毎日やりきれないニュースが続きます。
ロシア人指揮者のトゥガン・ソヒエフさん(44)が6日、ロシアを代表する劇場のひとつであるボリショイ劇場の音楽監督兼首席指揮者と、フランスのトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の音楽監督の双方を辞任した。
ソヒエフさんは「フランス=ロシア・フェスティバル」を企画するなど、国境を越えた様々な音楽的交流を実現してきた。「愛するロシアの音楽家たちと愛するフランスの音楽家たちのどちらかを選ぶという不可能な選択を迫られた」ため、辞任を決意したとし、「これからも『音楽家』として彼らのそばにいる」との声明を発表した。
ソヒエフさんはボリショイで2014年から、トゥールーズ管で2008年から、それぞれ音楽監督を務めてきた。
(朝日新聞)
ソヒエフは、ゲルギエフとルーツを同じくする北オセチアのウラジカフカス出身。3日にトゥールーズ市長から、次回の演奏会までにロシアのウクライナ侵攻について 明確なコメントを出すように要請されていたそうです。それに対して彼が出した答えは、仏露いずれかを選ぶのではなく、双方のオーケストラを辞任することでした。
ボリショイ劇場の音楽監督が政権と完全に分離しているなどということはあり得ないけれど、私の知る限りではソヒエフはゲルギエフのようにプーチン支持を公言していた人ではないはず。トゥールーズはウクライナの首都キエフと姉妹都市の関係にあるそうなので(キエフはミュンヘンとも姉妹都市でした)、今回の市長の要求にはそういう事情も影響していたのかもしれません。
一方、先日ゲルギエフとマツーエフを降板させたばかりのニューヨークのカーネギーホールでは、3日にトリフォノフのリサイタルが行われました。ホールの芸術監督Clive Gillinson曰く「あの決断はロシア人一般に対してではなく、著名なプーチン支持者である彼ら個人に対して行ったものである。我々は国籍でアーティストを差別することはしない」とのこと。
スポーツ界についてはどうかわかりませんが、少なくともクラシック音楽界においては必ずしも「ロシア人だから」という理由だけでアーティストを排除する機関ばかりではないようです。
Too Close to Putin? Institutions Vet Artists, Uncomfortably. (March 5, 2022, New York Times)
“We’re facing a totally new situation,” Andreas Homoki, the artistic director of the Zurich Opera, said. “Politics was never on our mind like this before.”
(チューリッヒ歌劇場の総監督アンドレアス・ホモキは「我々は全く新しい状況に直面しています。政治がこのように我々を悩ましたことはかつてありませんでした」と述べた)
ゲルギエフに関してはこれまでも行く先々で抗議デモが待ち構えている状況だったけれどあれは例外的で、今回のようにロシア人一般が対象となるケースは確かに「音楽界が初めて直面している状況」なのでしょう。
アーティストとプーチン政権の距離がtoo close(近すぎる)か否かをどのように判断するのか、本人に何らかの声明を要求するのか、どこまでの表現を要求するのか等の判断は現在のところ機関によって異なり、どこも手探り状態のようです。
ロシアのような言論の自由が保障されていない、発言次第では家族にも危害が及ぶ恐れのある国のアーティストに「プーチン非難の声明」を要求することにどんな意味があるのか?、個人的には大いに疑問ですが。
とはいえ、音楽と政治の関係について手探りながらも活発な議論が続いている西側の音楽界。
腹立つことは山ほどあるけれど、それでも私が東側より西側に信頼を置くのは、こういう部分なんですよね。異なる意見がちゃんと表に出て議論されているという事実。多様な意見が権力に抑えられることなく公になっていさえすれば、それだけでも自然にバランスはとれていくものだと思うから。
Experts warn that the pressure to take a tough stance against Russian artists risks ending decades of cultural exchange.
