風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ポーランド3日目② ~ワルシャワ~

2018-08-28 23:59:35 | 旅・散歩

すっかりサボっていた旅行記の続きを。



というわけで、再びEIPにてクラクフからワルシャワへ移動
この列車は2014年に開通したばかりの国内最速列車のはずなのだが・・・A4の紙がテープで貼られた行き先表示(そして光に透けて超見ずらい)。ポーランドだわぁ。
帰りは2等席だったので二人並びの列でしたが、隣の席のポーランド人らしき女性は感じがよく、快適な列車旅でした。一部のサービス業の人達の極端な不愛想さとのギャップが激しいポーランド人


1日ぶりのワルシャワ
昨日の朝もここにいたのに、随分昔のような気分。
今夜は空港近くのホテルに泊まるので観光後に再び中央駅に戻る計画なのだけど、、、それまでスーツケースをどうしましょう
ロッカーは壊れて取り出せなくなったという恐怖の話を聞いたことがあるから有人の預け場所がよいのだけれど。
と、ホームを降りてすぐに(Left Luggage Area)マークを発見。”10(約300円)/ 24hours”とな。お願いしま~す♪

この時点で14時半。
旧市街の主だった観光場所は一昨日にまわったので、今日はワジェンキ公園のショパン像を見に行きましょう
ガイドブックによると中央駅から公園までは徒歩30分くらいらしい。午前中にクラクフで散々歩いてだいぶ足が疲れてるけど、トラムやバスの降車場所を今から調べるのも面倒だ。歩けないこともないから歩こう。と思ったのが全ての誤りでございました・・・(自分の方向音痴ぶりを半日後にはすっかり忘れているワタクシ・・・)。
いや、普通に地図どおりに歩いていれば何も問題なかったのです。ワルシャワはそんなに入り組んだ街ではないので。駅近くのお店でお土産を買ったりしながらトテトテトテトテ。「こっちの方が近道ぽい~」とヨーロッパでは要注意な行動を懲りずにやってしまったワタクシが悪いの・・・。


すでに自分の歩いている場所が何処かわからなくなりながら辿り着いた場所がこちら。
なにやら像があるけれど・・・これはショパンさんじゃない・・・。
”Ignacy Jan Paderewski 1860-1941”。知らない人だわ。一応写真を撮っておこう
(まさかこの方の作曲した音楽をひと月半後に東京で聴くことになろうとは、ましてやツィメさんのアイドル様だったとは、このときは露知らず。)

でも銅像のタイプも似ているし、きっとここはワジェンキ公園の中だよね。と決め込み、てくてく


あら、綺麗な池
でも・・・地球の歩き方の地図によるとワジェンキ公園の通り近くにはこんな池はないように見えるのだけど・・・。
めっちゃ猛暑で、なんだか頭がクラクラしてきたわ。。


でもそれっぽい銅像があちこちにあるし、やっぱりここはワジェンキ公園の一部だと思うの(←この楽天的な思い込みが災いの元であることを全く学ばない人間)


なんか木々が生い茂ってきたけど・・・


白い花がきれ~。

・・・・・・・・・・やっぱり何か違う気がする。徒歩30分って書いてあったのに、もう30分くらい歩いてるし
そこのベンチでおしゃべりしている二人のおじさまぁ~~~~ヘルプミ~~~~

私:(ガイドブックのショパン像の写真を見せ)この像のある場所に行きたいのですが。
おじさま達:(ポーランド語と英語が混ざった言葉で)これは・・・全然違う場所だよ。
私:!?
おじさま達:ここは違う公園なんだ。
私:違う公園!?・・・どうすればその公園に行けますか?
おじさま達:まず今来た道を戻って・・・
私:戻るんですか!!?(あんなに歩いたのに!!)
おじさま達:(気の毒そうな可笑しそうな顔で苦笑しつつ)そこの道を戻って左手に歩道橋があるから、それを渡りなさい。でも、その像はここからすごく遠いよ。
私:ありがとうございます~・・・。 ※この公園はワジェンキ公園の北の「ウヤドフスキ公園」だったと帰国後に知りました。

