漢方学習ノート

漢方医学の魅力に取りつかれた小児科医です.学会やネットで得た情報や、最近読んだ本の感想を書き留めました(本棚3)。

「和食の知られざる世界」(辻 芳樹 著)

2014年08月20日 12時44分16秒 | 食育
和食の知られざる世界」(新潮新書)



内容紹介
料理研究者として知られる辻静雄を父に持つ著者は、幼い頃から味覚の英才教育を受けてきた。そしていま、世界が賞賛する「和食」の未来に大きな希望と一抹の不安を抱いている。なぜ海外の一流シェフは和食に驚嘆したのか? 料理を最高の状態で味わうコツとは? 良い店はどこが違うのか? 歴史的変遷から、海外での成功例や最先端の取組みまで、世界の食を俯瞰的に見つめ続けてきた著者だからこそ書けた、和食の真実。


TV番組「久米書店」でこの本と著者の紹介をしているのを見て興味が沸き、読んでみました。

世界中で日本食ブーム。
しかし、それを提供しているのは非日本人が多いという現実。
現在、海外産「WAGYU」問題も話題になっており、タイムリーな本です。

信頼度の高い“日本ブランド”を利用した商売がはびこる今日、どう考え対応するべきか?
という大きなテーマの元、料理人と云うより料理研究家の家系に生まれ英才教育を受けた著者が解説を試みた、という内容です。

その昔、日本料理を守るために資格制度導入を試みたこともあるようですが、あえなく挫折。
今の世界潮流には馴染みませんでした。

著者は自問自答します。
和食は中国を中心とした外国の食文化を取り入れ、日本独自に fusion して形成してきたものではなかったか。
本道とは離れるけど、カレーライスや金平糖などは、日本化した輸入食だったはず。
ならば、日本食のエッセンスを保ちつつ、外国人の舌に合うよう変換・翻訳していく方法は“可”ではないか、と結論づけます。

和食のエッセンスとは「引き算の美学」。
料理技術でも食材の使い方でも味付けの仕方でも、削って削って、削いで削いで、素材をまるで「土の中から生まれてきたもの」のように料理する日本人独特の美学、美意識であると著者は説いています。

また、日本料理の基本中の基本「出汁」は、黒潮に乗ってやってくるカツオから作る鰹節と、親潮に乗ってやってくる昆布のコラボレーションという、日本という土地の持つ特殊性に由来することなど、目から鱗が落ちるトリビアが満載です。

この本、女性ではなく男性に売れているそうです。
女性を誘って割烹で蘊蓄を垂れる目的らしい(苦笑)。
でも、レベルの高いテキストだと思います。


メモ
 自分自身のための備忘録。

■ 最近のトレンドは、「東洋のエキゾティシズム」としてもジャパンではない。ソニーやホンダ、トヨタ等の最新工業技術や、マンガ、ニンテンドー、アニメ等の世界が憧れるサブカルチャーが生まれた「クールな」国としてもジャパンを認知する世代が生んだ「和食ブーム」なのである。

外国人には出汁(ダシ)の味はわからない。 
 あの味は生臭い味と香り(というよりは臭い)なのだ。フランス料理はフュメ・ド・ポワソンという魚の出汁があるが、これは通常ソースの土台として使われる。さまざまな食材を加えて重層的な味を作り出すものだ。ところが和食の土台となる出汁は、それ自体の味や香りを重視し、素材そのものを生かす使い方をする。だから彼らにとってみたら、まるで火の通っていない魚の香りが液体から漂ってくることになり、面食らってしまう。

