風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

『桜姫東文章 ~上の巻~』 @歌舞伎座(4月14日)

2021-06-03 00:23:27 | 歌舞伎




あまりにも遅くなりましたが、4月の歌舞伎座の感想を(以下、「今月」とは4月のことです)。
第三部『桜姫東文章 ~上の巻~』を観てきました。
発売と同時の瞬殺チケットだったため、この日を逃したら観られない。ファンからの要望はエベレストの山ほどあったはずなのにこのコンビでの再演は36年間なかったことを思うと、今回が一世一代となる可能性は高い。どうかどうか中止にならないで(>_<)と開演直前まで気が気ではなかったけれど、無事開演してくれました。心臓に悪い。。。

で、感想ですが。
こんな事を書くのは不謹慎かもしれないけれど、これは命を賭けても観逃してはならない舞台だわ、と観ている間中ずっと感じていました(実際、最近の私は「これを観に行って死んだとしても後悔しないか?」「しない!」と自問自答して観る作品を選んでおります…)。
なにより舞台から発せられる仁左玉のオーラが、呆然とするほど。。。「伝説のコンビ」「奇跡のコンビ」と言われ続けてきたお二人だけれど、本当に「伝説」や「奇跡」という言葉はこのコンビのためにあるのだなあ、と改めて実感したのでありました。
36年前の舞台の抜粋映像も見たことはあるし、期待もめいっぱいに膨らませて行ったけれど、そんな仁左玉ファン達の長年の積もり積もった大き過ぎる期待と、現在77歳&70歳になられたお二人がこの作品を再演することへの微かな心配を、軽やかに超えて舞台上におられた仁左衛門さん&玉三郎さん。
お二人揃った舞台は2月に観たばかりだったけれど、今月のこの『桜姫』でのお二人はなんというか、、、言葉にならん。本当に私と同じ人間なのだろうか。

【江ノ島稚児ヶ淵の場】
冒頭、真っ暗な中に響き渡る捜索隊の声と揺れる無数の提灯。この空気からもうたまらない。
捜索隊が去って、人目を忍ぶように花道から登場する白菊丸(玉三郎さん)と清玄(仁左衛門さん)。この場面で既に長年のこのコンビならではのお二人の空気に胸がいっぱいになるワタクシ。
「未来では女に生まれてお前と夫婦になりたい」と言い、躊躇皆無でさっさと暗い海に身を投げる白菊丸
えっ、ちょ、待っ…!驚いた清玄は自分も後を追おうとするけれど、追い・・・きれない。死ぬのはやっぱり恐ろしい・・・。
そこに波間からさっと飛び立つ一羽の白鷺。天にのぼる白菊丸の魂でしょうか。手を翳す清玄。ここのニザさまの姿が超絶美しいの
落ちる幕。

【口上】
芝居小屋の座元による口上。今月上演されるのは上の巻で、下の巻は六月に上演することが伝えられます。歌舞伎のこの”お芝居”感、大好き!江戸時代の芝居小屋でお芝居を観ている気分になる
「さて、あれから17年後」。

【新清水の場】
幕が開くとぱっと明るい華やかさ
沢山の侍女たちを引き連れた赤い着物の17歳の桜姫(玉三郎さん@二役)。玉さま、お美しい。。。。。。。玉さまの周りだけ空気の色が違う。。。。。。
桜姫が白菊丸の生まれ変わりと知り、愕然とする清玄。

桜姫の弟松若は、千之助くん。2月に上演された『隅田川』の死んだ息子梅若丸は、この松若丸と双子の兄弟。つまり『桜姫~』も「隅田川もの」なんですね。

皆が去った後、釣鐘権助(仁左衛門さん@二役)登場。色悪ニザ様こういうお役はもうお手の物ですよね。
花道の引っ込みで気だるげに「入相の鐘〜」を口ずさむニザ様、素敵すぎる。。。。。

【桜谷草庵の場】
ハイ、皆さんお待ちかねの場面ですよ~~~。36年前に孝玉ファン達によって剥がされまくって街から消えたという伝説のポスターの場面。
今回の私の席は三階三列目だったんですけど、この場面、上階から見るともっのすごく美しいのです
ポスターと同じく桜姫の脱いだ着物が床に広がるところ、玉さま、さり気なくちゃんと整えて広げていた。だから上階から見ると、その桜色が本当に綺麗に映えるんです。
鶯が鳴くうららかな春の中の権助&桜姫の濃厚濡れ場。
ここはあれだよね。36年前の映像からさらにパワーアップしていたよね。ニザさま、本気の濡れ場モード。こういう場面で吹っ切ってくださるニザさまが好き!ここは今回映像配信された日の舞台と比べても、私が観た日は更にエロかった。そんな権助と歌舞伎あるあるな肉食系姫様な桜姫(というか1年前に自分をレイプした男に惚れてずっと忘れられずにいるって・・・桜姫よ・・・)。長年のコンビならではの息の合ったお二人の演技は国宝級ですよね(どちらも人間国宝だけれども)。もうひたすらため息が漏れます。
すだれの下から覗く桜色の着物の裾。まるで雪岱の絵のようで、色っぽくて美しかったなあ
そして無実の罪を引き受けた清玄の上に散る桜の花弁。ここのニザさまも超絶美しいの(>_<)
この草庵の場は、長浦(吉弥さん)&残月(歌六さん)のネチョネチョ感も楽しかったです笑。

(休憩15分)

【稲瀬川の場】
草庵の場では美しいお二人による美しい濡れ場に陶然とさせてもらった私ですが、今回の舞台でより印象的だったのは、この稲瀬川の場以降の清玄&桜姫の姿でした。いまやとなった二人。
南北の重みと軽み!深みと浅み!人間の表と裏!そしてなによりの美しさ!南北の美の世界、最高だねえ。こんなに退廃的で倒錯的でエログロナンセンスでめちゃくちゃなのに、作者は冷徹なまでに俯瞰の視点を貫いているところも好き。決して自分に酔うことはない。こういうところもシェイクスピアと似ているなと感じます。
巻雲に浮かぶお月様の書割も素敵
突然「こうなったら祝言を」と桜姫に迫る清玄(本性でた)。「愚僧が〜」ってほんとに愚僧だよ。執着と煩悩の塊だよ。だがそれがいい。その人間臭さが好き。弱さが好き。愚かさが好き。
桜姫の赤子(権助との間の子)を腕に抱き、桜姫の姿を追って花道を去る清玄。。。。。

【三囲土手の場】
ああ、この舞台の暗さ。
落ちぶれても美しい二人。
落ちぶれて一層美しさが増す二人。
空からそぼ降る雨。
お二人とも雨が似合う。。。。。
雨に濡れた暗闇の土手も二人の着物も全てが寂しく褪めた色合いの中で、清玄の腕の中の赤ん坊をくるんだ桜姫の片袖だけが鮮やかな赤のまま変わらないのが眩しく、そして悲しい。
ワタクシ思うんだけど(ちょっと語らせて)、最近は「人生は目的をもってできるだけ前向きに幸福に生きるべきで、そうでない人生は残念な人生である」という価値観が基本となっているように思われるけれど、文楽や古典歌舞伎を観ていると、人生というものの正体はそういうものではないのではないか、と感じる。このボロッボロでどうしようもない泥の中で僅かに輝きを保っている赤い袖(しかも袖の主とは前世では両想いだったが、現世では想いは一方通行のまま)。本人以外にはなんの価値もなく、独りよがりで、時に自分勝手で、善悪とは別のところにあるものだけれど。でも多くの人において、人生の正体は案外こういうものなのではなかろうか、と決してネガティブな意味でではなくそう感じる。
そして台詞の中で幾度も出てくる「因果」という言葉が、やるせなさだけではない響きをもって耳に届くのでありました。

物語は6月の歌舞伎座『桜姫東文章~下の巻~』に続きます。


三島由紀夫と『桜姫東文章』
『桜姫東文章』は鶴屋南北が63歳のときの作品ですが、 1817(文化14)年の初演は大入りだったにも関わらずそれから110年間上演が途絶え、再演されたのは昭和に入ってから。そして現在のようなほぼ原作どおりの全編が再演されたのは1967(昭和42)年のことだそうです。
このとき補綴・演出を務めたのが郡司正勝で、「稚児ヶ淵の場」が初めて再演され、清玄が死に遅れた時に飛び立つあの白鷺も原作にはない郡司による創意だそうです(犬丸治さんのtwitterより)。
この1967年の「稚児ヶ淵の場」で白菊丸を演じたのが、当時16歳の玉三郎さんでした(このとき玉三郎さんは白菊丸としてのみの出演で、桜姫を演じたのは8年後の1975年とのこと)。舞台を観ていた三島由紀夫は玉三郎さんの白菊丸にすっかり魅了され、1969(昭和44)年には自身の作品『椿説弓張月』の主役として玉三郎さんを抜擢しています。
ところで三島の『桜姫東文章』への思い入れは強く、1959(昭和34)年に監修を務めた際には「『桜姫東文章』は南北の傑作と云つてよい」とまで言っています。この作品自体の面白さはもちろんでしょうが、この作品が輪廻転生の物語であることも三島の興味を惹いたのではないかなと想像します。
以下は、1967年の再演時のプログラムに寄せられた三島の文章からの抜粋です。鏡花についての文章もそうだったけど、三島って洞察力と表現力が素晴らしいよね。死なないでもっと長く生きて、もっと書き続けてほしかった、とやはり思ってしまうな。。

女主人公の桜姫は、なんといふ自由な人間であらう。彼女は一見受身の運命の変転に委ねられるが、そこには古い貴種流離譚のセンチメンタリズムなんかはみごとに蹴飛ばされ、最低の猥雑さの中に、最高の優雅が自若として住んでゐる。彼女は恋したり、なんの躊躇もなく殺人を犯したりする。南北は、コントラストの効果のためなら、何でもやる。劇作家としての道徳は、ひたすら、人間と世相から極端な反極を見つけ出し、それをむりやり結びつけて、恐ろしい笑ひを惹起することでしかない。登場人物はそれぞれこはれてゐる。手足もバラバラの木偶人形のやうにこはれてゐる。といふのは、一定の論理的な統一的人格などといふものを、彼が信じてゐないことから起る。劇が一旦進行しはじめると、彼はあわてて、それらの手足をくつつけて舞台に出してやるから、善玉に悪の右足がくつついてしまつたり、悪玉に善の左手がくつついてしまつたりする。
こんなに悪と自由とが野放しにされてゐる世界にわれわれは生きることができない。だからこそ、それは舞台の上に生きるのだ。ものうい春のたそがれの庵室には、南北の信じた、すべてが效果的な、破壊の王国が実現されるのである。