おじさま達が教えてくださったとおりに歩道橋を渡ると、なにやら綺麗な施設のような建物が

帰国後、それがワジェンキ公園内のUjazdów Castleであったと判明。道に迷ってお城にぶちあたるとは、ヨーロッパ恐るべし。
建物はワルシャワ蜂起の際に損壊し、1974年に再建されたものだそうです。このときは写真を撮る余裕などなかったので、上の写真はgoogle streetより。
その後二人の女性に道を聞いて(皆さんとても親切に教えてくれました)、ようやく、ようやく辿り着いた~~~~~。




ようやく出会えたショパンさん。
でもなんだか疲れすぎてちょっと感動が薄いわ。。。あなたのせいでは全くないのだけど。
これは、第二次大戦でワルシャワを占拠したドイツ軍が、最初に破壊した像だそうです。1940年5月31日のこと。現在の像は、オリジナルの鋳型を元に1958年に復元されたもの。


周囲の薔薇は満開


この薄黄色の薔薇は“ショパン”という品種だそうです。

この時点で16時過ぎ。
まだまだ真昼の明るさだけど、予定よりだいぶ時間が遅くなってしまった。そろそろ中央駅に戻らねば。
このとき、ある恐ろしい疑問が頭に浮かんだのであります。

(そういえばあの手荷物預かり所って、何時まで開いてるんだろう・・・?)

よく考えてみたら24hoursってopen 24hoursという意味じゃないよね 。窓口が何時まで開いてるのか確認し忘れた。明日は早朝の便でアムステルダムに発たなきゃだから、今日受け取り損ねたら完全にアウト!さすがに16時クローズはないと思うけど、17時だと怪しいのではなかろうか。早く帰らないとマズイ!

で、、、ここでまたもや「こっちの方が近道そう~」という道を進んでしまったワタクシ。せっかく我が先人達が「急がば回れ」という名言を残してくれているのに。
なにやら高速道路のようなものにつき当たった時点で、これはおかしい、と。辺りを歩いている人も観光客ぽい人が一人もおらず、地元ぽい人ばかり・・・。
そこの地元の人ぽいおじさま、ヘルプミ~~~~

私:(ガイドブックを見せ)ワルシャワ中央駅に行きたいんですが、ここはこの地図のどの辺りですか?
おじさま:(真剣に地図を見てくれながら)うーん・・・、うーん・・・。たぶんこの辺だけど・・・。この地図のどこかはちょっとわからないけど、中央駅に行くにはバスに乗った方がいいよ。
私:歩いて行きたいんです。(今から間違ったバスに乗る可能性があるくらいなら歩く!)
おじさま:遠いよ。
私:でも歩いて行くとしたら、どう行けばいいですか?
おじさま:あの橋を渡って、、、。僕は英語があまり得意じゃなくて・・・。下手な英語でごめんね・・・。
私:とんでもないです!!!(確認不足で方向音痴な私が悪いのに、一生懸命教えようとしてくださってるだけでありがたいです~
おじさま:あの橋を渡って、右に真っ直ぐいけば中央駅の方へ行けるよ 

おじさまに教えていただいたとおりに歩いて・・・みたはいいけれど・・・・・本当に遠い 
元気なときなら大した距離じゃないが、朝から歩きっぱなしの私にはあまりに遠い・・・。加えて灼熱地獄のようなこの気温。
あの文化科学宮殿、あんなにデカいくせに全然姿が見えないし、なんて役に立たない建物なの~~~と心の中でヤツアタリしながら歩いて行くと、やがて観光客風の人が増えてきて・・・、おお!あのノッポの建物は駅前のノボテルホテル
・・・・・・・ようやく帰ってこられた~。おじさまありがとう~~~~~

