風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

詩×写真 「いま」の深みを表現する @朝日カルチャーセンター横浜教室(10月5日)

2019-11-28 14:29:29 | 



谷川 俊太郎(詩人) 
長島 有里枝(写真家)

すこし前になりますが、谷川俊太郎さんと写真家の長島有里枝さんの対談を聞きにいってきました。先日ここに谷川さんについての記事を書いた際に改めて「そうなのだよなあ、私はまだ一度も谷川さんにお会いしたことがなかったんだ」という事実に思い至り、そして谷川さんが現在87歳でいらっしゃるという事実も思い、「行くのは今でしょ!」と。
初めてお会いした谷川さんは想像していたとおりの、でも想像以上の方でした。想像以上に人間的で、想像以上に自然体な方だった。自分をよく見せようというような気負った空気が皆無で、たった今生まれたばかりの赤ん坊のようなまっさらさといいますか。人ってどうしても自分を取り繕おうとしてしまう部分があるものだと思うのだけど、谷川さんは「自分を取り繕う」ことの意味がわからない方なのではなかろうか、と。世の中にこんな人がいるんだねえ。

お相手の長島さんとは今回が初対談とのことで、「谷川さんの詩に子供の頃から親しんでいるし大好きだけど、マニアレベルほど詳しいわけではない」という感じがちょうど私と似ていて、質問してくださる内容も私が知りたいと感じる部分を聞いてくださったので、私にとってはとても充実した内容の対談でした。

以下は、自分用の備忘録です。記憶に曖昧な部分もあるので、誤りがあったらゴメンナサイ。

谷:僕の詩は自分の内側から湧いてきているものだけど、具体的じゃなく抽象的、概念的とよく言われます。
長:普遍的・・・っていうのとは少しちがうのかな(←言葉の意味をいい加減に使わない長島さんのこういうところ、いいなと感じました^^)、でもそういうところが谷川さんの詩が多くの方に読まれている理由だと思います。

長:谷川さんは、「意味」がお嫌いでしょう。
谷:うん、嫌い(即答)
長:私も「意味」が嫌いで、でも大人になるとどうしても意味を考えるようになってしまうじゃないですか。例えば誰かにぶつかったとき、若い頃はただぶつかった!としか思わなかったのに、今は「私のことが嫌いなんじゃないか」とか色々意味を考えてしまったり。そういうのがすごく嫌で。(谷川さんに縋るように)こういうの、どうしたらいいんですか??
谷:それが普通なんじゃないですか?人間は意味を考えてしまう生きものでしょう。

谷川さんのこの言葉、こうして文字にしてしまうと伝わらないかもしれないけど、谷川さんがサラリと仰ると自分の中のモヤモヤしたものが一瞬で浄化された感じがして、すぅと心が楽になったんです。驚くほど。
このときの声、中島みゆきさんとの対談で「生きていることは罪を重ねていることのように感じる」と仰ったみゆきさんに「それは誰だってそうだよ。」と返したときの声とおそらく同じなのではないか、とそんな風に感じました。
これ、谷川さんは決して一般論で「誰だってそうだよ」と流したわけではないと思うんですよね。「自分は人もたくさん傷つけてきた」と谷川さんはよく仰っていて、「人間という生き物は、生きていれば人を傷つけてしまうものだ」というのが谷川さんの感覚なのでしょう。みゆきさんと違い谷川さんはそのことであまり罪悪感は感じておられないようだけれど、それも「人間とはそういうもの」という感覚がおありだからでしょう(※ここは私自身はみゆきさんの感覚の方に近いです)。
そういう人から出ている言葉だから、その声に不思議なほど邪気がなく透きとおった響きで相手の心に届くのだろう、と。なのでみゆきさんが「不思議ねえ。そう言われると、なんか元気が出ちゃうわ。」と仰ったのも社交辞令でもなんでもなく、谷川さんの言葉にある透明なものを受け取った彼女の本心だったろうと思うのです。「人間ってそういうものでしょう」ということをこんなふうに言える人って、稀有ではなかろうか。この感じばかりは言葉で説明できなくてもどかしいのですが、ちょうどみゆきさんがこの感覚をうまく言葉にしてくださっている文章があるので、引用しちゃいます。上記対談の十数年後、みゆきさんは当時のことを振り返って、こんな風に書かれています(対談の中で谷川さんがみゆきさんにした「あなたは子供を持たないの?」という質問に対するご自身の返答と、それへの谷川さんの返答に関して)。

谷川さんの声はあくまでも穏やかで、ただ、透きとおっていた。出まかせな自己顕示欲を即座に見抜かれてしまった私はといえば、その声を真水のシャワーのように呆然と浴びていた。(中略)私はその真水のシャワーが優しく温かいシャワーであったことを感じていた。この人に会えてよかった、と思った。
(谷川俊太郎詩集 角川文庫 1998年)

この感じ、すごくよくわかる。
谷川さんの声って「透きとおって」いるんですよね。それはきっと谷川さんという人が稀に見る「透きとおった」人だからで、それは谷川さんが「人間」という存在に対して独特の距離感を持っていることと関係しているのだと思う(そういうところが「宇宙人」と呼ばれる所以でもあるのでしょう)。でも谷川さんのそういう透明な部分に反応してしまう人というのは、おそらく”同種の”人間だけなのではなかろうか、とも。反応しない人はおそらく全く反応しないのではないか、と。それが良い悪いということではなく。

ちなみにみゆきさんが谷川さんの詩がお好きで卒論のテーマにもされていたことは、今回の対談に行く直前に初めて知りました。世界や言葉が似ているなあとは常々思っていたけれど、私が知っていたのは学生時代のみゆきさんのオーディションのエピソードだけでした(課題詩が谷川さんだったというアレ)。

話を戻して。
そんな宇宙人のような谷川さんだけど、この世界で「何の問題もなく」生きてこられたわけでは決してないだろう、と私は思う。特に「社会内存在」としての谷川さんは。

谷:僕は人間は二重の存在からなっていると思っていて。それは僕がよく言う「社会内存在」と「宇宙内存在」というもので、社会内存在は”ないと生きていけないもの”、宇宙内存在は”宇宙から突然地球に降り立ってこの世界を見ているような感覚”。この関係に僕はずっと興味があって。詩は宇宙内存在のときにできるんですけど。それは人間ではない部分。一度目の結婚ではまだ人間な部分があったから衝突した。一番喧嘩した。二度目の結婚は一般の人で(※女優をしていたけど結婚を機にやめたから一般の人とのこと)、忍耐を覚えたから我慢した。でも我慢しすぎた。子供が生まれたり一番現実で忙しかったから男だ女だというのはなかった。三度目は相手が特殊な人だったから。彼女はとにかく人を一瞬で見抜く、批評がうまい人で。僕が知らない面を沢山教えてくれた。でもそれがいい経験となって自分を変えたとかいうのとは、、、違う気がする。自分の中にはずっと宇宙内存在としての人間じゃない部分がある…。人間関係が苦手なんです。このままでいいのかな?とは思うんだけど。
長:そういう相手に出会っていないからでは?違うタイプの女性を選ぼうとかは思われないんですか?
谷:全然笑(即答)。僕は潜在意識が空っぽなんです。若い頃からドロドロしたものがない。恵まれて育ったから。
長:でも裕福な家で育ってもドロドロしたものがある人もいると思うから、それだけではないと思う。
谷:歳をとるに従ってどんどん”自分”がなくなっていくように感じている。もう少し自我をもつ必要があるんじゃないかなと最近思うんですけどね。この歳でもう無理かもしれないけど笑。
長:谷川さんは、詩をひとのために書くのか自分のために書くのか、どちらですか。
谷:ひとのため(即答)。詩は相手との関係でできる。
長:批評家という人達についてはどうですか。私は”図星を書かれてくそ~”というのならいいんですけど、”批評以前”の全く作品を理解されていないようなことを書かれたりしたこともあって、批評にあまり良い印象がないんです。
谷:僕は、若い頃は自分の作品を正面から批評してもらいたいと思ってた。今はもう違うけど笑。批評されて、結構それで変えて作品が良くなったりするし。
長:そうなんですか!?
谷:そう笑

