西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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『アンディヤナ』A4

2012年01月29日 | サンド研究
 それから、彼は社交界に欺された人間だったのだと思った。自分はそこで求めたのは個人的な幸福以外なにものでもなかった。その幸福は自分自身の力で見つけたものだったのだ。レイモンはそう考え、自らを慰めた。反省ほどわれわれの利己主義を確かにするものはない。レイモンはそこから次のような結論を引き出した。人間には、社会という状態において、二種類の幸福が必要である。公の生活における幸福と個人の生活における幸福がこれである。つまり、世の中で頭角を現すことと家庭での安泰とが必要なのだと。

 身を挺して彼を看病してくれていた母親が突然、病気で倒れ重態に陥った。今度は彼が自分のリューマチを忘れて母親を看病する番だったが、とても彼の力の及ぶところではなかった。揺るぎない情熱をもつ魂は粘り強く重篤な病に奇跡的な回復をもたらすものだが、いい加減で怠惰な魂は、超自然的の飛躍的な奇跡を身体に記すことがない。レイモンは一般世間ではよい息子だったが、疲労に押しつぶされ、肉体的に参ってしまった。痛みに病床に横たわっていると、枕元にやってくるのは、雇われ看護師か友人しかいなかったが、その友人たちも社会生活のにぎわいに早く戻りたそうで落ち着きがない。彼はアンディヤナのことを考え始めた。 
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