と感動に浸ってる時間も惜しく、手荷物預かり所へ。
無事スーツケースを受け取って~、空港行きの列車の時間と乗り場を確認し~、売店で切符を買って~。はあ、これでもう大丈夫。足はもうクタクタ。高かったけど空港直結のホテルにしておいて本当によかった。。。。もう今夜は何も考えたくない。。。



ホームの向かいに停車していたコンパートメント型の車両。
実際に見るとコンパートメントって想像していた以上に閉塞的というか、息苦しそうに見えたなあ

電車に乗って、切符を刻印機でガチャン。空港到着直前に検札が来たので、ちゃんとやっておいてよかった。ポーランドは検札が頻繁にあると聞いていたけど、本当ですね。


出発ロビーの真ん前のホテルにチェックイン。
今回の旅行で一番お値段の高いホテルです フロントの男の子が研修中で、先輩の女性に教えてもらいながら緊張してる様子で受付をしてくれたのが初々しかった


部屋からの眺めは、空港と滑走路
ここをハブ空港にしているポーランド航空の飛行機がいました。


空港の夜景ってなんかいいですよね

しかし今日は疲れたぁ・・・・。明日は朝早いから、さっさとシャワーを浴びて早めに寝ないと。
・・・って、なんか室温がものすごく寒いんですけど・・・。外はあんなに暑いのに!部屋のリモコンいくら押しても温度設定変わらないし 。そういえばこのホテルのクチコミに空調は22度設定で中央管理してると書いてあったわ。フロントに電話してエアコンを切ってもらって、ようやくひと心地。それ以外は、色々あった3日の後では妙に懐かしく感じるアメリカンタイプの快適なホテルでありました(早朝便じゃなかったら泊まりませんけどね)。
おやすみなさ~い

つづく。

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眠れぬ夜に

2018-08-23 02:51:08 | クラシック音楽

Bach Goldberg Variationen BWV 988 András Schiff



不眠症で悩んでいたカイザーリンク伯爵がお抱えのクラヴィア奏者ゴルトベルクに演奏させるためにバッハに作曲を依頼した、という由来は信憑性が薄いそうですが
先日この曲のおかげでようやく眠ることができた私は、やっぱり眠れぬ夜にはいい曲だ、と実感したのでありました
といっても、心が健康で単に「なんか眠れない~」なときにはダメですヨ。かえって眠れなくなります笑。でも心が健康じゃなくて眠れぬ夜には、この曲はとてもいい。
この曲って通しで演奏されると、アリアから始まって、30の変奏を経て、再び同じアリアに戻るじゃないですか。その安定感がすごくほっとするんです。どんなことがあっても、最後はちゃんと最初の場所に戻れるんだな、と。生まれた場所に還れるんだな、と。
その物語がシフの演奏では本当に生き生きと鮮やかで。昨年のリサイタルで4人の作曲家の最後のソナタを演奏した後にアンコールでこのアリアを弾いてくださった流れも素晴しかったなあ(その後7曲のアンコールが演奏されましたがね笑)。
シフの演奏は、最初のアリアと最後のアリアで演奏の仕方が微妙に異なるんですよね。最後のアリアは、よりシンプルで素朴な形になっている。そういうところも好きです。いつか生で全曲を聴けたらいいなあ。

古いクラシックの楽曲って、始まりの楽章と終わりの楽章がちゃんと同じ調性で終わるものが殆どじゃないですか。途中でどんなに色んな場所に旅しても、最後にはちゃんと最初の場所に戻ってくる。そういう音楽を聴いていると、心が落ち着きます。まっすぐ一方向へ向かう線の形よりも、全てが巡る円の形が私にとって自然な世界の形だからかもしれない。それはどちらかというと東洋的な感覚だと思うのだけれど、西洋文化の代表のようなクラシック音楽がそういう基本構成をもっているというのは面白いですね。