長島さんがお好きだという詩集『バウムクーヘン』の『すききらい』の詩の話から。

長:谷川さんは矛盾がお好きですよね。
谷:うん、好き。
長:私もです。今の世の中はみんな「すき」と「きらい」だけ。両方混ざっているのが普通なのに。
谷:僕は、矛盾があるからリアルなんだと思っています。

アーティストについて。
長:アーティストだからお金はいらないでしょ?と言われる。アーティストがお金のことを言うなんておかしいって。
谷:今でもそうなの?
長:今の方がそうです。今は経済がよくないから昔よりも言われる。私はまだいいですが、若い人達は気の毒です。
谷:僕はお金をもらうことが社会と繋がっているとずっと思ってきたから。中国に行けば?(←唐突な提案に会場から笑い)この前僕の読者だという人が訪ねてきて、上海からプライベートジェットで来たっていうの。まあいつまでも上向きじゃないかもしれないけど、日本と違って国が大きいから、単純計算で読む人の数も多い。

書き方のスタイルについて。
長:谷川さんは色んなスタイルを試したくなるタイプですか?
谷:僕は飽きやすいんです。色んなスタイルを試したくなる。
長:私もそうなんです。
※ここ、谷川さんと糸井さんとのこの対談を思い出しました。自分の詩は「歴史的ではなく地理的」であると仰っていた対談。

『バウムクーヘン』より長島さんがお好きだという詩『かぞく』を朗読。長島さん、朗読がお上手!谷川さんも嬉しそう。
谷:僕の詩は感情をいれて読んでほしくないからとてもいい。
この詩の最後の3行について。
谷:僕はそういうパンチラインを書きたくなる癖があるんです。
それから谷川さんが百部くらいしか作らなかったという写真が貼られた古い詩集(何かのインタビューでこの本のことを読んだ記憶があります)の中からもっと昔に書かれたもう一つの『家族』の詩を探して、谷川さんが朗読。選集などによく掲載されている「お姉さん 誰が来るの 屋根裏に」で始まる詩です。谷川さんご自身はおそらくこちらの詩の方をより気に入っておられるのではないかなと感じました。
ていうか谷川さん、、、朗読がものすごく上手い・・・!!!
吃驚しました。自身が書いた詩を詩人自ら朗読しているのだから当然かもしれないけど、それにしても素晴らしかった。なんというか、淡々と読んでいるんですよ。淡々と読んでいるんですけど、”詩のもつ原始的な力”のようなものを感じた朗読でした。ああ、谷川さんの朗読をもっと聞きたい!

長:実際に感じる感覚はとても大事だと思う。素材の手触りとか。
谷:僕もそう。kindleも読むけど、紙をめくる感じが好き。

長:本当に表現したいものは写真では出せない。
谷:その距離は詩も同じです。
私は自分の写真をうんこと呼んでるんです。いいものは全部自分の中に栄養として吸収されてしまうから。
谷:佐野洋子は義理の息子をうんこと呼んでたけど笑、ぼくにもうんこに関する詩が沢山あって息子が曲をつけてくれた。オペラみたいなので、文字で読むより伝わってくるんです。よかったら送ります。住所は?スタッフの方が知ってるのかな?
長:住所?え、ここで?あ、あとでお教えします。(※戸惑う長島さん笑)

ひらがなと漢字について。
谷:漢字はそのものが意味になってしまう。ひらがなはアルファベットと同じで音そのものの楽しみ方ができる。

そして最後の質疑応答。
女性:私は谷川さんの学校の後輩でずっとお会いしたいと思っていました。今回の講演のタイトルは「いま」についてですが、「いま」の話と写真の話が全くなかったので、その話をしてほしい
今ず~っとその話をしてたでしょ~が!あんたはなにを聞いてたの!とおそらく私だけでなく会場の誰もが思ったと思いますが、確かに私は谷川さんの詩の世界に比較的慣れてはいるから今日の話と「いまここ」が繋がっていることがわかったけど、そうではない人には「?」な部分もあったかもしれない。なかったかもしれない。
長:すみません。私はずっとその話をしていたつもりだったんですけど・・・。
割とはっきりと不機嫌そうな谷川さんと長島さんのお二人
こういう谷川さんのとんがった部分が見られたことだけはこのオバハンのおかげだわ(本当にそれだけね)。

ところで最近知ってものすごく吃驚したんですけど、谷川さんは『六十二のソネット』を21歳のときに書かれているんですね。あの詩を21のときに、、、、、、、、、、、、、、、。谷川さんってやっぱりすごい人だ、、、、、。大好きな詩集です。

ちなみに明日も再び谷川さんにお会いしてきます

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NHK交響楽団 第1926回 定期公演Cプロ @NHKホール(11月23日)

2019-11-24 12:19:45 | クラシック音楽




ブロムシュテット&N響の定期公演最終日に行ってきました。
雨の代々木公園は紅葉した落ち葉がいっぱい
もう秋も終わりですね。

【モーツァルト:交響曲第36番 ハ長調 K. 425「リンツ」】
先週のAプロでも感じたのですけど、今回のブロムさん&N響の音、心なしかこれまでよりも柔らかく優しく聴こえる気がする。今日の「リンツ」も、昨年の「プラハ」のときよりも優雅な音に聴こえました。もちろん曲も違うのだけど、そういう意味じゃなく。どうしてだろう

昨年のブログでも書いたけれど、ハイドンやモーツァルトのような音楽って日本のオーケストラには最も難しい音楽ではないかと思っていて、西洋文化で生まれ育った人には難なくできてしまうけれど、そうでない人にはとても難しい何かがあるように感じていて。それは今回も同じではあったのだけれど。
今日心から感じたのは、ブロムさん&N響の誠実で清潔な音が私はとても好きだな、ということ。このコンビはいつもこういう音を聴かせてくれる。
今日の四楽章の美しさ。舞台の上に「美」が見えました。
こんな感じ↓



いやまじで。ほんとうに見えたの(わざわざこの画像作ったんだから!)。
音が濁らず品があるままに熱が込められたN響の音、素晴らしかった。
美しく清澄なモーツァルト。
ウィーンフィルのようなリンツの街並みが浮かぶ演奏ではないけれど、リンツの澄んだ緑と街の空気を感じました。ブラボー

(休憩20分)

【モーツァルト:ミサ曲ハ短調 K. 427】
ソプラノ①:クリスティーナ・ランツハマー
ソプラノ②:アンナ・ルチア・リヒター
テノール:ティルマン・リヒディ
バリトン:甲斐栄次郎
合唱:新国立劇場合唱団 

