風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

三月大歌舞伎 昼の部 @歌舞伎座(3月27日)

2015-03-29 23:06:37 | 歌舞伎





仁左衛門さん・・・っっっ


な千穐楽に行ってまいりました。
いやもう本当に、一に仁左さま、二に仁左さま、三に仁左さま。。。。。。。。

素晴らしかったです。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


※一階五列目中央


【加茂堤】
そうだった、菊ちゃんは私が一階席で目が合う(と錯覚する)役者、突出No.1なのであった。。
困るのよ~私は菊ちゃんを見たいのよ~なのにそんなにまっすぐ見られるとがっつり見返せないじゃないのさ~~~~~!!

と、爽やか菊ちゃん視線に(一人勝手に一方的に)耐えつつ観劇した加茂堤。
だけでなく、今日の昼の部全般。この後ほぼ仁左さまの感想しか書かないので今書いておきますけど、夜の部を観た後だからなのか、前回(中日)から若者達が成長したのか、一階席効果なのか、千穐楽効果なのか、あるいはその全ての理由なのかはわかりませんが、今日はみんなとても良かったです。

壱太郎(苅屋姫)&萬太郎(親王)も、恋し合ってるようには相変わらず見えなかったけど、前回よりだいぶ風情が出ていたよ^^

そして菊之助(桜丸)も。
これはあの夜の部の桜丸切腹を観た後だから余計かもしれないけど、もう私の中では桜丸=菊ちゃん
深く考えずに大事な儀式の最中に逢引の場を設定しちゃう軽率さもちゃんとあって、でも若者二人より年上な世慣れ感もあり、まだまだ自分達も新婚さんな若々しさもありつつ、散る桜の凛とした儚い美しさもあって。
今の菊ちゃんの桜丸を通しで観ることができて、本当によかったと思う。


【筆法伝授】
清風という言葉がございますが・・・・・
これは仁左さまのためにある言葉だったんですね!
伝授の場。
まわり舞台が動きはじめると、まるで神社の結界に入って行くように厳かな空気とぴんと張りつめた緊張感が漂いはじめて。
そして仁左衛門さんが登場した瞬間に舞台と客席の一切の空気の澱みが消えて、澄んだ清廉な空気が場を支配するのをリアルに体感いたしました・・・(決して舞台に焚かれたお香効果じゃないですからっ)。
あんなに沢山の人間が客席にいる歌舞伎座に、どうしてあんな空気を作り出せるのでしょう。
白木の机と、しめ縄の紙垂と、菅丞相の衣装の白、香の香り。でもそれらを単なる舞台装置を超えて真に神聖なものにしていたのは、まぎれもなく仁左衛門さんの菅丞相でした。

「いづれも早春の心を詠みかなへり」で、少し上を見て、早い春を感じている表情の仁左さま。
早春を感じさせてくださるのはあなたですっ

「見事、見事~~~」
見事なのはあなたですっ

後ろの席のおじいさま。
私が仁左衛門さんの台詞回しや演技(という言葉さえ違和感があるそのものの菅丞相)に「うわぁ~~~」ってなってると後ろで「うん」「時代だねぇ」「最高だ」と同じタイミングで呟くので(奥様にはたしなめられていたが)、心の中でそのたびに「ですよね!!!」と全力で返しておりました。
いつもは殺意を感じる私語も、今回は合の手効果で感動倍増。
今日は客席の集中力も最高でした。お客さんもGJ!

この筆法伝授だけでもう一万八千円の価値十分ある!!

と思ったら、きたよきたよ道明寺~~~(>_<)


【道明寺】
筆法伝授に続き、もうなんて言っていいのか・・・言葉にできない・・・・・。
仁左衛門さんの舞台をストーカーのように観てきた私ですけれど、今日の舞台、一生の思い出にいたします。。(吉田屋とともに)

素晴らしすぎてほんと感想かけない。でも書く。

先日も書きましたが、仁左衛門さんの菅丞相は人間なのに神様で、神様なのに人間で。いつか神様になる人の、人間だった頃の物語そのもので。
木像verの仁左衛門さんも可愛らしいけど、本物の道真として登場した後は、もう、、、
マークを使う気にもならない、軽すぎて(使ってるけど)・・・。
下手の菊ちゃん(輝国)のすっきりした空気と、中央の秀太郎さん(覚寿)の温かな空気と、上手の仁左衛門さんの高貴で深くて柔らかで凛とした静謐な空気(この形容でも足りないくらいなの~~~)。
全く違う三つの空気が舞台上に同時にあって。
歌舞伎って素晴らしいね!!!と、歌舞伎に心の中で拍手喝采しておりました。

生みの親と育ての親。その二人に大切に愛されている女の子。
道真が育ての親っていうところがまた泣けるのよねぇ。。。男の子じゃなく姫というところも。。。
小さな可愛らしい女の子が、まだ若い道真夫婦のところにやってきたんだろうな、それを実の子と同じようにいっぱいの愛情で夫婦は育てたんだろうな、とそんな時間や光景を想像しちゃって・・・。
そしてこの夜明けの今が今生の別れなんだな・・・と・・・・・・。

