風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

役者の演技

2014-01-31 22:42:32 | 歌舞伎




役者の演技はご覧になったその人だけのもの!
贅沢なお買い物ですが、気に入ってもらえたら安いものだと思います。

猿三郎さんのブログより、吉之丞さんとの思い出について書かれた記事のコメント欄の、猿三郎さんの言葉。
なるほど、たしかにそのとおりですね。
客はそれぞれがそれぞれの心の中に、役者さんの演技を丸ごと持ち帰ることができる。
決して誰かと貸し借りし得ない、その日その時その劇場にいる人だけに与えられる、儚くて、でも何より確かで強烈な、最高に贅沢なお買いもの。
形あるものではないから、決して失われることもない。
素敵ですね(*^_^*)

吉之丞さんの舞台は、おそらく私は生では拝見したことがなく、シネマ歌舞伎の牡丹燈籠だけだったと思います。本物の幽霊のようなあの空気、品と可笑しみ、実に実に素晴らしかった。
また、『二代目 聞き書き 中村吉右衛門』の中の、吉之丞さんのお人柄が窺える数々のあったかいエピソード。吉右衛門さん、お寂しいでしょうね。。

今頃はあちらの世界で、先に行かれた方々と積もる話などしていらっしゃるでしょうか。
私が生の舞台に間に合わなかった役者さんたちが沢山おられるあちらの舞台、いつか一等席で観られる日を楽しみに。
心よりご冥福をお祈りいたします。

Comments (2)
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歌舞伎座新開場こけら落 壽初春大歌舞伎 『松浦の太鼓』(1月23、25日)

2014-01-27 01:06:51 | 歌舞伎




23日の夜の部の前に幕見で観たらとてもよかったので、前楽の日にも再見。
こんな舞台が1200円なんて!これは安いと思う!

※幕見(23、25日)


【松浦の太鼓】

先月観た『弥作の鎌腹』と同じく、秀山十種の内の一つです。

吉右衛門さん目当てで観に行ったこの演目ですが、予想外によかったのが両国橋の場。
其角@歌六さんと、源吾@梅玉さん。
俳諧の師と弟子の間柄の二人は、雪の両国橋で偶然に再会し、床几に腰かけ近況を語り合います。
別れ際、花道を行きかける源吾を其角はふいに呼び止め、「年の瀬や水の流れと人の身は」と詠み、付け句をするように言うと、源吾はしばらく考え、そして詠んだ句が「明日待たるゝその宝船」
一人立ち尽くし、その句の意味を考え込む其角――。
やがて再び降り出した雪に傘を広げ、上手へと去ります。
このお二人の、最初から最後までなんと雰囲気のあること!
師走の江戸の寒さや空気の匂いまで伝わってくるよう。。。
ここが元禄の両国橋で、さっきまでどんな風に雪が降っていて、これからどんな風に降って、其角と源吾がこの場所までどんな風に歩いてきて、どんな風に帰るのか、それがこの短い時間でわかるのです。この日がもう討入り間近であることも。
お二人ともブラヴォー!!でございます。

で、ところ代わって翌日の松浦邸。
幕が開くと、句会の真っ只中。
上手には、座布団に座ってる松浦公@吉右衛門さん。
萌黄色の着物がお似合いです!吉右衛門さんの周りの空気が明るいのが、4階からでもわかる^^
しかし源吾の妹で腰元の縫(米吉)がお茶を運んでくると、その機嫌は急降下
殿が不機嫌なのは縫との色っぽい理由ではないかと推測する其角に、楽しそうにころころと表情を変える吉右衛門さん、美しいぞ。
ご機嫌斜めになったり(「ばかっばかっ」て脇息をポカポカ。可愛すぎ…)、直ったり、でもやっぱり斜めになったりと、忙しない松浦公。
その真意は――。

「予はな、予は、隣屋敷の吉良家にもう誰か斬り入るだろう、討ち入るだろうと、内々、内々、、、、、楽しみに致しておるのじゃ~~~!!!」

な、なにこの可愛い殿さま。。。
にもかかわらずただのバカ殿にならないところは、さすが吉右衛門さん

そして其角の漏らした源吾の歌の意味を思案していると、にわかに鳴り響く陣太鼓。
うわ、ここ、もっのすごいテンション上がる~~~~~(松浦公のテンションもここから一気に急上昇笑)
はっと顔を緊張させ、膝でずりずり前へいざり出て、太鼓の音に耳を澄ます松浦公。
みるみる輝き始めるその表情。
そして流れ出る名台詞!!

