「中医学と日本漢方との対比」梁 哲成(ヤン チョルソン、やんハーブクリニック)
日本小児東洋医学会誌
教育講演の記録集より。
私は実際にこの講演を会場で聴講しました。
漢方医学には、現代に継承されている本家本元の中国の「中医学」と、日本に輸入されて日本独自の発展を遂げて現在に至る「日本漢方」の2つがあります。
大元は同じですが、宗教の流派で結構解釈が異なるように、同じ単語でも意味が違ったりして混乱の基になっています。
「なんちゃっって漢方医」の私がかじってきたのは日本漢方です。
理論的に突き詰めると実態が逃げてしまう日本漢方のファジーさと、見え隠れする中医学の弁証論治の違いをわかりやすく解説した内容で、目からウロコが落ちる思いでした。
聴講後、梁先生の著書を何冊か購入しました。
日本漢方は論理的に完結していません。
『傷寒論』『金匱要略』をベースに、時代に沿っていろいろな考え方を吸収・アレンジしてきたので多層構造となっており、今でも開かれたシステムです。
現在の日本漢方は江戸時代の古方派の流れをくんでいますが、古方派はそれ以前の中医学に近い後世派の理論を否定するところから始まり、つまり中医学的生理学・病態学を捨てて、そこをブラックボックス化してしまったので、現代西洋医学を学んだ我々世代からは「ファジー」とか「捉えどころがない」というイメージになってしまうカラクリがわかりました。
一方、中医学は完結した思考システム。
ですから、理論的に漢方を構築したいなら、中医学を学んだ方が良いということになります。
実際に、私の以前の主治医は、日本漢方のファジーさより理論的な中医学に惹かれ、そちらに鞍替えした漢方医でした。
ただ、中医学理論ですべての病気が治せるわけでもないので、両方の要素を美味しい所取りで学んだ方が良さそうです。
ただ、日本漢方をかじった私に、これから中医学をマスターするエネルギーが果たしてあるかどうか・・・。
<備忘録>
□ 中医学と日本漢方の起源はともに三大古典にあるが、用語の解釈にも一致しないことが多々ある。
・中医学は「弁証論治」、日本漢方は「方証相対」
・中医学の証は「病理の要点」、日本漢方の証は「病態の特異性を示す症候」
・傷寒論の記述をどう解釈するかという学説には、これまで以下の4つが議論されてきた;
1.経絡学説
2.臓腑学説
3.気化学説
4.症候分類学説
このなかの1・2・3が統合されて中医学が成り立ち、日本漢方は主に4の姿勢が貫かれている。
□ 中医学は「弁証論治」
中国伝統医学は、黄帝内経・神農本草経・傷寒論/金匱要略の三大古典から、金元四大家による温補派や養陰派、明清医学による温病学など諸学説を経て、現代中国になって国定教科書制定の過程で弁証論治を下に整理統一された。
□ 弁証論治の種類
・八綱弁証
・病邪弁証
・気血津液弁証
・臓腑弁証
・六経
・温病弁証
これらが行き着くところは、外邪、病理産物、気血津液精、臓腑・・・という基礎概念と補瀉虚実という基本法則によって行われる。
この基礎概念はわずか40程度であり、基本原則は三大法則で説明できる。
現代科学的に実証されないこれら概念や理論を空理空論と批判する向きもあるが、このシステムはあくまでも適応方剤の決定の根拠を得るための作業仮説である。
□ 中医学の基本原則と三大原則
・基本原則(素問より)
「邪気盛則実、精気奪則虚」
「虚則補之、実則瀉之」
・三大原則
1.体内に邪魔なものが存在すると病気を起こす。そのときはそれを取り除く。
(外邪)風寒暑湿燥火
(病理産物)痰飲、瘀血
2.生理活動を行うものが滞ると病気を起こす。そのときはそれを巡らす。
気、血 → 気滞、血瘀
3.生理活動を行うものが不足すると病気を起こす。そのときはそれを補う。
気、血、津液、精 → 気虚、陽虚、血虚、津液不足、陰虚、腎虚・・・
□ 中医学の基礎概念
・人体の生理活動を行うもの:気、血、津液、精
・人体の構造:
(表)皮膚、肌○、表在する筋や経絡など
(裏)五臓路婦、奇恒の腑、深在する血脈など
・外界から人体に侵入し悪影響を与えるもの(外邪):風、寒、暑、湿、燥、火
・体内で発生し悪影響を与えるもの(病理産物):痰飲、瘀血
□ 日本漢方は「方証相対」
日本漢方は明医学を単純化・日本化して日本に根付かせた後世派(曲直瀬道三ほか)が江戸中期以降、傷寒論を中心にした張仲景に帰り、理論よりも実践を重視した古方派(吉益東洞ほか)が台頭、主流を占めた。
その後、明治政府の漢方医廃止政策から昭和の復興期を経て、各種の症候分類学説を積み重ねて、これらを基に方証相対で症例に対峙している。
