©BERNARD HAITINK IN 2018 (PHOTO: MILAGRO ELSTAK)
たったいまtwitterで、ハイティンクが21日にロンドンのご自宅で亡くなったことを知りました。
私が今のようにクラシック音楽を聴くようになったきっかけは、2008年のロンドンのプロムスでハイティンク指揮のシカゴ交響楽団の演奏に出会ったからでした。
あの夜あれほど感動していなかったら、クラシック音楽を聴き続けることもなく、その美しさも楽しさも知ることはなく、クラシック音楽から人生の励ましをもらえることもなかったと断言できます。
あれから川崎と東京でロンドン交響楽団との来日公演、アムステルダムでコンセルトヘボウ管弦楽団との公演も聴くことができたことは本当に幸せでした。ハイティンクが生み出す音楽が大好きでした。それらの音は、今も消えることなく私の耳に残っています。
他に代わりのいない、私にとって特別な指揮者でした。
今はまだ言葉がありませんが、ご冥福をお祈りします。
【追記】
※ハイティンクは今月もウィグモアホールで行われたコンセルトヘボウの奏者達が演奏する演奏会を訪れて、奏者達を驚かせていたそうです(slipped disc)。これが事実なら、最後の最後までお元気で演奏会に通うことができていたことは、よかったなと思います。また引退後の生活についてハイティンクはセミョーン・ビシュコフに宛ててこんな風に書いていたそうです。'My own empty days since I stopped conducting seem to fill up surprisingly easily, there is always something to read or hear. I am indulging my passion for Beethoven quartets at the moment, the scores of late ones seem as complicated as Mahler 7 to me sometimes.The more I look at these things, the more I realise that I don't know anything.' (slipped disc)ハイティンクはスコアを読むことが大好きだと昔から仰っていましたものね。
※こちらはロンドン響による追悼文です。ラトルが心のこもった長いコメントを寄せています。ラトルは最初はピアニストとしてハイティンクと出会っていたんですね。1975年というとラトルは20歳前後。二人は仲が良かったから、寂しいだろうな…。"I found him warm and encouraging from the first moment on, and although I tried not to bother him, if I needed advice or was in a crisis, he was always there, generous with time, wisdom and empathy. I owe him more than I can put into words: he was a famously difficult man to thank or congratulate, the lack of fuss once more. But I think, however unwillingly, he must have sensed the love and gratitude around him."。ラトルはベルリンフィルで苦しんでいた時もハイティンクに相談にのってもらっていたのだろうと想像する。ロンドン響に移るときもそうだったと言っていた。ハイティンクが騒々しい感謝や祝福を受けるのが苦手な人だったというのは、数々のインタビューからわかります。ウィーンフィルとの長い付き合いにも関わらずニューイヤーコンサートを一度も指揮しなかったのも、似た理由だったのではないかなと私は想像しています(指揮者が主役のようになる場が嫌だったのだろうと)。ラトルは"a giant full of humility"と表現していますが、常に音楽の下に自分を置くハイティンクのこの美質をラトルがこよなく愛していたことがわかる(そしてラトルもそういう音楽家だとツィメルマンがインタビューで言っていました)。
コメントではハイティンクの音楽作りの素晴らしさについても話されています(これもラトルは昔から繰り返し話してくれていました)。"Without fuss, and utterly without drawing attention to himself, he created a place where everyone could give their best, and normal problems of ensemble or balance simply vanished. "。第二ヴァイオリンのDavid Albermanさんは"The result was apparently effortless but powerfully moving music, and a strong feeling that he enjoyed making us into the best musicians we could be. We enjoyed it too!"と仰っています。
”the world seems a smaller and less generous place this morning.”。ラトルが感じている喪失感とは比べ物にならないと思いますが、私も同じ気持ちです…。
※こちらは、ベルリンフィルからの追悼文です。
“For us as the Berliner Philharmoniker, Bernard Haitink was more than a highly esteemed conductor – he was a friend and companion through many decades of making music together,” recall Knut Weber and Stefan Dohr, orchestra board members of the Berliner Philharmoniker. “When he made his Philharmoniker debut in March 1964, he was just 35 years old and at the beginning of a global career. In the decades that followed, Bernard Haitink was a constant in our lives. He always impressed and inspired us with his qualities – his great craftsmanship, his perfect knowledge of the score, his warm, noble bearing. In his approach to music-making, the free flow of the music was always his ideal. We are very grateful that we were able to perform Anton Bruckner’s Seventh Symphony with him one last time in May 2019. We are deeply saddened by the loss of a great conductor and close friend.”
「ベルリンフィルにとってハイティンクは、高く評価されている指揮者という以上の存在でした。彼は数十年の間共に音楽を作ってきた友であり、仲間でした」と。そして"The mutual admiration between orchestra and conductor was obvious."と。ベルリンフィルとの結びつきは強く、ハイティンクもこの楽団を愛し、奏者達からも深く愛された指揮者でした。
ベルリンフィルを最後に指揮したのは2019年5月のブルックナーの7番。ウィーンフィルとの最後のコンサートも、オランダ放送フィルとの最後のアムステルダムでのコンサートもブルックナー7番でした。私もロンドン響との同曲の演奏を川崎で聴きましたが、忘れられない演奏です。
ベルリンフィルはハイティンクを"Specialist in Brahms, Bruckner and Mahler"だったと。あの最後の日本ツアーはその3人の曲をもってきてくださったのだな…(ご本人も最後のおつもりだったことは当時のインタビューからわかります)。
※コンセルトヘボウ管からの追悼映像。
Bernard Haitink | 4 March 1929 - 21 October 2021
2018年12月16日のブルックナー6番の演奏。コンセルトヘボウ管を最後に指揮したのは、2019年1月だったとのこと。
こちらはコンセルトヘボウ管からの追悼文です。
※コンセルトヘボウホールというか管理部門?からの追悼映像。
In memoriam Bernard Haitink (1929-2021)
手から指揮棒が落ちる最後の映像は、1987年12月のクリスマスマチネのマーラー9番のときのものですね。大好きな演奏ですが、このときには既にコンセルトヘボウとハイティンクの間の溝は決定的なものになっていたと聞く…。その後もハイティンクとコンセルトヘボウは愛憎入り混じる関係が続いたけれど、ハイティンクが指揮するコンセルトヘボウ管が生み出す音は比類ない唯一無二の音だったと思います。ガッティ騒動のときにウィーンフィルの指揮をキャンセルしてまでこの楽団を助けてあげていたのは本当に面倒見のいい人なのだなあと感じたし、彼にとってやはり特別な楽団だったのだろうと思う(そもそも奏者達とではなく経営陣との間の溝だったようですが…)。
※こちらは、シカゴ響からの追悼文です。
CSOとのショスタコーヴィチ4番が2008年のグラミー賞を受賞していたことは知りませんでした。私が2008年のプロムスで聴いたときのメインプロがこの曲でした(前半はペライアとのモーツァルトP協24番)。あれから13年か…。
※カヴァコスのinstagramより。ルツェルンでのウィーンフィルとの最後の演奏会、カヴァコスも客席に?いたんですね。愛情溢れる追悼文です…。
※ネットで拾ったハイティンク関連記事
以前私が作った記事です。ハイティンクの過去のインタビューを纏めてありますので、ご興味のある方はぜひ。ハイティンクの人柄や音楽に対する想いを感じることができます。
初めてクラシック音楽の素晴らしさを知った2008年9月9日のロイヤル・アルバート・ホール。あの夜のBBCのラジオ放送を録音したものは、今も繰り返し数え切れないほど聞いています。