ローマ教皇が38年ぶりに来日された午後に聴く、モーツァルトの大ミサ曲。偶然だけれど、すこしだけ気分が違います。
この曲でもオケの音にもう少し伸びやかさがほしいなという思いはなきにしもあらずだったけれど(ド素人の勝手な覚書なので無視してください)、前曲と同様に、ブロムさん&N響の音の清潔さがいい。
敬虔なキリスト教徒であるブロムさん(お父さんは牧師で、お母さんはピアノ教師なんですね)。モーツァルトと違いプロテスタントだけれど、こういう曲に対する想いはきっととても特別なのだろうなと想像します。私はキリスト教徒ではないですし、どちらかというと宗教アレルギー気味な人間なのだけれど、ブロムさんの指揮だと違和感が少なく聴くことができる。壮大だけど、同時に、人生の光と影、人間の喜びや悩みや悲しみは皆同じであると、そんな風に聴くことができる。
そして今回も、人の声に勝る楽器はないのではないか、と感じました。私達の中には人の声によってしか救われることのできない部分が確かにあるのだ、と。
ソプラノ②のアンナ・ルチア・リヒターは、ハイティンクが最後に来日したときにマーラー4番を歌った方ですよね。今年8月のルツェルン音楽祭でのCOEとの最後のコンサートでも歌っていた方なので、今回聴けて嬉しかったな。とても生き生きとした透明感のある声で、この宗教曲により親しみやすさを感じることができたのは彼女のおかげも大きいです。今回のソプラノのお二人は、来月ミュンヘンでもブロムさん&BRSOと同曲を歌われるんですね

今回はプログラムに歌詞の対訳が書かれてあったけれど演奏中は暗くて読めなかったので、歌詞を予習しておいてよかった。合唱曲は予習が本当に大事。ブロムさんも「この曲を味わうのに信仰心や宗教の知識は必要ないけれど、歌詞はわかっていた方が助けになるでしょう」とインタビューで仰っていたし。

今日は演奏が終わってすぐに拍手が起きてしまったのだけど、ブロムさんの手が降りていないことに気づいたらしくすぐに止み(これはえらかった)。少しの静寂の後にブロムさんが手を下ろして、客席を振り返って片手を差し出して「さあどうぞ」のジェスチャー。それがなんだか可笑しくて、客席からもれる笑い。この自然な温かな空気もよかった。

ブロムさんは来月のノーベル賞の記念コンサートで指揮をされるんですね。曲目はニールセン(デンマーク)、ステンハンマル(スウェーデン)、グリーグ(ノルウェー)、シベリウス(フィンランド)と、見事に北欧尽くし。金額は400SEK(約4500円)から。いいなあ、ストックホルムに住んでいたら絶対に行くのになあ。


©N響twitter
カーテンコールで、N響から花束を贈られたブロムさん。赤い薔薇?がとてもお似合い。
「こんな綺麗な花をもらってしまいました」という風に客席にも掲げて見せてくださいました。見守る奏者達もいい笑顔

©N響twitter
終演後にソリストの皆さんと。


N響のヴィオラ奏者さんのツイより。
質問に行ったらまず第一声が「人からの質問はいつも興味深いんだよ」という言葉から始まったそうです 



ブロムさんが奏者の人達に愛されているのは、きっとブロムさんが奏者の人達を愛しているからでもあると思う。ゲヴァントハウス来日時のプログラムで「奏者達は天使のように扱わなければいけません」と仰っていたブロムさん。



N響ホルン奏者さんのツイより。
終演後ステージ袖にて、オーケストラ・メンバーを笑顔で迎える、マエストロ・ブロムシュテット!」。
演奏を終えた奏者達を舞台袖で迎えて、Thank you!Bravo!と一人一人に声をかけながら握手。こんなマエストロ他にいる



このセーターの色もとてもお似合いです

今年も美しい音楽を聴かせてくださって、本当にありがとうございました。
来年の秋にまたお会いできるのを、心から楽しみにしています(でも来年は93歳だし無理はされないで…)。

そういえば、来年の定期公演はNHKホールじゃないんですよね。
改修後も自由席は残してくれるのかな。
N響の1500円の自由席システム、本当に素晴らしいと思う。
アムステルダムのコンセルトヘボウに行ったとき、あんなに歴史ある素晴らしいホールなのに近所のおじさんが自転車で気軽にクラシックを聴きに来ているようなそんな気取らない空気があって、それがとても心地よかったんです。指揮者も奏者も聴衆も同じ階段や扉を使って、雑談したりしていて。こんな風に市民の生活とともにある音楽が、本来のあるべき姿なのではないかと感じた。私自身がプロムスからクラシック音楽の楽しさを教えてもらった人間なので、特にそういう思いが強いのです。音楽は特別な人達のためではなく、いつも身近にあるもの。日常の中にあるもの。

アムステルダムといえば、ベルリンフィルの来日記者会見でハイティンクのお名前が出ていて嬉しかったな。もう噂を聞くこともなくなってしまうのかな…と寂しく思っていたので。
最近出たベルリンフィルのブルックナー全集でハイティンクは指揮者の中で唯一2曲(4番と5番)を任されてはいるけれど、「ハイティンクといえば7番では?」と思っていたところ、ベルリンフィルとのラストコンサートがLPで発売されるそうで。

ブラームスの交響曲全集に続く、ベルリン・フィル・レコーディングスのダイレクト・カッティングLPの第二弾。2019年5月に行なわれたベルナルド・ハイティンクがベルリン・フィルを振った最後の演奏会の『ブルックナー:交響曲第7番』が2020年春に登場することになる。2枚組3面構成で、4面目には、ハイティンクと楽団員のサインが刻まれている。価格は未定。

なんか高そう・・・。と思ってラトルのブラームス全集の値段を調べてみたら、タワレコで¥97,900!まあね、ベルリンフィルの客は「来日公演2回分って安くね?」という人達ばかりなのかもしれないけどね。
――気を取り直して。
ベルリン・フィル・メディアの代表で、ソロ・チェロ奏者のオラフ・マニンガー氏曰く、

アナログ的な手法であるがゆえの成果も大きく、ラトル指揮のブラームスのチクルスの出来栄えにはたいへん満足していました。だからこそ、ハイティンクさんがベルリン・フィルを最後に振るという歴史的な演奏会を、このダイレクト・カッティングという手法で残すことにしたのです。
そうそう、ハイティンクさんにこの録音のことを相談したら、<みなさんがよいというなら>とさっぱりした返事だったです(笑)。演奏会が終わると彼からは<で、使えそうなの?>と聞かれました(笑)。もちろん立派に使える、素晴らしい演奏でした。 


ハイティンクのこういうところが大好き

Comments (2)
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NHK交響楽団 第1925回 定期公演Aプロ @NHKホール(11月17日)

2019-11-18 20:38:56 | クラシック音楽




 【ステンハンマル:ピアノ協奏曲 第2番 ニ短調 作品23】
昨秋ステンハンマルの交響曲第2番で素晴らしい演奏を聴かせてくださった、ブロムシュテット&N響。今回はピアノ協奏曲第2番で、ソリストはブロムさんと同じスウェーデン人のマルティン・ステュルフェルト(Martin Sturfält)。N響の解説によると「現在はスウェーデンの一地方に在住し、音楽活動の合間には養蜂やガーデニングなどにいそしんでいるとのこと。ピリスみたいですね
今回の演奏は前回の交響曲のときのような「ただならぬ」空気は感じませんでしたが、改めてブロムさん&N響によるこの作曲家の演奏が私はとても好きだなあと感じました(といっても他の指揮者&オケで聴いたことはないのですが)。今日の演奏では、幸せな気分になれる4楽章が好きだったな。
そして今回もラトル×ロンドン響が上手く演奏しそうな曲だなあ、と。ステンハンマルはブラームスの影響を受けているそうで、確かに突然音楽の表情が変わったり、ロマンチックなメロディをたっぷり聴かせるところなどはブラームスに似ているように思うけれど、4楽章などはシベリウスに似ているように感じる。
ピアノは個人的にはもう少し表情豊かな音色の方が好みですが、ブラームス路線ではなくシベリウス路線で聴くなら、案外こういう音が曲に合っているのかも、とも。