使用される方剤は、その症候に相対して決定される(方証相対)。鍵と鍵穴に例える先人もいる。
方証相対の概念・精神は、吉益東洞の「目に見えぬものは言わぬ」という言葉によく表され、病理の根拠が不明な現在においては、方剤決定の根拠はブラックボックスであるから、症候分類学として臨床に臨むということ。
そこで一旦リセットボタンが押された日本漢方は、疾患と方剤の架け橋となる学説を積み重ねていくことになる(次項)。
□ 日本漢方の多層構造
1.原典主義学説 ・・・傷寒論/金匱要略の記載を重視するという古方学派の原理主義。それ以外の文献にある方剤についても、その記載を重視する姿勢。
2.六病位学説 ・・・熱性伝染性疾患だけでなく、あらゆる者のすべての疾患を傷寒論の六病期に当てはめ、その傷寒論の方剤を使用する(「傷寒に万病あり、万病に傷寒あり」)。他の出典の方剤にも六病期を設定する。
3.気血水学説
4.腹診学説
5.補完的臓腑学説
6.症候・病名の2ベクトル学説(簡易八綱分類学説)
7.西洋医学病名投与学説
・・・日本漢方の特徴は、あえて古典的生理学・病理学を否定し、方剤選択の根拠となる理論はブラックボックスとして、この症候分類学説群によて症例に臨む点である。
□ 六病位学説
あらゆる疾患(万病)が六病位を経ると考える。
疾患は病邪と正気の相対で表され、表から裏へ、陽証(熱証)から陰証(寒証)へ、実証から虚証へ、軽症から重症へと経過し、すべての疾患を抱える者は六病位のいずれかに分類される。
□ 気血水学説
しばしば中医学の気血津液弁証と比較され、類似する部分も多いが、病理を分析する気血津液弁証と、症候分類の証である気血水学説は本質が異なる。
古方学派日本漢方はそもそも、伝統的漢方中医学の生理学が否定されたところから出発しているので、生理学がなければ病理学も存在し得ない。気血水学説における各証(気虚/気滞、瘀血/血虚、水毒など)は症候分類の証である。
中医学の気血津液弁証の証は症候⇒病理⇒証⇒治法⇒方剤である弁証論治における、病理の要点たる証である。
日本漢方では生理学がない中でも、これらの病床を漢方医学とも西洋医学とも言えない素朴なイメージで表現されることがある。
(水)日本漢方では脱水に相当する概念は水の証にはない。西洋医学の概念である脱水という用語がしばしば転用される。近年、一部の論者により水毒(水滞)あ「透明な液体のあるべきところの過剰な存在又はないはずのところの存在に加え、あるべきところの不足」という「透明な液体の偏在」と、脱水も含有する概念として定義されることもある。
一方、中医学では脱水に相当する「津液不足」なる概念もある。
□ 腹診学説
日本で発展し、日本漢方の独壇場と言える。
多くの腹証は他の日本漢方学説では解説されていないし、されようともしていない。
□ 補完的臓腑学説
上述各学説でも方剤の決定が難しい場合、一度は放棄されんとした臓腑学説が一部応用されることがあり、補完的臓腑学説と位置づけよう。
とりわけ「腎虚」(八味丸、六味丸など)、「脾虚」(人参湯など)が挙げられる。
しかしあくまでも症候のイメージたる臓腑の証にとどまり、中医学の「病理の要点」たる証ではない。
そしてその症候のイメージは西洋医学的な解説が多く、漢方医学的な再定義の試みはされていない。
□ 2ベクトル学説
各証高や疾患ごとに、八綱分類の虚実、寒熱による4象限にあらかじめ権威ある専門家によって方剤を設定させ、これをあんちょことして利用する方法。
ここで問題になるのが中医学と日本漢方の虚実の概念の違いである(次項)。
□ 中医学と日本漢方における虚実の概念の違い
日本漢方における虚実には闘病反応の強弱という概念があるが、そのベースにあらゆる疾患に病邪の存在があるという前提がある。これは吉益東洞の万病一毒説につながる認識かもしれない。
一方中医学においては、病邪が存在しなくても生理活動を行うものの停滞や不足でも発病しうるという認識の相違がある。つまり、存在・停滞・不足の三軸の概念である。
<実>
中医学(存在や停滞の実)・・・邪魔なものの存在と生理活動を行うものの停滞
日本漢方(抵抗力の実)・・・体力の実、もしくは気血の力が旺盛、闘病反応が盛ん。
<虚>
中医学:生理活動を行うものの不足。
日本漢方:体質的な虚弱、もしくは気血の力が弱い、闘病反応が弱い。
・日本漢方にあって中医学にない概念:中間証
・中医学にあって日本漢方にない概念:虚実錯雑
□ 中医学における虚実錯雑とは?