(三島由紀夫:「南北的世界」『国立劇場プログラム 昭和42年3月』)








ロシアの政府系メディアRussia Beyondで紹介されていた、3月に銀座にオープンしたばかりの東京初のロシア食品専門店『赤の広場』。歌舞伎座のすぐ裏だったので、行ってみました。お値段は高めだけど(写真の商品だけで2400円くらい払った)、近くて遠い国ロシアを気軽に体験できるのは楽しい。記事で紹介されていたアレクサンドロフのスィロク(チーズをチョコレートでコーティングした冷たいお菓子。写真左上の箱)も、濃厚な味で美味しかったです


片岡秀太郎さん

2021-05-27 14:20:06 | 歌舞伎

©松竹

 舞台に出てくると、それだけで上方のにおいが立ち込めた。・・・
 上方歌舞伎とともに生きた人生であった。戦後、経済や文化の東京一極集中などさまざまな要因で、関西での公演が激減。多くの俳優が東京に移り住んだ。秀太郎さんの本拠地での活躍の機会は失われていく。
 それでも秀太郎さんは関西を離れなかった。父、十三代目仁左衛門さんの志を受け継いだこともあろう。東京に誘われたこともあったが、「私はここで歌舞伎をやっていく」と関西に残った。「大阪や京都の町や人が好きなんです」と。・・・
 上方歌舞伎は情の芝居。秀太郎さんはその情を体現した生粋の上方の役者であった。
2021年5月27日 産経新聞


秀太郎さん、亡くなられたんですね…。
23日に亡くなられて、今日松竹が発表とのこと。
今月5日までお元気にブログを更新されていたのに。79歳はまだ若いよ…。

お父様が長生きされたので、松嶋屋ご兄弟は皆さん長生きされるのだろうと、何故か思い込んでしまっていました。
先日歌舞伎座で六段目を観ながら、魁春さんのお才もとっても素敵だけれど、秀太郎さんの上方の廓の空気を感じさせるお才も素晴らしかったなあ、と思い出していたところでした。
お才について秀太郎さんは2009年のブログで「何度か演じていますが、仁左衛門の勘平では初めてです。京都・祇園町の置屋(遊女や芸妓を抱える店)の女将ですが、原作では才兵衛と云う置屋の主人を歌舞伎では女将に置き換えています。ともすると重く成り兼ねないところを、男性を女性に置き換えて、はんなりとした雰囲気を醸し出す、歌舞伎独特の演出です。酸いも甘いも噛み分けたお人よし。情もあり、それでいて人の扱い方も上手く、仕事はしっかりこなす女将で、私の好きなお役です。」と。
こういうお役が秀太郎さんは本当にお似合いだった。『吉田屋』のおきさも、『封印切』のおえんも。一方で、当たり役と言われていた梅川も、是非観てみたかったな…。
藤十郎さんに続いて、上方の空気を体現できる役者さんがまた一人いなくなってしまい、上方歌舞伎はもう瀕死状態といっていいのでは…(秀太郎さんの存在は私の中では最後の砦のように思っておりました)。

でも泣き言ばかり言っていてはいけませんね。
以下は、藤十郎さんが亡くなられた昨年11月の、秀太郎さんのブログ記事。
「私が尊敬する最後の先輩でした。普段も とても明るく、舞台は華と上方の芸が身体全体に染み込んだ、二人として出ないであろう大好きな兄さんでした。今は弟たちの世代から菊之助〜尾上右近、おおくの精鋭たちが活躍していますが、歌舞伎の質もどんどん変わっています。荒事はともかく、歌舞伎の基礎である上方歌舞伎を守り続けて下さった山城屋の兄さんが身罷られ、私一人、姥捨山に置き去りにされた気持ちです。とは言え成駒屋兄弟や御子息の壱太郎さん、それに虎之助君、上方歌舞伎塾の卒塾生たちがいます。私も泣き言ばかりいわず、与えられた命を彼らの為に尽くし、多くの先輩方の御恩に報わねばと思います。」

秀太郎さんの舞台を最後に拝見したのは、2019年6月の仁左衛門さんの『封印切』でした(冒頭の写真はそのときの舞台より)。
もう松嶋屋三兄弟の舞台を拝見できることは二度とないのだな…。
茶屋の戸口に立っておえんが忠兵衛にかける最後の台詞、「お近いうちに」。あの声、あの立ち姿、あの眼差し。

数えきれないほどの舞台で秀太郎さんが感じさせてくださった歌舞伎の空気。忘れません。
心からご冥福をお祈りいたします。


三月大歌舞伎 @歌舞伎座(3月18日)

2021-04-07 20:09:12 | 歌舞伎




遅くなりましたが、先月の歌舞伎座の感想を。
第二部、第三部に行ってきました。

【熊谷陣屋】
仁左衛門さんの熊谷を見るのは、今回が初めて。
登場したときに「えっニザさん?」となった
なんというか、想像以上に”熊谷”で。
前月の神田祭のような演目も超お似合いなのに、こういう時代物もしっかり演じてしまう仁左衛門さん。知ってはいたけれど、見事なものだなあ。
仁左衛門さんの熊谷は「仁左衛門さんらしい熊谷」で、物語りの部分は須磨浦の情景が目の前に鮮明に浮かぶようでした。また、首を息子のものとしてはっきりと愛情をもって扱っていて、相模に渡す前だったかな、首を腕に抱いて、そっと撫でていたのが印象的だった。。。ただ、熊谷が出家をするのは息子を殺してしまったからだけではなく、若い命がこんな風に散ってしまう世の中に対してのより大きな想いがあったからだと思うのだけれど、そういう感じは必然的に薄くなってしまっているように感じられました。
また吉右衛門さんの熊谷と比べると現世において熊谷が持ってきたであろう執着や屈託のようなものも薄めに見えるので、その上でこそ一層強まるように思われる最後の無常感、花道の胸が苦しくなるような感じも薄めに感じられたのでした。
ただこれは、脇の相模(孝太郎さん)や藤の方(門之助さん)や義経(錦之助さん)が私的にあまりしっくりこなかったせいもあるかも。
そういえば軍次が彦三郎かと思ったら、配役表を見たら亀蔵でした。兄弟だから当然だけれど、似ている。。。

仁左衛門さんの熊谷陣屋は、亡くなった友人が博多まで見に行きたいと言っていた演目でした。調べたら2016年のことでした。もっと早く歌舞伎座でやってくれていたらな。。。ただ友人は仁左衛門さんの熊谷は仁左衛門さんの襲名披露のときに観ていて(1998年)、そのときに買ったテレフォンカードを大切に”宝箱”にしまっていたのだった。宝箱から出して持ってきて、私に見せてくれたことがありました。私が仁左衛門さんの吉田屋が好きだと言ったら、昔の筋書きを持ってきてくれたりもして、、、懐かしいな。。。

【雪暮夜入谷畦道】
これはもう配役的にも安定のお芝居。大好き。
特に前半の雪の蕎麦屋と夜の通りの場面の空気が、本当に好きだなあ。
この演目を観ると蕎麦(江戸風の醤油味の濃いやつ)を食べたくなるのは経験済みなので、ちゃんと家に蕎麦を買っておきました
直次郎(菊五郎さん)と丈賀(東蔵さん)は本当に食べてるんだよねー。

【楼門五三桐】
これは当日の観劇後のメモを元に書いているので、後日に吉右衛門さんが倒れられたから書くわけではないことをまず断っておきます。
この演目を観るのは二度目のはずで(ブログに記録がないので、前回いつ誰で見たのか全く記憶にない。もしかしたらそのときも吉右衛門さんだったのかも)、得意な演目ではなかったので全く期待していなかったのです。
そしたら。
吉右衛門さん(五右衛門)の朗々とした「絶景かな」で本当に絶景が見えた。。。。。。。。。
舞台も客席も歌舞伎座の建物も超えて広がる桜桜桜の絶景。
なんていうおおらかさ、大きさ、気持ちのよさだろう。
どうして私はこの演目を苦手だなんて思っていたのだろう、と過去の自分が不思議になった。
吉右衛門さんの表情に、吉右衛門さんの目にはその絶景が見えているんだなと感じました(実際に舞台上には桜吹雪が舞っていたのだけれど、そういう意味じゃなくて)。
大きいなあ。。。
歌舞伎っていいなあ。。。
今月の吉右衛門さんについては「舞台にいてくれるだけで」みたいな感想を聞いていたけれど、私にはいつもと同じに、というよりも調子がいいときと同じくらいお元気そうに見えて、安心したんです。
ただ脚がひどく細く見えたのが心配だったくらいで…。

幸四郎(久吉)も、舞台映えして綺麗だったなあ
新旧鬼平だ!と嬉しくなった
撮影前からあまり評判の宜しくない新鬼平ですが(吉右衛門さんの鬼平は完璧だったものね)、私は案外悪くないのではないかと想像しているのですけど、どうでしょうね。やっぱりダメだろうか。

後半はやはり三階席からは五右衛門の首から上は全く見えませんでした(うん、知ってた)。

吉右衛門さんのご快復を、心よりお祈りしています。本当に、心から。。。。。
80歳の弁慶、楽しみにしていますよ!!!