ところで話は変わるような変わらないような、ですが。「ああ、今この瞬間に死んでしまいたい」と結構本気で強く感じた演奏がこれまでに2回あって。あまりにも美しい空気に包まれたから、今死んでしまいたいと本気で思ったんです。今なら自分の人生を全部肯定して死んでいけるような気がした。それは光子さん&マーラーチェンバーオーケストラのモーツァルトのピアノ協奏曲25番(指揮は弾き振り)のときと、フレイレのブラームスop118-2のときでした。比喩じゃなく天国にいるみたいだったんです、本当に。。
下記の動画は、光子さん×イングリッシュ・チェンバー・オーケストラ(ジェフリー・テイト指揮)の25番の演奏です。


Mozart - Piano Concerto No. 25 in C major, K. 503 (Mitsuko Uchida)


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広島交響楽団 2018「平和の夕べ」コンサート @広島文化学園HBGホール(8月5日)

2018-08-10 12:11:49 | クラシック音楽




というわけで、急遽広島へ行ってきました。
何より1日のすみだトリフォニーホールのリサイタルでのブラームスが素晴らしかったことと、先日訪れたポーランドで広島や長崎のことが思い浮かんだことと、豪雨の影響で広島の観光産業が打撃を受けていて「復興のためにも広島へ」と県が訴えていたため、それならばと片道3時間半、往復7時間の日帰り旅です。

演奏会の前に、翌日の記念式典の準備が進んでいる平和記念公園と資料館を訪れました。この時期の広島は初めてでしたが、やはり他の時期に来るのと街の雰囲気が違いますね。東京にいるとなかなか肌で感じられない感覚なので、来てよかったと思いました。
しかし外国人が多いですねえ。資料館の展示の写真撮影は個人の記録目的なら可というのはアウシュヴィッツと同じで(正確にはアウシュヴィッツは「歴史を伝えるためなら可」でしたが)、自撮りは不可というのも同じ。アウシュヴィッツでは写真を撮るときに後ろめたさが皆無というわけにはいきませんでしたが、今回日本人の立場で外国からの見学者が真剣な表情で展示物の写真を撮っている姿を見て、全く嫌な気持ちにはなりませんでした。あのとき近くにいたユダヤの人達も同じだったのかな。そういえば中谷さんは「この場所に関心を持って訪れてもらえることは彼らにとって嬉しいことなのです」と仰っていた。

会場のHBGホールに着くとロビーに折り鶴コーナーが設けられていて、翌日の記念式典に持っていかれるとのことなので私も一羽折ってみたのですが、、、折り方を思い出すのに時間がかかりプチショック。。

【J.S.バッハ:アリア】
最初に、先月の豪雨で亡くなられた方々のご冥福を祈り、バッハのアリアが献奏されました。この翌日の6日は豪雨からちょうど一か月目を迎える日でした。非常にゆったりとした速度で静かに静かに演奏されたそれは、この献奏にこれ以上に適した曲はないと感じさせるもので、フレーズとフレーズの間に置かれた一瞬の無音がどんな音よりも多くのものを語っているように感じられ、胸が苦しくなりました。 「終演後の拍手はお控えください」とのことでしたが、秋山さんがわかりやすく指揮棒を扱っていらしたので拍手は起こりませんでした。

【ブラームス:交響曲第3番ヘ長調】
ただ・・・私はこのオーケストラを聴くのは初めてだったのですが、なんというかちょっとハラハラさせられる演奏で・・・。なかなか音楽に身を預けきることができなかったんです(直近で聴いた生演奏がコンセルトヘボウホールでのコンセルトヘボウ管だったのもよくなかったのかもしれない)。
なので一楽章と二楽章はあまり演奏に集中できなかったのですが、三楽章からはフワッと気分が上昇し、その後は最後まで大変楽しむことができました。四楽章の情熱的な主題の音も頑張ってる感は出ちゃっていたけれど、ライブ音楽としては熱くて楽しかった。秋山さん、盛り上げてくださりましたね~。やっぱりブラームス好きだなー。

(20分間の休憩)

【ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調】
舞台に登場したフレイレは、いつものニコニコ笑顔ではなく、控えめな表情。広島の災害のことを気にしてくださっているのかな。
さて、昨年の飯守さん×読響のアグレッシブなブラームスがあまり好みではなかったのは当時ここに書いたとおりで、でもフレイレのスピードアップにはよく対応されていたし、フレイレも楽しそうでしたし、あれはあれでいいコンビなのかもと感じたこともここに書いたとおり。
今回広島まで聴きに来たのは読響よりもう少し闘争的でないオケの音でフレイレのこの曲を聴きたかったからで、確かに今回の広響の演奏は闘争的ではなかったのだけれど・・・・・、今度はフレイレの自由気味なペースにオケがついていけていなかったような
読響とのときと比べるとフレイレがとても弾きにくそうで、最初がそうなのはこの人には珍しいことではないけれど、今回はなかなか回復せず、結局フレイレが自分のペースに乗りきることができないまま、オケとピアノが完全には溶け合うことのないまま、最後までいってしまったように聴こえたのでした。
あるいは、このホールのピアノがフレイレと相性が良くなかったのだろうか

前から数列目という真ん前でフレイレのこの曲の演奏を聴くことができたのは嬉しかったなぁ。大好きなフレイレのブラームス、たっぷり堪能いたしました。
いろいろ書いてしまいましたが、何よりも、この日、原爆投下の前日の夕べに、広島で、広島交響楽団が世界の平和を祈って演奏をすることに大きな大きな意味があるのだと思いました。全てを演奏の上手下手で測るのではなく、そういうささやかな特別さも大切にしないといけないのだと。平和資料館で日常を突然奪われた人達に触れ、また豪雨災害で亡くなられた人達の中にも今日のコンサートを楽しみにしていた人がいたかもしれないと思い、強くそう感じました。

アンコールの1曲目はパデレフスキの「ノクターン」。それから止まない拍手に再び登場して、グリーグの「トロルドハウゲンの婚礼の日」。どちらも今日も素晴らしかった。。。トロルドハウゲンは、中間部の甘いメロディに変わる瞬間の空気の変化にいつもうっとりしてしまいます。しかしなんとなく予想はしていたけれど、やはり今回はグルックは弾かなかったですね。

最後は、舞台袖からフレイレが秋山さんの手を引いてお二人でご登場。なんだかほのぼのと可愛らしかった

フレイレ、次はいつ日本に来てくださるのかなあ。。。お早い来日をお待ちしています







ロビーのピースメッセージ(広響twitterより)。PAZってポルトガル語のPeaceなんですね。


いいお写真




平和記念資料館の本館はリニューアル工事中でした。


先にリニューアルを終えた東館。本館の展示物の一部もこちらで見ることができました。久しぶりに訪れましたが、すっかり綺麗になっていて驚いた


式典の準備が進む記念公園。リハーサルなどが行われていました。








アウシュヴィッツのときと同じで、こういう明るい空の下でこうして多くの人がこの場所を訪れているのはいいことなのだと感じました。


平和記念公園の近くで食べたランチ。牡蠣穴子御膳。穴子めしをお出汁で食べるのがすんごく美味だった 牡蠣もミルキー。



瀬戸内海の「毒ガス島」はいま――加害の歴史語り継ぐ人々
ヒロシマのもう一つの側面。私達は戦争の被害者としての側面だけでなく、加害者としての側面にもしっかり目を向けなければいけないのだと、やはりアウシュシッツで感じました。日本からの見学者はユダヤ人の心情に気持ちを重ね合わせたり杉原千畝さんを同じ日本人として誇りに思ったりはしていても、一方で当時の日本がドイツの同盟国であったという事実や日本が国内外で行った非道な行為には不思議なほど興味や注意を払っていないように感じられたから…。中国や韓国がどうこうとなると話がややこしくなるのであれば、外交問題と切り離して考てみればいいと思う。私達一人一人が戦争に思いを馳せるときは、犠牲者の正確な規模などは専門機関の調査に任せ、不明な点は不明なままでいいではないか、と。それでも向き合えるべき事実は沢山ある。平和資料館にあった展示ひとつでも、原爆が投下された直後に現地調査を行い貴重な資料を残した日本人科学者達は、戦中には軍の指示により原爆を研究していたという事実。被害者でもあり、加害者でもあるという事実。もうあれから73年がたっているのだ。自虐的になれというのではない。そうではなく、自分達にとって心地いい面だけでなく、心地よくない面も含めた物事の多様な面を感情的にならず冷静に見つめられる視野とバランス感覚を身につけられなければ、同じ悲劇は必ず繰り返されると思う。それは日本人に限ったことではなく、世界的に必要とされる感覚だと思うのです。ナチスドイツの完全なる被害者のようにみえていたポーランドやオランダも、実はユダヤ人との関係では同時に加害者としての側面もあり、彼らもそういう問題を抱えているのだということをあの旅行によって知ることができました。

