風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

オレリー、熊哲

2015-07-25 00:05:14 | バレエ

WBF オレリー・デュポン インタビュー


オレリー綺麗ー。。。。。。。
超シンプルなカジュアル服着てるだけなのに、メイクだって薄いのに、もう子供だっているのに。
バレエダンサーってほんっとうに綺麗な人が多いですよね。顔立ちというより、スタイルや姿勢や内側からの品というのかしら。
こんな40代、憧れるなぁ。


こんな映像もみつけました↓

20150304 熊哲15年目の独白


米倉涼子、綺麗ー。。。。。。(そっちかい!)
オレリーにしても米倉さんにしても私より年上にはとても思えないなぁ。美しい人は周りの人も幸せにしますよね。自分磨きをナマけちゃダメね。元が彼女達の足下にも及ばないのだから何倍もがんばらないとダメなのだわ!がんばろ
そしてやっぱり、熊哲の踊りが見たい。
最近知ったのだけれど(世の中の流れに疎いもので)、熊川さん、病気の治療をされているのだそうですね。心配。

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七月大歌舞伎 『怪談 牡丹燈籠』 @歌舞伎座(7月23日)

2015-07-24 01:37:28 | 歌舞伎




もう今日しかない!と行ってまいりました。会社休んで(ダメ社会人)。
牡丹燈籠のみの幕見ですが、発売開始50分前に着いたら既に90番台であった。


【怪談 牡丹燈籠】

感想としましては、シネマ歌舞伎の方がずっと好き^^;ではございましたが、夏の夜の怪談噺、虫の音や照明やセットの美しさも含め、気軽に楽しめました♪

玉さまのお峰の声のトーンが大好きっ
「人間って何が幸せで何が不幸せかわからないものだねぇ」は、今回もホロリ。。。玉さまのお峰ほんと好きだなぁ。チュウチュウタコカイナ(リフレイン&フェードアウト)
ただ中車さんに合わせてか、シネマ歌舞伎よりは全体的に抑え目演技でした。

中車さんの伴蔵
全く悪くはなかったのですけど、もっともっとできるはずの役者さんだとも思う。歌舞伎ってやっぱり難しいのかなぁ、と中車さんの歌舞伎を観るたびに純粋に歯がゆく思うのである(好きな俳優さんだけに)。なんというか、一つ一つの動作が美しくキマっていないといいますか。玉さまとの掛け合いも期待ほどではなく。。
でも「一緒に寝ようぜぇ~」場面はなぜかニザ玉コンビよりもエロく見え、これは満足笑。金持ちになった後の惚れ惚れするチャラ男ぶりはニザさまの圧勝でしたけれども。
あと最後の伴蔵の「お峰を殺したのは幽霊じゃない、俺の弱さだ」的な説明台詞は不要だと思いまするー。

歌女之丞さんのお六、吉弥さんのお米、 春猿さんのお国 、よかったです。特に春猿さんのお国はシネマ歌舞伎バージョン(お国のエピソードがしっかり出るバージョン)で観たかった。

海老蔵の馬子久蔵、猿之助の円朝も、なかなかでございました。海老蔵ってこういうアホ面な役を意外とイヤミなく(あざとさなく)やるなぁといつも感心する。彼の魅力のひとつだと思う。

以上、楽しめたことは楽しめたのですけど・・・

ホタル、見たかった。。。。。。。。。。。
 

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生誕130年 没後50年 中勘助展 @神奈川近代文学館

2015-07-23 14:06:56 | 美術展、文学展etc



最終日(20日)に行ってきました、中勘助生誕130年没後50年の企画展。
海の日に文学館に行くワタクシ・・・

今まであまり気にしていなかったのですけど、この文学館には「特別展」と「企画展」の2種類があるそうで、企画展では図録は販売しないのだそうです 展示スペースも第二展示室のみで特別展の半分でしたが、文学展はまともに見るとほんっとーーーーに体力を使うので、今回くらいの展示量が私にはちょうどいい(それでも3時間いた。周りの顔ぶれも同じであった)。しかし泉鏡花、太宰治、谷崎潤一郎は特別展だったのに、中勘助は企画展ですか。やっぱり知名度の違いだろうか。。