【隅田川】
『伊勢物語』第九段「東下り」に、都を捨てて隅田川までやって来た男たちが、川面に浮かぶ鳥の名を船頭に尋ね、「あれは都鳥」と聞いて都を思い出し、涙する話があります。能『隅田川』では、都の貴族吉田家の若君・梅若丸(うめわかまる)が行方不明となり、わが子を探す母は錯乱状態ではるばる隅田川までやって来ます。そして渡し舟の船頭から、人買いに連れられて来た少年がこの河原で死んだと聞き、その少年こそわが子と知るという物語です。この能が、「梅若伝説」を題材にしたものか、能が元で梅若伝説が出来たのかは不明ですが、いまも東京都墨田区の木母寺(もくぼじ)に梅若塚があり、3月15日(旧暦、現在は新暦の4月15日)を梅若忌として、法要が行われています。
能の『隅田川』では母の名はありませんが、能『班女(はんじょ)』が貴族の吉田少将を熱愛する班女を主人公にしたことから、梅若丸の母も「班女」と呼ぶようになり、梅若丸も吉田の少将の子とされるようになります。
歌舞伎や人形浄瑠璃(文楽)でも、隅田川を舞台に幼い梅若殺しを取り入れた作品が多く作られます。
(歌舞伎用語辞典「隅田川の世界」)

この演目も、4月の南北の『桜姫東文章』も、”隅田川物”なんですね。
この舞踊を観るのは初めてで、以前youtubeで部分的に見て印象に残っていた『雙生隅田川』とは別物であることを当日舞台を観て知った
『保名』のようないわゆる狂乱物だけど、玉三郎さんの演技にははっきりした気狂いさはなく、精神的には正常な女性が子を悲嘆に暮れて探し求めている姿のように見えました。これが”玉三郎さんの班女の前”なのだろうな、と感じました。
玉三郎さんだけでなく鴈治郎さん(舟長)も現代的な空気なので、胸にぐわ~~~っと迫りくるような哀れさは薄めで、45分間の上演時間が長く感じられたけれど、最後に班女の前がそれは子供ではなく柳であると気づく場面は辛かったな…。夢から醒めるって一番辛いことだ。
激しくはない、静かであるがゆえの悲しみの空気が胸に残った『隅田川』でした。
でもやっぱり45分は少し長く感じたな

この四つの演目はみんな今の季節のお芝居で、やっぱり歌舞伎は季節に合った演目が一番だな、と改めて感じました。








仕事帰りの夕方に訪れた、友人のお墓のあるお寺で咲いていた桜です。満開でした。
吉右衛門さんが心肺停止らしいと母親からのメールで知ったとき、お墓の前にいたんです。
友人とお地蔵様に「どうか吉右衛門さんをお守りください」とお願いしました。
そして帰宅して、心肺停止は第一報で、その後に救急搬送と発表が変わっていることを知りました。ひとまずはほっとしました。友人とお地蔵様に御礼を言いに行かなきゃ。


二月大歌舞伎『於染久松色読販』『神田祭』 @歌舞伎座(2月27日)

2021-03-01 18:13:24 | 歌舞伎




歌舞伎座の第二部に行ってきました。
こんなご時世だしいつでもチケットはとれるであろうと余裕綽々でいたら、気づけば既にまともな残席はなく、千穐楽は全席ソールドアウト えぇっっっ
そうか、歌舞伎座は今は観客数を半分以下に抑えているのだった。
どうしましょう、と様子を見ていたら、あるとき、千穐楽の前方花横という最高のお席が一席だけ戻っているではないですか
一等席15000円か・・・と迷っている暇はもはやない。ポチ。
というわけで、無事に行ってまいりました。
14時15分開演。

【於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)】
『神田祭』とともに2018年3月以来、3年ぶりの上演。
前回にも書きましたが、この凄み、この軽み。ダークで楽しい南北のお芝居
暗~いボロ屋(莨屋)でのお二人の空気も、油屋での強請も、息がピタリと合ったニザ玉コンビは今回も極上
こういうお役の仁左衛門さんと玉三郎さんが大大大好きだからまた観られて嬉しいし、舞台上のお二人から伝わってくるThe夫婦な空気に、この人達のお芝居を私はあと何回観られるのかなあ、次世代の役者さん達からこういう空気を感じられるようになる日はいつか来るのだろうか、としみじみと有り難いものを見させていただいている気持ちにもなりました。

丁稚長太は、寺嶋眞秀くん。死体に触る前は、お手手ふきふきアルコール消毒
眞秀くんはいつ見ても、堂々と落ち着いていて楽しそう。さすがしのぶさんの息子さん!と毎回感じるのだけど、しのぶさんのblogによると、今月は上手くできなかった日には楽屋口で自分の不甲斐なさに泣き出してしまったことがあったそうで、こんなことは初めてだと。8歳で立派なプロ意識が芽生えているんですねー。先日ご贔屓さんからフグ刺しを贈られた眞秀くん。「今月のお芝居でフグが怖いと思ったらしく"久太みたいになったらやだから千秋楽終わってから食べようかな"と」(blogより)。カワユイ。
ところで眞秀君は菊五郎さんとよりも仁左衛門さんと組むことが多いですよね。なんでだろう。菊ちゃんの家系との事情とか、色々あったりするのだろうか・・・。

※4月の歌舞伎座は『桜姫東文章』とのこと。
仁左衛門さん&玉三郎さんによる上演は36年ぶり。
再演は絶対にないと思っていたこのコンビの桜姫。
エンターテインメントの危機にある今の時代への、お二人からの応援のお気持ちもあるのかな。
もちろん伺います!

(20分間の幕間)
ロビーにしのぶさん、いらっしゃいましたね。
そして幕間の終わりにふと後ろを振り返ると、数列後ろの席に仁左衛門さんの奥様と派手なパツキンの青年が。マスクをしていたけど、あの目元は千之助くん。お祖父さまの舞台を観にきたんだね。この空気をいっぱい感じて、いっぱい学んでいっておくれ!

【神田祭】
あいかわらずの、お二人の華やかさ
『於染久松色読販』の役とのギャップが楽しい
大向うありの満席の客席で観たいタイプの演目だけど、観客は大きな拍手で気持ちを伝えていました。
粋で鯔背なほろ酔い気分の鳶頭の仁左衛門さん。艶やかで華やかで可愛らしい芸者の玉三郎さん。
観客はひたすら二人に酔わせてもらえばいい
「粋」→気性・態度・身なりがあか抜けていて、自然な色気の感じられること。
「鯔背(いなせ)」→粋で、勇み肌で、さっぱりしているさま。
仁左衛門さんを観ながら、こういう”粋で鯔背”な空気を出せる役者というのも、これからの世代ではどんどん少なくなっていってしまうのではないか、とそんなことを思いました(とはいえニザ様も江戸っ子ではなく、西のお方だけれども)。仁左衛門さんとの共演で安心しきっているように見える玉三郎さんも、いつもながら本当に可愛らしい。比類なきゴールデンコンビ。

渡辺保さんが今月の二部について「一つの時代を象徴する舞台である。」と書かれていたけれど、本当にそのとおりであるなあと感じたのでした。ニザ玉コンビを好きな人もそうでない人も、この言葉には誰もが頷くのではないでしょうか。

しかし今は前後左右が空席とはいえ、オペラグラスを覗かなくていい一階席の観やすさといったら。毎回一階席で観たいものよ。。。

3月の歌舞伎座は、菊五郎さんの『雪暮夜入谷畦道(直侍)』
菊五郎さんのお役の中でトップ3に入る好きなお芝居!
そして仁左衛門さんの『熊谷陣屋』!と玉三郎さんの『隅田川』!
吉右衛門さんの『楼門五三桐』はあまり得意な演目じゃないのだけど、玉さまの隅田川とセットなので行くぞ!というかこの石川五右衛門の演目、絶対に観たことがあるはずなんだけど(三階席からは楼門上の五右衛門の顔が見えなかったことを記憶している)、私のブログの鑑賞記録にないのよね。一体私はいつ、誰のを観たのだろう・・・・。

吉右衛門さんは、先月の歌舞伎座を途中で降板されたんですよね。昨年秋に手術をされていたとのことで、ご体調が心配です。昨年11月の『俊寛』のお稽古のときに葵太夫さんがtwitterで「2吉右衛門丈の俊寛は申すまでもなく、現在の歌舞伎の頂点にあり、くれぐれもお見逃しなく…と申し上げたい。いつもおん身を削りながらの熱演で、大変な消耗と思う。千穐楽までご無事に…と祈らずには居られない。」と書かれていて、いつも吉右衛門さんを大切にされている葵太夫さんではあるけれど、いつも以上に吉右衛門さんのご体調を気にされているご様子に少し不思議な気がしていたのだった。そういう理由があったのだなあ。

吉右衛門さんは、昨年の『俊寛』について、ある連載の中でこんな風に書かれていました。
 ・・・思い続けた妻がもうこの世にはいないと告げられた俊寛の気持ち。これまでは驚きと悲しみだけを表していましたが、今回は少し違った思いで演じました。実は私は十月に、あることで手術を受けました。その影響が思ったより体に響いてしまい、大声を出すと息が上がり、立ち上がるのに苦労し、歩くだけで心臓がパクパクします。そんな体調ですが七十年以上役者を続けているお蔭様でしょうか。何とか一ヶ月の公演を終えることができました。自分では気づかぬ舞台に対する執念執着かもしれません。
 手術の後、一晩中苦しく辛く、生の放棄まで頭をよぎりました。その経験を俊寛を演じるに当たって集中してみました。生きたい、生きて都へ帰り生きて妻に会いたいという、それまでの強い気持ちから一転、妻の死を知り、少将の妻となった千鳥に赦免船の座を譲り、島に残ることを決意する俊寛。百八十度思いが変わり、自分を犠牲にして若い者を生かすことにする切っ掛けとなる場面です。生き抜く事、また、次の時代に渡すことも大切な気がします。俊寛のさまざまな心情の変化を経て、浄化の域にまで到達できれば役者冥利に尽きるのですが、ご覧になっていただいた方は、いかがでしたでしょうか。コロナのことも色々な人生の苦しいことも一時忘れてカタルシスに浸り、美しい涙を流していただけたようでしたら幸いです。
本の窓「二代目中村吉右衛門 四方山日記」第十一回 俊寛の心

私は千穐楽の日に拝見しましたが、”浄化の域”そのものでございましたよ~~~

また昨年8月末に映像配信した『須磨浦』については、こんな風にも。
脚本を書き終えるのにかかった時間は三十分くらい。まことにやっつけ仕事だとは思いますが、あの場合、そうでもしなければ作れなかったと思います。伝統歌舞伎はまだ命脈を保っていますよ、忘れないでくださいと、僕は孫の丑之助のためにも申し上げたかったのです。配信をご覧になった方々からは賛否両論ございましたでしょう。・・・なにはともあれ、僕は歌舞伎で大好きな熊谷を演じられただけで、あれ程生の喜びを感じたことはありませんでした。・・・全ての方々に感謝あるのみです。
同上 第十三回 「須磨浦」の動画配信


©松竹
於染久松色読販

©松竹
神田祭


『魚屋宗五郎』『太刀盗人』 @国立劇場(10月17日)

2020-11-28 00:45:27 | 歌舞伎

@報知新聞社

 ――思い入れの強い作品だということですが。

 紀尾井町のおじさん(二代目尾上松緑)から、「これはチーム戦だぜ」って。「チームでやっていかないと面白くないよ。自分のチームをつくれよ」といわれた。それが今回、そのチームがそろっているのでありがたい。やっぱり安心なんですよね、全員いつもの顔がそろっていると、セリフの間ですとか、そんなものが違ってこないので。

朝日新聞 2020年9月)