Nelson Freire plays Schumann/Liszt 'Widmung' for Martha Argerich

今回フレイレが広響と演奏することになったのは、トリフォニーホール繋がりだけじゃなく、アルゲリッチの紹介もあったりするのかしら。
0:33あたりからの演奏の膨らみ、素晴らしいですね~。この部分、アルゲリッチも喜んでいるようだが、何を言っているのかはわからず。演奏後のスペイン語?の会話をgoogle翻訳してみたけど、フレイレは「never played」と言っていて、アルゲリッチは「どうして?素晴らしいのに!好きではないの?」と。この曲の演奏自体のことを言っているのか、ある種の弾き方のことを言っているのか、あるいは別の意味があるのか、google翻訳ではわからない・・・。DVDには英訳があるらしいのだけど、入手に至らず この曲(シューマン=リストの献呈)、最近はアルゲリッチがアンコールで弾いていますね。

Nelson Freire on his love of piano, cinema and jazz - musica

文字起こしは、こちら
His love-story with the piano started as a young child with his first teacher in Rio, Nise Obino, a former student of a pupil of Liszt. 
“I was lucky enough to meet someone. Like everything in life, music works through love – maybe it’s something to do with my star sign, I’m Libra, they say it’s the sign of love – so, I loved that teacher very much and I would have done anything she asked of me,” he told our reporter, Lise Pedersen.

私もてんびん座です~♪(誰も聞いてない)
そしてHe gets nervous before each concert.と。フレイレが毎回スロースターターに感じられるのは、実は本当にそういう理由によるのかしら。トリフォニーホールの子供達が言っていた印象が実は一番合ってたりして。

※インタビュー:WELCOME RETURN TO AUSTRALIA: Brazilian Pianist Nelson Freire(2016年9月)
フレイレは”Chopin devotee”であると。昨年のソナタも、とってもよかったですもんね~
“Chopin? How sad would be the world without him. It’s music that touches everyone’s heart no matter which part of the World. He was maybe the best thing that happened to the piano for in his hands the piano was no more a percussion instrument but became a singing one”. 

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ネルソン・フレイレ ピアノリサイタル @すみだトリフォニーホール(8月1日)

2018-08-04 18:13:01 | クラシック音楽



ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調 作品27-2《月光》
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 作品110
ブラームス:4つのピアノ小品 作品119

ドビュッシー:《映像》第1集より「水の反映」
ドビュッシー:《映像》第2集より「金色の魚」
アルベニス:組曲《イベリア》第1集より「エボカシオン」
アルベニス:ナバーラ

【アンコール】
パデレフスキ:ノクターン op.16-4
グリーグ:トロルドハウゲンの婚礼の日(抒情小曲集より第8集作品65)
ヴィラ=ロボス:《ブラジルの子供の謝肉祭》より第1番「小さなピエロの小馬」
グルック(スガンバーティ編):精霊の踊り

