実のしっかりつまった籾は水に沈んで、すかすかの籾は浮かんでくる。浮かんだ籾は、捨てられる。苗床に蒔かれることはない。
沈んだ籾は丁重に祭られてから、苗床に蒔かれて大切に育てられ、やがて、青々と伸びてきたら田に植えられて、そして、実りのときをむかえる……。
ほんとうに、浮き籾は実らないのか、一度、タンダは、こっそり、捨てられた浮き籾を田んぼの端に蒔いてみたことがある。芽をだすんじゃないかと、毎日見に行ったけれど、田ネズミに食われてしまったのか、それとも、やっぱり、中身がなかったのか、とうとう芽をだすことはなかった。――植えても芽をだせなかった浮き籾がかわいそうで、そっと、埋めたあたりの土をなでながら、こんど生まれ変わってくるときは、青い芽をだしなよ、と、いわずにはいられなかった。
いまも、籾の選別を見るたびに、そのときの哀しい気持ちを思い出す。
(上橋菜穂子 『流れ行く者』)
守り人シリーズ外伝。
バルサが13歳の頃の短編集。
これがまた、、、素晴らしかった。長編に全く負けていない。もしかしたら長編より好きかもしれないくらい。
浮き籾や髭のおんちゃんを「かわいそう」と思ったり、ナヤの木の皮を剥ぎ取るときに「痛々しい」と感じたり、小川の魚や狐の親子の気持ちを想像してわくわくしているちびタンダ。愛おしすぎる・・・。
「雑草なんてこの世にはない」と言う大人タンダの言葉は、こういう繊細な優しい心に基づいているのですね。
この頃はまだ姉弟のようなバルサとの関係もとてもよかった。
守り人シリーズはいつも「外れた人たち」を主人公に据えていたという上橋さん。
その「外れた」人たちの想いがとても繊細に描かれている、極上の短編集でした。
守り人シリーズのこういう短編集、もっともっと読みたいなあ。
やさしくて、人がよくて……弟のかわりに、戦にいってしまった愛弟子。
シュガのように冷静に術をつかえない、やわらかすぎる心をもった男だけれど、タンダには呪術師としてもっともたいせつなものがそなわっている。
それは、この世のすべてを、あるがままに感じ、あるがままにいとおしむ心だった。
(生きてもどっておいで、へぼ弟子。つたえたいことが、まだ、たあんと残っているんだ。……わしも、この術を生きてのりこえてみせるからさぁ。)
(上橋菜穂子 『天と地の守り人』)
とうとう守り人シリーズも最終話。
すっごくよかったです!
最後まで単純明快なハッピーエンドで終わらせないところは、この作家さんらしく、素晴らしい。
気になっていたネタの重複も今回は殆どなく、悪役側の描かれ方もよかった。
日常の些細なことに振り回されて生きる人間達と、それとは無関係に存在する大きな自然の流れ。
その両方の世界のなかで、私達は生きている。生かされている。
大きな世界だけに目を向けると、裏切りや汚い欲望に満ちた忙しない人間の日常がくだらないものに思えるけれど、その日常の中にはまた、人々の温もりがあり、愛がある。
チャグムがもう、とってもかっこいい男に育って、読んでいてどきどきしちゃいました(笑)。第二部でカンバル王に跪いて同盟を請うシーン、よかったなあ。
バルサとタンダのおさまり方も、とてもいい感じ。バルサがタンダとトロガイの待つ家に帰るラスト、大好きです。あと、第二部で戦場から戻ったタンダの魂をトロガイが胸に抱くシーンもとても好き。
私達にとって”ほんとうに大切なもの”は何かを思い出させてくれる、素敵な素敵な物語をありがとうございました、上橋さん!
まだ外伝が残っているので、嬉しい^^
「バルサさん……。」
チキサは口ごもった。
自分がなにをいいたいのか、ふいに、わからなくなってしまったのだ。胸にあふれている思いが、あまりにもたくさんありすぎて、なんといっていいのか、わからない。
ようやく口からでた言葉は、とても、単純な言葉だった。
「――ありがとう……。」