 開幕後に話を聞いた。菊五郎にとって8か月ぶりの舞台。歌舞伎ができる喜びを「本当に身震いしたね。こんなに仕事休んだことないし、自分の体が役者の体になっているか気になったり。初日に心配は消えたけれど」。はにかみを含んだ江戸っ子かたぎ。本心をそのまま言葉にしないことの多い人が実感のこもった表現をした。歌舞伎が人生そのもので、生きている証しであることをうかがわせる。

 感染予防で制約の多い中での公演。「大向こうの声もないし、ひとつ空けての客席でしょ。思った以上に雰囲気は違う。歌舞伎がいかにお客さまの力との相乗効果で盛り上がってきたか。痛感させられるよね」

 今月は歌舞伎座、名古屋・御園座とコロナ禍では最多3劇場で歌舞伎上演中。感染リスクはゼロでなく、満員でない日が続く。特に歌舞伎人気を支えてきた高齢層が戻ってきていないことが大きい。しばらく試練の時だろう。「引っ込みグセがつくと再び出て来てもらうのは大変。どうすればいいのか。でも対策や経営まで役者が考えて神経使うと自分の本当の“お仕事”がおかしくなるからね」

 公演のない間、ウォーキングを中心に体力維持に努めた。この間、15年間かわいがっていた大型犬が死んだ。「女房(富司純子、74)と2人でいても会話が減って家の中がシ~ンとして。子猫2匹を買ってきた。うん、かわいいよ。娘(寺島しのぶ、47)や孫(寺嶋眞秀、8)もたまに顔見せるけれど、あれは完全に猫見たさで来てるな」

 現在、長男・尾上菊之助(43)の息子、尾上丑之助(6)とも共演中。「孫とも楽屋は別々なんだ。母親が心配して楽屋に来たくても自由に入れない。僕なんて第2部に出るから第1部の者が一人でもいたら入れない。3日連続で待たされた。こんなの初めて。びっくりするよ」

 ウィズ・コロナ時代の新しい生活様式。歌舞伎俳優を束ねる日本俳優協会のトップとしても悩む。「新様式に慣れないね。あいさつも元気よくできない。マスクを着けての稽古は長ぜりふだと苦しい。歌舞伎は密で始まって密、密、密。密大好きで成り立ってきたんだよな」と「密の尊さ」を改めて思うという。そして「『この方法で』と言えないもどかしさ。皆さん個々に気をつけて。人に迷惑をかけないようお願いします。それしか言えないもの」

 今月演じている魚屋宗五郎は、音羽屋の家の芸。「毎回これが最後のつもりで」の思いで臨んでいる。じわじわ酒に酔っていく過程が見せ場で至難とされる。「おじいさん(6代目菊五郎)が、昼間に芝居で飲むから『夜飲む酒がまずい』と。信じられなかったけれど、今月は、それが分かるな」。この感覚はコロナ禍もさることながら、さらに芸に磨きがかかったことを意味するのかもしれない。

 若い世代によるオンライン歌舞伎も生まれた。一方で菊五郎はアナログの力を重んじたい。「僕にできるのはただ懸命に舞台に立ち続けること。『今月面白かったよ』というお客さんの口コミの力を信じ、やっぱり大事にしたいんだよ」。原点を見つめ直しながら、踏ん張り続ける覚悟だ。

スポーツ報知 2020年10月)


【新皿屋舗月雨暈 魚屋宗五郎】
11月公演と順番が逆になってしまいましたが、10月公演の感想を。
歌舞伎座で仁左衛門さんが石を切るのも観たかったのだけれど、私は菊五郎さんの宗五郎がとっても好きで、10月は多忙でどちらか一択だったため、こちらを選んだのでありました。
ところでこの演目の正式名称の「新皿屋舗月雨暈」って、「しんさらやしきつきのあまがさ」って読むんですね。”新皿屋舗”が怪談の『皿屋敷』からなのはわかるけど、”月雨暈”とは?と調べてみたら、”暈(かさ)”とは「太陽や月に薄い雲がかかった際にその周囲に光の輪が現れる大気光学現象」のことで、「月が暈をかぶると雨」という言い伝えがあるのだそうです。へ~。歌舞伎のおかげでまた一つ賢くなった。

というわけで、菊五郎さんの『魚屋宗五郎』。
私が観るのは、2014年以来の6年ぶり。なんと、そんなにたっていたのか。
今回の菊五郎さん、一つ一つを丁寧に演じておられるように感じました。といって、もちろん不自然さはカケラもなく。この演目での音羽屋の笑いと泣きのどちらも最高に魅せる絶妙さは、流石ですよね。
前回観た際はどちらかというとお酒に酔っていく場面の至芸に見惚れて絶妙な掛け合いやポコポコした空気に笑ってという印象が強かったのだけれど、今回は妹を亡くした宗五郎の悲しみ、妹への愛情が胸に迫ったな。。。
最初の花道の出の、悄然とした姿。深い悲しみがしんみりと伝わってきた。後ろを向いて木魚を叩いているときも、前回はその姿に可笑しみを感じたのだけれど、今回は彼の心のうちを想像した。そしておなぎから真実を聞いて酒に酔って、前半の最後、殿様の屋敷へとかけていく宗五郎が花道の七三で片肌脱いで前を見据える目と姿には、「ああ、菊五郎さんだなあ」と胸がいっぱいになりました。
今回の公演には寺島しのぶさんが眞秀君と一緒に観に来られていたそうで(私とは別の日ですが)、観劇後にブログでこんな風に書かれていました。
「父の宗五郎は名人芸。酔って屋敷に乗り込む前、七三で片肌脱いで見栄を切ったときには涙が溢れて止まらなかった。・・・芝居が終わり知らないお客様が"音羽屋さんの宗五郎は天下一品ですね"と声をかけてくださった。多分私の返しは"有難うございます"でなければならなかったけど"そうですね。私もそう思います!"と興奮している私は口走ってしまいました。やっぱり劇場はいい!舞台はいい!・・・今のご時世、エンターテインメントに時間や労力を使えない!と思っていらっしゃる方や、怖くて劇場へ行けないとおっしゃる方もいらっしゃるはずです。でも、見てよかったぁーと思えた瞬間、心が豊かになることもとても大事な事だなあと思います。」
本当に、そうだよね。

私はこの演目は菊五郎さん以外では勘九郎で観ていて、勘九郎も「勘九郎の宗五郎」としてとてもよかったけれど、私の大好きな菊五郎さんのタイプとは違うのよね。菊五郎さんのThe 江戸っ子な音羽屋風な宗五郎、継いでくれる人は誰かいないのか・・・菊ちゃんはタイプが違うし・・・と思っていてふと思いついた。松緑は!?おじいさん(二代目松緑)の当たり役だし、イケる気がする!私は見ていないけれど前にやってるのよね。ぜひ極めてほしい!!

脇は、殿様以外は基本的に前回観たときと同じメンバー。みんな本当に上手いよねえ。時蔵さん(おはま)と團蔵さん(宗五郎父)、しみじみとした情が滲んでいて、なんか家族っていいなあと感じました。梅枝(おなぎ)も萬次郎さん(茶屋女房)も抜群の安定感。左團次さん(家老)も、菊五郎さんの宗五郎にはこの方以外の家老はいないと感じさせる。菊五郎さんも仰っているけど、これ以上ないメンバーだと感じる。殿様役は今回は彦三郎でしたが、個人的には前回の錦之助さんのおおらかな感じの方が好きだったかも。
丁稚の登場に大きな拍手が起きていたけれど、丑之助君だったんですね。大きくなったなあ。

【太刀盗人】
この演目を観るのは今回が初めて。狂言が元になっている演目が歌舞伎には沢山あるけど、私、好きなんですよね。深刻じゃないくだらないことを延々とやっていて、悪い人が出てこなくて、というより悪い人も舞台全体のとぼけた温かな空気の中に包まれていて。トゲトゲした気分になってしまうことの多い日常生活の中で、こういうちょっと現代では体験できないような大らかさに触れるとほっとする。
なんてのんびり気分で観ながらも、松緑(九郎兵衛)の踊り、上手いなあ!ハキッと綺麗で、観ていて楽しかったし興奮しました。紀尾井町

コロナ禍で日本中が沈んだ気持ちになっている中で『魚屋宗五郎』や『太刀盗人』のような明るい気分になれる演目を選んでくれたところに「音羽屋らしさ」のようなものを感じた一日でした。
そういえば菊五郎さんのおうちで飼われていたあの真っ白い可愛いワンちゃん、亡くなってしまったんですね。菊五郎さんと並んでいると大型犬が二匹いるようで、見ていて和む光景だったなあ。「2人でいても会話が減って家の中がシ~ンとして。子猫2匹を買ってきた。」と。富司純子さんと菊五郎さんが家でシ~ンとしている光景、、、面白いと言っては失礼だけど、ちょっと面白い。

<評>菊五郎の宗五郎 胸に迫る絶品 国立劇場 10月歌舞伎公演など(東京新聞)


『平家女護島―俊寛―』 @国立劇場(11月25日)

2020-11-27 00:34:44 | 歌舞伎

©国立劇場

 初めて岳父の「鬼界ヶ島」に出演した前回(平成30年9月歌舞伎座)、荒涼とした浜辺の小屋に岳父の演じる俊寛が現れた時に「なんて寂しい海だけしかない荒涼とした世界に、この人は生きているんだろう……」と胸にグッときてしまったことを覚えています。岳父の世界に入れば、自然と「鬼界ヶ島」の世界に入っていけたという感覚もありました。船に乗ってからの最後の別れは、本当に辛くて“断腸の思い”という感情が湧き立ってきました。
 岳父の舞台からは、役になりきって“場”を作り上げ、その世界にお客様をいざなう力を肌で感じました。私もそういう芸を目指したいと思います。
(尾上菊之助)

ぜひ目指して!菊ちゃんならきっと出来る!