渋谷にはラミンが来たり、上野では世界バレエフェスティバルが開催されていたり誘惑満載な東京の夏ですが、私はフレイレのリサイタルを聴きに墨田区へ。
正面5列目。早割で6175円。それでも7割程度の入り。こんなにこんなに素晴らしい演奏なのになあ。。。ペライアの代役はフレイレがよかった、とコンセルトヘボウの客席でどれほど思ったことか(もちろん一番聴きたかったのはペライア)。そしたらUSツアーでの代役はフレイレだったのだとか

そんなフレイレさんだけど、やっぱりスロースターターなタイプなのか、1曲目の月光ではまだ温まり切っていないご様子。音の表情も、お顔の表情も。昨年もそうだったけど、フレイレってノっているときとノっていないときの違いが結構わかりやすくて、ノっていないときは弾きにくそうな感じに見えるし、音もぎこちなく聴こえる。もっとも今年は昨年よりも早く、月光の三楽章あたりからはギアが入っていったように聴こえました。もちろんそれは私の個人的な印象にすぎないのだけれど、隣の席の家族の子供も「2曲目からは楽しそうに弾いてたねー。1曲目って緊張するもんねー」と言っていた あ、今回はピアノは最初からステージ上に置かれていました。

31番のソナタ、よかったなあ。
シフの演奏で星空を見せてもらった部分は、フレイレの音では温かみがあって、でも温かすぎるわけではなく、なんというか深い森の中の静けさのような。そこから光の世界に入って行くあの恍惚はもう。。。
低音の音色の暗さ。力みが全くないのにゾクゾクするクレッシェンド。和音の輝かしい光。
生で聴けてよかったなあ。

(休憩20分)

ブラームスのop.119
休憩後にスーパーフレイレにパワーアップするのは昨年と同様(前半は途中で一旦袖に引っ込んで、後半は一度も引っ込まないのも昨年と同じ)。昨年のアンコールの素晴らしさから期待してはいたけれど、ほんっっっとうにこの人のブラームスの素晴らしさってなんなんでしょう。。。。。。。。。。。。。。。
開放的なのに内省的で、孤独なのに優しくて、涼しいのに温かくて、大胆なのに繊細。
世界でも日本でも色々なことがあって、私の周りでも色々なことがあって。こんな演奏を聴ける環境に自分がいられるそのことに感謝しかありません。

ドビュッシーの「水の反映」「金色の魚」
昨年のヴィラ・ロボスでも感動させてくれた、一瞬で異世界に連れて行ってくれる音色。なんという世界を見せてくれるんだろう。光の微妙な色彩の変化。フレイレのこういう曲の演奏って、無機的な透明な美しさと、曲の熱のバランスが絶妙ですよね。
そしてなにより、音がカッコイイ!

そこに人間の熱が加わった、アルベニスの「エボカシオン」「ナバーラ」
こういう曲ってブラームスとは違う意味で、フレイレにとてもよく合ってると感じる。音の流れとリズムが。曲を演奏しているというより、フレイレの中に常にあるものが音の連なりとなって自然に表に出ているような感じというか。ナバーラはyoutubeで聴いていた演奏より激しくてちょっと驚いたけど、今夜はきっとそういうご気分だったのでしょう(マイペースさん)。ブラヴォーもとんで楽しかったです。

今夜のプログラムを聴きながら、私はこの人の演奏のどこがこんなに好きなんだろうと考えたんですが。
まず「速度ではなくパルス (by ポゴレリッチ)」が合うのよね。どんな疾走も自然体で聴いていられる。たぶんそれは彼自身が自然体で演奏しているからかなと。
そしてフレイレの音独特の自由さと色気と哀愁と温かみ。アンコールのグリーグやヴィラ=ロボスなどもそうだけど、愉しさや華やかさがあるのに、同時に静けさがあって。明るさと暗さの両面の艶があって。他のピアニストにはないこの独特な感じは、ラテンの血なのかな。グリーグのラストの喧騒が遠ざかっていく音の奇跡のような美しさも忘れられません。その後のfffのジャン!の響きも。