以下、図録代わりの覚書。ほんの一部ですが。
今回も期待どおりの大変満足のいく展示でした。観覧料たった400円なのに素晴らしい充実度~。

銀の匙
子供の口に入るようにと探してきたものだから当然ですが、想像以上に小さくて、可愛らしかった

小倉百人一首の本(背表紙に兄金一と勘助の墨書あり)

十六むさしの盤と札

夏目漱石の書簡(明治44円4月29日、大正2年2月26日、同3月4日、同3月16日、大正3年7月13日、同10月27日、大正4年3月18日)
特に銀の匙後篇を「私は大変好きです」と言ってる手紙の現物を見られたのはよかった。

末子に贈った『提婆達多』の初版本(中表紙に「末子様 勘助」と署名あり)
勘助はいつも著作の初版本を一番最初に「初穂」と言って末子にあげていました。

『しづかな流』の装幀が思い通りに仕上がっていることを感謝する、岩波茂雄宛書簡。大正7年6月。
一見シンプルな装幀ですが、結構こだわりがあったのですね。他にも装幀や目次について細かく指示してる手紙がいくつか展示されていました。

『銀の匙』の背は丸背ではなく角背で、と依頼する岩波宛書簡。大正15年。
本の絵が描いてあって、背部分を矢印で指して「←コノトコロ」とあるのが楽しい。全集でもこれはちゃんと絵を載せてくれてるのですよ。

兄金一の釣り道具(おもり、浮子、土瓶など)
これは見られて嬉しかった。色も形も『沼のほとり』や『遺品』に書かれてあるとおり。土瓶は末子の編んだ茶色の網でちゃんと包まれていて、想像していたより遥かに小さなサイズでした(直径8cmくらい)。浮子は丁寧に削ったと勘助自身も書いているけれど、素人離れした出来。朱と黒の漆塗りも美しかった。

「尾崎君とは話したことはありませんが顔や声はよくおぼえてをります」という荻原井泉水宛書簡。昭和15年5月。
尾崎放哉って中勘助と一高&東大の同期だったのですね(学部は別)。漱石つながりでもあるのかな。放哉サンは、私が「もう人間の煩わしさから逃れて独りになりたいっ(>_<)」となったときに必ず思いとどまらせてくれる有難~い御方でございます。

森鴎外の次女小堀杏奴宛の書簡
2006年に発見された小堀杏奴宛の159通の手紙の一部(なので全集には載っておらず、『鴎外の遺産3』に収録されています)。末子と勘助より。誤解を恐れずにいえば、末子と勘助の文章はどちらも、仲のいい夫婦のそれにしか読めません(じゃれあっている)。金一が妬ましく感じたとしても無理はないというか、それで横暴に振る舞うから更にこの二人の結びつきは強いものになってしまうという悪循環だったのかなぁ・・・。ところで手紙の中で末子は杏奴の息子鴎一郎のことを「それ以上可愛くなったら、食べてしまいますよ」と書いております。だから勘助だけではないよー、とロリコン疑惑に少しだけ異議を唱えてみる。

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の著作の蔵書
漱石の本は好まなかったけどハーンの本は好きだったのね。

テライケメンな金一兄さんの写真
お兄さんのお顔、初めてちゃんと拝見しました。勘助も綺麗な顔をしていますけど、若い頃の兄さん、イケメンすぎ。
岩波「図書」で菊野美恵子さんが書かれているところによりますと、彼らの親戚曰く「(倒れる前の)金一さんのおきれいだったこと、素敵だったことは勘助さんなんか問題にならない」とのこと。