というわけで、千穐楽の『俊寛』に行ってきたのです。
日本中でコロナの第三波の緊張が高まりつつあり、国立劇場の第二部も中止となったなか、劇場に入るとちょうど着到(開演30分前を劇場全体に知らせる儀礼囃子)が賑やかに聴こえてきて、歌舞伎というのは本当に本質的に‟縁起のいい”芸能なのだなあ、と久しぶりにほっとするのんびり気分を味わわせてもらえたのでした。

【序幕 六波羅清盛館の場】
吉右衛門さんの清盛(第二幕の俊寛と二役)。
エロくてワルいキッチー最高!老獪な大物感もたっぷり
吉右衛門さんのこういうお役、意外と見る機会がないから、もっと観たいな。
杮落しの『仮名手本~』では師直を観られる予定だったけど、仁左さまの出演中止で配役が変更になっちゃったのよね。代わりにオール吉右衛門さんの素晴らしい由良之助を通しで観られたのだけど。
菊之助の東屋もとてもよかった。凛とした清浄な空気に説得力があって、俊寛への愛情も感じられました。
幕切れの歌六さん(能登守教経)から滲み出る情の深さ、厳しさ、存在感も最高でした。丸本では教経が東屋の首を持って清盛の部屋に行き清盛に諌言する場面があるんですね。吉右衛門さんも歌六さんも素晴らしかったから、その場面も観たかったな。

【二幕目 鬼界ヶ島の場】

・・・近松門左衛門の作品における男女の関係といいますと、大概は色街での色っぽい話が多いのですが、本作では、離れて暮らしている夫婦、遠くにいる男女の愛を描いています。東屋は、平清盛に気に入られてしまったことで自害し、それを夫の俊寛にも知らせるなと伝えます。まさに“究極の愛”、それを受けての「鬼界ヶ島」の俊寛はどうなるか……というのが、今回の私の課題です。
 役者が喜怒哀楽に訴えて、お客様に笑ったり泣いたりして苦しみや悩みを涙で流していただく。芝居というのはそういうものじゃないかなと、私は思っております。この作品をご覧いただいて、泣いて泣いて、コロナのことも苦しいことも、人生のいろんなことを一時パッと忘れていただく。キザな言葉でいえば“カタルシス”。菊之助さんの東屋でしたら、それを感じていただけるかな、と期待しています。
 やっと9月から舞台に立てるようになりましたが、お客様が心から拍手してくださっている時は「本当に役者になって良かった、生きていて良かった」とつくづく感じます。また、そうした嬉しさは、そうでない感情を表現する上でも役立つのではないかと思います。今感じている喜びを、11月の俊寛では真逆の悲しみとしてお伝えし、お客様には涙を流して心を浄化していただければ幸いです。
(中村吉右衛門)

なんかものすごかった。。。。。。。。。。。
吉右衛門さんの俊寛を観るのは2013年、2018年に続いて三度目だけど、観る度にラストの凄みが増している。演技が大袈裟になっているわけではなく、むしろその逆で、自然さと静けさが増している。だからこそ、凄みが増している。

今回の舞台では赦免船が出発するときに互いに言う「未来で」の言葉の重みも、すごく感じたな…。どちらも大袈裟に言っているわけではないのに、胸が苦しくてたまらなくなった。
赦免船の綱が俊寛の手から離れるところは、その容赦のないあっけなさがリアルで、思わず「あっ」と声が出そうになりました。この時が、俊寛と現世の間の繋がりが永遠に切れた瞬間なんだよね…。
そして俊寛が船に「おーい」と呼び掛けて、船からも「おーい」と答えがあって、それも容赦なく遠のいていって…。残ったのは、島にただ自分だけがいる究極の静けさのみ――。実際のところ島には漁師とかがいるわけだから一人じゃないはずなのだけど、もうこの場面はこの世界中に人間は俊寛一人しかいないような、それほどの凄絶な孤独が感じられて。吉右衛門さんはきっと本当の孤独というものをご存知の方なのだろうな…とそんなことを感じました。そして岩へと登る俊寛。

前回観たときは、吉右衛門さんの俊寛にはいま”弘誓の船”が見えているのだな、と感じました。そして彼はこの後に死ぬのだろうと強く感じた。この後に生きている俊寛が、生きている吉右衛門さんの姿が全く想像できなかったから。

でも今回の俊寛には、そういうものさえなかったというか。そういうものを超えた場所にいた、というか。
現世とか来世とか、絶望とか希望とか救いとかそういう名前のつく感情は、あの最後の俊寛の中にはないように見えた。
なんだか今回の俊寛を観てから、私には、俊寛があの時のまま今も鬼界ヶ島にいるような気がしてしまっているんです。彼が島で生きて生活しているような気がする、という意味ではなく。それは生きた人間ではなくて、といって彼の魂が成仏していないとかでもなく。あのラストの場面のまま、今も岩の上で彼が沖を見つめているように感じられるんです。あるいは、あの後にあったはずの現実の死はなく、あのラストの場面のまま彼は消えていったような、そんな風に感じられるんです。それは悲劇とかそういう感じではなく。
うまく言葉にできないな、、、。
と思っていたら、帰宅してから今月の筋書で吉右衛門さんがこんな言葉を仰っていることを知りました。

『赦免船を見送った後の幕切れで、実父(初代白鸚)から「石になれ」と教わりました。俊寛は全てを忘れて身も心も天に委ねたのではと考えております』

ああ。そうです、そういう感じ。。。。。
「石」というと心がないように思えるけど、そういう意味ではなくて。渡辺保さんが今回の吉右衛門さんの俊寛について「心を超えた心」という表現をされていて、うまい表現だと感じました。
吉右衛門さん、最後、涙を流されていましたね。汗じゃないよね。吉右衛門さんってこういうお芝居で涙を流さない方(悪い意味ではなく、泣かずに泣く演技をされる方)のように思っていたので、少し驚きました。
そしてこれは『義経千本桜』と同じく平家物語が元となっている演目だけれど、こういうお話や演目が普通に生まれた時代、仏教が当たり前に生活の中にあった時代というものに今回も思いを馳せ、今の時代とどちらが幸せなのだろう、と考えてしまいました。吉右衛門さんの知盛、もう一度観たいなあと強く思ってしまうけれど、考えてみたらあのお役、四の切の狐忠信と同じで歳をとったらできないお役だよね…。もしかしてもう二度と観られないということは、あったりするのだろうか…。

脇は、やっぱり菊之助の丹左衛門!ニザさまはそれはもう最高に素晴らしかったけど、菊ちゃんもいい!涼しげで爽やかで凛としていて、情もちゃんと伝わってきたよ。そして錦之助さんの成経が、柔らかくて上品でいいなと感じました。
あと葵太夫さん!私、葵太夫さんが今日出られるであろうことをすっかり考えていなくて、でも『鬼界ヶ島』の第一声で「ああ、いい」とうっとりと聞き惚れ、ふと「ん、そういえば吉右衛門さんの舞台ということは…」とオペラグラスで竹本を覗いたら、案の定葵太夫さんがおられた。

お芝居が終わった後、定式幕が引かれて、さらに緞帳が下りるまで、客席の拍手がずっと続いていましたね。よもや吉右衛門さんがカーテンコールをするだろうなんて期待をしている客は一人もいないはずだから、本当に心からの「素晴らしい舞台を有難う」の拍手だったのだと思います。
はぁ。。。。なんだか今年は舞台観劇の数は少ないけど、もの凄い舞台や演奏会を沢山経験できた年だったなあ。。。
まだ感想を書けていないものが二つあるので、近いうちにあげたいです(仕事が忙しくて)。
なんだか今も鬼界ヶ島の俊寛を思って、ぼうっとしてしまっている私がいます。
ああそうそう。今回の俊寛、『清盛館』とセットで上演されたのはとてもいいと思いました。東屋って実は『鬼界ヶ島(俊寛)』の中でとても大きな意味をもつ存在ですし、今回は前半部分のおかげで血肉を伴った東屋を思い浮かべながら後半を観ることができました。吉右衛門さんが『俊寛』を「近松門左衛門が書いた究極の恋愛物語」と仰っているのも興味深かったです。
そして私は今回初めて、『俊寛』の続きのストーリーをネットで知ってビックリ。東屋と千鳥(死んじゃうんだねえ…)の亡霊が清盛を呪い殺すんですって!?さすが文楽。ぶっとんでますね

『平家女護島―俊寛―』中村吉右衛門、尾上菊之助が意気込みを語りました!
【歌舞伎 平家女護島】吉右衛門が示す究極の愛、菊之助が受け継ぐ芸の力 俊寛で心の浄化を

©読売新聞社
ちょっ、それラストの俊寛のマネっこですか??可愛すぎる76歳人間国宝



※追記(2021年2月)
 初代から実父、そして私と三代にわたって演じてきた芝居の数々の中でもこの「俊寛」は特に好きで、いつかヨーロッパで演じてみたいとも思っている演目です。・・・思い続けた妻がもうこの世にはいないと告げられた俊寛の気持ち。これまでは驚きと悲しみだけを表していましたが、今回は少し違った思いで演じました。実は私は十月に、あることで手術を受けました。その影響が思ったより体に響いてしまい、大声を出すと息が上がり、立ち上がるのに苦労し、歩くだけで心臓がパクパクします。そんな体調ですが七十年以上役者を続けているお蔭様でしょうか。何とか一ヶ月の公演を終えることができました。自分では気づかぬ舞台に対する執念執着かもしれません。
 手術の後、一晩中苦しく辛く、生の放棄まで頭をよぎりました。その経験を俊寛を演じるに当たって集中してみました。生きたい、生きて都へ帰り生きて妻に会いたいという、それまでの強い気持ちから一転、妻の死を知り、少将の妻となった千鳥に赦免船の座を譲り、島に残ることを決意する俊寛。百八十度思いが変わり、自分を犠牲にして若い者を生かすことにする切っ掛けとなる場面です。生き抜く事、また、次の時代に渡すことも大切な気がします。俊寛のさまざまな心情の変化を経て、浄化の域にまで到達できれば役者冥利に尽きるのですが、ご覧になっていただいた方は、いかがでしたでしょうか。コロナのことも色々な人生の苦しいことも一時忘れてカタルシスに浸り、美しい涙を流していただけたようでしたら幸いです。
本の窓「二代目中村吉右衛門 四方山日記」第十一回 俊寛の心


藤十郎さん

2020-11-15 13:22:19 | 歌舞伎

坂田藤十郎さんがお亡くなりになりました。
『曽根崎心中』のお初ちゃん、『伽羅先代萩』の政岡、『道行初音旅』の静御前、『山科閑居』の戸無瀬、『勧進帳』の義経、『封印切』の忠兵衛、『帯屋』の長右衛門、『新口村』の忠兵衛など沢山のお芝居を観させていただきました。

藤十郎さんのお芝居を拝見していていつも感じていたことの一つは、舞台に出た瞬間から去るまで「そのお役を生きていらっしゃった」ことでした。そんなこと役者なら当たり前だろうと思われるかもしれませんが、上手く言えないのだけれど、藤十郎さんが実際に舞台の上にいるのは1~2時間だけれど、舞台に出た瞬間にその役の人間がその数時間前、数日前、これまでどういう人生を過ごしてきたのかということを感じることができるんです。藤十郎さんのお芝居からその感覚が抜けたことは、数多くの舞台を観てきた中でおそらく一度もなかったと思います。こういう役者さんって、いそうで意外と少ないんです。