最後の花道の仁左衛門さんの立ち姿。姫を振り返る前、立ち止まるとき。幕見席からはついオペラグラスで顔ばかり見ちゃうのでわからなかったけれど、横から見ると、ただ立っているだけであんなに多くのものを物語っていたんですね・・・(二幕のラストでも感じましたが)。悲しみと、菅丞相という人間の潔癖なほどの誠実さと品格と、優しさと愛情と。。。チケットをとった時はもっと花道の傍がよかったなとちょっと思ったんですが、あの立ち姿を見て、この距離でよかったなと感じました。今月の舞台、二つの角度から見ることができてよかったです。
そして、それまで彼がひたすら抑えていた感情が溢れ出るあの瞬間・・・(にざさ~ん
義太夫の美しさそのままの、美しい美しいラスト。
道明寺という名前が胸に沁みます。。。

言葉にすればするほど舞台の素晴らしさから遠ざかってしまいそうでジレンマ。
本当は思い出すと言葉はなくて、ただただあの場所にあった純粋で美しい時間と空気とに胸が苦しくなって、同時に清らかな気持ちになる、そんな舞台でした。
今月は天神さまも歌舞伎座にいらしていたと思うな。

最後の幕外の菊ちゃんの引っ込みも、こうして次の世代へバトンを渡してゆくんですね、と思いながら観ていました。
最後まで、いい舞台だった。

上村以和於さんがHPで「周囲の配役のことも含めて、もうこれだけの『道明寺』は叉と言っては見られまい、と思わないわけに行かない。将来のことは予測できないにせよだ。心ある人は何を差し喰っても見ることをお勧めする」と書かれていましたが、本当にそう感じさせられる舞台でした。
・・・でもでもでも・・・こんなにこんなに素晴らしい菅丞相がこれで見納めだなんてありえない!ともどうしても思ってしまうんです。。。仁左衛門さん、どうかどうか100まで長生きして、もう一度あの菅丞相に会わせてください。。。

あ、芝雀さんが五代目中村雀右衛門を襲名されるそうですね。
おめでとうございます(*^_^*)!!



今月は仁左衛門さんが若い世代に見せた舞台でもあったのだな、と感じたチラシ。


観劇前の腹ごしらえ、という名の朝ごはん。
歌舞伎茶屋のチーズパンと、エスカレーター横のお店のコーヒー。と、祖母へのお土産に買った娘道成寺のKABUKIZAゴーフル(450円。お安い~)。

※歌舞伎美人:仁左衛門が太宰府天満宮で「三月大歌舞伎」成功祈願

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三月大歌舞伎 夜の部 @歌舞伎座(3月22日)

2015-03-23 19:29:20 | 歌舞伎




菅原伝授の通し、夜の部に行ってきました。
あまり評判を聞かない夜の部ですが、意外に楽しむことができました(事前の期待度が大きくなかったためもありますけど^^;)。
でも本当に、花形らしい若さと意気込みが感じられて、意外に良かったのですよ。


【車引(くるまびき)】
梅王丸(愛之助)、松王丸(染五郎)、桜丸(菊之助)。
三人とも美しい~ 舞台の上がキラキラ~
若さってやっぱりいいね^^
桜、梅、松の衣装も華やか。
十代や二十代の若手のおっかなびっくりさもなく、三人とも思いを込めて演じているのが伝わってきて、でも観ていて肩が凝ることもなく。楽しめました♪


【賀の祝(がのいわい)】
菊ちゃん(桜丸)キレー。。。
こんなキレイな旦那or息子ならそりゃあ八重(梅枝)も白太夫(左團次さん)も辛かろう・・・、と先月も感じたことをまた感じた。
こんなに若くてキレイなのに死んじゃうなんて・・・ 醜い年寄りは死んでいいってことではないが。

松王丸(染五郎)が「明日からは前髪を落として」云々って言ったときにものすごい違和感があったんですけど、そっかまだ若いのね、この三つ子(もしかしなくても10代とか・・・?)。初めて見た松王丸がニザさまだったからな
でもお父さんは70歳なのよね、遅い子供なのか。
ん?でも松王丸の子(小太郎)って結構大きいですよね。・・・一体何歳のときの子なの。。

切腹する菊ちゃんって今まで何度か観ましたが(仮名手本、三千両初春駒曳、弁天etc)、今回、よかったなぁ。
折れた桜の枝も、最初は不吉さを、次第に悲しさを演出していて効果的。
いざ、と刀を手にする直前、泣き伏している八重にそっと視線をやるのね・・・ 八重への愛情が感じられて切なかった・・・。
これじゃあ八重も止めたくなるよね、今ならまだ止められるのにって思っちゃうよね・・・。加茂堤ではチュとかやっちゃう明るいカップルだったのに、どうしてこうなっちゃったんだろうね・・・まぁ二人が浅慮だったせいもあるんだけども。
で、介錯として父親がチン(何ていうの?あれ)してあげると、嬉しそうに微笑するんだよね・・・