【ブラームス:幻想曲集 op.116-4「間奏曲」(ピアノ・アンコール)】
やはりピアノの音色が少々単調に感じられてしまいましたが、奇をてらわない誠実な弾き方はいいなと感じました。
この頃(1892年)以降のブラームスの作品に漂うものには胸が締めつけられますね…。

(休憩20分)

【ブラームス:交響曲 第3番 ヘ長調 作品90】
この曲を生で聴くのは昨年の秋山さん&広響に続いて2回目。同じ曲でも随分と演奏の仕方が違うのですね~。秋山さん&広響は4楽章をガリガリ鳴らす攻撃的なくらいの演奏をしていて、ああいう演奏もブラームスの性格の一面が出ているようでよかったけれど、個人的には今日のような演奏、つまりブラームスの心が内側から自然に滲んでくるような演奏の方が好みです。もともとハイティンク&COEのこの演奏がとてもとても好きなのですが、一見淡々としているようで、内側に激しさと厳しさを秘めていて。決して声高に自己主張しない、静かに滲む温かさ。そして晩秋の夕映えのような澄んだ美しさ。その音からブラームスの心を感じました。
ただ一昨年の秋にゲヴァントハウスとのコンビで聴いたときのような「100%ブラームス、ものすごいブラームス、ブラームス以外の何ものでもない」音に全身が包まれるような感覚は、今回はありませんでした。ブロムさん×ゲヴァントハウスの音色はやはりブラームスにとても合っていたのだなあということも再認識(もちろん私の勝手なブラームス像です)。

いずれにしても大好きなブラームスをブロムさんの指揮でもう一度聴くことができて嬉しかった 
そして演奏後の長い長い静寂には、いつものようにブロムさんの強い意志を感じました。それに完璧に応えた客席もブラボー。『静寂から音楽が生まれる』はシフの本のタイトルですが(ただいま図書館に予約中)、ブロムさんも静寂に強い想いがある方なのだろうなと感じる。ハイティンクやヤンソンスもそうですよね。ツィメルマンが音楽は音ではなく時間であると言ったように、耳から聴こえる音だけが音楽ではない。演奏の余韻を静かに味わう時間も音楽の一部なのだということを多くの人に知ってほしいと、そうブロムさんは思っていらっしゃるのではないかな。

さて、次の週末はモーツァルト尽くし!大ミサ曲の予習をしなきゃ!
N響がブロムさんによる解説をあげてくれました。ありがたい。しかしブロムさん、お声に張りもあって(音楽の話をされているとき本当に楽しそう)、92歳にはとてもとても見えません。今回も指揮の間中ずっと立っておられました。N響のtwitterによると、リハーサル中もずっと立っておられるそうです。



N響twitterより

Herbert Blomstedt Brahms Symphony No.3 [with commentary]

こんな動画を見つけました。最後の静寂はやっぱりそういうお気持ちからだったんですね

※ブラームスの交響曲第3番はシューマンへのオマージュだったのではないか?という千葉フィルの解説、よいなあ。

キラキラと輝くような第1主題の断片によって交響曲全体が回顧的に幕を閉じるが、それはこの交響曲第3番のみならずシューマンに対する回顧であったかもしれない。この交響曲の作曲時、ブラームスは50歳。シューマンが狂気の内にその生を終えた年齢をも既に超え、晩年を迎えようとする頃のことであった。

泣きそう。。。

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東京都交響楽団 第890回 定期演奏会Aシリーズ @東京文化会館(11月11日)

2019-11-14 22:43:12 | クラシック音楽




シフ&カペラ・アンドレア・バルカのベートーヴェンからいっぱいの幸福なエネルギーをもらってから3日。
一転して、神曲の地獄篇と血の日曜日事件の世界へ行ってまいりました。8ヶ月ぶりのインバル&東京都交響楽団です。


【チャイコフスキー:幻想曲《フランチェスカ・ダ・リミニ》op.32】
演奏が始まると・・・おお、“地獄”だ!!
このコンビ、こういう期待は本当に裏切りませんね~
今日来た目的はショスタコ11番の方だったけれど、この”地獄の音”が聴けただけでチケット代(3500円也)の元はとった。

が、真ん中のロマンス部分はもうちょい色気が欲しかったですー。ロシアものは演歌気味なくらいがちょうどよいのですー。

そして再びの地獄部分は、最後まで勢いが落ちることなくリアル地獄で最高でした(地獄行ったことないけど)
ただ最後の音ってあそこまで「ばぁ~~~~ん!!!!」と開放的に爆発する感じだったっけ…?予習で聴いたものは、もうすこし重く「ずーーーーーん」というニュアンスを含んだ音だったような気がするのだけど。と思い帰宅後にいくつか録音を聴いてみたら、やはりあそこまで開放的ではなかった。ロシア文学を読んだ後のような余韻が残る「ずーーーーーん」、結構素敵なのですけどね。

そして帰宅後に知ったのですが、これ、クランコの『オネーギン』の手紙のPDDの音楽だったんですね!今夜聴いていて全く気づかなかった。あの場面は個人的に音楽の印象が薄いからなあ…。冒頭の庭で友人達がダンスを踊る場面の音楽は大好きなのですけど。
ということは、オネーギンはフランチェスカ・ダ・リミニと同じ設定の場面でこの曲を使っているわけか(不倫の逢引き場面)。オネーギンは切り貼り音楽だから途中をカットして一気にラストのばぁーん!に繋げているけど、このばぁーん!がフランチェスカ・ダ・リミニでは地獄場面であることを考えると、ラストのタチヤーナの表情に一層「うわぁ~」と感じてしまいますね…。 ※オペラではなくバレエのオネーギンのことです。


【ショスタコーヴィチ:交響曲第11番 ト短調op.103《1905年》】
この曲を生で聴くのは2017年のネルソンス&ボストン響に続いて2回目。ネルソンス&ボストン響は同曲の録音でグラミー賞を受賞していますし、世間の評価は高いのだと思いますが、残念ながら私の好みとは合わず(youtubeで受賞したCDの録音を聴いてみたけど、サントリーホールでの印象と同じだった)。
そこでリベンジのために今回の演奏会へ来たのでありました。
3月にこのコンビで聴いたショスタコ5番がとてもよかったので期待大、だったのですが。

う~ん。。。。。。。。。。。。。。。。。
前回彼らのショスタコを聴いたときにショスタコって上手すぎないオケの方が合ってるのでは?と思ったのだけれど、、、やっぱり金管だけは別かも、、、。
ボストン響のときに当たり前に聴いていた箇所は実は当たり前ではなかったのだなあ・・・というところがしばしば。冒頭でトランペットがやっちゃったアレは別に構わないのです(おいっ!とは思ったが)、ああいうことはどのオケでもあると思うし。でもその後が・・・。前から感じていたのだけれど、日本のオケの金管の音って、弱音が”小さい音”ではなく”弱々しい音”に聞こえてしまうことが多いような気がする。金管の弱音を普通に聞こえさせるのって難しいことなのだなあ、と・・・。えらそうにごめんなさいっ でも気になってしまったの・・・。