次に印象的だったことは、私が本格的に歌舞伎を観始めたのは歌舞伎座が新開場した2013年からなので藤十郎さんは既にお若いとは決して言えないご年齢でしたが、いつも「そのお役の年齢」に見えたことです。若々しいというのではなく、本当にお若かった。年々若返っているようにさえ感じられました。藤十郎さんが大切に演じられていた『曽根崎心中』のお初ちゃんなんか、もう本当に可愛らしくてねえ・・・。一階席の前方で観ていても女子高生のようでねえ・・・。『道行初音旅』の静御前もそう。ふんわり麗らかな春の日差しのような静御前でした。

そしてやっぱり、上方の演目を演じられているときの藤十郎さんが大好きでした。私が観ることができた藤十郎さんの演じたお役の中で一番好きだったのは、『封印切』の忠兵衛。藤十郎さんの忠兵衛の、あの封印が切れたときの言葉で表現できない舞台上の独特の悲しさ、美しさ。文楽の空気を感じました。あの感じを体験させてくれる役者さんに今後出会えるだろうか・・・。ただでさえ上方歌舞伎は瀕死の状態なのに・・・。

そして最後に、私の印象に残っているエピソードを。
2014年の歌舞伎座での『曽根崎心中』のお初は”一世一代(そのお役の演じ納め)”とされた藤十郎さんにとって特別な公演だったのですが、私が拝見した日、クライマックスの曽根崎の森で徳兵衛が迷いの末脇差しを振り上げて刃先をお初の喉元に突き付けようというまさにそのとき、客席から「やめんといてや!」の掛け声が。そしてお芝居が終わり緞帳が降りるときには「まだまだやれまっせ!」。
・・・まあワタクシ、殺意を覚えましたよね。高い値段を出した一等席だったから猶更ね。
ところが終演後の藤十郎さん門下の扇乃丞さんのFBによると、
「一瞬、此処は道頓堀の中座か京都の南座かなという雰囲気で、師匠も"嬉しいねぇ"と言いながら楽屋へ小走りに戻って行かれました(^○^)」
とのこと。こうなるとこちらも苦笑してあの客を許さざるを得なくなっちゃうというか、この緩さも歌舞伎の良さと思えてしまうというか、少なくともこういう藤十郎さんが私は好きだ、と感じたのでありました。

藤十郎さんのお芝居をもう観られないことがまだ信じられませんが、心からご冥福をお祈りいたします。
たくさんの素晴らしいお芝居と時間をありがとうございました。
山城屋!!!

【妻の扇千景さん「芝居一筋の人」】
坂田藤十郎さんが亡くなったことについて、妻の扇千景さんはNHKの取材に対し、
「まるで眠っているように亡くなりました。10歳から去年12月の87歳まで一度も休演したことがなく、役者のために生まれて役者として死ぬ生涯でした。『曽根崎心中』という当たり芸もでき、いろいろな役をやらせていただき、本当にありがたいことでした。昭和33年に結婚し、62年間になりますが、怒ることがなく、人の悪口も言わず、“芝居一筋”で、ほかのことは何もできない人でした。役者のために生まれた人と結婚しましたが、私が政界に30年いた間もとても協力してくれました。こうして2人で62年もいられたことは、本当に縁だと思います」と話していました。

【鴈治郎さん 扇雀さん「父はスター」】
坂田藤十郎さんの長男、中村鴈治郎さんは、「最後まで若々しく、ずっとスターでいたのを目の前で体感させてくれた人です。そしてそのままスターのままで逝ってしまいました。家の中でも親父という印象ではなかったです。世界中で一番お袋が親父のファンだったと思います」とコメントしています。

また、次男の中村扇雀さんは、「子どものころから、父はスター街道をひた走っていました。そして自分の芸のことにはとても厳しく、自分の芸を高めていくことに人生をささげていて、その背中をずっと見続けてきました。『一生青春』をモットーに、息子も孫もライバルに思っている人でした。そして最期は苦しむことなく安らかに眠りました」とコメントしています。

【片岡仁左衛門さん「関西歌舞伎の旗頭」】
同じ上方の歌舞伎俳優として共演するなど親交が深かった片岡仁左衛門さんは、「私も先ほど悲報を知ったばかりで言葉が出てきません。われわれのような関西出身の歌舞伎俳優の旗頭で、心の支えのような存在でしたので、非常にさみしく、残念に思います」とコメントしました。
その上で、「大阪のにおいというのが体に染みついている方で、昔の素晴らしい大先輩の芸を盗んで吸収し、アレンジした独特の雰囲気は我々にはまねできないものだった。これまで兄さんが頑張ってくれたように、関西歌舞伎の芸を残すことに尽力していきたい」と、話していました。

(2020年11月15日 NHK)


『引窓』『口上』『鷺娘』 @歌舞伎座(9月25日)

2020-10-19 19:14:01 | 歌舞伎




先月、歌舞伎座の九月大歌舞伎に行ってきました。
一年ぶりの歌舞伎鑑賞で、一年ぶりの歌舞伎座です。
歌舞伎を本格的に観始めて以来、こんなに間が空いたのは初めて。
とはいってもたかが1年ぶりにすぎないのに、この歳になると記憶力がポヤポヤで、「えーと、歌舞伎座ってどうやって行くんだったっけ?そうそう日比谷線だった」と危なっかしく電車に乗り。
ポケーと電車に揺られて、停まった駅のホームにふと目をやると――




・・・・・・・・。


こんな駅・・・あったっけ・・・
わたくし・・・コロナ禍の間にいつも通っていた駅まで忘れちゃった・・・?
とさすがに自分が恐ろしくなり帰宅後に検索してみたら(わたくしスマホではないので)、今年6月にできたばかりの新駅だった。
ほっ。。。

そんなこんなで辿り着いたコロナ後の歌舞伎座。
入口で検温があったり、1階売店以外の店が全部閉まっていたり、座席のソーシャルディスタンスとか決して以前と同じではないけれど。
客席に座って舞台を見下ろすと、「日常が戻ってきたんだなあ」と何とも言えないほっとした気持ちになれたのでした。
二度と歌舞伎座は開かないんじゃないかと心配になったときもあったことを思えば、こうして劇場が開いて、舞台でお芝居が行われて、客席に観客がいるというだけで、嬉しいです

【双蝶々曲輪日記 引窓】
吉右衛門は「三月大歌舞伎」の「新薄雪物語」に出演予定だったが、コロナ禍で全公演が中止になった。三月に同演目を無観客で収録して以来、五カ月余ぶりの舞台となる。
 「家で絵を描いたり、本を読んだりしていました」と自粛期間中の生活を振り返り、「役者は舞台の上でお客さまの支援のもとに生きている商売だということを考えていました」と心の内を明かす。「花火師がいくらいてもだめ。舞台で花火を打ち上げ、それを見ていただくお客さまがいてこそ舞台は輝く。『吉右衛門です』と言って絵を描いていてもだめなんです。舞台に上がらないと生きていることにならない」とも話し、「九月は挑戦。初舞台のような気持ちで臨みたい」と気持ちを新たにする。
東京新聞

この『引窓』という演目を私は今回初めて観たのだけれど、なんて美しいお芝居だろう。。。。。。
舞台は、秋の十五夜の前日の夕方。明日は仲秋の名月のお祭りの放生会が行われます。
二階の肘掛け窓に飾られた、薄と竜胆と小菊
家族が氏神様に頭を下げて感謝をする場面には、こうして無事劇場を開けることができたことへの感謝と重なって感じられました。

罪を犯し、捕まる前に一目会いたいと母(東蔵さん)を訪ねてきた、”実の息子”の濡髪(吉右衛門さん)。
濡髪を捕まえる役目を仰せつかっていたのは、”義理の息子”の十次兵衛(菊之助)。
血の滲む努力で貯めてきた自分の永代供養のお金を「未来は奈落に沈んでも、今の想いには替えられない」と十次兵衛に差し出し、濡髪の人相書きを自分に売ってほしいと懇願する母。当時の人々にとって来世での救いがいかに大事だったかを想像すると、それを犠牲にしても息子を救おうとする母親の愛情に涙。。。
そんな母(十次兵衛にとっても血は繋がらないけど母!)の想いを受けとめて、出世後の大事な大事な初仕事を諦め、人相書きを渡して逃走経路まで教えてあげる十次兵衛。
そんな十次兵衛に、自分は彼に捕まろうと決める濡髪。
そこに九つ(午前0時)の鐘が鳴る。引窓から差し込む月明かり。十次兵衛が濡髪を捕まえる役目を負っているのは、夜の間だけ。
「あれは九つではなく、明け六つ(午前6時)の鐘だ」と、「夜が明けて今日は放生会だから、放生をするのが決まりごと。勝手にどこへでも行け」と濡髪を逃がす十次兵衛。なんてなんて優しくて粋なの~~~!!!しかも菊ちゃん、廓遊びをしちゃう男にもちゃんと見える!雀右衛門さん(お早)も、元遊女にちゃんと見える!