「三丁陸六つ、一鼓六足、天地人の乱拍子、こりゃこれ山鹿一流の妙伝にして、今この妙伝を得たる者は、諸侯で岡部、マヽこの鎮信じゃ。陪臣にては上杉の家臣千坂兵部に、今一人は赤穂の大…」

変わる太鼓の音、笑顔全開で指を折る松浦公。
ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン…
一、二、三、四、五、六…

「宝船はここじゃ。ここじゃ~~~!!」

あ~~~、幸福!!!
松浦公も幸福だろうけど、私もとっても幸福!!!
見惚れて、聞き惚れて、もうどうしましょう!!!
ここの吉右衛門さんと、次の幕で討入りの様子を語りたおす梅玉さんの長台詞に、あ~歌舞伎が好きでよかった~~~~としみじみ。。。

米吉の縫も、よく役に合っていました。ふっくらカワユイ^^

この11月~1月は忠臣蔵にどっぷり浸かることができて、幸せでございました。
1月に忠臣蔵ってどうなんだろう?と最初は思ったけれど、筋書の「季節感溢れる忠臣蔵外伝の名作をお楽しみください」の言葉に、そっか、旧暦では討入りってまさに今なのよね、と。本当の意味で肌で感じる「季節感」が合っているのは、12月よりも1月の今なのでした。
そう思うと、これからも1月にも忠臣蔵、やってほしいなぁ。

吉右衛門さんは、ようやく来月はお休みですね。
ゆっくりとご休養くださいまし。
そして3月にまた、歌舞伎座でお待ちしております!!

そしてそして。。。
こうして菊五郎さんや吉右衛門さんの芸に見惚れれば見惚れるほど、聞き惚れれば聞き惚れるほど、、、、、仁左衛門さん早く帰ってきて~~~~~~~;;な気持ちが募ります。。。
ああ、仁左さまの舞台が観たいよぉぉ~~~~~~~~。
あと半年の辛抱ですね。。。

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歌舞伎座新開場こけら落 壽初春大歌舞伎 夜の部(1月23日)

2014-01-27 00:19:05 | 歌舞伎




今年の初歌舞伎座!
今月は前半に国立を入れたため、こちらは楽直前での鑑賞となりました。

※3階B席中央


【九段目 山科閑居】

由良之助@吉右衛門さん、お石@魁春さん、力弥@梅玉さん。
この大星家、、、もっっっのすごい好みでございます
私的最高の組み合わせではなかろうか。

吉右衛門さんの由良之助。
七段目とはまた違う、すべての準備が整いあとは討入りの決行を待つのみという、そんな心の静けさも感じさせる由良之助でした。
「大きさが必要ですが、その大きさも殿様でない家老である難しさがある」と筋書で仰っていますが、まさにそのとおりの由良之助。上に立つ者の大きさだけでない、下に仕える者の細やかさやリアリストな部分がちゃんと見える。昼の部(松浦の太鼓)では完璧な“殿さま”を演じられていただけに、その見事な空気の違いに見入ってしまいました。

魁春さんのお石。
武家の妻の毅然とした気品、表に出さずじっと内に抑えた夫と子への愛情、、、素晴らしいですねぇ(号泣)!!!
あの抑えた演技でどうしてこんなに内面が伝わってくるのか。。。役者さんってすごい。。。

梅玉さんの力弥。
67歳で前髪にまったく違和感がないなんて、これが歌舞伎役者というものなんですねぇ。。。なんか泣きそう。。。
目録(絵図)を手渡すときに恥じらって顔を背ける小浪に微笑む顔が、それはもう優しそうで品があってかっこよく。。。ああ梅玉さん、好き。。。動きも颯爽として美しい。。。

三人のあくまで控えめで静かな、だからからこそ一層胸をつく、刻一刻と近づく家族の別れの予感が切なかった。。。
討入り前の、雪の山科閑居での最後の最後のひととき。
九段目は加古川家メインのお話ではあるけれど、ここにもう一つの家族の物語があることを見事に見せてくれた今月の大星家でした。