西洋人はあんこが食べられない。
 小豆(レッドビーンズ)が甘いという味覚を全く受けつけない。

現在の世界の料理界の潮流は「味覚の簡素化」「量(ポーション)の少量化」「カロリーの低減化」
 その口火を切ったのは、1960年代後半からフランスの料理界を席巻した「ヌーベル・キュイジーヌ・フランセーズ」(新しいフランス料理)だった。ポール・ボキューズら当時の新世代の料理人たちは、料理の簡素化、素材の尊重、軽さの追求を推し進めた。
 そして1970年代になると、その「簡素化」の流れは米国西海岸に及ぶ。食材の生産そのものから見直し、米国に食の「革命」を起こしたといわれる女性料理人アリス・ウォーターズが先駆けとなり「カリフォルニア料理」として流行した。彼女が唱えたカリフォルニア料理の哲学は、今も食育の原点として米国国内で受け継がれている。
 もっと軽く、もっとヘルシーにという要求に答えるあまり、ついに西洋料理の既成の技法では「料理の簡素化」を追い求めるには限界が来てしまった。「味がなくなってしまう」ところまで来てしまったのである。
 そこで1980年代以降、注目を集めるようになったのが、和食のレシピ、技、食材、そしてそれらの使い方だった。

世界に出た和食の3つの変化変容
1.「ギミック和食
 「和食っぽい素材」を活用し、「和食っぽい見た目」の料理。ただし、我々から見れば和食の本質的な魅力や日本人の感覚からは外れたもの。
2.「ハイブリッド和食
 和食には見えないものの、和食の本質的な技術を活用した料理。
3.「プログレッシブ和食
 和食の素材、和食の本質的な魅力を生かしつつも、果敢に新しい素材や手法も取り入れて、異文化の中でも堂々と勝負できる料理。

日本の漁場の特徴
 山林の豊かな養分が海に流れ込み、豊穣たる漁場を近海に作り出してきた。
 四方を取り囲む海にも特徴がある。南方からは世界有数の強大な流れである黒潮(プランクトンが少なく透明度が高く、青黒色に見えることから命名された)が北上し、日本列島の南岸に沿って進む本流と、日本列島の北岸を進む対馬海流に分かれる。多くの回遊魚がこの流れに沿って日本列島の近海を北上していく。
 一方、北からは千島列島に沿って南下し、日本列島の東岸まで達する親潮(千島海流とも呼ばれる)がやってくる。この流れはプランクトンが多く「魚類や海藻類をよく育てる潮」という意味でこの名がつけられた。
 この黒潮(暖流)親潮(寒流)の大きな流れが日本列島の東岸でぶつかり、北太平洋海流(北太平洋ドリフト)となって東に向かって流れ出す。このとき、親潮は黒潮より密度が高いので、混合域では黒潮の下に沈み込む形になる。このときできる潮目では、黒潮とともに北上してきた多様な魚類が親潮のプランクトンを目指して集まり、この海域は量・種類ともに世界的に見てもきわめて豊穣な漁場となる。

一番出汁の誕生
 東北三陸海岸以北や北海道でしか採れない出汁用の昆布とその乾燥加工技術。紀州、九州や四国で盛んな鰹漁と鰹節の加工技術の発明。この二つが出会って和食の風味の基盤をなす「一番出汁」が生まれるというのも、日本の風土の多様性のなせる技だ。

日本の食の歴史を概観する
 奈良時代から水田稲作を生産基盤に据え、米を国家の主要な収入源とする国造りが行われてきた。
 さらに大陸から伝来した仏教思想の影響も大きい。支配者層による肉食の禁止や制限が和食文化の一つの傾向、特徴を作っていく。つまり米、野菜、そして川や近海で捕れる魚介類が中心となる食事の基板が作られていったのだ。
 奈良時代頃から洗練された中国の宮廷料理の体系が日本の宮中に導入され、平安期には「大饗料理」と呼ばれる饗応料理の様式が整った。大饗料理では、台盤と呼ばれた台に珍しい食材、高価な食材が、なまもの、干物、菓子類と分けてずらりと並べられた。当初は箸も匙も使われ、皿数も中国の様式にならって偶数だった。
 その後中国で使われていた匙はいつの間にか消滅し、時代が下って戦国時代の武家による「本膳料理」になると、皿数も奇数になる(箸だけの食事形式、偶数から奇数の皿へ)。
 やがて大航海時代も16世紀半ばになると、今度は大海を渡ってやってきた西洋文明の影響を受けるようになった。この時期に日本にもたらされ、多少形を変えながら根づいた食べ物としては、コンペイトウ、カステラ、天ぷら等があげられる。
 江戸時代には「本膳料理」からさらに茶の湯の発展に伴って「懐石料理」が生まれ、より広い層に浸透していった。
 寿司、天ぷら、鰻、蕎麦など、今日に繋がる和食の専門料理は、江戸時代の参勤交代で江戸住まいになった地方武士や、職を求めてやってきて江戸に住んだ職人などの「単身赴任者」用のファストフードとして登場したものだ。