・漱石がしかめっ面で、勘助はサワヤカ君で写っている一高卒業式の集合写真
こういう集合写真で見ると、本当に漱石は小柄な人だったのねぇ・・・。

塩田章の手帳
昭和14年の出会いから昭和40年に勘助が倒れる前日まで、塩田はその談話を手帳に書き留めていました。とっても小さな手帳に小さな丁寧な字で(最後の手帳は大きめでしたが)。「キリスト教にも仏教にも空の思想があるのは面白い」というものや、漱石の話題に花を咲かせ「生前あまりお話しできなかったのに、先生が亡くなってからはなつかしく思いだされます」(昭和26年8月)といったもの、そして倒れる12時間前に勘助と話した内容についても。

小堀四郎画 中末子像
静岡市蔵で、今回初公開とのこと。これも見られて嬉しかったですねぇ。これについて書かれてあるのは『蜜蜂』だったか。勘助はこの絵を生涯大切に手元に置いていたそうです。
※追記:小堀四郎宛の書簡によると、実際に完成し手渡されたのは昭和36年のようです。

末子の画帳(昭和五年十二月 末子、の日付と署名あり)
『蜜蜂』口絵の原画といわれる木賊(トクサ)の絵が描かれています。

・末子について詠んだ「雨も悲し風も悲し」「肩すそさせのこほろぎは」の詩稿(浄書)

静岡時代の日記帳数冊
15×20cmくらいのノートに小さな字でびっしり書かれてありました。

この他にも多数の書簡や草稿などが展示されてありました。



文学館


梅雨明けの猛暑でガラガラな港のみえる丘公園
三連休の最終日なのにこの空きよう^^;
つきあたりは大佛次郎記念館。


お約束のベイブリッジと麒麟のような大黒ふ頭のクレーン


アメリカ山公園の花もカラカラ


アメリカ山公園のアメリカノウゼンカズラ
こんな色のノウゼンカズラもあるんですねー。


暑いし空腹だしで、元町の手近な店でビーフシチューランチ。1120円也


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中勘助全集 全17巻 岩波書店

2015-07-18 00:12:54 | 




数ヶ月前にスコティッシュバレエ団の公演キャンセル返金分で漱石の初版復刻版14冊を揃えたワタクシですが。。。
本日、中勘助全集全17冊を買ってしまいました  アテルイを身売りに出して(御免よ染&勘&七
しかし身売り金は3000円で(最安席だったもので)、全集は5100円。
まぁ差額は外食を減らすなどして工面することにいたします。。

しかし漱石にしてもこれにしても、古本とはいえ、著作権が切れている&もうすぐ切れるとはいえ、安いですよねぇ。世の中はみんな電子化なのでしょうかねぇ。
この全集、発売当時(1989年)の定価は一冊3500円なんですよ。それが17冊でこのお値段なのだもの、紙媒体フェチな私は我慢なんてできない(>_<)
満足&幸福でございます

問題は・・・金額よりも置き場所なのよね・・・

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嶋大夫さんも人間国宝に!

2015-07-18 00:12:33 | その他観劇、コンサートetc


嶋大夫さん、人間国宝認定おめでとうございます



なんと、仁左さまと同時に嶋大夫さんも!!
今年、一生私の心に残るであろう素晴らしい舞台を見せてくださったお二人なので(仁左衛門さん@菅原伝授、嶋大夫さん@桂川連理柵)、お二人同時の認定、心から心から嬉しく思います。

これからもいっぱい素敵な舞台を見せてくださいね(*^_^*)


※年を重ねて情を表現 人間国宝に文楽太夫の豊竹嶋大夫さん

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仁左衛門さんが人間国宝に!

2015-07-17 19:45:35 | 歌舞伎

仁左衛門さん、人間国宝認定おめでとうございます

思い入れのある関西での歌舞伎公演中の認定決定、お喜びもひとしおでしょうね(*^_^*)

記者会見でのお話には色々色々考えさせられますが(後進や会社に向けたくだりは本当に・・・)、まずは本当に、おめでとうございます。

私にとっても幸せなニュースでした。
今夜は乾杯しなきゃ~



にざさん嬉しそうで嬉しい^^


仁左衛門が重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)の喜びを語る(歌舞伎美人)