“The more we antagonize, the more we cut off, the more we ban, the more we censor and the more we have this xenophobic reaction, the more we play into Putin’s hands,”
(ロシア人アーティストに対して強硬姿勢をとらねばならないという圧力は、数十年に及ぶ文化交流を終わらせる危険性があると専門家は警告する。「我々が敵対すればするほど、断ち切るほど、禁止するほど、検閲するほど、外国人を嫌悪するほど、プーチンの思うつぼです」)
それより私は日本のメディアの方が心配だわよ。冒頭に載せた朝日新聞の記事は事実がありのままに書かれてあったけれど、他のメディアは「ロシアの指揮者がボリショイ劇場を辞任!」みたいな偏った見出しばかりで、トゥールーズ辞任については全く触れていない新聞もある(朝日新聞が中立なメディアと言いたいわけではないです。今回の記事では、という意味)。ロシアのオーケストラを辞めたことではなく、仏露のオーケストラを同時に辞任せざるを得なかったというところに重要な意味があるのに。これが意図的なものでなければいいけれど、なんだか日本という国がどんどんおかしな方向に進んでいるような気がして仕方がない。社説は好きに書けばいいですが、事実は何も隠さず何も足さずありのままに報道していただきたい。
ところで「ゲルギエフもソヒエフのようにマリインスキーを辞任するくらいの気概を見せてほしかった」みたいな意見をいくつかtwitterで見かけたけれど、1988年から34年間マリインスキーの音楽監督をしてきた68歳のゲルギエフと2014年から8年間ボリショイの音楽監督をしてきた44歳のソヒエフを比べることはできないですし、比べても意味はないと思う。オケとの関係も、プーチンとの関係も、ロシアでの立場も、それぞれが抱える事情も異なるのだから。
ですが先ほども書いたとおり、西側の国々も少しずつロシア人アーティスト達への対応についての議論が進んでいるようですし、少なくとも現政権との繋がりが濃くはないアーティストに関しては、希望を捨てる必要は全くないと私は思っています。時間はかかるかもしれませんが、信じて待ちたいです。もちろん私はゲルギエフの音楽も愛しているので信じて待ちたいと思っていますが、こちらはどうなるか…。マリインスキーやボリショイのバレエ団の来日も今後どうなるか全く想像つきません…。
ウィーンフィルが"For us, music always has something that connects us and not separates us."(私達にとって、音楽はいつも私達を繋ぐものであり、分断するものではありません)(Operawire, 24 Feb 2022)と言っていたように、政治により世界が分断してしまっている時だからこそ、音楽には世界を結びつける存在であってほしいと心の底から思いますし、また音楽にはその力があると信じたいです。
以下は、ソヒエフのメッセージの全文です。
誠実な、読む者に今の音楽界で起きている状況について考えさせないでおかない、悲しいコメントだと思います。
日本語訳はkajimotoのHPから拝借しました。ゲルギエフのマネジメント会社はjapan artsですが、ソヒエフはkajimotoなんですね。
トゥガン・ソヒエフからのメッセージ – Message from Tugan Sokhiev
多くの方が、私が現在の自分の見解を表明し、現在起きていることに対する私の立場を明らかにすることを望んでいると思います。
今、何が起きているのか、そしてそれらによって私の中に生まれた極めて複雑な感情をどう表現すればよいか、考えをまとめるのに時間がかかりました。
はじめに最も重要なことを申し上げなければなりません。私は、どんな形であれ、紛争を支持したことはありませんし、これからも反対しつづけます。音楽家である私に、平和を望んでいるかどうかの質問を投げかけ、音楽で地球上の平和以外の何かを語ろうとしていないかを問いただす人がいることが、私にとっては衝撃的であり不快なことです。
私の20年にわたるキャリアの中で、人類は様々な紛争に直面してきましたが、私はいつも仲間の音楽家たちとともにすべての紛争の犠牲者に対する支援や思いを示し、表現してきました。これこそが私たち音楽家の使命なのです。音楽で物事を表現し、音楽で感情を語り、音楽で慰めを必要とする人たちに寄り添います。私たち音楽家は幸運なことに、音楽という国際的な言語をもち、時として文明社会に存在するどの言葉よりも雄弁に語れるのです。
私は、豊かな文化を持つ国ロシア出身の指揮者であることを常に誇りに思っていますし、同時に、2003年からフランスの豊かな音楽文化の一翼を担っていることも大変誇りに思っています。これこそが音楽の役割なのです。音楽は、異なる大陸や文化の人々、アーティストたちを結びつけ、国境を越えて魂を癒し、この地球上の平和を愛する全ての存在に希望を与えてくれるものです。音楽はドラマチックで、叙情的で、愉快で、悲しいものです。しかし決して攻撃的なものではありません!これこそが、私とトゥールーズの素晴らしいオーケストラとの実りあるパートナーシップが示すものであり、ボリショイ劇場の優れたアンサンブルがロシアでの公演やヨーロッパツアーのたびに私に教えてくれたことです。トゥールーズでもボリショイ劇場でも、私はウクライナの歌手や指揮者を定期的に招いていました。国籍のことなど、私たちは考えたこともありませんでした。私たちは共に音楽を創りあげることを楽しんでいたのです。そしてそれは今でも変わることはありません。フランスとロシアの人々が歴史的、文化的、精神的、そして音楽的につながっていること、そして私が愛するこの2つの偉大な国のつながりを誇りに思っていることを人々に示すために、トゥールーズでフランス=ロシア・フェスティバルを立ち上げたのです。今日、このフェスティバルはトゥールーズの政治家や行政によって開催が阻まれています。なんと嘆かわしいことでしょう。そして彼らは、私に平和に関する見解を表明するよう求めているのです!私は、このフェスティバルがどのような政治的な言葉よりも、架け橋として多くのことを成し遂げられると信じています。
この数日というもの、私はこれまで想像だにしなかったものを目の当たりにしています。今、私はヨーロッパで選択を迫られ、仲間の音楽家たちの中からどちらか一方を選ぶことを余儀なくされています。
私は、どちらかひとつの文化的伝統を選ぶよう求められています。
私は、特定のアーティストを選ぶよう求められています。
私は、特定の歌手を選ぶよう求められています。
まもなく私は、チャイコフスキーやストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチと、ベートーヴェン、ブラームス、ドビュッシーのどちらかを選ぶようにと求められるでしょう。ヨーロッパの一国であるポーランドでは、すでにロシア音楽が禁止されています。
私は、仲間であるアーティスト、俳優、歌手、ダンサー、指揮者たちが脅され、不当に扱われ、“キャンセル文化”の犠牲になっている様を目撃することに耐えられません。私たち音楽家は、偉大な作曲家の音楽を演奏し解釈することによって、人類がお互いに思いやりと尊敬の念を持ち続けるための特別な機会と使命を与えられているのです。私たち音楽家は、ショスタコーヴィチの音楽を通して戦争の悲惨さを人々に思い起こさせるために存在しているのです。私たち音楽家は、平和の使者なのです。今や私たちや私たちの音楽は国や人々を結びつけるために用いられるのではなく、分断され、排斥されようとしています。
以上のような理由から、そして、愛するロシアの音楽家たちと愛するフランスの音楽家たちのどちらかを選ぶという不可能な選択を迫られたことから、私はモスクワのボリショイ劇場とトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の音楽監督の職を即刻辞任することにしました。この決断は、私がボリショイ劇場や トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の音楽家たちと知り合うことができてとても幸運であったということをお伝えするためのものです。これら2つの団体の素晴らしいアーティストたちと音楽を創ることは常に光栄なことであり、私はこれからも「音楽家」として彼らの側にいます!!!!!!!
トゥガン・ソヒエフ
I know that many people were waiting for me to express myself and to hear from me my position on what’s happening at the moment.
It took me a while to process what is happening and how to express those complex feelings that the current events provoked in me.