江戸前寿司の成り立ち
 寿司の語源は「すっぱし」と言われ、酢という文字を当てるのが最も原義に近いと言われる。そもそもは、東南アジアから、魚を保存するために米と塩を用いて発酵させた、旨味を引き出す「発酵食品」として日本に入ってきたものだ。魚を塩だけで漬け込むとアミノ酸発酵となるが、これに炊いたご飯を混ぜ込むと乳酸発酵が起こる。
 これが「熟れズシ」で、今も琵琶湖周辺に残る鮒ズシや、吉野の釣瓶ズシ、秋田のハタハタズシ、かなざわのかぶらズシ等に、そのルーツたる技術が残っている。
 ところがこの「魚を発酵させて食べる」技術が、江戸時代末期に変化・変容して「生食」の寿司の文化をつくっていく。その分水嶺になったのは、関西の箱寿司とか押し寿司といった早鮨の登場だった。これらの寿司は、技術的には発酵させないで、酢飯をベースに、酢じめしたり炊いたりして調理した魚や野菜を加えている。京都で有名なサバ寿司も、サバに塩をきつく当てて酢でしめた、むしろマリネと云っていい。そこから今日の、魚を生で食べる寿司へと分かれていった。
 かつては魚を保存するために米を使って発酵させていたものが、いつの間にかご飯に酢を加え、それと生の魚を合わせて食べさせるものに変化し、その最終形が江戸末期に登場した「江戸前の握り寿司」になった
 こうして江戸時代に登場した寿司は、まず屋台という形式の「簡易外食」として誕生した。

懐石料理の歴史
 そのルーツの一つである「精進料理」は、5-6世紀ころ中国で生まれた。中国系の大乗仏教が肉食を強く禁じていたことから、穀類や野菜で作る料理が発達したとみられている。この時代の精進料理は、野菜を煮たり蒸したり炒めたりしながら、濃い味付けにし、動物性食品に擬したものだった。その後、唐代になると水車の普及により進んだ粉食技術を生かし、中国特有の精進料理が発達する。さらに、南宋で盛んだった禅の思想が喫茶と精進料理を結びつけたために、禅宗寺院で高度な料理法が生まれたと言われている。
 この南宋に日本人僧侶が渡海したことで、日本にも精進料理がもたらされた。日本では、小麦粉に胡麻や味噌などで味付けをして、植物性の材料で限りなく動物性に近い風味が生み出せるようになったようだ。
 南北朝以降には、北海道の昆布が流通するようになり、昆布や鰹節を味のベースとする、今日的な料理法が広まっていった。
 室町期に入ると、武家の料理も鎌倉時代より贅沢になり、将軍の饗応には多数の膳からなる「本膳料理」が今日されるようになった。この時代に、中国色の濃い大饗料理からの影響を脱して、本格的な日本料理が成立したと見なすのが一般的だ。14-16世紀のこの動きが、さらに「懐石料理」の誕生への道筋を作ることになる。
 もう一つのルーツは「茶の湯」。
 覚醒作用を持つ茶は、鎌倉時代末期には広く一般に受け入れられていて、室町時代初期には、茶会において葛切りや素麺、山海の珍味などを供していたようで、今日の懐石料理の原型ができていたと思われる。
 室町期には富裕な商人の間でも茶会が盛んになり、和漢の融合を目指した佗び茶の概念も誕生し、懐石料理は佗び茶を通じて確立されていった。
 茶の湯は禅院の茶礼(されい)を発祥とした関係から、懐石料理には精進料理の影響が見られる。この時代を代表する料理形式である精進料理には食材の制限があり、また本膳料理は儀式的な料理だったので一般には広まらなかった。そうした中で懐石料理は、茶の湯の広まりとともに一般化していった。
 儀式的な要素が強かった本膳料理から、茶の湯の「侘び寂び」の精神に裏打ちされた懐石料理へ。見た目の贅沢さではなく、温かい料理は温かい状態で食べること。つまり料理を味わいことに重きを置いた懐石料理の登場は、日本の料理史上の一大変革だった。