アンコールの1曲目は、パデレフスキのノクターン
アンコール曲は昨年も4曲で今年も4曲だったけど、この曲だけが昨年とは違う曲です。
これも、しっとりとよかったなあ グルックの演奏に似た哀愁(郷愁)と透明感。
帰宅後に曲名を確認して「パデレフスキ。知らない作曲家だなあ。ポーランド人なのか。・・・いやでもこの名前は聞いたことがある。それも最近」と調べたら、おお、先日ワルシャワで道に迷いまくったときに出会った銅像の人ではないですか(まだ旅行記には書いていない部分)。”政治家であり作曲家”って変わった経歴だな~と思ったものだった。
youtubeで「paderewski freire」で検索したら、ノヴァエスの演奏が出てきました。これも彼女がよく弾いていた曲なのかな。

そして相変わらず絶品のグリーグヴィラ=ロボスと続いて、最後はグルックの「精霊の踊り」
今夜は昨年と反対でこの曲が最後だったけど、あのまま拍手がやんでいたらグルックは演奏しないつもりだったのかなぁ(まぁ客電はついていなかったけれど)。
彼のこの曲を聴くのは3回目で、昨年初めて聞いたときは演奏の感動は別にして死者がいる場所の音楽としては少し曲調が寂しすぎないかと実は思ったのだけど、今年はなんか違ったなあ。
フレイレがどういう気持ちでこの曲を弾き続けているのかは今も私にはわからないけれど(ドキュメンタリーで言ってるのかもだけど)、今夜聴きながら、フレイレも私も「こちら側」の人間なんだな、と強く感じさせられた。そして友人は「あちら側」にいるんだな、と。やっぱり絶対的に異なる世界にいるんだな、と強く感じて、終演後のトイレで少し泣いてしまった。わかってはいたのだけれどね…。そしてこの客席にいる人達も皆「こちら側」の人で。そういう存在として弾いてくれている曲なのかな、と。「こちら側」に残され、生きている人として。プラームスのレクイエムと同じ。去年より深い情感を感じさせる弾き方に聴こえたのは気のせいだろうか。最後の音、去年はあんなに長く鍵盤を押さえていただろうか。

最後のフレイレ、とても嬉しそうな笑顔で、良かったなあ、嬉しいなあと思った。
両手を前で揃えてニコッと笑って小さくお辞儀する姿が可愛い。
フレイレの音楽のような人になりたい、と思いました。ああいう音楽のような人になれたらいいな、と。

5日の広島交響楽団との協奏曲も伺います



トリフォニーホールのFBより。
ピアノって美しい楽器だよねえ。


ホールのサインブックだそうです(同じくFBより)


ワルシャワにて。パデレフスキさん。
まさかあなたの作った音楽をひと月半後に東京で聴けるとは思いませんでしたよ。


クラクフで何気なく撮ったこの銅像は、パデレフスキからの寄贈なのだそうです。
オリジナルは第二次大戦中にドイツ軍がクラクフを占領した際に破壊され、今あるものは戦後に忠実に復元されたものとのこと。クラクフはワルシャワと違い街は破壊されなかったけれど、やはりこういう破壊はあったんですね。




NELSON FREIRE - PADEREWSKI, Noturno Op 16 No 4 [RIO DE JANEIRO, THEATRO MUNICIPAL] 22.07.2018


Nelson Freire 'Brahms' - Album Sampler 

昨年発売されたブラームスのアルバムのサンプラー。生きていることに素直に前向きになれる素晴らしいアルバムです~。みんなも買おう~(ところでコメント欄にもありますが画像のop76-3はop118-2の誤りですね。昨年のアンコールで演奏された曲)

※フレイレについての素敵なインタビュー記事
ネルソン・フレイレ『ブラームス・リサイタル ピアノ・ソナタ第3番/4つのピアノ小品 他』 生涯の友をもつこと、フレイレとブラームスの場合(2017年9月15日)
・伊熊よし子さんのブログより「ネルソン・フレイレ」(2012年3月)(2014年10月)(2015年2月)(2016年3月)(2017年7月

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