感想がものすごく遅くなりましたが、二月の歌舞伎座は7日に夜の部を、17日に井伊大老を幕見してきました
夜の部は月後半には5時間前くらいから立見確定という恐ろしい事態になっていたようですが、私が行った頃は発売30分前でも普通に座れました。
中に入ってこの祝幕↑を見て、今月も襲名披露公演であったことを思い出しました。この祝幕のことは行くまで全く知らなくて、でも目に入った瞬間に「彌生ちゃんの作品」とすぐにわかったので、オリジナリティも芸術の一要素であることを思えば、なるほどこの人が世界で評価されるわけだなあと。好みかどうかはともかく、インパクトもバッチリ やるなぁ~染ちゃん、じゃなかった幸四郎。
無限に続くような水玉や網目をモチーフとした作品で、世界に知られる前衛芸術家の草間氏と、幸四郎が雑誌の取材で話をしたのは、20年ほど前のことでした。初対面で幸四郎は、「永遠を信じますか」と、問いかけたと言います。「肉体が滅びる寿命は感じている、とおっしゃった時点で先生にはまりました。自分の思っている作品を、いかに限りある自分の肉体からつくっていくことができるか。それは戦いだと。そうして、つくられた作品が永遠になると」。草間氏の答えは、今回、20年近く経っても変わっていませんでした。
「世界を、時代をつくり、つくり続けていく方の、まだ新しいことをやっていこうというパワーが、2月の舞台へのエネルギー、力になる」。幸四郎は草間氏とその作品への思いをあふれさせました。
草間作品の魅力について、幸四郎は『勧進帳』など、能舞台を模した松羽目物を例に挙げました。「松羽目の道具は、いろいろな場面に置き換えられる構成舞台のような、洗練された舞台装置です。先生の作品には、それくらい洗練された美しさと、色彩の豊かさと深さが感じられ、歌舞伎の美しさに通じるものがあると感じます」。松羽目に匹敵するものを先生に描いていただけたらと、妄想したとも語りました。
(歌舞伎美人より)
以下、観た順に舞台の感想を~。
【熊谷陣屋】
おめでたい襲名公演なのでマイナスなことはできるだけ書きたくないのですが。。。
熊谷って難しい役だったんだなあ、ということを最初の花道(幕見なので七三)からものすごく感じてしまった。。。
吉右衛門さんの熊谷を観たときに何気なく見ていた佇まい一つも、今回新幸四郎で同じ場面を見て、吉右衛門さんの凄さがわかったというか。
ただ立ち止まるだけ、ただ視線を落とすだけ、ただ数珠を見て仕舞うだけでも、吉右衛門さんの熊谷は熊谷という人間、ここに至るまでの時間、出来事、人生が見えたものだったけれど、新幸四郎の熊谷はそれが見えないのだなあ…(歌舞伎初心者がえらそうにごめんなさい…。あくまで自分用覚書なのでご容赦を…)。以前に仁左衛門さんの伊右衛門の凄さがわかったのも新幸四郎の伊右衛門を観ていたからだったけど、なんか毎回そういう役回りになってしまってゴメン染ちゃん、じゃない、幸四郎。
とはいっても、決して悪くはなかったんです。史実の直実が敦盛を討って出家したのは40代半ばなので年齢的に幸四郎はピッタリで、そういう意味ではリアルな熊谷を感じることができました(でも私は歌舞伎にそういうリアルさは求めていないの…)。
菊五郎さんの義経、よかったな。品があって、全てを見通していて、でも情もあって、酷な命令を下しても非情に感じさせないこの義経のキャラって結構難しいのではないかと思うのだけど、梅玉さんも、仁左衛門さんも、菊五郎さんも、皆さん素晴らしいですよね。歌舞伎役者ってすごいのだなあ。ただこの日の菊五郎さんは、ちょっとだけお疲れ気味に見えました。
飄々とした捉えどころのなさを感じさせる左團次さんの弥陀六もよかった。これも一筋縄でいかないキャラクターですよね。
芝翫さんの梶原と鴈治郎さんの軍次という豪華配役も襲名公演ならでは。当然といえば当然なのだけれど、こういう脇役をお二人とも真面目にしっかりと演じておられて、気持ちがよかったです。
相模は魁春さん、藤の方は雀右衛門さん。
【壽三代歌舞伎賑(ことほぐさんだいかぶきのにぎわい)~木挽町芝居前】
舞台の上に中村屋と菊之助以外の主だった歌舞伎役者が勢揃いという、豪華絢爛な光景。高麗屋の三代襲名ってこういうことなのだなあ。すごいなあ。成田屋の襲名もこうなのかな。そのときまで今ここにいる皆さん、全員お元気でいてほしい。。
左右花道にズラリと並ぶ男伊達、女伊達からの交互のお祝いの言葉の一つ一つにしっかり顔を向けてニコニコ笑顔で聞いてあげていた仁左衛門さんの姿に涙ぐみそうになってしまった。仁左さまもほんと、長生きしてください。。。
久しぶりに我當さんのお姿を拝見できたのも嬉しかった。「松嶋屋!」の掛け声が温かかった
そして錚々たる歌舞伎役者さん達と一緒の「お手を拝借」は嬉しいものですね。
場面がかわって、幸四郎改め白鸚さん、染五郎改め幸四郎、金太郎改め染五郎の口上。なんとも見目麗しい三世代でございました
【仮名手本忠臣蔵 七段目】
今月の平右衛門&お軽は、偶数日が海老蔵&菊之助、奇数日が仁左衛門さん&玉三郎さん。私は奇数日でした。
玉さまのお軽を観るのは3回目。その華やかさ、ちょっとトんでる感じ、可愛らしさ、どれをとっても私の大好きなお軽なので、また観られて嬉しかったなあ。70近い爺さんだということを考えると驚異的と言う感想を見かけるけれど、私にとって玉さまはもはや「玉さま」という一つの生命体でございます。
そして、今回の平右衛門は仁左衛門さん!