※「責任の重大さ感じる」 歌舞伎の片岡仁左衛門さんに人間国宝

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中勘助 『銀の匙』と『提婆達多』

2015-07-17 01:08:22 | 




『銀の匙』の前篇と後篇で筆致が変わることについて、「後篇の主人公の二面性に驚き、不快に感じた」という感想を時々見かけるのだけれど、不快云々はともかくとして、そこに“二面性”はあるだろうか。前篇にも後篇にも、また『犬』や『提婆達多』のような作品にも、一貫して同じものを感じるのは私だけではないと思う。

そもそも『銀の匙』は、それほどほのぼのとした優しい物語だろうか。この「生きもののうちでは人間が一番きらいだった」と回想されている少年の物語が(しかもこれは前篇の文)。
これはよくある内気な子供の人見知りなどでは決してなく、もっと彼という人間の根本に根ざしているものなのだと私は思う。
前篇の少年と後篇の少年はまぎれもなく同一線上にいて、後篇では成長して自我も確立され社会との関わり方に変化は起きているが、彼の中のそういう面は依然として存在し、場合によってより明確になっている。

で、その後篇。
成長した彼の「なにより嫌いな学課は修身」であり、彼は教師に「先生、人はなぜ孝行しなければならないんです」と尋ねる。そして「君がご飯を食べられるのもお腹が痛いときに薬を飲めるのも親のおかげだからだ」という教師の答えに、「でも僕はそんなに生きてたいとは思いません」と返している。
これは後に書かれる『提婆達多』の阿闍多設咄路と父親の間で交わされる会話と同じだ。「お前を生み育てた恩を忘れたか」と言う父親に、阿闍多設咄路は答える。
「恩とは何か。それはこの世に生をうけたることをもって無上の幸福とするものにむかって用うべき言葉である。私にとっては讐(かたき)である」
これらの言葉が勘助と家族との特異な関係に起因していることは間違いない。
ただ、これには続きがある。阿闍多設咄路は最後に親の愛(※家族制度をではない)を解し、自らの行いを心から悔い改め、仏陀により心の安らぎを得るのである。
一方、最後まで悔い改めるということを知らなかった提婆達多は破滅する。
この阿闍多設咄路と提婆達多は、どちらも人間の、作者自身の“なり得る姿”として描かれているのだと思う。銀の匙の少年の、その後の姿である。また兄の姿でもあったかもしれない。
注がれる愛を信じ、そのことで魂の安らぎを得た阿闍多設咄路。
他者を信じられず、愛を解せないまま、あるいは解しかけてもそれを心安らかな道を歩み直す機会とすることができないまま、嫉妬と憎悪の炎の中で死んだ提婆達多。
後年、勘助は次のように言っている。

「ダイバダツタ」は家庭の事情から完成がひどくおくれて先生に見ていただけなかった。それをかえすがえすもざんねんに思う。骨をおったから  というのでもよくできたから  というのでもない。「銀の匙」とはまったく質のちがったものゆえあらためて先生のひひょうがききたかったのだ」
(少年少女日本文学全集 第2巻月報)

漱石は『提婆達多』も好きだったと思うよ。『こころ』と似てるもの(言い切り)。
漱石が先生を殺すことで自分の中の明治に一つの別れを告げたように、勘助は提婆達多を殺すことで一歩前へ進もうとしたのではないだろうか、というのは考えすぎかな。

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中勘助と兄金一

2015-07-15 19:33:51 | 

勘助の作品を拾い読みしていると、勘助が兄を形容するときの烈しく冷ややかな言葉に(その理由を知ってはいても)心臓がどきりとし、時に困惑する。
けれど全集を順に追っていくと、彼の兄に対する感情がどういうものであったのかがよりわかってくる。
銀の匙から30年、その人生に最も大きな影響を与えた末子、妙子、金一の三人を立て続けに亡くした昭和17年。
勘助の作品はその多くが随筆なので、時代を追って読むと、彼の人生を一緒に生きているような、そんな錯覚を覚える。子供だった人物が大人になって、それぞれが悩み、苦しみ、その中に微かな歓びを見い出し。そして亡くなって。
なかでも彼が身近な人の死を書くとき、その筆の澄みきった静けさ、美しさは比類ないものとなる。