桜丸が刀を腹に突き立てる瞬間は、父ちゃんは背中をまるめて後ろを向いてしまうのね。父親なら息子の最期をしっかり見ててやりなさいよ(先月の組討みたいに)って思っちゃったけど、白太夫は武士じゃないからかな。辛くてとても見ていられなかったのかな。
左團次さんの白太夫は、強い哀れさは感じなかったけれど、最後に梅王丸(愛之助)が父親に顔が見えるように桜丸の体を抱き起こして両手を合わせてあげたとき、花道を行きかけたところをはっと駆け寄って戻った姿に胸をつかれました。その前、追い出した松王丸(染五郎)を花道で見送るときもふと寂しそうな顔を見せて・・・。松王丸も、「もういい歳なんだから体を大事に・・・」って言いかけるんだよね(言うのやめちゃうけど)・・・。親子ってあったかくていいねぇ。。 
このパパも可哀想だよね・・・。可愛い息子達と過ごすことを楽しみにしていた70歳のお祝いの日に、その息子達とお別れすることになってしまったのだから・・・。なんて残酷・・・。梅王とだけはまた会う機会はあったりするのかな・・・あるといいなぁ・・・。

あとは、やっぱり孝太郎さん(千代)が大人な演技でよかったなぁ。折れた桜を見つけるところも楽しかった笑。新悟くん(春)も、古風な感じでなかなかよかったと思いました。blogだとあんなキャラなのに^^;

ところでこの段の松王&梅王のチャラぶり(二人でクルっと回って的な)は元々の演出なのだろうか、それとも染ちゃんによる強調もあるのだろうか。ニザさんと染ちゃんの四谷怪談が完全別物だったトラウマがあるので、ちょっと染ちゃんのこの手の場面が信用できなくて


【寺子屋(てらこや) ~寺入りよりいろは送りまで~】
寺入りは初めて観ましたが、いいですね。小太郎の死の重みがより感じられて。

松緑の源蔵は、初めは「せっかく通しなんだから夜も染&梅枝で観たかったなー」とか、「去年の勘九郎は感情豊かで良かったなー」とか思いながら見ていたのですけど、松王丸(染五郎)の出のあたりから、こういう源蔵も面白いかも、と思い始めました。
勘九郎は昔からずっと寺子屋の先生をしていたように見えたけど、松緑は今は寺子屋やってるけど前は違うのだろうな、何か言わない事情があるのだろうな、といった感じがして、それが結構いい味に見えました(寺子屋の先生に全然見えないともいう笑)。それと松王丸と源蔵が同年代の役者だと舞台のバランスがいいというか、松王だけが立派に見えないから二人の間により緊張感が出るというか。まぁ松緑が気合いバリバリだったせいもありますけど。
優しさが表に出ながらも子供を殺める勘九郎もよかったけれど、感情を内に殺して子供を殺める今回のような源蔵も結構心動かされますねぇ。
あとはあの平坦な台詞の言い方がもうすこしどうにかなってくれるとよいのですケド。。

染五郎に貫禄がありすぎなかったのも意外と効果的で(こんなこと言われても本人は嬉しくないかもしれないが)、庶民の出に自然と見えました。
松王もまだ若いお父さんなんだよねぇ・・・。
三つ子の中で一番可哀想だったのは松王かもしれないなぁ、仕えたくもない主人に仕えなきゃならなくて、一番恩を返したい人に仇で返すことしかできなくて(寺子屋までは)、あえて親から勘当までされて・・・・・と。でも松王は、桜丸が不憫だって言って泣くんだよね・・・。優しいよねぇ・・・。たしかに桜丸も不憫だけど、桜丸はほら、ちょっぴり自業自得なところもあるからねぇ。
さっき(@賀の祝)まではあんなに楽しそうに梅王と兄弟喧嘩してたのになぁ・・・(キャラ違うレベルだけど)。
まぁそういうあまり重みを感じない松王だったので、ところどころ場をもたせられていなかったですけれど。空咳の場面とか。

「にっこりと笑ふて」「笑いましたか」はもう、私は誰がやっても泣けるのかもしれない・・・。今回も泣いた。
でも子供への愛情は仁左衛門さんの方が強く伝わってきました。

焼香の前に「待ってました」「たっぷりと」って大向こうがかかっていたけれど、あれは義太夫のいろは送りに対してなのかな。仁左衛門さんの寺子屋のときにはかかっていなかったけど。場面が場面だからこの掛け声はものすごい違和感・・・。
今回も焼香の香りが幕見席まで届いていました。この香りも良い演出効果がありますよね。

というわけで全体の風情や重厚感や見応えは仁左衛門さん&玉三郎さんの寺子屋が圧倒的でしたけれど、こういう寺子屋も意外と悪くないなぁ、アリかもなぁ、と感じることができた寺子屋でした。

そうそう、壱太郎(戸浪)も昼よりはよかったです。とはいえやっぱり今後に期待、かなぁ^^;
でも近くの席の男性の寺子屋終了後の第一声が「壱太郎がすごくよかった!上手い!」でしたから、好みの問題、、、なのかなぁ。うーん。


以上、『菅原伝授手習鑑』という演目に対する花形の敬意と熱意が伝わってきた、予想していたよりずっと気持ちのいい夜の部でした。
先日の昼の部の後は「もう大御所世代がいなくなったら歌舞伎観るのやめようかな・・・」と思ったけれど、いなくなってもたまに見に来ようかな、な満足感はちゃんともらうことができました。いつかは「雀の涙な年金でも絶対に観つづける!」と思わせてくださいまし。その頃には染ちゃんや菊ちゃんも年金組ですけど。てか歌舞伎役者の年金ってどうなってるんだろうか。