中医学では闘病反応の強弱にかかわらず、邪が存在すれば実。邪実で、闘病反応が弱いものは?
→ 邪実+生理物質の不足=虚実錯雑
(例1)日頃から感冒に罹りやすい虚弱な者が気管支炎に罹った。
・気の不足した肺に、 肺気虚 → 虚証
・患者が侵入して痰を生じた。 肺寒淡 → 実証
⇒ すなわち、肺気虚・寒痰 → 虚実錯雑
(例2)日頃から胃腸虚弱な者が、食後に胃のもたれやつかえをおぼえる。
・脾胃の気が不足したため、 脾胃気虚 → 虚証
・胃に痰飲が生じる。 胃痰飲 → 実証
⇒ すなわち、脾胃気虚・痰飲 → 虚実錯雑
(例3)凝血塊を伴う月経痛の強い者が、貧血になった。
・子宮胞内の瘀血に、 → 寒証
・気血両虚が合併する。 → 虚証
⇒ すなわち、気血両虚・瘀血 → 虚実錯雑
□ 日本漢方と中医学の相違比較
(日本漢方) (中医学)
学問根幹 原典主義 補瀉虚実
学問体系 キメラ状 収束型
テトリス状 生理・病理・治療学
症候分類学
生理・病理 部分的 体系的
補完的
診断治療 方証相対 弁証論治
システム
臨床実践性 極めて高い 高い
腹診重視 腹診軽視
発展性 増殖的 自己完結的
開かれた学問 閉じた学問
西医親和性 クロスオーバー 併存
検索していたら、日本・中国・韓国を比較したHPを見つけました。
古方派の吉益東洞は、小泉純一郎が「自民党をぶっ壊す」と言ったように「漢方理論をぶっ壊す」人だったようです。日本漢方の流派にも触れています。私の本棚にもある「漢方診療医典」は産みの苦しみを経験した貴重な本であることがわかりました。
一部改変して引用させていただきます;
■ 「中医・韓医と日本漢方」(加島雅之:熊本赤十字病院)
1.日本漢方
大陸と交流が始まった時と期を一にしている。 その中で現在にまでつながる医学の形として姿を現すのは、安土桃山代に同時期の中国の明代後期の医学を輸入し体系化・マニュアル化(この診療システムを「察証弁治(さっしょうべんち)」という)を行った曲直瀬道三の曲直瀬流である(「後世派」)。この流派は江戸時代中期まで日本の漢方医学の主流をなしたが、徐々にマニュアル化された方法論の固定的運用と安易で無難な治療法に堕してしまった。
江戸時代中期に吉益東洞らによる医学革命が行われ、後の日本の漢方医学の方向を決定づけられた(「古方派」)。 古方派は漢方医学理論の全てを否定し(吉益東洞に至っては医学に理論があることそのものを否定しようとしている)、中国の後漢の末に誕生したとされる傷寒論・金匱要略の処方を中心に、症状・症候の組み合わせに対して一対一対応のように使用する(この方法論を「方証相対」という)。 古方派の誕生の背景には治療対象となった人々が大衆にまでに広がったこと、梅毒やコレラなどの難治性感染症の流行、堕落した後世派へのアンチテーゼ、当時流行した朱子学の理論性を否定した復古儒学の強い影響がある。
この後の日本の医家は立場の差はあるが、個々に古方の方法論と伝統的漢方概念・理論を自らの経験・見識で折衷する形で医学を形成していく。 明治期に入り政府により漢方に対する弾圧が行われ、江戸時代よりの系譜はほぼ断絶してしまう。少数の医師らの手により明治末から昭和初期にかけて漢方の復活が図られた。
