「それでは伺いましょう。意味があるということにどんな意味があるのです?得があることや、救いがあることや、根拠のあることは、損をすることや救われないことや無根拠なことより勝っていると云うのですか?そんなことはないでしょう。だからあなたに兎や角云われる筋合いはない。どんなものもどんな状態も、この世にある限り、この世に起きている限り―――それは日常です。この世には―――不思議なことなど何もないのです」
(京極夏彦『塗仏の宴―宴の始末』)
京極堂の決め台詞、「この世には不思議なことなど何もないのです」。
一作目の『姑獲鳥の夏』の頃は、「この世には超常現象などないのだよ、関口君」くらいの意味かと思っていたのですが。。。シリーズを読みすすめていくうちに、じわじわじわじわと侵食されてゆき、この『塗仏の宴』に至って、やられました……。
さすが決め台詞にしているだけあるよ。実はとんでもなく深く、そして包容力のある言葉だったんですね、これ…。
名台詞です。
「繰り返しますがこの世に劣った人間などいないし異常の基準などと云うものもない。犯罪者を異常者と決めつけて理解の範疇から外してしまうような社会学者こそ糾弾されるべきです。法を犯せば罰せられるが、法は社会を支える外的な規範であって、個人の内部に立ち入って尊厳を奪い去り、糾弾するものであってはならない!だから―――あなたは殺人と云う許し難い大罪を犯した。それは糾され罰せられるべき行為だが、人間として劣っているなどと云う考えだけは捨てるべきです。あなたは虫でも犬でもない!」
(京極夏彦『絡新婦の理』)
「劣っている」人間など、この世にはいない。
たとえどんな重罪を犯した犯罪者であろうとも。
異常殺人と呼ばれるものに対してでさえ、こんな台詞を京極堂に言わせることができる人だから、私はこの作家が好きなのです。
法律的な立場から「加害者の人権」を主張できる人はいても、そこから離れてこの類の殺人犯に関してこのように言いきることは、被害者の気持ちや世間の目を思うと、簡単なようで難しいことだと思う。
それでも、誰かが言わなければならない言葉だと思うから。
「自分が劣った人間だと思うのは楽なことです。それはあまねく云い訳に過ぎない。劣っているから仕方がない、出来ぬものは出来ぬ―――弁解だ―――」
(京極夏彦『絡新婦の理』)
人間として誇りを失わずに生きてゆけるか否か。
それを決めるのは、他の誰でもない、自分自身。
一見厳しい京極堂の言葉には、甘いだけの言葉にはない救いと優しさがある。
『絡新婦の理』のイメージは、辺り一面の桜桜桜。
関東地方ではまさに満開をむかえている今週。
桜吹雪の舞うなか、ゆっくりと読み返したい一冊です。
「雨宮は、今も幸せなんだろうか」
「それはそうだろうよ。幸せになることは簡単なことなんだ」
京極堂が遠くを見た。
「人を辞めてしまえばいいのさ」
捻くれた奴だ。ならば、一番幸福から遠いのは君だ。そして、私だ。
(京極夏彦 『魍魎の匣』)
京極堂シリーズ全作品の中で『魍魎の匣』が今でも私の中で一番な理由は、このラストシーンがあるから。大好きな場面です。
このシリーズは魅力的なキャラの宝庫だけれど、やっぱり京極堂と関口君の間で交わされる会話がとても好きです。
「あちら側」と「こちら側」の境界は限りなく曖昧で、「あちら側」へ行ってしまうことはとても簡単。一体どちらが幸福なのか。
「あちら側」の甘い誘惑にどうしようもなく惹かれつつ、それでも彼らは「こちら側」に踏みとどまり、生きてゆくのです。
この週末は、春の青春18切符を利用して、名古屋の明治村へ行ってきました。
東京から片道6時間かけて。。。
でも、行ってよかった~~~~!