今月はもう一回昼の部いきます♪

※歌舞伎美人:菊之助インタビュー






歌舞伎茶屋で買った、隈取蒸しパン(卵味) しっとり美味でした(^_^)

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三津五郎さん

2015-03-21 03:36:55 | 歌舞伎



世の中は桜が咲き始め、すっかり春ですねえ(写真は梅ですが ^^;)
三津五郎さんが亡くなられて、今日でちょうどひと月がたちました。

亡くなられたと聞いたときにまず最初に感じたことは、「これからももっともっともっと三津五郎さんの踊りとお芝居が観たかった」でした。
私が本格的に歌舞伎を観始めたのは新開場の杮落としからなので(ですから勘三郎さんの舞台は一度も、團十郎さんも数回しか拝見できていないのです)、TVではなく歌舞伎の三津五郎さんを拝見したのはあの『お祭り』が最初でした。大きな大きな拍手のなか七緒八くん、勘九郎、七之助と新しい歌舞伎座の舞台に立って、「十八代目もさぞ喜んでいることでありましょう」と客席を見上げられた三津五郎さん、万感の思いの込められた実にいい笑顔をされていましたねえ。

以降は幸い出演された舞台はほとんど観ることができましたが、それでもやっぱり、これから先ももっともっともっと三津五郎さんの芸が観たかった。第一の想いは本当にそれに尽きました。
一昨年秋の巡業の江島生島だってずっと踊ってみたい踊りだったって仰っていたじゃないですか。まだ踊っていないじゃないですか。なんで死んじゃうかなぁ!

次にすぐに思ったのが、やはり皆さんと同じく、歌舞伎界の損失についてです。もっとも、ご自身の芸や、歌舞伎の中間層の年代の希薄といったこととはまた別の意味で。
観劇歴の超短い私なんぞがこんなことを書くのはおこがましいとは思いますが、そんな短い間でも伝わってくるくらい、歌舞伎の伝統や将来について真剣に考えられていた方でした。伝統ではなく伝承だとも仰っていたそうです。最近のように同じ演目ばかりかけていてはお客さまは離れてしまう、とも仰っていました。私、三津五郎さんの歌舞伎に対する考え方が大好きでした。冷静で広い目を持たれていて、でもしっかり熱くて。
よく思い出すのが、『芸づくし忠臣蔵』という本の中で書かれていた勘三郎さんとの会話です。お二人が菊ちゃんの弁天小僧にえらく感心したというところから話は始まるんですが(・・・)、仮名手本の大序では座元系の役者が直義をやるときは烏帽子の紐は紫にして沓は三段の上で履き替えるとか、そういう決まり事があるそうなのです。そして座元系でない菊ちゃんが演じた直義を勘三郎さんは絶賛し、「直義が沓をどこで履くとか紐の色がどうとか、いろいろ言うのはもうやめにしたらどうだろう。これは僕(中村屋の座元系)が言い出さないとダメだと思うんだ」と提案するんです。それに対して三津五郎さんは「別に差別してるという感じじゃなく、儀式性の高い大序のことだから、いろんな決りごとがあるのも面白いんじゃない?」と返すんですね。そういう歌舞伎の伝統(伝承)がもつ独自の面白味を三津五郎さんはよくわかっておられたのだと思います。勘三郎さんの仰りたかったことももちろん理解できますし、どちらが正しいということではありませんが、私はこのエピソードがとても好きで、三津五郎さんが亡くなられたときにこれを思い出して、もしかしたらものすごく重要な存在を歌舞伎界は失ってしまったのではないか、と思ったものでした。

話を三津五郎さんご自身に戻します。
そんなわけで私が観た三津五郎さんの舞台は決して多くはないのですが、三津五郎さんの歌舞伎、私は大好きでした。爽やか、でしたよね。軽やかなのに軽くはなくて、温かくて。昨年ご病気から復帰された後の『靭猿』や『たぬき』は忘れることのできない感動的な舞台でしたが、なぜか一番に思い出すのは杮落しのあの『喜撰』です(こうして改めて振り返ると、全部みっくんと同じ舞台に立っていたんだねぇ・・・)。究極の芸の軽みと深さを見せてくれた三津五郎さん。あんな化粧なのに(笑)、すごい舞台を見させてもらっていると感じた感覚を覚えています。楽しかったなあ。あのときの花錫杖と被り物は、棺に入れられたのだとか。歌舞伎座が自分の家だとも仰っていましたから、これからも歌舞伎座のどこかにいてくださるといいのですけれど。

舞台は本当に儚いものですし、記憶が薄らいでいくのも避けることはできませんが、舞台からもらったそのときの感動って不思議と忘れないものですよね。頭が忘れても心と体は覚えているといいますか。私は自分の弱い頭よりよっぽど信頼できます笑。もし将来無一文になっても、体が動けなくなっても無くならない、ある意味どんなものよりも貴重で確かなものを良い舞台は私達にくれます。
そんな一生の宝物をくださった三津五郎さんに心から感謝。