その主だった流派には古方派の流れをくむ2流派(後の大塚敬節のグループと千葉古方と呼ばれるグループ)と後世派の流れをくむ1流派(一貫堂医学といわれるグループ)、古方派・後世派の中間的立場をとる1流派がある。昭和の初期にこうした諸流派が共同して金字塔というべき教科書が編まれた。 「漢方診療の実際」である(1969年以降は「漢方診療医典」に改名)。この本はその序文にあるように西洋医学しか学んだことがない医師が全く予備知識なしに漢方の実践を図ることができることを目指して作成された。 版を重ねる過程で、臨床上の必要性および漢方医学としての体面の問題から、ある程度の漢方概念を導入せざる得なくなった。 しかし、先に述べるように伝統中国医学の体系を引き継ぐ後世派と一方でその根幹からの否定を目指した古方派の矛盾を解決せず、なおかつ、全く漢方の素養のない者に概念を説明するためには、伝統的な漢方用語を新たに定義し直し体系化することとなった。 そこでは本来、病態を説明するための諸概念が、ある種の病状を分類する概念として理解される形となっている。
現在の日本漢方の陰陽・虚実・寒熱・瘀血・水毒などの用語の概念および、西洋医学の診断名を縦糸に用い、日本漢方を特徴づける一つである、臨床的ポイントを表す口訣・日本で独自に発展した診察法である腹診・簡単な脈診を用いて、漢方概念で表わされる分類項目に当てはめ、これを横糸として処方を決定するというシステムはこの本によって完成した。
2.中医学
現代の中医学と呼ばれるものは共産革命後に中国政府の命令によって、その当時の伝統中国医学を集大成することで形成された。 その手本とされたのは、清代末に西洋医学の流入に対抗すべく伝統医学の学校における近代教育の試みが浙江省の私学校でなされたものであった。その教育は西洋医学の教育・診断の方法論に倣い、基礎理論・生理・解剖・病理・症候学と続く内容となっている。 診断システムもまずどの臓腑系統のシステムの異常かを確認した上でその病態生理を把握するものとなっており、現代の中医学の教育・臨床システムもその体系を受け継いでいる。
中医学の診断から治療にわたる診療システムを「弁証論治」という。 弁証論治は病態である「証」を診断しそれに基づき治療法を議論するということである。同じ診断名の病態であっても合併状況、進行の状況に基づき様々な選択を考え治療戦略をたてる。 前述の日本漢方の「方証相対」の、ある種の処方が有効である症状の組み合わせという言わば“症候群”としての意味合いの「証」に対して、一対一対応の処方を選択するというシステムとは好対照である。 処方の理解も日本漢方では処方単位での理解となるのに対して、中医学では処方を構成している一つ一つの生薬の薬能が目的としている病態にどう有効であるかという視点が重視される。 こうした病態分析の基本となる漢方概念や薬能概念は主に明代後期に確立している。また、清代に確立した「温病学」(うんびょうがく)といわれる感染症学、清代末から中華民国時代に西洋医学の影響を受けて発展した伝統医学の一派(「医学中西匯通派」と呼ばれる)の影響、中西結合といわれる西洋医学の知見を積極的に漢方医学に結びつける試み、および学校教育を行う為の臨床体系の構築(こうした臨床形態を「学院派」とよぶことがある)が現代中医学を特徴づける。
3.韓医学
朝鮮半島における漢方医学の流入の起源も日本と同様、中国との交流の始まりまで遡る。 こうした中で、現代につながる韓医学は約400年前の「東医宝鑑」(とういほうがん)によって成立した。この医学は同時代の中国明代後期の医学を集大成した内容であり、同時期の日本の曲直瀬道三が著した「啓迪集」(けいてきしゅう)と非常に類似した体系となっている。 ただ二つの体系を比較すると、東医宝鑑は生理的な視点を重視し、予防医学・健康増進(伝統的には「養生」と表現される)に重点が置かれる。