血が繋がっていてもいなくても、美しく清々しく優しい人達ばかりのお芝居。
心が洗われました。
やっぱり歌舞伎はいい。。。。。。

17:25に『引窓』が終了すると、コロナ対策のため客もスタッフも役者も総入れ替えとなります。なので私のように続いて『口上』も観る客は、19:15までの1時間50分、外でぶらぶらしなければならないのである。私は売店でお土産を買ったり夕食を食べたりして時間を潰しました。

【口上、鷺娘】
再び入場して客席に行くと、舞台には「朝光富士」の緞帳がかけられていました。
こういう晴れやかなお目出度さ、歌舞伎の良さだよねえ。
そして緞帳が上がり、玉三郎さんがお一人だけ舞台に登場されて、『口上』。
ああ玉さま!お久しぶりでございます~~~~
懐かしい玉さまのお声に再びの、「日常が帰ってきたんだなあ」。
黒地に雪が降っているお着物がとっても素敵
ご自身の幼少の頃からの歌舞伎座への想いと今の世界を絡めたお話でホロリとさせつつ、しっかり笑いもとる玉さま(さすが)
今回口上で舞台に映し出された”バックステージツアー”は、「舞台は夢を見せる場所で、その裏側を見せるなんて無粋」という意見が出るのもよくわかるけれど、「今日まで役者としてこの場所で過ごしてこられたことを本当に幸せに感じている。それを客席の皆さまに少しでもお裾分けしたい」と仰っていたのは、玉三郎さんの心からのお気持ちなのではないかな、と感じました。玉三郎さんは歌舞伎の家のご出身ではないから、一層そういう思いがお強いのではないか、と。
続いて、『鷺娘』。
旧歌舞伎座でのさよなら公演の映像と織り交ぜながら、玉三郎さんご自身も一部を踊ってくださいました。
玉三郎さんは既にこの舞踊は踊り納めておられて、今回の口上でも「それをこうして再び踊らせていただくのはお恥ずかしいことではありますが」と仰っていたけれど、私は決して生で観ることは叶わないのだろうと諦めきっていた玉様の『鷺娘』を今回その一部でも観ることができて、本当に嬉しかったです。
個人的には舞踊としては『娘道成寺』の方が好きなのだけど、私は雪の演目が大好物なので、雪が降りしきる歌舞伎座の舞台にはうっとりでした。いつか生の長唄付きで通しで観てみたいな。誰かやってくれないだろうか。
最後は玉さまの舞台のお約束、複数回のカーテンコール(一回目は息絶えた姿のままでのカテコ)。
私は歌舞伎にカテコは絶対不要派なので正直なところ気持ち的に冷めてしまうのだけれど(歌舞伎はカテコがないから粋なのだ!)、最後のカテコで舞台中央に座った玉さまが両手で雪をかき集めるようにしてお辞儀をした姿がとても可愛らしくて、ちょっとキュンとしてしまったのでありました。

外に出ると、ライトアップされた夜の歌舞伎座。
鷺娘の絵看板の写真を撮る人達。
本日3回目の「日常が戻ってきたんだなあ」を実感。
「九月大歌舞伎」の懸垂幕がかかった歌舞伎座の建物がとても縁起よく見えて、色々なことを全部吹き飛ばしてくれそうで、見ているだけで上向きな気分にさせてもらえました。


©松竹
『引窓』の吉右衛門さんと菊之助。

©松竹
『口上』の玉三郎さん。
私は以前国立劇場のバックステージツアーに参加したことがあるので舞台裏の種明かしにはそれほどの新鮮味はなかったのだけれど(でも玉さまの滝夜叉姫を久しぶりに見られたのは嬉しかった♪)、この場面↑には「おおっ」となりました。客席からも「わぁ…っ」って声が漏れていましたね。歌舞伎座の客席から観る歌舞伎座の客席。不思議な感じがして、圧巻&楽しかったです。
そして玉三郎さんはこんな風に広い舞台の上にたったお一人でおられる姿が似合うな、と改めて感じました。お一人で歌舞伎座という大劇場の空間を支配してしまうオーラもそうだけど、孤高という言葉が似合う。ちょっと『天守物語』の富姫を思い出しました。でもニザさま達とワチャワチャしている玉さまも大好物ですけど

©松竹
歌舞伎座のコロナ対策はこんな感じ。
赤い布(お洒落)がかけられた席は非売で、前後左右が空席になっていました。


★オマケ★
歌舞伎の小道具も手掛けている藤浪小道具さんが、オンライン販売サイト「フジナミヤ」を開設されました。


これは・・・仮名手本忠臣蔵の五~六段目のあの財布
「例)中にお金を入れて、手を突っ込み、仮名手本忠臣蔵の定九郎ごっこをする。絵の具で血染め風にして、勘平気分を味わう。」だって

©藤浪小道具
こちらも同じく仮名手本の五段目から、イノシシのコースター!400円とお値段も手頃で可愛い
観劇の前後に木挽町広場で気軽に買えたら嬉しいなあ。


中村吉右衛門配信特別公演 『須磨浦』

2020-09-03 01:03:49 | 歌舞伎

中村吉右衛門配信特別公演『須磨浦』予告



歌舞伎座「九月大歌舞伎」に出演する中村吉右衛門が、このたび公演に先立ち、配信特別公演『須磨浦』に出演します。戦災、天災、コロナ禍など時の運命の流転により、無念に亡くなる命はいつの世も尽きません。その命を思い、決して忘れないために、『一谷嫩軍記』の熊谷次郎と一子小次郎の物語に重ね、吉右衛門が松貫四の筆名で『須磨浦』を書き下ろし、吉右衛門自ら、熊谷次郎直実を演じます。
(歌舞伎美人より)

数ある舞台芸術の中でも歌舞伎は特に生で観てこそと思っているので(あと能も)、コロナ禍とはいえ動画配信企画には今まで食指が動かなかったのだけれど。
これは・・・・・観ないわけにはいかない・・・・・。
30分弱で3500円。高い。
でも観ないわけにはいかない。
なぜなら熊谷は、知盛と同じくらいに好きな吉右衛門さんのお役なのだもの(今知りましたが、史実の熊谷って一時期知盛に仕えていたんですね。でもって『一谷嫩軍記』と『義経千本桜』は作者が同じなんですね)。歌舞伎座で観た2015年の『陣門・組打』は、好きすぎて舞台写真まで買ったほど。
それを今回の公演のために吉右衛門さんが自ら書き下ろされ、お一人で演じられる。
観なかったら一生後悔する。
というわけで観ました
観てよかった。。。。。
歌舞伎座の千穐楽を彷彿とさせる、凄まじい気迫の舞台でした。

無音のなか、平家物語の冒頭「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ、 偏に風の前の塵に同じ」の文字が画面に映し出され、囃子方と竹本が橋掛かりから入場。
そして熊谷(吉右衛門さん)の登場。
今回の公演、『須磨浦』という演目名だったので『組打』の場面のみなのだろうなと想像していたら、なんと『堀川御所』から
文楽では観たことがあるけど、歌舞伎で『堀川御所』の場面を観られるのって珍しくないですか?
と調べてみたら、2012年に團十郎さんが国立劇場で上演されていたんですね(なんと98年ぶりの復活上演だったそうで…!)。
團十郎さんのときはどうだったかわからないけれど、今回は「一枝を伐らば一指を剪るべし…。枝一本を伐らば指一本を剪るべし…」(←配信中にメモってなかったので正確ではないです)、とわかりやすい台詞になっていた。考えてみたらこれ、必要よね。「いっしをきらば いっしをきるべし」の音だけで一枝と一指という漢字は観客は普通は思い浮かばないもの。義経(声は葵太夫さん)にも「そちが一子も蕾の花」的な台詞があって、やっぱりわかりやすかった。それでも前知識なしで今回のストーリーを理解できる人はまずいないと思うけれど(そんな演目を選ぶ吉右衛門さんが好き)
制札に書かれた義経の真意を汲み取って、退場する熊谷。制札は白い扇で表わされていました。

再び橋掛かりから黒いお馬さん(完全に前後が分かれ2名で担当)に乗ったていで登場し、『組打』の場面へ
舞台にいるのは吉右衛門さんお一人なのに、吉右衛門さんのお芝居から敦盛(小次郎)の姿が目に見える
背後の山から熊谷を罵る平山が、軍勢が目に見える。
なぜなら吉右衛門さんの目がまぎれもなくそれらを「見て」いるから。
あの時間、あの場所は観世能楽堂ではなく、須磨浦になっていた。須磨浦の風景が私の目にも見え、須磨浦の風が自宅のPCの前に座る私の肌に感じられた。こんなものを私達に体感させてしまう吉右衛門さん、なんという人だろう・・・。
そして小次郎の首を討ちとって、血を吐くような慟哭の「勝鬨」。。。。。
小次郎の首はやはり白い扇で表わされていて、若く清らかな美しさとそれゆえの悲しさが感じられ、いい演出だと思いました。このシンプルさは能のよさだよね。
玉織姫の部分は全てカット。なので熊谷の「いずれを見ても蕾の花。都の春より知らぬ身の今魂はあまざかる、鄙に下りてなき跡をとふ人もなき須磨の浦、なみ/\ならぬ人々の成り果つる身の痛はしや」の「いずれ」という単語に少々違和感を覚えつつも、この言葉が敦盛(小次郎)と玉織姫だけでなくこの戦で散った多くの若い命に対しても言っているように聞こえ、熊谷が感じている無常が冒頭の平家物語の言葉に繋がり(元々このエピソードは平家物語からですが)、この物語の普遍性がより強く感じられたような気がしたのでした。
ラストの橋掛かりを悄然と去る熊谷の姿。その姿が私達に伝えるものはこの上なく重い。
無観客上演のため(また能のお約束的にも)最後まで拍手がないのが深い余韻を残しました。

今回の公演は、歌舞伎と能のどちらの魅力も消されることなく非常にうまく溶け合った稀有な公演であったように感じられました。それは吉右衛門さんだからこそ可能だったのではないか、とも。
今までも何度か書いているけれど、私が吉右衛門さんのお芝居で最も魅かれるものの一つが、ぱぁ~っと劇場中に広がる圧倒的な気迫や大きさと同時に存在する、独特の澄んだ静けさ。この熊谷もそういう吉右衛門さんが見られるお役の一つです。

さて、今月の歌舞伎座は吉右衛門さんの『引窓』ですね。
見逃さないようにしなきゃ。

役者というものはお客様がいらっしゃって成り立つものです。私はやはり伝統歌舞伎を受け継ぐということが役目だと思っておりますので、伝統歌舞伎に基づいた作品を上演し、お客様に少しでもなにかを感じ、楽しんでいただけるようにという思いで、初代吉右衛門もとても大好きな「一谷嫩軍記」から芝居を拝借して書き下ろしいたしました。こじつけではありますが、災難、災害など歴史上繰り返してきたことを皆さん乗り越えて今の人類の幸せがあるのではないか、そのようなことを芝居に重ねてご覧いただけたらと思います。

今回、無観客での収録ということですが、“想定する”ことを役者は慣れておりますので、お客様がそこにいらっしゃる、ただ静かに見てくださる、そういう思いで演じたいと思います。

お客様もこういう時世ではございますが、歌舞伎という良さを忘れないで楽しんでいただけたらありがたいと思います。

(中村吉右衛門。ステージナタリー:中村吉右衛門による配信公演「須磨浦」伝統歌舞伎を元に“人類の幸せ”描く)

