一つは、オオカミだと思って買ったヌイグルミ。でもよく見るとこれ、ハスキー犬じゃね…?まあ可愛いからいいわ。 そして、パラパラと見て写真が素敵だったので買った『A Society of Wolves』という本。
仔オオカミの写真、かわえ~ でもこの本の中には、こういう写真も・・・↓
ここでようやく、この本の副題が「National Parks and the Battle over the Wolf」であることに気づいたのであった。 しかしこの本、写真も多いけど、文字もいっぱいで。 印刷物なのでコピペでweb翻訳にかけることができず(今ならスマホのカメラアプリで翻訳できるけど)、辞書片手に読む気力がなかったので、ずっと本棚の積読になっていたのです。そして今回『ネバー・クライ・ウルフ』を観て&読んでからこの本の存在を思い出してざっと読んでみたところ、ドンピシャで重なる内容が書かれてあったのでありました。 オオカミという動物がどれほど西洋で不当に忌み嫌われてきたか、恥ずかしながら私、これまで殆ど知らなかったんです。 この本に書かれてあるのは、彼らに対する殺戮の歴史と、再導入について。 当たり前ですが、これは「オオカミが可哀そうだから殺してはいけない」とか「どんな動物の命も大切だから守る必要がある」とか、そういうシンプルな問題ではありません。 この問題には自然環境と、政治と、経済と、人々の感情が複雑に絡み合っている。 そして映画でも描かれているように、極北の大地も動物達もイヌイット達も、文明世界と無関係ではいられない。 結局これはオオカミ側に原因があるのではなく、人間側の問題と言っていい。 そうであれば、映画のラストでマイクがタイラーに「This thing that's happening is too big for you.(この問題はあなたには大きすぎる)」と言ったのは、ある意味真実で。 でも最後に、タイラーはこんな風に言う。「In the end, there were no simple answers. No heroes, no villains. Only silence. But it began the moment that I first saw the wolf. By the act of watching them, with the eyes of a man, I had pointed the way for those who followed. (結局、単純な答えはなかった。英雄も、悪人もいなかった。あるのは沈黙だけだった。しかし、私が初めて狼を見た瞬間からそれは始まっていた。私は人間の目で彼らを見ることによって、後に続く者達に道を示したのだ)」(英語で観たので、誤訳があったらすみません…)。
デナリで買った本『A Society of Wolves』の一番最初のページには、こんな言葉が書かれてあります。
If you talk to the animals they will talk with you and you will know each other. If you do not talk to them you will not know them, and what you do not know you will fear. What one fears one destroys. (Chief Dan George)
『A Society of Wolves』の売り上げの一部は、オオカミの保護団体に寄付されているそうです。アラスカの大自然の中にいるオオカミの姿を自分の目で見られたことに満足してこの本を今日まで放っておいてしまったことにちょっと罪悪感を覚えていたので、僅かでもオオカミ達に貢献できたのならよかったです。。
映画が始まる前は「これが最後の『地球交響曲』なのだな」という寂しさがあり、これまでの30年間を思っていました。そして映画が始まるとそれは消え、私は数万年の時の流れの中にいた。地球交響曲はいつもそう。どこにいても、いつでも、その大きな流れの中の自分を一瞬で思い出させてくれる。星野さんの写真と同じ。 でも最後の最後、サントリーホールのカーテンコールの場面で流れ始めたのは、『The End of The World』の歌だったんです。
Why does the sun go on shining? なぜ、太陽は輝き続けているの? Why does the sea rush to shore? なぜ、波は変わらず浜辺に打ち寄せているの? Don't they know it's the end of the world? 世界が終わったことを知らないのかしら?
病気と闘われ、「『第九』を私のいのちの最後として送りたい」と仰っていた龍村監督。 私達は数万年、数億年の時の流れの中に生きていて、そして同時に”いま”を生きている存在であることを、龍村監督は最後にちゃんと思い出させてくれたのだと、思いました。 悠久の時の流れだけを意識して生きることはある意味とても楽なことだけれど、同時に私達は”いま”の数十年間を生きている限りある一つの命なのだと、そう教えてくれているように感じられました。星野さんも同じだった。星野さんも、いつも今ここにある限りある儚い命を何よりも愛おしく大切なものとして感じておられた。 『The End of The World』が流れるなか、スクリーンはサントリーホールから天河の森へと移ります。龍村監督が関わってこられた自然林を再生させる斎庭プロジェクトの風景が映し出され、いつかこの場所が神様たちの遊び場になることが願われ、『地球交響曲第九番』は終わりました。 エンドクレジットで流れた音楽は、第九の第三楽章。ベートーヴェンの愛と祈りの音楽。
I have lived a long, good life. I will not be here to see the consequences if this evil takes root in our country. But your children and mine will be. And their children. And their children’s children.
All of us still yearn to remain free. It is what we stand for as a country. I have always been deeply proud to be an American. In the time I have left, I pray that will never change. In our democracy, the decision to remain free is ours to make.