一方の加古川家。
台本もそうなのですが、演じている役者さん達の個性もあり、感情がはっきりと表に出ているところが大星家と対照的。
私の好みは大星家の方達の演技の方ですが、それでも生の舞台の藤十郎さんの存在感はさすがでした。
花道の登場からずっと体の隅々までいきわたっている緊張感の持続、82歳で素晴らしい。戸無瀬の鮮やかな赤い衣装もよくお似合いで、お石との対決、見応えありました。母性を感じさせる戸無瀬なので、だからこそ小浪の実の母親ではなく継母というところが泣かせる。。

扇雀さんの小浪は、少女の可憐さはもうひとつな気もしましたが(10代の少女というより20代くらいに見えました。それでも十分すごいですが)、先ほども書いた力弥と目が合ってぱっと顔を背けるところなど大層可愛らしゅかったです。このカップル、いいなぁ。
リアルになりすぎない演技も、心地よかった。
扇雀さんって『狐狸狐狸~』の伊之助のような役もやれば、こんな役もできてしまうなんてすごい。とても同じ人物とは思えません。
しかし戸無瀬&小浪が「死ぬなら此処で…」と他人様の庭で死のうとするところ、よく考えると、ものすごく大星家に対してあてつけがましいですよね。思わず笑ってしまいました^^;

幸四郎さんの本蔵。
吉右衛門さんとの兄弟共演も一つの見所ですが、老獪だけれど根は温かい人柄の本蔵の役がとてもお似合いでした。刀を抑えた小浪に相好を崩すところも、優しそうでよかった。ただやっぱり、どうもこの方の演技はクサいといいますか、、、「忠義にならでは捨てぬ命、子ゆえに捨つる親心」、感情たっぷりと演技されているのですが、うーん。。。

九段目は、色彩がとっても美しいですね。夜の闇に浮かぶ雪の白さ、慎ましやかで質素な屋敷、登場人物たちの衣装の色合い、すべてが味わい深い。
あと、幕切れの大向う。こんなに色んな種類の屋号が同時にかかるのを聞いたのは初めてだったので、楽しかったです。「山城屋」、「成駒屋」、「高麗屋」、「播磨屋」、「高砂屋」、「加賀屋」。実際にいるのは親子&兄弟の3家族だけなんですけどね^^;

以下、自分用のストーリーの整理です。
この九段目は、台本だけですと、加古川家の心情ははっきりとわかりますが、大星家の心情はわかりにくい。。
お石が小浪に対して辛くあたるのは、魁春さんのコメントによると「すぐに討入に行ってしまう力弥に嫁ぐのは可哀想だから」とのことですが、勘三郎さんは「判官を抱きとめた本蔵の娘などもらいたくないからで、それ以外の理由はない」と言っていました。
今回は魁春さんの舞台なので前者をとるとして、では結婚の条件として本蔵の首を所望したのはなぜか。これは、とにかく今目の前で死のうとしている彼らを止めねばならず、「こう言えば諦めるだろうと考えた」のだと思います(もちろん本蔵が憎い気持ちも本当ですが)。
最初は、尺八の音が聴こえた時点で由良之助が本蔵と気付いて、お石にそう言うよう指示したのかなとも考えましたが、さすがに違いますよね。エスパーじゃあるまいし。
で、本蔵が登場し、由良之助を罵ってお石と対決になったので、力弥が本蔵を刺した(正確には本蔵が自らを刺した)。由良之助がお見通しだったのは、本蔵がお石をわざと挑発しているというところでしょう。そのことに気付いていたのは由良之助だけで、お石も力弥も気付いていない、と考えるのが自然だと思います。

あ、最後にもうひとつ。この演目を観たのはこれが初めてですが、庭の雪の五輪塔がデカくて妙に上手で思わず笑ってしまいました(3階からは全体が見えないほど)。あれ、誰が作ったのでしょう。幇間が今回出ていない「雪転しの段」の雪玉を使って作ったのでしょうか(だとしたら早ワザ・・・)