でも本当に、もっともっと観たかった。。。
あの世の楽しみとすることにいたします。

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三月大歌舞伎 昼の部 @歌舞伎座(3月15日)

2015-03-16 22:50:52 | 歌舞伎



カメラを持っていったのに、写真撮ってくるの忘れた・・・
なので上の写真は、また鎌倉東慶寺。今月のニザさまのイメージは白梅でございます。
そういえば今月の垂れ幕は『菅原伝授手習鑑』ではないのですね。
義経千本桜や仮名手本の通しのときは狂言名だったのに、なぜでしょう。あれ、好きなのに。
そして先ほど秀太郎さんのブログで知ったのですが、この日は中日だったようです。

しかし通し狂言はやっぱりいいですね、観る方も自然と感情移入できて。
もっといっぱいやってほしいな。


【加茂堤(かもづつみ)】
手水・・・行水・・・会話がエロくて楽しい 菊之助だと下品にならないのがよいです。
とはいえ菊ちゃんは先月の陣門組打がとってもよかったので、比べてしまうと少々物足りない気もしてしまったけれど(あくまで先月比)。思っていたより色気があったのはよかったな^^

早春らしい華やかな色合いの舞台も本当に綺麗だった
背景に咲く紅白の梅。
牛車の前に並んで置かれた、姫の赤い草履と親王の白い草履。
桜丸(菊ちゃん)の赤と白の衣装。
八重(梅枝)の黄緑色の衣装。

梅枝といえば、相変わらずの安定感と貫録ですねー。
今回の昼の部、若手の壱太郎(苅屋姫)&萬太郎(親王)がひっじょうに物足りず(なぜああなった・・・お人形さんよあれじゃあ・・・)、花形勢(菊ちゃん、染五郎、愛之助、亀亀兄弟)も特に悪くはなかったのですけど、もっと深くまで行ってくれたらもっと感動できたのに・・・とも感じたので、梅枝の健闘には救われた気がしました。


【筆法伝授(ひっぽうでんじゅ)】
染五郎(源蔵)が思っていたよりずっとよかったのですけど、でもこの人独特の演技の軽さみたいなものもやっぱり少し感じてしまって、良かっただけに惜しい気がしました。。

梅枝の戸浪。ええと、梅枝って27歳でしたっけ。前幕の菊ちゃんとだけでなく、染五郎とも全く無理なく夫婦だった^^; とてもいい戸浪だと思いました。

魁春さん(園生の前)、とてもとてもよかったなぁ。。。気高くて品のある所作が、道真の奥さんらしくて。魁春さんって、背中で語ることのできる役者さんですよね。後ろ姿にも見惚れてしまった。素敵でした。


【道明寺(どうみょうじ)】
仁左衛門さんと秀太郎さんが素晴らしかった。。。
今回の昼の部、このお二人と前幕の魁春さんが素晴らしすぎて、なんというか若手&花形とのギャップによるバランスの悪さが観ていて気になってしまったのも事実で、でもこのお三方がそれを吹き飛ばすくらい本当によくて。

秀太郎さん(覚寿)、すんごくよかった。いいという言葉すら軽く感じられるくらい。
最近みられていた台詞の不明瞭さが消えて、動きもきっぱりされていて、内面から威厳と深みと温かさと悲しみが滲み出ていて。この狂言を見るのは初めてですけど、覚寿にしか見えなかった。後半ちょっとお疲れ気味にも見えたけれど、それも含めて素晴らしかった。長生きしてください・・・と縁起でもないことまで考えてしまった。だって秀太郎さんの舞台、本当に好きなんですもの。

芝雀さん(立田の前)、今月も出られるとは思っていなかったので登場されたときは吃驚。とてもよかったと思います。しかしお姉さんの方が妹(苅屋姫)よりずっとこの件に心を痛めてるように見えるってどうよ^^;

歌六さん(土師兵衛)&彌十郎さん(宿禰太郎)。贅沢な配役!お二人のやりとり、楽しかった

仁左衛門さん(菅丞相)、白と朱色の衣装がお似合いです!濃い紫も。
神格化される存在らしい清らかさと崇高さに加えて、人間的な温かみと誠実さがあって、こんな道真なら寺子屋も納得できる、そんな道真だった。そういえば杮落しの熊谷陣屋の義経でも、タイプは違えど似たことを感じたなぁ。
仁左衛門さんの後この菅丞相の役をやれる役者が育つまでどれくらいかかるのだろう、とやっぱり考えないではいられませんでした。吉田屋でも感じたことだけれど。きっと、この仁左衛門さんの菅丞相と秀太郎さんの覚寿の舞台を今観られることはとても幸福で幸運なことなのだろうなあ。。
もう「十五代目!」の掛け声だけで泣ける私がここにいる。

木像バージョンのときのカクカク歩きは、後から「ああ、そういうことだったのか~!」と素直に思いました。初回観劇ならではのお楽しみですね^^
冠が落ちたときも本気でドキッとした(今回忙しくて筋を事前に調べられなかったのです)。