※追記:
『組打』の段の最後に「檀特山の憂き別れ、悉陀太子を送りたる、車匿童子が悲しみも、同じ思ひの片手綱、涙ながらに帰りけり。」という一節があります。ここでは熊谷と小次郎との別れの悲しみを出家する釈迦を見送る車匿童子の悲しみに例えているわけですが、この釈迦のエピソードがなぜ『一谷嫩軍記』や『平家物語』で死んだ人との離別の例えとして使われているのか?について、「死ぬこと」=「極楽浄土に生まれ変わること」という浄土思想の影響ではないか、というブログ記事を見つけました(こちら)。なるほど。この後熊谷は出家するのに、どうして車匿童子に例えられているのか不思議だったんですよね。あちらの世界へ行った小次郎と、まだそこへは行けずこれからもこちらの世界で苦しみとともに生きていく熊谷、という構図でしょうか。なるほどなあ。

追記(2021.1.06):
2020年12月30日のNHKラジオ深夜便より。
司会:3月の公演が無観客となってしまったことでインターネットを使った配信をされましたよね。
吉右衛門:配信というのはなんだか全然わからなくて、ただ無観客でやってくれないかという申し出がありましたのでお引き受けいたしました。無観客でやるということがどういう風に役者にインパクトを与えるかと思っておりましたけれども、私は父親八世松本幸四郎から「客受けを狙った芝居をするなと、それより役になりきれということを若いときから厳しく教えられておりまして、それがまた初代吉右衛門の教えでもあったんですけども、また初代と一緒にやってらした六世歌右衛門のおじ様も『私はお客様が一人になってもそのお客様のためにやるんだ』ということを生前色々聞かされておりましたので、客の入りとかお客様の反応とかいうものを気にするタイプの役者ではもともと私はなかったものですから、無観客であろうが、いっぱい入っていらっしゃろうが、僕にとってはあまり影響がなかったものですから、それより舞台に立つということが僕は一番この世に生まれた運命といいますか宿命と思っておりますので、とにかく舞台の上でお客様がいようがいまいが芝居をやらせていただけることが最上の喜びだと思って、やらせていただきました。
司会:そうすると実際に演じられているときは誰もいない観客席に観客の方を意識しながら演じられていたというような・・・
吉右衛門:いや、劇場という感覚より実際にそこにこの役はいるんだというような感覚に今まで先輩に指導していただいたおかげでなっておりますんで、全くそれは僕にとっては何の影響もなかったことです。
司会:9月の舞台まで半年以上の舞台を待っている期間というのはどのように過ごされていたんでしょうか。
吉右衛門:やることないんですよね。御殿のようなおうちに住んでいらっしゃる方もいらっしゃいますから、そういう方はお稽古場がおうちの中にありまして、そこでお芝居の稽古を一人でやっていれば随分違うんでしょうけれども、私のうちはマッチ箱でございまして、稽古するような場所がないんですね。一番広いところはベッドの上なんでございまして、しょうがないからベッドで横になりまして、脚本を、我々は書き抜きと言いますけれども、脚本を見ながらその台詞を再度覚え直したり訂正したり、それが孫にでも渡るときにわかりやすいようにしようと思ってそういうことをやっておりましたけれども、そのうちにそれも飽きまして、子供のときから好きな絵を描き初めまして。本当はもっと体を動かすべきなんでしょうけれども、最初のうちは散歩のようなことをやっておりましたけれども、そのうちそれも自粛になりまして、とにかくコロナにうつる、うつさないということを措置しなきゃいけないと私も思いまして、うちの中にじっとしておりました。
司会:やはり吉右衛門さんは播磨屋という屋台骨としていらっしゃるわけですから、そういう忸怩たる思いもおありになったのでしょうね。
吉右衛門:とにかく舞台に立ってお客様の心の中に入り込んで、拍手をいただいたりなんだかんだというものは別ですけれども、お客様と対になってお芝居をしてお客様の心の中に飛び込めることが僕は役者の使命だと思っておりますので、それができないということは何の価値もないということになってしまいますので、それが一番私としては忸怩たる思いをしておりました。
司会:8月から歌舞伎座が再開されまして。9月に久々に舞台に立たれたときはいかがでしたか。
吉右衛門:若くはないものですから、わ~帰ってきた!嬉しい!というそこまではなかったんですけれども、花道から舞台に出たときにソーシャルディスタンスでお客様はばらばらにはいらっしゃるんですけれども、それでも、ああ生きててよかったというそういう感じがいたした初めての舞台ですね。
司会:播磨屋!などの掛け声などもないなかでのお芝居でしたが。
吉右衛門:僕はそういう掛け声などをあまり気にしませんので、もちろん「変なところで声かけやがって!」とか気にされる方もいらっしゃいますが、僕はどこで掛けられようが別に気にしませんし、というか役にのめり込んでいてそういうものを考える余地がないんですね。余裕がない役者なんでございます。素人みたいな役者と思っていただければ有難いんですけど。
司会:それほど役に入り込まれている、集中されているということなんですね。
吉右衛門:いや、そうしないと僕集中できないんですよ。気が小さいものですから、ちょっとしたことではっと気が動いてしまうと困るもんですから、おかげさまで小さいときから父親や先輩に客席を気にするな、受けを狙った芝居をするなと厳しく言われてますんで、おかげさまでそっちの方になって僕はよかったなと。あんなつまらない役者はないとおっしゃる方もいらっしゃるとは思うんですけど、自分では初代吉右衛門の後を継げたかなと思っておりますけどもね。
司会:ご自分では、あらためて舞台に上がれる喜びのようなものを感じられたんですかね。
吉右衛門:難しいのは自分とその役をどういう割合で持っているかが難しいんで、あまり喜んでしまいますと自分が買ってしまう、役がいなくなってしまうというのがあるんで、それもあまり喜びはできませんでしたけれども、でも出た瞬間とか終わった後とかには初めての経験の喜びでございましたね。
司会:昨年の5月にお孫さんの丑之助さんが襲名をされまして共演となったわけですが。
吉右衛門:外孫ですけれども、自分の役者の血がそっちにも流れてるのかなあと思うといつも顔が綻んでしまうんですけれども。『近江源氏先陣館』という芝居があって子役がとても活躍するんですけども、それは僕もやって天覧になった芝居なんですけども、それを早くこっちが動ける間に丑之助君とやりたいなと、それが念願ですね。
司会:丑之助さんもまだ小学校にあがられたばかりのご年齢とは思えないくらいしっかりされてますよね。
吉右衛門:なんといいますか、割と今の子で人を食っていますよ。
司会:これから日々ご成長されていくのを見ているのが楽しみというようなお気持ちでしょうか。
吉右衛門:もちろん外ではありますけど、楽しみですね。楽しみというよりか、伝統歌舞伎というものをきちっと丑之助君に伝えるのが私の使命でもありますので、それができる状態に早く戻ってもらいたいなと念願しております。
司会:自粛の際には丑之助さんのために色々なされたことがあると伺いましたけども。
吉右衛門:まあ脚本を手直ししたり丑之助君兄弟の絵を描いたり、そういう風にしてじじいを忘れないようにしてもらおうかなと。




※追記(2021年2月)
脚本を書き終えるのにかかった時間は三十分くらい。まことにやっつけ仕事だとは思いますが、あの場合、そうでもしなければ作れなかったと思います。伝統歌舞伎はまだ命脈を保っていますよ、忘れないでくださいと、僕は孫の丑之助のためにも申し上げたかったのです。配信をご覧になった方々からは賛否両論ございましたでしょう。・・・なにはともあれ、僕は歌舞伎で大好きな熊谷を演じられただけで、あれ程生の喜びを感じたことはありませんでした。・・・全ての方々に感謝あるのみです。
小説丸『二代目中村吉右衛門 四方山日記」第十三回 「須磨浦」の動画配信


『御存鈴ヶ森』 @歌舞伎座(4月21日)

2019-04-22 23:50:30 | 歌舞伎




菊五郎さんと吉右衛門さんによる『鈴ヶ森』。
ああ、見逃さないでよかった  
悪くはないだろうとは思っていたけれど、正直これほど素晴らしいとは思っていなかった(ゴメンナサイ)。
この演目を観るのは、杮落しでの梅玉さん&白鸚さん以来。
今回の『鈴ヶ森』はなんていうか「人と人との運命の出会い」とはこういうことか、という重厚なドラマが感じられて、でも決してリアルすぎるわけではなく、歌舞伎の美しさと楽しさと華やかさとおおらかさがしっかりあって、でも闇と凄みもちゃんとあって。
いやあ本当に、観にいってよかったなあ。。。。。。。
そしてこういう鈴ヶ森を次に観られるのはいつになるのだろう、次に観られる日はくるのだろうか、とやっぱり思ってしまうのでありました。。

吉右衛門さんの長兵衛、かっこよかった あの大物感!権八を籠の中から眺めているときのあの余裕っぷり!はあ、かこいい。。。こういうお役の吉右衛門さんがほんとうに好き。江戸っ子!鬼平!…って以前吉右衛門さんの幡随長兵衛を観たときの記事を読み返したら全く同じことを書いていた。鬼平!って笑。
「悪を倒すだけでなく、悪の中に善を見出し、弱い者を同じ人間と見て助ける。そんな鬼平みたいに生きられたらいいなと、憧れます」
インタビューより)

これに惚れない人いる
対する菊五郎さんも、存在感はしっかりあるのに貫録を消しているのが素晴らしかったなあ。「白井・・・」の文に気まずげな権八と、その文を提灯の火で燃やす(本火)長兵衛。ここのお二人の空気。。。。。ああ。。。。。
お二人とも身体的な衰えは避けられないけれど、それがお芝居の質と決してイコールにならないのが歌舞伎の良さだよねえ。
最後にぱッと照明がついたときの華やかさ、上手へゆったりと歩いてゆくお二人のスッキリさ、大きさ。
歌舞伎って素晴らしいなあ。

又五郎さん(飛脚早助)、こういうお役が本当にお上手。「〇に井!〇に井!」。左團次さん(東海の勘蔵)、楽善さん(北海の熊六)と並んで、今回は脇も厚い!

ところで私の祖父母は白タクや柄の悪そうなタクシーの運ちゃんのことを普通に「雲助」と呼んだりしていて(祖父は大正、祖母は昭和一桁生まれ。今では完全に差別用語なのでしょうね)、他にも歌舞伎に出てくる今は使われない言葉を普通に使ったりしています。思うに江戸時代から昭和初期(戦前)あたりまでは明治維新だなんだと大きな時代の転換はあっても、庶民の日常はさほど大きくは変わっていないのではなかろうか、と。そして私の世代はまだ祖父母からの影響でそういう言葉や習慣にぎりぎり親しんでいるけれど、これからの令和世代は日常の延長線上としてではなく完全に別個の時代劇やファンタジーを観るように歌舞伎を観るようになっていくのかもしれないなあと思ったりするのでした。
と、平成最後ぽくまとめてみた笑