私はこの時代の建築物フェチなので、ここは私にとって天国です。ああ、明治村に転職したい。
よく日光江戸村系と誤解されますが全然別物で、明治時代の歴史的建造物が約70点も移築されている場所なのです。
殆どに実際に入ることができ、建物によっては中でお茶や軽食を頂くこともできます。また、売店では明治時代のレシピで作られたカレーパンやコロッケも売っているんですょ♪
右の写真は森鴎外・夏目漱石邸。
この家で夏目漱石は『吾輩は猫である』を執筆しました。縁側で置き物の猫ちゃんが日向ぼっこをしていました(^-^)。この明治村はこういう演出が上手だったなぁ。雰囲気を壊さないような心遣いを随所に感じました。
またボランティアの方々によるものだと思いますが、園内の道や緑もとてもよく手入れされていました。
周囲が緑に囲まれているので、現代的な物が目に入らなかったのもよかった。
安っぽさが全くなく、でも遊び心はあり、各建築物も見ごたえ充分。
200%満足です。
今は梅園が満開で見事でした。次回は紅葉の季節に行ってみたいな。
俺は、ずっと考えていた。俺たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか......。だけどいくら考えてもちっとも答えなんか出やしねぇ。けど、俺たちはいつも何かを考える。例えば花や虫たちはそんなことを考えたりしない。花はただ、そこに咲いているだけだ。でも俺たちは、やがて枯れるその花が好きだ。永遠じゃないからだ。愛しく思い、大事に水をやる。
俺たちも永遠じゃない。やがては誰もが死んじまう。ただ花と違うのは考えることだ。もっと沢山の栄養を吸収したい。もっと太陽の光を浴びたい。出来れば独り占めしたい。嵐が来て、他人が流されても、同情はするが、助けることはない。俺たちは同情が好きだ。俺たちは他人の不幸が好きだ。俺たちはいつもいつも自分と他人を比べている。いつもいつも小さな不満がある。いつもいつも孤独で、自分の無力を嘆いている!
もうそんなのはやめにしよう。俺自身も比べられてきた。けど、俺も、俺自身も友達のことを比べていたんだ。知らない間に、そいつに同情して、そいつを...... デクを......。あいつは許してくれた。だから俺も始めからやり直すんだ。こんな事件を起こした俺でもやり直せる。俺の愛する人が教えてくれた。ただ精一杯そこに咲いていた彼女......。人間の価値をはかるメジャーはどこにも、どこにもないってことをだ!頭の出来や、体の出来で簡単にはかろうとする社会があるなら、その社会を拒絶しろ!俺たちを比べるすべての奴らを黙らせろ!おまえら、自分は無力だとシラける。矛盾を感じて、怒りを感じて、言葉に出してノーって言いたい時、俺は、俺のダチは、いつでも付き合うぜ。
~野島伸司 『未成年』より
学歴だとかだけでなく、あらゆることに関していえる言葉ですよね。
生きていちゃいけない人なんて、この世にはいない。
「人間として」世間に遠慮して生きなきゃならない人なんて、いないんです。
だから、私達の価値を簡単にはかろうとする社会があるなら、NOと言えるようになりたいですね。
難しいことだけど、でもそんなことから、少しずつ何かが変わってゆくのかもしれないから。
「くだらねぇな。朝っぱらから芸能人の不倫がどうのこうのってな。日本人ってのはよ、きっと世界一他人のあら探しが好きな人種じゃねぇかな。他人の失敗や不幸が大好きなんだよな。雑誌もテレビもそればっかだ。他人の誹謗と中傷ばっかりだ。数字の部数が伸びるからな。どいつもこいつもてめえに自信がねぇから、他人を見下ろしてほっとしたがる」
~野島伸司 『未成年』より
事件を起こした博人達に興味をもつ、テレビ局のプロデューサー(?)の呟き。
