ったときにその紙を見せて同じお菓子をお土産に頼んでいた。そして同僚はちゃんと買ってきた。亡くなる数週間前のこと。

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佐野洋子 『神も仏もありませぬ』(2003年刊)

2022-05-08 13:07:12 | 




というわけで、佐野洋子さんのエッセイを初めて読んでみました。佐野さんが60代前半のときのもの。
谷川さんを通して私が感じていた佐野さんの印象は、「洞察力に優れていて歯に衣着せぬ物言いをするけれど、実はとても繊細で可愛らしい人」というものだったけれど、このエッセイから感じた佐野さんも想像以上の可愛らしさだった。
もちろんご子息の広瀬さんが「一緒にいるのは3日が限界」と仰っていたのはそうであろうなぁと物凄く想像できるけれど(婦人公論2020年11月)、子供のような純粋さや全力投球さが魅力的な人だな、と。
また谷川さんが夫婦だった頃に「(実は)佐野洋子は完全な鬱気質」と仰っていたのも(『国文学』1995年11月号)、そうであろうなぁと想像できる。

この本は佐野さんが一時期住居兼仕事場としていた北軽井沢での生活を中心に綴った短編エッセイ集で、”衿子さん”と”フルヤさん”からいただいた手作り蜂蜜を大切に大切に愛する《それは、それはね》の佐野さんなんて、本当に可愛い。ちなみにこのお二人は、谷川さんの最初の奥様である岸田衿子さんと植物画家の古矢一穂さんのこと。佐野さんが谷川さんと離婚した後に北軽井沢の谷川さんの別荘の隣に自身の家を建てて住んでいたことは知っていたけれど、ご近所の衿子さんとも親しくお付き合いをしていたんですね。谷川さんによると、衿子さんもかなり自由奔放な方だったようです(そう仰る谷川さんも、相当自由奔放な人だと私は思うけれど)。衿子さんは、佐野さんの半年後に亡くなられています。

真っ暗闇のなか一人で手作り温泉に四苦八苦しながら入浴に行くエピソードも、とても可愛い。そんな佐野さんにお友達は「あんた、普通じゃないよ」とバッサリ言う。そして「あんたの人生とまったく同じじゃない。やたら突っこんで傷だらけになってさあ」と。そうなんだよね。佐野さんの行動って、どこかそういう切ない健気さみたいなものを感じさせられることが多い。先ほどの蜂蜜のエピソードもそう。

古道具屋の「ニコニコ堂」の息子さんの”ユウ君”は、長嶋有さんのこと。ということは、読後にネットで知りました(長嶋有さんを存じていなかった…)。

この本の最初の話は、佐野さんの88歳の痴呆のお母さんの話。佐野さんのさりげない文章が、沁みた…。この本だけ読んでいるとそうとはわからないけれど、佐野さんとお母さんの関係は若い頃は決して良好とは言い難いものだったようで。それについては『シズコさん』という本に詳しいようなので、ただいま図書館で予約中。

 いつか四十二歳と答えられて、ショックを受けたが、大笑いしたものだ。意地悪く私は云った。「そうか、私、母さんより年寄りになったんだ」。あの時はまだ私の名前を時たま口にしていた。私が子である事が時々はわかっていた。あの時母は明らかに混乱した。あの時から私は母に年齢を確認させる事をやめた。私がどこかの「奥様」であろうと、「そちらさま」であろうと、この人の中で私はどこかで動かぬ子として存在していると感じる。四歳。今日私は笑わず、しわくちゃの四歳を見て「ふーん」と思う。そういう事なんだよなあ、四歳。

(中略)

 そして、六十三歳になった。半端な老人である。呆けた八十八歳はまぎれもなく立派な老人である。立派な老人になった時、もう年齢など超越して、「四歳ぐらいかしら」とのたまうのだ。私はそれが正しいと思う。私の中の四歳は死んでいない。雪が降ると嬉しい時、私は自分が四歳だか九歳だか六十三だか関知していない。
 呆けたら本人は楽だなどと云う人が居るが、嘘だ。呆然としている四歳の八十八歳はよるべない孤児と同じなのだ。年がわからなくても、子がわからなくても、季節がわからなくても、わからないからこそ呆然として実存そのものの不安におびえつづけているのだ。
 不安と恐怖だけが私に正確に伝わる。この不安と恐怖をなだめるのは二十四時間、母親が赤ん坊を抱き続けるように、誰かが抱きつづけるほか手だてがないだろうと思う。自分の赤ん坊は二十四時間抱き続けられるが、八十八の母を二十四時間抱き続けることは私は出来ない。

(『神も仏もありませぬ』《これはペテンか?》)

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1990年に谷川俊太郎と結婚した。1996年に離婚。1998年から2003年にかけては北軽井沢に転居。

2003年に紫綬褒章受章。2004年、エッセイ集『神も仏もありませぬ』で小林秀雄賞を受賞。2004年には乳がんの摘出手術を受けたが、骨に転移。エッセイ集『役にたたない日々』(2006年刊行)の中で、がんで余命2年であることを告白。2006年、母シズ死去(享年93)。2008年、長年にわたる絵本作家としての創作活動により第31回巖谷小波文芸賞受賞。

2010年11月5日午前9時54分、乳がんのため東京都内の病院で死去した。72歳没。最後のエッセイ集のタイトルは『死ぬ気まんまん』であった。
(wikipedia)
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没後10年『100万回生きたねこ』佐野洋子を息子が語る「最後までわがままで、意地っ張りだった母」(婦人公論.jp)
谷川俊太郎、妻とは「けっこうイチャイチャ」も 意外な日常のエピソード(AERA.dot)
佐野洋子プロフィール(公式ページ)

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