【乗合船惠方萬歳(のりあいぶねえほうまんざい)】

本来はお目出度い踊りのはずですが、、、床几に座っている人達(踊っている人を眺めている人達)の表情がコワすぎです。。。かろうじて又五郎さんと児太郎君だけは笑みを浮かべていましたが、それ以外の人達は「楽屋で何かあった?」と疑ってしまうほどみんな顔がコワい。。。全然オメデタイ雰囲気が感じられず、残念でございました。
ただそれはそれとして、最後に雨が降り出して舟に乗りこむところ、いいなぁと思いました。
濡れちゃうからさっさと行こうぜ!という感じではなく、雨もゆったりと風流な味わいを演出する一部といいますか。こういう歌舞伎の雨や雪の使い方、好きです。
『源氏物語』(小説の方)でも雨がそういう描かれ方をしている部分があって大好きなのですが、昔の日本人は雨や雪と今よりずっと繊細な感性で付き合っていたのだなと思います。


【東慶寺花だより】

秀太郎さんのブログでは大絶賛されておりますが。。。
この作品は、、、、どうなのだろう、、、
「ほのぼの」といえば聞こえはよいですが、なんか中盤がとってもグダグダだったような。。。少なくとも私はグダグダでございました。。。
原作よりは面白かったですが、それでも原作の魅力のなさが、そのまま舞台に移ってしまっていたような。。。

井上ひさしさんの本を読んだのはこれが始めてなので他はわかりませんが、ものすごくつまらないわけではないけれど、もう一度読み返したいとも思わない、そんな本でした。戦後に植えられたはずの明月院の紫陽花が名物として描かれているというような時代考証の浅さもありましたが、それを別にしても、どうも人物描写が浅く感じられ…(人間を見ることに関してはプロのはずの柏屋が、清市の正体に全く疑問を持たなかったところとか@おきん。素人の信次郎でさえ少し会話を交わしただけで不審に思ったのに…)。まぁそういう部分は今回の舞台ではありませんでしたが、それでも原作のグダグダ感はそのまま残ってしまっていたように感じました。

ただお陸@秀太郎さん&惣右衛門@翫雀さんの場面は、とっっっても面白かった お二人とも上手い!
秀太郎さん登場場面のテーマ曲も、初めて聞きましたが楽しいですね。あれ~に見ゆるは松嶋屋の紋どころ♪ヒデタロさん♪
お陸が惣右衛門にする「お・も・て・な・し」チュッの一連のやり取りの後で染五郎が素で笑っちゃっていたけど、他の日と違ったのかな。何度も観ている方の感想では、秀太郎さんエスカレートしていたようですし。

続編の話も出ているようですが、そのときはエピソードを二つ位に絞ってもう少し内容を掘り下げた方がいいのではないかしら。
新作歌舞伎は8月の『狐狸狐狸ばなし』がとっても楽しかったので私は否定派ではないですが、新しい歌舞伎を作るのって難しいんですねぇ。。
あ、橋吾さんや梅乃さん&千壽さん(珍しい立役)が活躍されていたのは、いいなと思いました。普段出番の少ない役者さん達も、もっと活躍の場が増えてどんどん成長していけるといいですね。



梅の季節の東慶寺(境内に畑があるのですよ)。
鎌倉らしい大好きなお寺です。

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初春歌舞伎公演「三千両初春駒曳」 @国立劇場(1月16日)

2014-01-19 02:01:08 | 歌舞伎




国立劇場の心地よさにすっかりはまり、今月も行っちゃいました。
お芝居の方はというと、まぁ巷の低評も理解できなくもない部分もありましたが(笑)、仕事でストレスフルだった私にはピッタリのツッコミどころ満載な超楽しい舞台でした。
なんでやねん
と何回心の中でツッコんだことか。

※1500円のお席です♪


【三千両初春駒曳(さんぜんりょうはるのこまひき)】

最初に照明が落ちて、真っ暗ななか空から金色のキラキラが降ってきて、光る白いお馬さんが上手の空に飛んでいくのですが、それがとっても美しくて。この雅で縁起がいい雰囲気が味わえただけで、すでに十分満足でございました(ハードルが低くてスミマセンね^^;)。
演じている役者さん達も適当に力が抜けていて、それもまたのんびり初春らしくて一興。