そして今回もボストン響とは別の意味で、宮殿前に集まってきた民衆達の”悲痛”な想いは伝わってこず・・・。
この第2楽章は、圧政に虐げられてきた民衆達の堪えに堪えた怒りがこれ以上抑えきれずに爆発する緊迫感とか、それでも皇帝への最後の期待に縋ろうとする悲痛な民衆達の命がけの訴えとか、そういうものがあるはずだと私は思っているのです。
でも今夜の演奏は、とうに命を捨てる覚悟ができている民衆達が怒りを全開に爆発させていた感じというか。第4楽章も「これから起こる革命を予感させる」というよりは、現在革命本番真っ最中でもう間もなく成し遂げられそうな感じというか。ちょっと音が開放的すぎるように感じられてしまった。前半のチャイコフスキーもそうだったので、インバルさんの特徴だろうか。

とはいえ民衆の怒りがどれほど大きかったか、軍による殺戮がどれほど容赦ないものであったかということを感じることができた点では、ボストン響よりは好みでした。正直政府軍による民衆への発砲というより世界大戦の大編成軍隊の一斉攻撃のようでしたけど、感覚的に事件の暴力性を感じることができたのはよかったです。少なくともインバル×都響が聴かせてくれるスケールの大きい開放感と良い意味で雑味のあるあの音が貴重であることは確かだと思う。

しかし一度でいいからこの曲を思いきり好みの演奏で生で聴いてみたいものであるなあ。ネット上にはそういう演奏はごろごろあるのに。
ハイティンク&コンセルトヘボウも、ゲルギエフ&マリインスキーも、すごく好みです。ヤンソンス&フィラデルフィア管は残念ながらネルソンス系だったけれど(というよりネルソンスがヤンソンスさん系なのか)。

今の香港の状況を見ていると、こういう作品を自分の日常と直接結びつけずに聴いていられることが決して当たり前ではないことを痛感する。彼らは今まさにその只中にいるのだから。そして日本も、5年後10年後も今と変わらずにいるという保証は全くない。
シフは15,16日の演奏会、大丈夫なのかな…。会場にくる人達も…。高速道路封鎖や夜間外出禁止令の可能性というニュースが出ているけれど…。
そして今ふと思い出しましたが、ベルリンの壁崩壊の記念式典でいつも演奏されているのは、ベートーヴェンでしたね。先日の壁崩壊30年の記念式典でも、バレンボイム&シュターツカペレ・ベルリンが第五番を演奏したそうです。
30年前、壁崩壊の翌月のクリスマスの特別コンサートで演奏されたのは第九番でした。オケと合唱にはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連、東ドイツ、西ドイツと、かつて敵対し合った国の音楽家たちが集まり、壁が取り払われた喜びを分かち合ったそうです。このとき指揮したバーンスタインは、第4楽章の「歓喜の歌」の歌詞の一部を変更して歌わせたのだとか。「Freude(フロイデ=歓喜)」を「Freiheit(フライハイト=自由)」に。
「ベルリンの壁」崩壊から30年。あの年に演奏された特別な「第九」とは

そういえば5年前の11月9日、ベルリンの壁崩壊25周年の日に東京でイスラエルフィルと幸福感あふれる第九を聴かせてくださったメータさん(同じ日にバレンボイム&SKBはベルリンで第九を演奏していたんですよね)、いまベルリンフィルと来日中ですね あの夜の第九の響きはいまも耳に残っています。健康にお気をつけて長くお元気でいていただきたいです。 

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アンドラーシュ・シフ/カペラ・アンドレア・バルカ 第2夜 @東京オペラシティ(11月8日)

2019-11-11 20:28:44 | クラシック音楽




天皇陛下と皇后陛下の即位パレードのニュースを見ながら、ちょうど2年前の11月にサントリーホールのボストン響来日公演にいらしていたお二人を思い出していました。あまりに自然に楽しそうにされていたので、途中で存在を忘れてしまったほどで。あのときシャハムはチャイコフスキーの演奏前と後に笑顔でペコリとお辞儀をしていたけれど、ネルソンスはショスタコの演奏前にチラリと楽しげに一瞥しただけで最後までお二人を意識したそぶりをみせなかったんですよね(舞台裏では挨拶していたと思うけど)。ネルソンスの漏れ聞く性格からすると決して無礼なタイプではないと思うし、あれはどういう理由だったのかなと時々思うのだけど。演奏するのが11番だったから気まずかったということもなかろうし。これは想像でしかないけれど、たぶんネルソンスはお二人にも他の聴衆と同じように演奏を楽しんでほしいと思ったのではないかな。音楽の前では皆平等というか。ネルソンスはアンコール前の大声挨拶もいつもどおりにやっていて、当然英語も理解されているお二人なのでとても楽しそうに聞かれていました。当時は皇太子だったけれど、天皇に即位すると音楽鑑賞や舞台鑑賞は前半/後半のいずれかしか観られないという噂は本当かしら。実際以前の天皇陛下や美智子さまがいらしていた舞台は、いつも後半のみ鑑賞されていたけれど。あれって舞台好きからすると地獄ですよね・・・(完売チケットを入手できるのは羨ましいが)。天皇陛下でいるのも大変なのだなあ・・・。以上、余談。

さて、シフとカペラ・アンドレア・バルカによるベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲演奏会。
第1夜、第2夜ともに19時開演でしたが、その前にボン・ ベートーヴェン・ハウス元所長のミヒャエル・ラーデンブルガー(Michael Ladenburger)氏によるプレトークがホワイエであったので、両日とも参加してきました。予定では17:45から30分間だったのだけど、お話は止まることなく18:35まで50分間たっぷり×2日。さすがシフとは長いお付き合いという方だけあられる
以下は、第1夜と第2夜のトークの一部です(両日で違う話をされていました)。
・シフさんはボン・ベートーヴェン・ハウスの名誉会員で、こういう前知識をちゃんともって演奏を聴いてもらいたいという人なので、このプレトークも彼から頼まれました。
・バッハやその息子達の時代はピアノのソロパートは譜面に書き残さなかった。ベートーヴェンも演奏会のたびに違うソロを弾いていた。第一楽章と第三楽章の終盤に通常設けられているカデンツァを譜面に書くようになったのは、出版する段階になってから。こういうピアニストの見せ場を設けることについてはベートーヴェンは肯定的だった。
・交響曲第7番の譜面には「耳に綿を入れれば耳鳴りは聞こえない」のメモがある(写真あり)。
・交響曲第8番は、はじめピアノ協奏曲として構想された。
・当時はピアノソナタを公開演奏会で演奏する習慣がなかったので、ベートーヴェンもソナタを一度も演奏会では弾いていない。
・当時の王族や貴族の多くは楽器のたしなみがあった。日本の上皇様はチェロを演奏されるが、そういうところはよく似ている。
・ピアノ協奏曲第4番について。皆さんはベートーヴェンの初演を聴いてみたいと思うかもしれないが、絶対に聴かない方がいい。クリスマス前で会場はとても寒かったし、当時はリハーサルというものを殆どしないのが通例だったのでオケの演奏もひどいもので、その音もベートーヴェンには聴こえていないしで、散々だった。 ベートーヴェンがピアノ協奏曲を自ら演奏したのはこの第4番が最後で、このときに彼は自らの体の限界を悟った。第5番はルドルフ大公の独奏で行われたことが最近の研究で判明している。
・耳が聞こえなくなったことが彼の作曲にどのように影響していると思うか?とよく聞かれるが、全く影響していないと思う。耳が聞こえなくなっても、ベートーヴェンの中でははっきりと音楽が聞こえていたから。
・ベートーヴェンの時代のピアノは現代のピアノとはだいぶ違うが(6つのペダルがあるピアノの写真などを見せてくれながら)、その音やペダル効果について、シフはできるだけ現代のピアノで当時の音を再現したいと考えていて、また彼はそれができる演奏家。
・ベートーヴェンは演奏技術の良し悪しよりも、その作品の言いたいことを表現できる演奏をしてほしいと思うタイプだった。
・ベートーヴェンは楽しむ&楽しんでもらうだけの音楽ではなく、もっと崇高な音楽を作ろうとした。