First of all I need to say most important thing: I have never supported and I will always be against any conflicts in any shape and form. For some people even to question my desire of peace and think that me, as a musician could ever speak for anything other than Peace on our planet is shocking and offensive.
During various catastrophic geopolitical events our humanity faced during last twenty years of my career, I always remained with my fellow musicians and we always, together, shown and expressed the support and compassion for all the victims of those conflicts. This is what we musicians do, we express things with music, we say emotional things with music, we comfort with music those who need it. We musicians are the lucky ones to be able to speak this international language that can sometimes express more than any words known to civilisation.
I am always very proud to be a conductor who comes from such a rich cultural country as Russia and I am also very proud to be part of rich french musical life since 2003. This is what music does. It connects people and artists from different continents and cultures, it heals souls across the boarders and gives hope for peaceful existence on this planet. Music can be dramatic, lyrical, funny, sad but never offensive! This is what my very fruitful partnership with great Toulouse orchestra has proved. This is what my fantastic ensemble of Bolshoi Theatre was showing me every time I conducted performances with them in Russia or on tour in Europe. Both in Toulouse and in Bolshoi Theatre I regularly invited Ukrainian singers and conductors. We never even thought about our nationalities. We were enjoying making music together. And it still remains the case. This is why I started Franco-Russe festival in Toulouse, to show everyone that people of France and Russia are connected historically, culturally, spiritually and musically and that I am proud of this connection between our two great countries that I love. This festival is being opposed today by the politicians and administrators in Toulouse. What a shame. And they want me to express myself for peace! I believe that this festival can achieve more in building bridges than political words.
During last few days I witnessed something I thought I would never see in my life. In Europe, today I am forced to make a choice and choose one of my musical family over the other.
I am being asked to choose one cultural tradition over the other.
I am being asked to choose one artist over the other.
I am being asked to choose one singer over the other.
I will be soon asked to choose between Tchaikovsky, Stravinsky, Shostakovich and Beethoven, Brahms, Debussy. It is already happening in Poland, European country, where Russian music is forbidden.
I cannot bare to witness how my fellow colleagues, artists, actors, singers, dancers, directors are being menaced, treated disrespectfully and being victims of so called “cancel culture”. We as musicians are given extraordinary chance and mission to keep human race kindhearted and respectful to each other by playing and interpreting those great composers. We musicians are there to remind through music of Shostakovich about horrors of war. We musicians are the ambassadors of peace. Instead of using us and our music to unite nations and people we are being divided and ostracised.
Because of everything that I have said above and being forced to face the impossible option of choosing between my beloved russian and beloved french musicians I have decided to resign from my positions as Music Director of Bolshoi Theatre in Moscow and Orchestre National du Capitole de Toulouse with immediate effect. This decision should confirm to everyone concerned that I am a very lucky person, to be able to know Bolshoi Theatre artists and Toulouse orchestra musicians. It is always a privilege to make music with all wonderful artists from those two institutions and I will always stand by them as MUSICIAN!!!!!
Tugan Sokhiev