©松竹
舞台に出てくると、それだけで上方のにおいが立ち込めた。・・・
上方歌舞伎とともに生きた人生であった。戦後、経済や文化の東京一極集中などさまざまな要因で、関西での公演が激減。多くの俳優が東京に移り住んだ。秀太郎さんの本拠地での活躍の機会は失われていく。
それでも秀太郎さんは関西を離れなかった。父、十三代目仁左衛門さんの志を受け継いだこともあろう。東京に誘われたこともあったが、「私はここで歌舞伎をやっていく」と関西に残った。「大阪や京都の町や人が好きなんです」と。・・・
上方歌舞伎は情の芝居。秀太郎さんはその情を体現した生粋の上方の役者であった。
(2021年5月27日 産経新聞)
秀太郎さん、亡くなられたんですね…。
23日に亡くなられて、今日松竹が発表とのこと。
今月5日までお元気にブログを更新されていたのに。79歳はまだ若いよ…。
お父様が長生きされたので、松嶋屋ご兄弟は皆さん長生きされるのだろうと、何故か思い込んでしまっていました。
先日歌舞伎座で六段目を観ながら、魁春さんのお才もとっても素敵だけれど、秀太郎さんの上方の廓の空気を感じさせるお才も素晴らしかったなあ、と思い出していたところでした。
お才について秀太郎さんは2009年のブログで「何度か演じていますが、仁左衛門の勘平では初めてです。京都・祇園町の置屋(遊女や芸妓を抱える店)の女将ですが、原作では才兵衛と云う置屋の主人を歌舞伎では女将に置き換えています。ともすると重く成り兼ねないところを、男性を女性に置き換えて、はんなりとした雰囲気を醸し出す、歌舞伎独特の演出です。酸いも甘いも噛み分けたお人よし。情もあり、それでいて人の扱い方も上手く、仕事はしっかりこなす女将で、私の好きなお役です。」と。
こういうお役が秀太郎さんは本当にお似合いだった。『吉田屋』のおきさも、『封印切』のおえんも。一方で、当たり役と言われていた梅川も、是非観てみたかったな…。
藤十郎さんに続いて、上方の空気を体現できる役者さんがまた一人いなくなってしまい、上方歌舞伎はもう瀕死状態といっていいのでは…(秀太郎さんの存在は私の中では最後の砦のように思っておりました)。
でも泣き言ばかり言っていてはいけませんね。
以下は、藤十郎さんが亡くなられた昨年11月の、秀太郎さんのブログ記事。
「私が尊敬する最後の先輩でした。普段も とても明るく、舞台は華と上方の芸が身体全体に染み込んだ、二人として出ないであろう大好きな兄さんでした。今は弟たちの世代から菊之助〜尾上右近、おおくの精鋭たちが活躍していますが、歌舞伎の質もどんどん変わっています。荒事はともかく、歌舞伎の基礎である上方歌舞伎を守り続けて下さった山城屋の兄さんが身罷られ、私一人、姥捨山に置き去りにされた気持ちです。とは言え成駒屋兄弟や御子息の壱太郎さん、それに虎之助君、上方歌舞伎塾の卒塾生たちがいます。私も泣き言ばかりいわず、与えられた命を彼らの為に尽くし、多くの先輩方の御恩に報わねばと思います。」
秀太郎さんの舞台を最後に拝見したのは、2019年6月の仁左衛門さんの『封印切』でした(冒頭の写真はそのときの舞台より)。
もう松嶋屋三兄弟の舞台を拝見できることは二度とないのだな…。
茶屋の戸口に立っておえんが忠兵衛にかける最後の台詞、「お近いうちに」。あの声、あの立ち姿、あの眼差し。
数えきれないほどの舞台で秀太郎さんが感じさせてくださった歌舞伎の空気。忘れません。
心からご冥福をお祈りいたします。