前回の海老蔵&玉さまのときにも感じたけれど、この七段目の兄妹って、リアルさよりもこの華やかさこそが命ではないかと。そしてそれこそが歌舞伎の命ではないかとさえ思う。今回舞台上のお二人を観ていて、心の底からそう感じました。
奇数日カウントでまだ四日目だったせいかお二人の呼吸の最後の一つが噛み合っていなかったような感じもあったり、仁左さまが足軽にしては少々立派すぎるように感じられなくもなかったけれど(でも愛嬌いっぱい♪)、そんなことは些細なことでございます。
白鸚さんの由良さんは今回も理知的なリアル系由良さん。リアル系なのに蛸を口にするときのはっきりした表現なども前回と同じで、これは私はスキジャナイ…。力弥(染五郎)が来たときに酔ったふりをして歌いながら花道へ行く雰囲気がいいなあと感じたのも前回と同じでした。でもやっぱり私は吉右衛門さんの大きな由良さんが好きだなあ。。
日が変わって、17日の昼の部。
【井伊大老】
この演目は吉右衛門さんと当代白鸚さんのお父様が初代白鸚を名乗られた襲名興行の2ヶ月目に上演されて(今月と同じですね)、上演半ばに倒れられたため、最後に演じられたお役とのこと。私がこの演目を観るのは、当代白鸚さん&玉三郎さんに続いて二回目。
素晴しかった。。。。。。。。。。
吉右衛門さんは最近は背中が丸くなられて、見た目だけを言えばだいぶ歳をとられたなあと感じないわけにはいかないのだけれど、そんなことはお芝居としては全く関係なく。
それぞれの役者さん達がその役の人生そのものを生きているかのように見えた今回の舞台は、この作品の一つの完成型であるように感じられました。優しく、美しいお芝居。
凛とした高麗蔵さんの昌子の方。可憐な雀右衛門さんのお静の方。そんな側室である静の方に仕える歌女之丞さんの雲の井。この人はこの人の正義を持っているのだということがわかる梅玉さんの主膳。
そして歌六さんの禅師が素晴しかった。以前に『松浦の太鼓』の歌六さんにも感じたことだけれど、この禅師がどういう人間で、どういう人生を歩んできて、これまで直弼や静の方とどういう時間を過ごしてきて、この場面に至るまでどういう出来事があって・・・ということが、この短い場面を見ているだけで自然に伝わってくる。今語られていない時間が目に見えるようにわかる。そして日が傾いてきて、風が冷たくなってきたその空気を、客席にいる私も肌で感じる。それは「リアルな演技」というものとは少し違うように思うのです。屏風に書かれた直弼の歌を見てその意味するところをそっと悟るところも、それに続くお静の方との会話の場面も、舞台上の空気が静かで、深くて、濃密なのに澄んでいて。歌六さんの禅師って前回の幸四郎さん&玉三郎さんのときも観ているはずなのだけれど、今回、本当に素晴しかった。
そしてその静かで、深くて、濃密なのに澄んでいる空気は、吉右衛門さんの直弼も同じで。それは死、永遠の別れが近づいた人間の放つ空気であるように感じられました。決して大げさでもリアルでもないのに、はっきりと存在しているそういう空気。直弼がもう戻ることのない彦根の風景を懐かしむ場面の吉右衛門さんの目は、本当にその風景(若い頃に直弼が見ていた風景)を見ていたように見えました。そして周囲や後世に理解されぬまま死ぬのが辛いという直弼が静の方の言葉で気持ちが晴れるところは、歌舞伎役者としての吉右衛門さんを理解して支えてきた雀右衛門さんとのお二人の絆ゆえの深みを感じたのでした。
こういうある種の凄みのあるお芝居を観てしまうと、つい吉右衛門さんのことが心配になってしまう。まあこれまでも何度もそういうことはあったので、そういうお芝居ができる方なのだということは百も承知しているのだけれど。。
上演時間55分。決して長い時間ではないのに登場人物のそれぞれの人生を見たような、そんな今回の『井伊大老』でした。
こうして並ぶと、白鸚さんはさすがにご立派だなあ。美しいですね。。。