仁左衛門さんの花道での空気、涙、とても心動かされました。。。
が。
壱くんがあまりにあまりに淡泊なので(泣いてても淡泊に見える・・・)、愛情が父→娘の一方通行にも見えてしまい、彼はまだまだこれからなこともわかってはいるのだけれど(世話物の気の強い娘役などは良かったですし)、違う苅屋姫だったら更に更に感動的な幕切れになったのかしら・・・と思ってしまったのも正直な感想ではありました。。壱くん、がんばれー。ついでに菊ちゃん(輝国)もがんばー。



今月のチラシ。楽座で買った先月の舞台写真。木挽町広場の豆大福(美味しいよ♪)

今回の観劇(幕見)は、私語とビニール音と立見客の動きの多さで落ち着かんかった。。
ニザさんが駕籠に乗ったようにみせかけて下手の袖にこっそり引っ込むときに、イチイチ「今、乗ってないんだよ。見せかけただけ」とか連れに解説せんでよろしい。
それと、ヒソヒソ声で話をし続ける夫婦!ヒソヒソ声なら問題ないとか思っとるのデスか。
あと、ダウンコートを脱いだり着たりを何度も何度も豪快に繰り返すオッサン。暑いか寒いかはっきりなさい、それが無理なら静かに脱ぎ着する気を使いなさい。ダウンの生地はビニールと同種なことに気づきなさい。
そして、鞄をジーッと開け、ビニールで包まれた飴を豪快に開いて口に入れて、その包み紙を大音量でクシャクシャと丸めて鞄に戻し、再びジーッと閉める、を何度も繰り返してたオッサン。包み紙はイチイチ丸めんでよろしい。ジッパーだってどうせまたすぐに開けて飴出すんでしょ。なら毎回閉めなくてよろしい。
。。。つかれた。。。

そうそう、楽座でもっっっのすごい美少女の写真があって、誰これ!?と顔近づけて見たら、関の扉の菊ちゃんでした。あまりに可愛かったので、観てもいないのに写真買いそうになってしまった。やっぱり観たかったよぉ。。


※3月27日(千穐楽)の感想

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水谷豊、3人の“相棒”を語る

2015-03-12 10:29:08 | テレビ

どんな“相棒”と組んでも、杉下右京は変わらない。変化させようとも考えていません。なぜなら、右京は今を生きている人だから。人はその都度、その都度、出会った相手によって自然に変化していくもの。意識して変えるのではなく、自然な変化を期待しているのと、出会うんだったらいい人と出会いたいと思っています。
(水谷 豊)

って相棒、見たことないんですけど笑
寺脇さんも、ミッチーも、成宮くんも好きな俳優です~
水谷さんと伊藤蘭さんも、素敵なご夫婦ですよね

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二月大歌舞伎 夜の部 @歌舞伎座(2月22日)

2015-03-09 13:03:14 | 歌舞伎




そんなわけで、2月の歌舞伎座は千秋楽前の最後の日曜日に、夜の部最初の『陣門・組打』のみ幕見してまいりました。
昼の部の『毛谷村』と『関の扉』もとてもとても観たかった。。


【一谷嫩軍記 陣門・組打】

菊之助の小次郎の清廉な空気が素晴らしく、こんな出来のいい息子なら直実もそりゃあ辛いだろう・・・と。
すっと伸びた背筋も表情も美しかった。あの陣屋の脇に今が盛りと咲いていた若木の桜そのもので。
でも小次郎だってまだ少年といっていい年齢なわけでしょう(これが初陣なのよ~)。彼の心の中にも色々な思いが渦巻いていなかったわけがないと思うの。お母さん(相模)のことだって絶対によぎったはず。そんなことを思いながら、それを決して表に出さないあの表情で言われるあの台詞を聞くと・・・もぅ・・・・
そして迷う直実に、「早く自分を斬れ」とはっきりと言いますでしょう。そのときの、父親よりも先に覚悟を決めているまっすぐな強い眼差しが・・・。
出来がよすぎるでしょうがぁぁぁぁ

で、直実が覚悟を決めて、小次郎の首を落としますよね。吉右衛門さんは葛藤を見せながらもちゃんとしっかり小次郎を見つめていて、目を逸らすことなく斬っていました。そこには武士と武士の、それ以上に父と息子の固い絆のようなものが感じられて・・・。
あぁ・・・・・

でもさらに胸に迫ったのはここからで。
敦盛の恋人の玉織姫(芝雀さん)が登場して、色々あって(芝雀さんゴメン、ほとんど吉右衛門さんばかり目で追ってしまってた・・・)、二人の遺体を海?に流しますよね。
それを一人見送るときの静かな時間。
声を殺した慟哭が切ない・・・。
そして幕切れ、小次郎の首を携え、客席に向かうあの表情。
彼は今何を見ているのだろう・・・と四階席から見ながら思った。きっと血を吐くような思いを抱えて彼はこの先も生きていくのだと思うけれど、直実は、吉右衛門さんの目は今、何を見ているのだろう、と。俊寛でも知盛でも、感じたこと。
吉右衛門さんってこういう、一人の、寂しい悲しみを感じさせる時間がとても似合うと思う。現世にとどまりながら、現世を超えた透明な美しささえ感じさせるような。
吉右衛門さんにここまで強く深く心を揺さぶられたのは、もしかしたら知盛以来かも。知盛以上とまでは言いませんけれど(どんだけきっちー知盛好きか)。いやでも、仮名手本もものすごくよかったしなぁ。そしてそもそも吉右衛門さんの場合は基準値がめっちゃ高いのであるが。
もうほんとに吉右衛門さん、大すき。