昭和十七年
五月十四日

お経のあがる日なのをうつかり兄にいふことを忘れたもので、降つたり、やんだり、照つたり、曇つたりの空模様をみて落ち着かなかつた兄は雲がきれてさつと日がさすのをきつかけに玉川へハヤ釣りに出かけた。お経の始まる時にひとりぼつちの自分をみてやつと気がついた私は、困つたなー と思ふひゃうしにこんなことを考へた。姉はきつとまつ白な可愛らしい魚になつて兄の鉤にかかるだらう。そして玉虫みたいな光を放ちながらビクのなかからものをいひかけて兄を発心させるだらう。

十月二十七日
…父の歿後、兄さんの最初の発病以来、三十三年のあひだに母を見おくり、あなたを見おくり、今また兄さんを見おくつて、家族に関するかぎりやつと私の役目を果たした今、ほかの仕事の完成とちがつてそこにすこしの喜びもなく、とにかくおろした重荷のかはりに今度は肩がはりのできない寂寥を背負つて歩かねばならぬことになりました。数十年前の私の予言は不幸にして殆ど完全にあたつた、私の家庭の紛糾は皆が死にたえてはじめてをさまると。

わが泣く涙
数もなく
三つ瀬の川におちて
はやになり
たなごになり
兄の鉤にかかれ
嬉しさうに
満足さうに
ももの苦を忘れて
ほほゑみ顧る
あの顔をみよう

(『蜜蜂』)



はつ鮎

藁科川に初鮎をつるかたがた
もしや脚絆わらぢの釣り支度で
竿をもたない年寄がいつたら
お邪魔でもすこし席をあけて
釣りを見せてやつてください
背の高い半身不随の
ものいへない年寄です
彼はわれとわが心から
淋しく 苦しく 不仕合せで
釣りのほかには楽しみがなく
これといつて慰めもありません
老衰のうへに病気もてつだつて
重たい鮎竿がもてないため
さうふしてひと様の釣りを見てあるきます
そんな老人にお逢ひでしたら
私の伝言を願ひます
私はここにきてゐると
うきや糸まきおもりなど
かたみの品もあるから
ゆつくりよつて休むやうにと
どうぞ皆さんお願ひします
彼は私の亡くなつた兄です

(昭和十九、六、一)

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中勘助 『提婆達多』 

2015-07-11 22:28:21 | 

君は隊商の車の轍を教えてくれます。市城の外にひろがっている美しい草原を教えてくれます。雪白の駒を駆って道に花を散らして行く可愛い子供の一隊を教えてくれます。耶輸陀羅姫が象に乗って通る道の人間の息、獣の息、汗の匂、被具の匂、踏躙られる葉や花の匂を教えてくれます。我々はそれを読んでいる内に実際に生きて動いている古代印度に接するのです。



第一に私はこの題材が正面から取扱われていることを嬉しく思いました。逆説的な奇矯な題材の捕え方は、うまく罠にはめられて喜ぶ読者には一時の快感を与えるでしょうが、芸術に尽きざる生の泉を求める我々には、神経だけを緊張させる活動写真と同じく、何の生も美しさも感じられないのです。提婆達多は仏陀との対照の故に、この危険の多い題材と思います。しかし君は逆説的な概念に陥らず、この対照の内に普遍人間的な永遠な問題を認めました。それは二千数百年来多くの人間がそこに認めたと同じものです。しかも君はその同じ見方から君自身の特異な、深い、提婆達多を描き出したのです。

(和辻哲郎 岩波文庫『提婆達多』解説より)

『銀の匙』って漱石の『坊っちゃん』に似てると思うのだけれど(坊っちゃんの方が温かみはあるが)、『提婆達多』は『こころ』に似てるなぁと思う。
提婆達多/先生のエゴとか、耶輸陀羅姫/奥さんの存在感の薄さとか(和辻哲郎は反対の印象のようだけど)、提婆達多/先生の悉達多/Kに対するそれって恋じゃね?レベルの執着とか、悉達多/Kがストイックで求道的な人間であるところとか(悉達多は仏陀になり、Kは道に挫折し自殺するが)。
まあ勘助は漱石の作品をほとんど読んでいないようなので(一応先生なのに^^;)、影響云々はないのだろうけれど。