今回の見どころの一つは、なんといっても“菊ちゃん尽くし”でしょう
高麗のお姫様衣装から、町娘風の衣装、綺麗な廓衣装、関白の奥方衣装、立役姿、そして再びお姫様衣装と、お色直しの連続。正月早々美しい菊之助が沢山見られて幸せです*^^*
「姫は男と見れば声をかけるそうだ」、笑。一目惚れの想い人(松也)を追って自ら舟を漕いで来日し、たまたま辿り着いた廓で働いちゃう、一途で肉食系ハーフなたくましいお姫様♪その名も“照菊皇女”。

そしてもうひとつの見どころは、もちろん菊五郎さん!
政事に全く興味なく、趣味に生きる自由人信孝さん(考えあってのことだけど、本気で楽しんでいたに違いない)。こういう役の菊五郎さん、大好きです。春風駘蕩の言葉そのもの。
ゆったりと扇をあおぐ菊五郎さんと麗しき傾城姿の菊ちゃんが二人並んで、空から桜の花びらが舞い散る絵面の美しいこと美しいこと
菊五郎さん、ちゃんと菊ちゃんに見惚れてる!自分の若い頃そっくりな息子を相手によくこんな表情が出来るなぁ~と、楽しいことこの上なかったデス。会話も色っぽくてよろし♪

それと、ポスターにもなっている颯爽とお馬を引く菊五郎さん
ひょこひょこ歩きのお馬さんと六頭身な菊五郎さんが醸し出す可笑しみ!神経質さや理屈っぽさゼロなとぼけた空気。なのにやっぱり粋で美しくて色っぽい。あっさりしてるのに、ほんわりこってり艶っぽい!
この飄々とした個性は、仁左さまにも吉右衛門さんにもない天下一品でございます。
これほどしょーもないストーリーであるにもかかわらずこの作品が学芸会で終わらなかったのも、ひとえに菊五郎さんの役者としての味わいゆえ。
こういう舞台だから一層はっきりと感じた、菊五郎さんという役者の貴重さでした。

で、ラストはもう力技。
こんなんアリ?もちろんアリだ!!と言い切られた感じ^^;
華やかな雛壇(違)にのっかった、フリフリ高麗衣装の菊ちゃんと、お内裏様な菊五郎さん。真ん中にはこれまた綺麗な衣装のおすまし大河くん(長台詞がんばった!)。
その他一座勢揃いで手拭い撒いて、上から降る金色のキラキラ。
これだけの役者を揃えていながら超無理矢理な大団円のハッピーエンド(てか松也との恋はどうなったの、菊ちゃん!?)。
理屈と一緒に私の仕事のストレスも宇宙の彼方へふっ飛んでいっちゃいましたよ。
なんかめちゃくちゃだけどお目出度いし、いっか!と思えてしまうこのフシギ。
ある意味ものすごく歌舞伎っぽいような気がしないでもない(←錯覚です)。
昨年の正月も、海老蔵から同じパワーをもらったのを思い出しました。
だって正月だもんね

松緑、亀三郎、亀寿、松也、梅枝、右近、権十郎さん、團蔵さん、みんなよかったです。時蔵さんの立役は、4月以来かな。
最後に登場された田之助さん、お声もしっかりされていて、お元気そうでした。
好きな役者さんの多い舞台だったので、眺めてるだけでも楽しかった。
また、台詞や場面を色々パロってるのも面白かったです(俊寛とか四谷怪談とか五右衛門とか鈴ヶ森とか。お約束の半沢もね)。
満足です♪♪♪ 1500円だからかもですが、笑。
この日はカメラが入っていたので、そのうちTVでも放映されるのではないでしょうか。でもこういう舞台こそTVで見るようなものではないというか、生で観て一緒に楽しんでなんぼのものだと思います。


正月気分いっぱいのロビー









↑この左下の勘平の羽子板、カワイイ



↑劇場内の売店で購入した鯖寿司(またべえ)、紫蘇の香りが爽やかで美味でした

国立劇場は客層の良さも素晴らしいですね。これを食べていたとき、隣に座ろうとしていた方に「こちら、よろしいですか?」と声をかけられて、歌舞伎座に慣れた私はそれだけで感動
なにせ歌舞伎座は4~6人がけソファに2人でお弁当をいっぱいに広げ(膝に載せなさいよ、怒)、私が近付いただけで「お父ちゃん、しっかり席とっといてな!誰も座らせたらアカンで!」と叫ぶようなオバちゃんが普通にいる魔窟でございますから。。。ちなみに『新薄雪』のときでした。オバちゃんは舞台からは何も学ばないようです。。。