はじめて見た”遠見”は、やっぱり微笑ましくて、思わず頬が緩んでしまいました^^
またこの演目は、青い海、黒い馬、紫と桃色の二色の母衣といった色合いもとても美しいですね。

ところでチラシの説明に「敦盛を組み伏せ、討ち取ろうとしたところ、この若武者が実は敦盛になりすました小次郎であると知った熊谷は…」と書かれてありましたけれど、これ、ちがうよね・・・?
『陣門』で既に親子の間で小次郎が敦盛に成り代わる話し合いはなされていると思うのですけど・・・。だから熊谷は怪我をした小次郎(実は敦盛)を背負って去ったわけでしょう。

そして帰宅し、夜のニュースで三津五郎さんが前日の21日に亡くなられていたことを知りました。
三津五郎さんについては、改めて。

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二月文楽公演 第二部 @国立劇場(2月15日)

2015-03-06 01:30:29 | その他観劇、コンサートetc



今年の初文楽desu。
やっぱり文楽は楽しい♪
低価格のお席がもう少し取りやすければ、もっと気軽に足を運べるのだがなあ。ふらっと午後半休をとって、1500円の席で気軽に文楽とか、歌舞伎座の一幕見のような楽しみ方ができたらいいのに。。お能も同じく。


【花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)】
あら、楽しい♪
良いとこ詰め合わせな感じで、華やかな四季の舞台を気楽な気分で楽しめました。
床も大勢賑やかで、初めてお人形さんの舞踊を楽しいと感じることができた(*^_^*)

~春 ”万才”
太夫(勘市さん)&才蔵(玉佳さん)。
えっと、すみません・・、これはちょっと意識が遠のいて・・しま・・・
あまり振付の意味を理解できていなかったので。。。

~夏 ”海女”
一輔さんの娘役、若さが感じられてやっぱり好き♪
蛸に裾をめくられて頭をポカンって叩く仕草、可愛かった^^

~秋 ”関寺小町”
文雀さんの休演により、和生さん。
背景の美しい薄野原に、1月の黒塚を思い出しました。
でも和生さんの小町からは、老女の切なさや悲しさはあんまり伝わってこなかった・・かな・・
文雀さんの小町も見てみたかった。文雀さん、お体大丈夫でしょうか・・・

~冬 ”鷺娘”
勘彌さん。
人間じゃない鷺の化身の動きが、迫力があってかっこいい~。
ちらちら降る雪もとてもキレイで、最後の上半身ピンク色の衣装も華やかで素敵だった。
こういう明るい鷺娘もいいですね。歌舞伎でも見たい。
ていうか私はまだ歌舞伎の鷺娘を生で見たことがないのよぉぉぉ 玉さまはきっともうやってくださらないと思うので;;、菊ちゃんで見たい!ものすごく見たい!


【天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ) ~紙屋内の段~】
近松門左衛門の「心中天網島」をもとに近松半二が改作した世話物、とのこと。

最初の治兵衛と太兵衛の諍い場面の語りは、咲甫大夫さん。おお、なんだかまるで文楽じゃないものを聞いているような忙しさ。この語り、疲れるだろうなあ。でも咲甫さんはノリノリ、楽しそうに見えました。

切場は嶋大夫さん。
小春を想い炬燵で涙を流す治兵衛に切々と語りかける妻おさん。
情感たっぷり系な語りをされる嶋大夫さんと、どちらかというとサッパリ系な人形遣いをされる玉女さん(治兵衛)&和生さん(おさん)の組み合わせが、今回はあまり合っておられなかったように私には感じられたのですけれど、どうなのでしょう。どちらが悪いというわけではたぶんないと思うのだけれど。この後のやっぱり情感たっぷりな簑助さんの小春ちゃんを見て、嶋大夫さんと簑助さんの組み合わせだったらまた違ったのだろうか、とも。

最後は英大夫さん。
ていうか簑助さんの小春ちゃんが・・・切ない・・・(>_<)!
簑助さんの舞台を観るのは十種香に続いて二度目ですが、本当にこの方の人形って独特ですね。舞台の上にいる間、ずーっと生きているように見える。人形から魂が抜ける瞬間が一瞬もないというか。動かずにじっとしている時でさえそうなのが、すごいと思います。
一方、動いている時は、簑助さんと他の人形遣いさんのこの違いは、テクニックの違いなのだろうか、遣い方(アプローチ)の違いなのだろうか、とそんなことを考えながら見ていました。つまり、もしかしたら、どちらが良い悪いというものでもないのだろうか、と。
簑助さんの人形はまるでリアルな人間のようで、微かな息遣いまで伝わってきますよね。あの遣い方を、他の人形遣いさんは「できない」のか、「あえてしていない」のか。そもそも文楽人形の究極の理想ってどういうものをいうのだろか、まるで人間のような人形が究極の理想なのか(もちろん人間では出来ないことも出来るというメリットはプラスするとして)、それとも違う理想形があるのだろうか。私は文楽超初心者なので、そういうことがまだよくわからないのです。芸談とか読んでみるとわかるのかしら。
でも、いずれにしても、華やかで胸が苦しくなるような魂の震えが伝わってくる簑助さんの人形が、私は大好きです。