最後の一言が印象的です。
「なぁデク。いつ怪我したのか知らねぇけどおまえには頭に傷がある。萌香にも、胸に手術の痕があるらしい。見えねぇけど、きっと五郎のやつにも心の傷ってやつがあるんだろうな。不思議だよな。俺にはそういう人間の方が綺麗に見えるんだよ」
~野島伸司 『未成年』より
「それなら君自身は、社会に対して不満はないと言うんだね?」
「誰だって不満はあるさ」
「どんな不満だね?」
「......誰かと比べるのはやめてくれ」
「それは学歴社会に対してかい?現代の偏差値教育に対してなんだね」
「そんな小さい意味じゃない。すべてのことに対して、他人と比べるような世の中が嫌なんだよ。例えばそいつの傷を探して、よってたかって開くようなまねはやめてほしい。そいつは痛みをかばうために周囲に攻撃的になるだろう。例えば彼女に一つの価値観を押し付けないでほしい。彼女は絶望して、ひとりぼっちになろうとするだろう」
「もっと分かりやすく言ってくれ」
「そいつは俺よりえらくねぇし、俺もそいつより偉くはねぇってことさ。東大出たからってえらくねぇ。オリンピック出たからって偉くねぇ。政治家だって別に偉くねぇ。ただそいつはそうなりたかっただけなのさ。努力してもダメなことってのはあるんだ。どうやってもビリにしかなれねぇやつだっている。人間それぞれ細胞ってやつが違うんだしね。人より上に立ちたいための努力なんてちっとも偉くないんじゃねぇのかな。俺たちは車やテレビじゃない。他との性能を嫌でも比べられちまう。そんな視線には、そんな社会にはもううんざりなんだよ」
~野島伸司 『未成年』より
たぶん今までの人生で最も泣いたTVドラマです、これ。
高校生の頃、最終回で。
あの頃は他人と比べられるのが嫌で嫌でたまらなかった。
今の私は「比べたければ比べれば?どうぞご勝手に」と思えるのだけれど(=歳くいました)、当時は頭ではわかっていても、なかなかそんな風には割り切れなかったんですよね。
今よりずっと生き辛かったな。
だから野島さんの言葉にどんなに救われたことか。
録画した最終回を繰り返し観ては、もぉぼろぼろ泣いていました。
この頃の野島作品が一番好きだったかも。
ちなみに上の言葉は本からではなく、ドラマから引用してます。
そういえば先日「今の日本の高校生は悩みも希望もあまりないということがアンケートの結果わかった」というニュースを見ましたが、これ、本当かなぁ。
希望がないというのはわからなくもないけど、今のこの日本で悩みのない高校生なんていないと思うよ。アンケートの結果に出ていないだけだと思うけど。
この結果をそのまま信じちゃうようなアホな大人の方こそ、問題なんじゃないのか?
毎日のように起きてる10代20代による殺人事件やネット自殺を一体なんだと思っているのさ。
尾崎の歌は、じつは20代の歌もかなり好きだったりします。私のID「cookie_milk」も『COOKIE』からつけた名前ですし。
上手く言えないけれど、より彼の本来の姿に近いような気がするんですよね。
10代の歌は外に向かって訴えているような感じですが、20代の歌は本当に自分の歌いたいテーマを歌えている心の余裕を感じるというか。
アルバム「誕生」は歌詞がびっしりで有名ですけど、そんなところも尾崎らしい気がします。 彼は言葉の人でもあったと思うので。
『COOKIE』などで社会問題に触れているのも、本当はずっとそういう歌も作りたかったんだろうなぁ、と思った(あ、でも『核』もそうか)。
で、そんな成長した彼の姿が一番よく表現されていると感じるのが、『永遠の胸』です。
歌詞もメロディーも気負いのない尾崎の気持ちそのものといった感じで、聴いていて最高に清々しい。
「ああ、尾崎だなぁ」と強く感じられるこの歌が、私はとても好きです。