以下は第2夜の感想です。
でも本当は、何も書きたくはないのです。何を書いても嘘になってしまう気がして。音楽の素晴らしさは言葉で表現できるものではない。そんな風に感じた演奏会でした。なので演奏に関する感想は短めです。

【ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 op.15】
第1番は第2番よりも後に作曲された作品で、昨夜あれほど素晴らしい演奏を聴かせてくれた第2番だったけれど、こうして第1番を聴くとベートーヴェンの作曲家としての進化、深化がとてもよくわかる。
シフは今夜も嬉しそう&満足そう

(休憩20分)

【ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 op.73《皇帝》】
アンコールとして演奏された昨夜に比べると(昨夜もかなりよかったが)、今夜の方が丁寧というか本プログラムらしいがっつり気合の入った演奏を聴かせてくれました。
やっぱり1楽章から通しで聴くといいですね。2楽章の泣きたくなるような美しさ・・・。からの3楽章のあの多幸感!主題を弾くシフの音色の華やかさ!オケの躍動感!ブラヴォー
こうして5曲を続けて聴いてくると、ベートーヴェンの作曲の深まりになんだか涙が出そうになった。色々なものを乗り越えてここに辿り着いたのだなあ。

【ピアノ協奏曲第4番 ト長調 op.58 より 第2・3楽章(アンコール)】
昨夜と同様に、第3楽章のシフのピアノの華やかさに言葉がなく。息を止めて聴き入ってしまった。同じ曲でもツィメルマンの音は華麗という感じだったけど(スタインウェイだし)、シフは華やか。
この第3楽章を聴きながら、「ベートーヴェンの音楽は人間に対する”肯定”の音楽なんだな」と強く感じました。無条件の人間讃歌ではなく、肯定。否定という選択肢もありえたけれど、”それでも”ベートーヴェンは人間というものを肯定したのだな、と。その導き出された結論にもはや迷いはない。シフの演奏の明快な迷いのなさがベートーヴェンにとてもしっくり感じられるのは、そういう理由かも。
第3楽章のラストで、色んな異なる楽器が一つ一つ集まってきて最後に大きな一つの音楽になって、なんていう美しく生き生きとした世界だろう、と。そのままで足すものも引くものもいらない、完璧な世界。無欠という意味ではなくて、すべての異なるものをそのまま受け入れてくれる、完璧な世界。
来年はベートーヴェン生誕250周年のベートーヴェンイヤー。今のようなどこの国もその国ファーストになってしまっている世界が最も必要としている音楽は、何よりもベートーヴェンではないだろうか。これはもちろん第一にはベートーヴェンの偉大さだけれど、そう感じさせてくれる演奏を聴かせてくれたのはシフとカペラ・アンドレア・バルカの皆さん。
今回のアジアツアー、最終地は香港なんですね。香港にこの光が届きますように。シフ&オケの皆さんはどうかお気をつけて。

【ピアノ・ソナタ第24番 嬰ヘ長調 op.78《テレーゼ》(アンコール)】
そして最後の最後でこのテレーゼ。。。リサイタルのときもそうだけど、シフってアンコールの選曲が泣かせるよね。。。
なんて優しい音楽だろう。。。
本当に、もうここに言葉はないです。ただ、ありがとうだけ。

21時半終了。ソロカーテンコールあり。今日は沢山の人が残っていました。
あの記事のコメント欄を読んでしまった後では「私はあなたの音楽からいっぱいの幸福をもらったよ!」と伝えたかったので、いっぱい拍手を送ってしまった。シフも満面の笑みでした。
しかしシフはタフだねえ。終演時点でオケの誰よりも、客席の誰よりも元気なのではなかろうか。
奥様曰く「アンドラーシュも、弾いている時がいちばん生き生きとしています。音楽から元気を貰っているようで、多忙なスケジュールでも消耗しないんですよ。休養も必要なんでしょうけど、家でのんびりしている方がかえって具合が悪くなる(笑)。一方で、世界中で続けてきたベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏は『もう疲れて出来ない。《ハンマークラヴィーア》とかどうかなぁ』などと言っていますが、彼は気分によって言うことが変わりますから(笑)」とのこと。うんうん、よくわかります。
なお昨夜と今夜の演奏会はNHKにより録画されていて、来年1月以降のクラシック音楽館で放映してくださるそうです

またこのメンバーで来日して、モーツァルトかバッハのピアノ協奏曲全曲演奏会とかやってくださらないだろうか。とっても聴きたい。今回も第2夜の方はチケット完売していたし、絶対に売れると思うの。招聘元さま、お願いします!!

そして帰宅して例によってtwitter情報で知りましたが、今夜は(一説によると昨夜も)2階席にツィメルマンがいらしていたそうで。ツィメさん、やっぱりまだ日本にいるんだ。昨年のこの時期もポリーニの演奏会にいらしてましたよね。音楽を聴くのがお好きなのだろうなあ。人の音楽を聴きにくる演奏家ってなんかいいなと思います。来年はルツェルン交響楽団と来日してベートーヴェンのピアノ協奏曲(4番と5番?)を演奏してくださるそうで。嬉しい!
楽屋にも行かれたようなので、せっかくだしお気に入りの焼き鳥屋さんで一杯やりながらシフの愚痴でも聞いてさしあげて~と思ったが、この過密スケジュール↓ではムリか。さすがは超人シフ様 シフは65歳、ツィメルマンは62歳なんですね。
そういえばオペラシティ、クリスマスツリーが飾られていました(大階段両脇の小さなツリーも可愛かった) もう年末か・・・。時の流れのはやさがおそろしい・・・。

ASIA TOUR
10/30(水)中国国家大劇院(北京公演)
10/31(木)中国国家大劇院(北京公演)
11/ 2(土)上海交響楽団ホール(上海公演)
11/ 3(日)上海交響楽団ホール(上海公演)
11/5(火) 東京文化会館 大ホール(東京公演)
11/7(木)東京オペラシティ コンサートホール(東京公演)
11/8(金)東京オペラシティ コンサートホール(東京公演)
11/9(土)いずみホール(大阪公演)
11/10(日)いずみホール(大阪公演) 

11/12(火)ソウルアーツセンター(ソウル公演)
11/13(水)インチョンアーツセンター(インチョン公演)
11/15(金)香港文化センター(香港公演)
11/16(土)香港文化センター(香港公演)

20年を超える、親密な仲間たちとの船旅 ~ヴァイオリニスト・塩川悠子が語る、名匠アンドラーシュ・シフ・とカペラ・アンドレア・バルカ


シフとロータッチしていたコントラバスさん



特集ページの写真、どれも素敵
撮影されているのは、ティンパニ奏者の方ですね(このティンパニも素晴らしかった!)