※東京新聞:菊五郎劇団、初春は復活通し狂言
※東京新聞:松緑、復活狂言で初春奮闘 芸の引き出し出すチャンス

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『かぐや姫の物語』

2014-01-13 15:35:52 | 映画




今日は成人の日ですね。
新成人の皆さま、おめでとうございます。
ちなみにイベント事に無頓着な私は、自分の成人の日には日本におらず、その数日前にアメリカ南部に旅立っておりました。自分も成人式に出なかった母親は、残念がるどころか「親と同じねー」と笑っておりました。
そんな私も、気付けば人生の折り返し地点(平均寿命まで生きると仮定し)。
本当に、本当に“あっという間”でした。
ですから新成人の皆さん。
自分の心に素直に生きてください。
短い人生を、生まれ落ちたこの世界を存分に楽しんでください。
少なくともその価値は、この世界にはきっとあります。

「生きるために生まれてきたのに――」。
映画『かぐや姫の物語』の姫の言葉です。
月に還る前、なんでちゃんと生きなかったんだろうと、泣きながら言うのです。
私、もうぼろ泣きでした。ハンカチが見つからず、仕方なく羽織っていたストールで涙と鼻水を拭き拭きし、それでもしゃくり上げてしまい、周りの人達に迷惑になっちゃう…と思ったら周りも同じ状態でございました、笑。

『風立ちぬ』の時と同じく事前情報を何も入れずに観ましたが、想像していたよりずっとわかりやすい映画でした。
私はいわゆる物語的な輪廻転生を信じるには現代人でありすぎるのですが、それはそれとして、前にも何度か書きましたが、ほんの3~4歳の頃から自分の「遠い記憶」のようなものを時折感じる子供でした。
木々が揺れたり、雲間から太陽が覗いたり、風が吹いたり、そんな何気ない瞬間に、それは突然訪れるのです。友達と楽しく遊んでいる最中などでもです。その瞬間、切なくて切なくて泣き出したくなってしまうのです。具体的な記憶ではなく、ぼんやりとした感覚ですが、とても大事な何かを自分は忘れてしまっている、そんな気がするのです。そういうことが、子供の頃はしょっちゅうでした。
やがて学校にあがり谷川俊太郎さんの詩に出会い、『地球交響曲』の前身である龍村仁監督のNTTデータスペシャルに出会い、「自分だけじゃないんだ」と救われた気がしました。
人生も半ばになった最近では、「遠い記憶」にかなしくなるようなことは殆どなくなりました。思い出せなくても、その記憶はいつも私の中に、私と共にあることがわかったからです。そしてもうあと数十年もしたら、きっと私はもう一度その記憶を思い出させてくれる場所に行けるような気がするからです。中島みゆきさんの歌にある「遺失物預り所」のような所で、きっとみゆきさんみたいな人が「お待ち申し上げておりました」ってにっこり笑ってくれるような気がするからです。

ちょっと映画の話から脱線しちゃいました。でもこの映画を観ながら私がずっと感じていたのは、そのようなイメージでした。ですからエンドクレジットで「いのちの記憶」が流れたときには、涙の洪水。。。
来るべき時が来て、天の羽衣を着てこの世界で生きた思い出が失われてしまっても、なにもわからなくなっても、必ず憶えてる。きっとどこかで、また会える。

かぐや姫がその短い人生を終え、振り返った地球のなんと美しいことでしょう。
風に揺れる木々、舞い上がる桜の花、どこまでも白い雪、虫や獣たちの生命の息吹、子供たちの笑い声。
結果としてかぐや姫を苦しめることになってしまった翁の行為だって、ただかぐや姫を想ってのこと。自分が贅沢をしたいからなどという理由ではありませんでした。そういう悲しい擦れ違いも、人生の中では多々あること。翁の場合誤りに気付いたときにはもう手遅れでしたが、でもかぐや姫には、翁のずっと変わらなかった「想い」はちゃんと届いていたと思います。
『風立ちぬ』の堀越二郎と、かぐや姫。二人の主人公の人生は決して「幸福」ではなかったかもしれませんが、監督二人の伝えたかったことは共通するように思います。
「それでも」この世界は美しい。
だから、生きなさい、と。