悉達多やKや先生はもちろんですけど、提婆達多もつまるところすごく純粋で真面目ですよね。こういう純粋さは作者の反映なのか書かれた時代の反映なのか。今の時代を生きる私からみると眩しくさえ感じます。

そして毎度ながら勘助の「まるで自身が体験しているかのような」表現力は物凄いですね。壮絶なくらい。

「提婆達多」は幾多の欠点をもっているけれども私が魂をもって書いたものである。(『蜜蜂』)

提婆達多は最後、救われたのだろうか。
この作品の最後の一文を読むと、宗教というものについても考えさせられる。
少なくともキリスト教的には彼は絶対に救われませんよね。永遠に地獄、ですよねたぶん。仏教的には、どうなのだろう。


※追記
で、調べました、提婆達多のその後(wikiっただけだが)。
通説では「三逆罪を犯したため、生きながら無間地獄に落ちる」そうですが、法華経では成仏して天王如来になるそうです。この小説ではどちらとも書かれていないけれど(だからこそ心に余韻を残す終わり方となっている)、勘助にはこれとは別に『提婆達多』というタイトルの詩があって(S11.5.6)、そこでは「成仏して天王如来とよばれ遍く衆生を度す」とあります。救われる、あるいは、救われるべきである、というのが勘助の思いだったのでしょうか。

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NEWシネマ歌舞伎 『三人吉三』

2015-07-03 13:51:29 | 歌舞伎




※ネタバレありですよ~

口と音声が合わない箇所がチラホラで串田さんもっと丁寧なお仕事頼ミマスだったり、
3時間半だった舞台を大幅カットし2時間15分にしたせいか全体にアッサリ印象になってしまってたり、
三人が息絶える場面の無音が超不自然に機械的だったり(やりたいことはわかる気はするが映像で観るとなんだか陳腐・・・)、
多用されるストップモーションやら、(上のポスターの)現代風の彼らの画像withロックな〆やらがイチイチ安っぽかったり、
とまあ言いたいことは山ほどございますが(言ったけど)、
これはコクーン歌舞伎。
悪くも良くも歌舞伎座のそれとは違いますし、その映像化でも守りに入らずガンガン攻めていく姿勢は大いに評価したいと思います 好みは別として。
それに普段あまり生の舞台を観ない人達には、こういう方が映画のように観られて親しみやすいかも。ということは新しい歌舞伎ファンを増やしたいというコクーン歌舞伎の意図に適ってるわけで。

「映像作品」を意識して再編集されているので「舞台」のリアル感が大幅に減ってしまっていたのだけは、仕方がないとはいえ残念でございました。普通のシネマ歌舞伎はもっと舞台感がありますもの。
あ、勘九の「松嶋屋のおじが~」ももちろんカット うん、わかってた・・・。

舞台そのものの感想は、去年コクーンで観たときとほぼ同じです(舞台の見え方や照明は肉眼で観た方がずっと美しかったですけど、それは衛星劇場やNHKでも同じですし)。
三人とも本当に当たり役。
特に勘九郎の和尚、やっぱりいいわ~ 暗闇の中の寂しい魂が感じられて・・・。
歌舞伎は観るけど去年の舞台は観ていないという方、あるいは歌舞伎自体をまだ一度も観たことがない方、2100円は高いですがそれだけの価値は十二分にありますから、ぜひぜひお近くの映画館へ!!





そういえば、大川端。本家三人吉三では和尚とお嬢がお互いに、そしてお坊は一人でセルフ止血だけど、コクーンでは和尚が身代わり猿を取りに行ってる裏でお坊&お嬢がラブラブに止血し合っておった。お坊のセルフ止血、結構好きなんだけどな。

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