こちらこそ素晴らしい時間をありがとうございました!!!
ぜひまた日本にいらしてくださいね

※2020.1.10追記

2017年3月は280VCを使用していたので(by kajimoto twitter)、シフは演奏会ごとにピアノを変える人なんですね。

※2020.1.14追記

スティーヴン・イッサーリスのツイより。
NHKはなぜか第二夜(8日)→第一夜(7日)の順で放送したので、彼が観たのは7日の演奏ですね。
”With playing this clear, honest and pure, one doesn’t have to think about the performance; one is free just to listen to the music.”
全く同感です


同じくシフの誕生日のツイより。友人達に愛されているシフ

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アンドラーシュ・シフ/カペラ・アンドレア・バルカ 第1夜 @東京オペラシティ(11月7日)

2019-11-10 11:08:28 | クラシック音楽

   

7日と8日の夜は、シフとカペラ・アンドレア・バルカ(初来日)によるベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲演奏会に行ってきました。
まずは初日の感想を。

”アンドレア(Andrea)”はイタリア語のアンドラーシュ、”バルカ(Barca)”はイタリア語の舟で、シフ(Schiff)がドイツ語の舟であることから、この楽団名になったそうです。 前回のシフのリサイタルで私が特に感銘を受けたのが、ベートーヴェンの演奏でした。ハイドンのような軽やかさと、推進力と、静けさと、華やかさ。なのでシフのベートーヴェンが良いことはわかっていたけれど、今回の協奏曲ではオケとの一体感が想像以上に素晴らしかった さすがは自身創設のオケだなあ。
演奏が始まってすぐに「ああ、シフのベートーヴェンだ」と感じました。オケ全体が”シフの音楽”になっていて、この一体感は弾き振りならではですよね。いつも良い演奏を聴くと指揮者が音楽そのものに見えるのだけど、今夜はシフがそう見えました。オケはシフが表現したい音楽をよく理解していて。でも各奏者の音は表現豊かで。室内楽のようなという言葉がぴったりの、ベートーヴェンの時代の演奏会を客席で聴いているようでとても楽しかった。オケの厚く艶のある音色も好みでした

そして改めて「シフ×ベーゼンドルファー×タケミツメモリアル」の美しさよ。。。
このホールってピアノが単音で高音を出すと(トリルのときとか)建築の木?が共鳴するような響きが聞こえるじゃないですか。あれが好きではないという人もいるかもしれないけれど、私は建物自体が音楽に反応しているみたいで、なんか好きなんです。上階席からあの高い天井の空間をトリップ状態でボーと眺めて音楽を聴くのが最高の至福。
音楽は音ではなく時間だと言ったのは、ツィメさんだったか。
本当に、良い音楽体験って音ではない何物かだと思う。

【ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調op.19】
ベートーヴェンの作品としてはタイクツな部類に入ると個人的に思っているこの曲が、こんなに生き生きとした音楽になってしまうとは。一曲目から、これが聴けただけで今日来てよかったと思いました。途中で後期ソナタを思い出したりして。こんな第2番ならいつまででも聴いていたい。演奏を終えたシフの表情もとても満足そうでした(ガッツポーズでた)。

【ピアノ協奏曲第3番 ハ短調op.37】
2楽章の筆舌に尽くしがたい美しさ!からのあの明るく幸福な3楽章!シフの奥様のインタビューによると一番演奏機会が少ない曲なのだそうですが、なんてもったいない。
余談ですが、シフが退場するときにコントラバスの長いお髭のChristian Sutterさんの横を通り過ぎざまにいつも彼とロータッチ(という言葉があるのか知らんが、上からポンじゃなくて、腕を下ろしたまま掌を触れ合わせる感じ)していたのがめっちゃかっこよかったです。

(休憩20分)今回は休憩があってよかった^^;

【ピアノ協奏曲第4番 ト長調op.58】
この曲に限らないけれど、シフって音色のコントロールが素晴らしいですよね。強音→弱音とか、よくあれだけの演奏をしていて突っ走らないで瞬時に音を切り替えられるものだなあ(素人すぎる感想でスミマセン)。ガリガリ音からのふわぁっとした華やかさとか、もううっとりと聴きほれてしまう。強音の上げていき方も重みも完璧。シフはppだかpppもものすごく自然で綺麗ですよね。これはこんなに心地よく聴けるのに、どうしてヴォロドスのは私は苦手だったんだろうか・・・。
今日の演奏では、特に第3楽章が好みでした。ピアノの音色の華やかさ、最後のオケの息もつかせぬ追い込みと解放感、素晴らしかった!
この曲の演奏を生で聴くのはペライア、ツィメルマン、ピリス、そして今回のシフで4回目ですが、見事にそれぞれ個性が違って本当に面白い。そしてどの演奏も素晴らしい。さすが名曲ですよね。

【ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 op.73《皇帝》より 第2・3楽章(アンコール)】
【ピアノ・ソナタ 第12番 変イ長調 op.26《葬送》より 第3・4楽章(アンコール)】
そして翌日のプログラムの第5番をアンコールにもってくるシフ笑。ていうか、いつもながらアンコールがもはやアンコールじゃない(ボリュームが)。
ひとつの演奏会の終盤になるにつれてハイになってくるピアニストは多いけれど、この夜のアンコールもシフには珍しくテンション高めの演奏に感じられました。翌日の方が本プログラムらしい丁寧な演奏だったけど、なんだか珍しいシフが聴けた気がするというか、羽根が生えたような自由な音で、これはこれで感動的でした(オケはさすがに少し疲れてたぽかったけど)。ソナタも絶品。
22時終演。ソロカーテンコールあり。
ベートーヴェンの幸福で前向きなエネルギーをいっぱいにもらえた演奏会で、シフにはただただ感謝。

今日の演奏を聴きながら、「こんな演奏を聴かせてくれたのだから、たとえシフがどんな悪人だったとしても私はあなたの味方でいるよ」と、そんなことを感じていました。変なことを言っているように聞こえるかもしれませんが、今回だけでなく、素晴らしい演奏を聴かせてもらったり素晴らしい舞台を見せてくれたアーティストには私はいつもそう感じるんです。この感謝は絶対に忘れない、と。

なんてことを思いながら帰宅してtwitterを眺めていたら、直近のこんなニュースが・・・。
・Slipped Disc:ANDRAS SCHIFF DECLARES ‘MAJOR INCIDENT’ WITH ORCHESTRA (November 1, 2019)
・Slipped Disc:MONTREAL HITS BACK AT ‘ABRASIVE, DISRESPECTFUL’ ANDRAS SCHIFF (November 1, 2019)
・Montreal Gazette:OSM guest conductor Schiff 'flew off the handle' in rehearsals, musicians say (November 7, 2019)