洋風文化を和風にアレンジした「洋食」
 日本人は押し寄せる洋風文化を和風にアレンジすることに長けていた。例えばその頃に誕生した「すき焼き」も、西洋の食文化である肉食を、和の食文化である醤油や出汁の入った割り下を使って和風に調味し、卵を付けて食べる。
 今日においても、「洋食」といわれる料理、とんかつやエビフライ、カレーライスといったメニューも、西洋の人やインドの人が食べたら「自分たちの食文化から生まれたもの」とは思わないはずだ。日本に天ぷらをもたらしたポルトガルに行っても、あんなにこんがりした色のエビフライにはお目にかかれない。

料理人の年齢による出汁の傾向
 若手の料理人の店に行くと、出汁に使う鰹節で勝負しようとしてくる場合がある。鰹節を使えば、確かに出汁は濃厚になるけれど、どこかに酸味が残ってしまうケースがある。対して熟練の料理人は、鰹節だけにこだわらずに他のさかなの厚削りなども使って、綺麗で高貴な、洗練された味を醸し出してくることもある。

著者が人と料理店へ行くときに心がけていること (・・・き、厳しい条件)
・食事中、料理が出されているにもかかわらず際限なくぺちゃくちゃ喋る人とは食べに行かない。
・料理を主役にした食事会の場合、6人以上では行かない。和食店の場合、食器は一組5客が基本であり、それ以上の人数になるとバラバラの器で出されることになる。さらにアラカルトで頼む店では、6人以上になると料理を同じタイミングで出すことが難しい。
・ケンカする可能性がある人、食事中に議論を楽しめない人とは行かない。
・料理や料理人、あるいは食材に対して敬意を持てない人ともあまり食事を共にしたくない。

一皿ごとに酒を選ぶ
 料理ごとに酒を合わせるというのは、実にフランス料理的なサービスだ。日本の料理と酒の文化では、料理に地元の良質な酒を2-3種類合わせることはあっても、フランス料理とワインのように、皿ごとの香りや味に合わせて酒を変えるという発想はない。フランスでは料理と酒の組み合わせが絶妙な場合、「マリアージュ(結婚する)」とすら表現する。

料理の「雑味」(「草喰 なかひがし」の中東久雄さんのコメント)
 「料理には必ず雑味が出ます。それがなく喉にスッと入っていくのは日本の出汁と韓国のもやしスープくらいのもんです。その雑味はアルコールで流すといい。うま味がスッと鼻に抜けて料理が三倍おいしくなります。」

大原の農家のコメント
 「わしらは野菜を作ってるんとちゃう、わしらは土を作ってるんや。野菜はええ土を作った褒美に神様がくれはるもんや。」

■ 和菓子の色彩感覚(「亀屋吉長」の藤田怜美(さとみ)さんのコメント)
 「パリではフルーツの色さえ出せばよかったんです。ところが京都の色ははんなりとしていて抑制の効いた色でなければいけません。色が違ったら違うお菓子になってしまったりもします。和の色彩感覚は奥が深いです。」
 
アメリカ人は食べてくれない「魚の焼き物」
 「ブラッシュストローク」出店の際に一番苦労した料理は魚の焼き物だった。銀ダラ、カサゴなど、アメリカで捕れる魚は水分も油分も多い。日本では魚に塩を当てたり、西京漬けなどのように味噌に漬けてその香りを付けたりしながら、魚特有の臭いと余分な水分をとって焼き、しっとりかつ凝縮した味わいを楽しむものだ。ところがアメリカ人は、この状態だとたんなるパサパサな魚としか見てくれない。ジューシーでなければとばかりに残してしまう。
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