そうそう、この演目。最後の心中場面までやるのかと思いきや、二人で網島に向かうところで幕なのですね。心中場面も観たかった。

子供の白無垢いっぱいにおさんさんとお義父さんからの手紙が書いてある光景は、なんというか、シュールだった。吉田屋は手紙を衣にしちゃうけど、こちらは衣を手紙にしたのね。

次回の東京の文楽公演は5月、玉女さんの玉男襲名ですね~。
一部も二部も観たいけど、チケットとれるかな。。

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ホイッスラー展 @横浜美術館

2015-03-05 00:58:51 | 美術展、文学展etc


《灰色と黒のアレンジメント No.2:トーマス・カーライルの肖像》1872-73年

“音楽が音の詩であるように、絵画は視覚の詩である。

そして、主題は音や色彩のハーモニーとは何のかかわりもないのである”

(ジェームズ・マクニール・ホイッスラー)

日本では27年ぶり、世界でも20年ぶりというホイッスラーの回顧展。
私のテンションが最も上がる”19世紀ロンドン”で活躍した画家です(でもマサチューセッツ生まれのアメリカ人)。
彼が目指したものは、「芸術のための芸術」(唯美主義)。絵画で主題や物語を伝えることを否定し、色や形の調和といった純粋な視覚的効果を追求しました。「シンフォニー」や「アレンジメント」といった音楽用語を用いたタイトルにも、その信念が表れています。

今回の企画展では、昨年秋のオルセー美術館展で展示されていた「灰色と黒のアレンジメント No.1」に続く「灰色と黒のアレンジメント No.2:トーマス・カーライルの肖像」が特に印象的でした。カーライルの内面の孤独と優しさが滲み出ているような、そんな絵。画家自身もお気に入りの絵だったようです。ちょうど実物大くらいの大きさで、閉館間近にもう一度展示の部屋に戻ったら誰も人がいなくて、少し離れたところから見ると、今そこにカーライルが静かに座っているような錯覚を覚えました。以前チェルシーにあるカーライルの家に行ったことがあるので、その空気感を鮮明に思い出せたためかもしれません。この絵は漱石の「カーライル博物館」の扉絵(by橋口五葉)にも参考にされています。

そして「ノクターン:青と金色-オールド・バターシー・ブリッジ」(こちらは以前テートでも見ています)を始めとするノクターンシリーズもやはり素晴らしかった。彼は浮世絵など日本美術からの影響を強く受けているためか、その絵は見ていてどこかほっとします。

またホイッスラーはチェルシーに住んでいたので、私の大好きなバタシー~チェルシーにかけての作品が多いのも嬉しかった。
彼はチェルシーで何度か居を変えていますが、親しく交際していたロセッティの家と同じCheyne Walkにある家が、一年ほど前にレントに出されたというニュースがありました。その家賃、実に週2,500ポンド(約46万円) この家には今回来日した「白のシンフォニー No.2:ホワイト・ガール」に描かれている暖炉も、そのまま残っているんですよ。



《青と銀色のノクターン》1872-78年


《白のシンフォニー No.3》1865-67年


《ライム・リジスの小さなバラ》1895年


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ホイッスラーがチェルシーで最初に住んだ家
101 Cheyne Walk, London

 
《Symphony in White no. 2》とその暖炉

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2015年2月

2015-03-04 22:12:55 | 日々いろいろ




すこしご無沙汰しておりました。
皆さま、お元気でしたでしょうか。

写真は、先日お散歩に行った鎌倉東慶寺です。
行って気付いたのですが、私、これが初詣でした。
初詣が縁切り寺。。(ーー;)
気を取り直して、この後、鶴岡八幡宮へも行ったのです。
今月の歌舞伎座は菅原伝授の通しですから二階堂の荏柄天神にも寄ろうかと思ったのですけど、疲れてしまったので、八幡様から東に向かって「道真様、今月の歌舞伎座をどうかどうかお守りください」と心の中でお願いしてまいりました。

さて、更新が滞っておりましたのは、プライベートがちょっとだけ慌ただしかったからです。
「いつまでも あると思うな 親と金」とはつくづくよく言ったものですね。今回は、前の方。あ、今はぴんぴんしております、幸い。でもあまりに突然だったので、吃驚しましたし、覚悟もしました。頭ではわかっていたはずでしたが、一緒に過ごせる残りの時間を改めて冷静に考えてみると、人の一生って本当に本当にあっという間なのですねぇ。。。

そんなでしたので2月の歌舞伎座は一つしか観ることができませんでしたが、一番観たかったものは観ることができたのでよかったです。でも菊五郎さんの毛谷村も観たかったな。。
2月は他に、ホイッスラー展@横浜美術館、文楽@国立劇場などに行きました(上の出来事の前に)。
感想は、例によって自分用の覚書の意味もあるので、順次上げていきますね。

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