私は一聴衆にすぎないので騒動自体へのコメントは控えますが、それぞれの主観的な主張部分はともかく、記載されているリハーサル現場での出来事自体はおそらく事実なのだろうと思う。シフがモントリオール響の奏者達にとった態度も、奏者達が彼のソロパート中に私語をしていたことなども含め。
一方でこのSlipped Discの辛辣なコメント欄を読んでいると、コンダクターやピアニストって本当に大変なんだなあと感じる・・・。オケとの間で神経をすり減らすだけでなく、聴衆からも上から目線で言いたい放題に演奏の良し悪しを評価され(しかも単なる好みと良し悪しがゴチャマゼになった感想も多く)。
ツィメさんにしてもシフにしても、なんか、みんな色んなものと闘っているのだなあ・・・大変なんだなあ・・・と改めて考えてしまった、のんびりぬるま湯の中で生きてしまってる私。コメント欄でシフのモスクワの演奏会での聴衆に対する態度(お辞儀をしないとか)などについても書かれてあるけれど、これに関しては、こちらが基本的なマナーをちゃんと守っている限りは、シフのステージマナーがなっていないと感じたことは私は一度もないけどなあ。今回のステージでもシフは何度も聴衆に対して感謝の意を示していた。1列しかないP席にもしっかりオケに挨拶させてたし。
まあ、せめて日本にいる間くらいは心穏やかに過ごしていただきたいものよ。それでこそ良い演奏もできるというもの。
なので少なくともこの2日間はシフがとても満足そう&嬉しそうに見えたので、よかったなあと思ったのでした。奥様も嬉しそうだった(安心されていたのかも^^;) 

この日と翌日にホワイエでプレトークが行われましたが、その内容はまとめて次の第2夜の感想記事に書きますねー。

※2020.1.22追記
eぶらあぼ 2019.8月号より
 5月初旬、イタリア北部のヴィチェンツァの街で毎年開催される「パラーディオへのオマージュ Omaggio di Palladio」音楽祭において、名匠アンドラーシュ・シフがカペラ・アンドレア・バルカを率いてベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲ツィクルスを弾き振りした。16世紀の名建築家パラーディオの遺作であり、世界遺産にもなっているオリンピコ劇場での一大イヴェントに、地元の名士はもちろんのこと、ドイツやスイスなどからもシフの友人や支持者が多く駆けつけた。
 カペラ・アンドレア・バルカは、シフの音楽活動においてきわめて重要な位置を占めるオーケストラ。もともと1999年に彼がモーツァルトのピアノ協奏曲全曲演奏をスタートした折に結成され、主としてザルツブルク・モーツァルテウムでシャーンドル・ヴェーグの薫陶を受けた仲間が核となっていて、シフ自身「私にとって家族のような存在」と語る。彼らの活動の理念の中心にはつねに室内楽があり、今回の音楽祭でもそれは強く感じられた。
 シフの演奏といえば知性的で端正な印象が強いが、今回のベートーヴェンのピアノ協奏曲においてはカペラ・アンドレア・バルカの気のおけない仲間に囲まれ、いつもよりも自在で思い切りのよい溌剌とした演奏を展開、指揮者のいるオーケストラとの共演では実現できないようなソリストとオーケストラの真の対話を聴かせてくれた。とにかくシフと奏者一人一人との結びつきが強固であり、舞台の上でお互いに語りかけ、機敏に反応し合いながら音楽を紡いでいく。オーケストラは基本的にモダン楽器だが、ピリオド奏法に精通している奏者も多く、古楽寄りの演奏スタイルといえよう。
 コンサートマスターは、アーノンクール時代のウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの首席奏者を長年務め、モザイク四重奏団のリーダーとしても知られるエーリッヒ・ヘーバルト。創設メンバーの一人で、このグループとのプロジェクトは自分の年間の活動の中で最優先しているという。「シフのような天才音楽家とともに演奏できることは本当に幸せです。彼が惑星だとすれば、私たちはその周りを回る衛星のような存在ですが、毎公演、全員が持てる力を100パーセント出し切って、ともに音楽を作り上げるアンサンブルなのです」と語る。またヴィオラ奏者のアネット・イッサーリスも「ここでの体験は他のどのオーケストラとも違い、つねに室内楽を奏でているよう。シフは私たちを彼の深遠なる芸術の宇宙に引き込んでくれるのです」と話す。
 この秋、シフとカペラ・アンドレア・バルカは創設20周年にして初の日本公演を行い、東京オペラシティコンサートホールでは今回のヴィチェンツァと同じ最高の顔ぶれによるベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を二晩にわたって聴くことができる。実はめったに遠方への演奏旅行を行わないグループだが、今回はぜひ日本の聴衆に聴いてほしいと特別に企画されたときくので、どうぞこの機会をお聴き逃しなく!
(後藤菜穂子)


~MEMBER~

Violin I
Erich Höbarth ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス/モザイク・カルテット コンサートマスター
Kathrin Rabus ハノーファー北ドイツ放送フィルコンサートマスター
Yuuko Shiokawa ソリスト
Susanne Mathé バーゼル弦楽四重奏団
Zoltán Tuska ブダペスト室内管コンサートマスター
Erika Tóth 室内楽奏者/元コダーイ弦楽四重奏団
Maria Kubizek ヨーロッパ室内管団員
Armin Brunner 元ベルリン・フィル団員
Jiří Panocha パノハ弦楽四重団

Violin II
Kjell A. Jørgensen 元カメラータ・ザルツブルク コンサートマスター
Stefano Mollo ヨーロッパ室内管団員
Julian Milone フィルハーモニア管団員
Albor Rosenfeld 元チューリッヒ・コレギウム・ムジクム団員
Lyrico Sonnleitner ウィーン放送響2ndヴァイオリン首席
Regina Florey 室内楽奏者
Pavel Zejfart パノハ弦楽四重奏団
Eva Szabó フィレンツェ・フィエーゾレ音楽院教授

Viola
Hariolf Schlichtig ミュンヘン音楽演劇大学教授
Alexander Besa ルツェルン響首席
Anita Mitterer モザイク・カルテット
Benedikt Schneider ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィル首席
Annette Isserlis エイジ・オブ・エンライトゥンメント管団員
Miroslav Sehnoutka パノハ弦楽四重奏団

Violoncello
Christoph Richter 元ハンブルク北ドイツ放送響首席
Xenia Jankovic デトモルト音楽大教授
Sally Pendlebury フィッツウィリアム弦楽四重奏団
Heidi Litschauer 元ザルツブルク・モーツァルテウム音楽大教授
Jaroslav Kulhan パノハ弦楽四重奏団

Double Bass
Christian Sutter 元バーゼル響首席
Ivaylo Iordanov ウィーン交響楽団

Flute
Wally Hase ウィーン国立音楽演劇大学教授
Gerhard Mair フリーランス

Oboe
Louise Pellerin チューリッヒ芸術大学教授
Reinhold Malzer モーツァルテウム管団員

Clarinet
Riccardo Crocilla フィレンツェ五月音楽祭管首席
Toshiko Sakakibara フリーランス

Bassoon
Claudio Alberti ボルツァーノ・モンテヴェルディ音楽院教授
Christoph Hipper カメラータ・ザルツブルク団員

French Horn
Marie-Luise Neunecker ソリスト/ベルリン・ハンス・アイスラー音楽大学教授
Johannes Wache リューベック・フィル団員

Trumpet
Neil Brough ソリスト/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ団員
Paul Sharp フィルハーモニア管/エイジ・オブ・エンライトゥンメント管団員

Timpani
Stefan Gawlick コンチェルト・ケルン団員/トロッシンゲン音楽大学教授

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