そうそう、この映画を観ながらもう一つ私の頭に浮かんだイメージがありました。
私の大嫌いな(笑)映画『世界はときどき美しい』のなかの、大好きな詩「われらの父よ」(ジャック・プレヴェール)です。

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The Wish List

2014-01-09 12:36:03 | 日々いろいろ




ご挨拶が遅くなりましたが、皆さま、2014年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたしますm(__)m

上の写真は、鎌倉の天園ハイキングコースから。一昨年の元旦の写真です。
二階堂の瑞泉寺から北鎌倉の建長寺へ抜けるコースで、ちょうど八幡宮の裏手にさしかかる辺りで鎌倉の街と相模湾を一望することができます。鎌倉が天然の要塞と呼ばれた理由がよくわかる景色です。
鶴岡八幡宮への初詣がてら、行かれてみてはいかがでしょうか。
冷たい空気が気持ちいいですよ^^
もちろんスニーカーは必須!です。

さて、突然ですが皆さま、『ウィッシュリスト』ってご存知ですか?
「生きているうちに、私は…をしたい」という願い事のリストです。
アメリカの色々な人の願いを集めた本が英語で出版されておりまして、宇宙飛行士の向井千秋さんとご主人の万起男さんが日本語に翻訳もされています。
 
これ、いざやってみると、とっても実践的であることに驚かされます。
やり方は簡単。「生きているうちに、私は…をしたい」という文章で成り立つような願い事を、ただひたすらにリストアップするだけです。
日常の小さなことから荒唐無稽なことまで、“本気で叶えたいもの”だけをひたすら挙げていく。
「〇〇のDVDを見たい」という風に。
「ずっと見たかったけど、見ていなかったDVDを見たい」というような曖昧な文章はNGですよ(私の経験上)。どちらかというと見たいDVD、もNGです。本気で「これだけは死ぬまでに絶対に見たい」と思っているDVD名を、具体的に書くのです。
同様に「〇〇の本を読みたい」だとか(私は必然的に古典の名作が多いです)、「〇〇に旅行したい」だとか、どんどん書いていきます。
荒唐無稽な願いもOKですよ。私の場合は「南極でペンギンを見たい」とかですね。これも、子供の頃からの本気の夢です。

とにかく心からの願い事をできるだけ具体的に書くこと。
そして、必ず「~したい」の形式で書くことです。「~すべき」ではなく。
「クローゼットを整理する」でも、面倒だけれど結局は自分の“したい”ことですよね。なので「クローゼットを整理したい」と入れる。

すると面白いことに、200も300もあるかと思われた願い事が、案外それほど多くはないんです。
「やりたいことはいっぱいあるのに、忙しくて全然できない(><)」って常日頃思っていたはずなのに、数を上げてみると思いのほか多くはない。普段ぼんやりと「やりたい」と思っていたことが、よく考えてみるとそれほど強い願いでもなかったり。逆にあまり意識していなかったことが、心からの願いであることに気づいたり。自分という人間がどんどんクリアになってきます。
そして嬉しいことに、その願い事の中には、今すぐに叶えられるものが沢山あるのです。

このリストを一つ一つ消していくのは、「死ぬまでに絶対にしたい」と思っていた願い事がひとつひとつ叶っていくのは、想像以上に幸せな気分です。もちろんどんどんアップデートもしていきます。
自分の願い事のリストを見ているだけでも、私の人生にはまだこんなに楽しいことがあるんだ、これをやらないうちは死ねないって、幸せな気分になります。
おそらく、全部が死ぬまでに叶えられることはないでしょう。
でも絶対に叶わないとも言えない。
そして、自分次第で叶えられるものもある。
それでいいのです。
こんな小さなところにも、人生の幸福は隠れている。
向井千秋さんはアメリカの病院の書籍コーナーでこの本を見つけたそうです。

新しい年のはじめ、皆さんも騙されたと思って試してみてはいかがでしょうか。
ほんのちょっぴり、毎日が楽しくなるかもしれませんよ(*^_^*)

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