現代の韓医学においても、疾病の治療の中心は鍼灸療法であり、薬物療法は養生に重点が置かれている。実際の診療の方法論では、症状・症候の伝統的分類の項目を東医宝鑑やそのダイジェスト版である「方薬合編」(ほうやくごうへん)、その他の信奉するテキストで検索し、そこに書かれている処方を中心に、状況に合わせて薬物論に基づき若干の調整(この過程を「加減」という)をして用いるという伝統的な漢方医学のある種の方法論が残存している。 また、約100年前の李氏朝鮮末に生まれた「四象医学」も韓医学の特徴的な内容の一つである。 この医学では人体の気の昇降・集散の傾向と消化吸収機能の壮健さにより人を先天的な4つの体質に分類し、その体質診断に基づき、先天的生体の偏りを矯正する処方を服用することで治療・養生を目指す体系である。
日本小児東洋医学会誌
教育講演の記録集より。
私は実際にこの講演を会場で聴講しました。
漢方医学には、現代に継承されている本家本元の中国の「中医学」と、日本に輸入されて日本独自の発展を遂げて現在に至る「日本漢方」の2つがあります。
大元は同じですが、宗教の流派で結構解釈が異なるように、同じ単語でも意味が違ったりして混乱の基になっています。
「なんちゃっって漢方医」の私がかじってきたのは日本漢方です。
理論的に突き詰めると実態が逃げてしまう日本漢方のファジーさと、見え隠れする中医学の弁証論治の違いをわかりやすく解説した内容で、目からウロコが落ちる思いでした。
聴講後、梁先生の著書を何冊か購入しました。
日本漢方は論理的に完結していません。
『傷寒論』『金匱要略』をベースに、時代に沿っていろいろな考え方を吸収・アレンジしてきたので多層構造となっており、今でも開かれたシステムです。
現在の日本漢方は江戸時代の古方派の流れをくんでいますが、古方派はそれ以前の中医学に近い後世派の理論を否定するところから始まり、つまり中医学的生理学・病態学を捨てて、そこをブラックボックス化してしまったので、現代西洋医学を学んだ我々世代からは「ファジー」とか「捉えどころがない」というイメージになってしまうカラクリがわかりました。
一方、中医学は完結した思考システム。
ですから、理論的に漢方を構築したいなら、中医学を学んだ方が良いということになります。
実際に、私の以前の主治医は、日本漢方のファジーさより理論的な中医学に惹かれ、そちらに鞍替えした漢方医でした。
ただ、中医学理論ですべての病気が治せるわけでもないので、両方の要素を美味しい所取りで学んだ方が良さそうです。
ただ、日本漢方をかじった私に、これから中医学をマスターするエネルギーが果たしてあるかどうか・・・。
<備忘録>
□ 中医学と日本漢方の起源はともに三大古典にあるが、用語の解釈にも一致しないことが多々ある。
・中医学は「弁証論治」、日本漢方は「方証相対」
・中医学の証は「病理の要点」、日本漢方の証は「病態の特異性を示す症候」
・傷寒論の記述をどう解釈するかという学説には、これまで以下の4つが議論されてきた;
1.経絡学説
2.臓腑学説
3.気化学説
4.症候分類学説
このなかの1・2・3が統合されて中医学が成り立ち、日本漢方は主に4の姿勢が貫かれている。
□ 中医学は「弁証論治」
中国伝統医学は、黄帝内経・神農本草経・傷寒論/金匱要略の三大古典から、金元四大家による温補派や養陰派、明清医学による温病学など諸学説を経て、現代中国になって国定教科書制定の過程で弁証論治を下に整理統一された。
□ 弁証論治の種類
・八綱弁証
・病邪弁証
・気血津液弁証
・臓腑弁証
・六経
・温病弁証
これらが行き着くところは、外邪、病理産物、気血津液精、臓腑・・・という基礎概念と補瀉虚実という基本法則によって行われる。
この基礎概念はわずか40程度であり、基本原則は三大法則で説明できる。
現代科学的に実証されないこれら概念や理論を空理空論と批判する向きもあるが、このシステムはあくまでも適応方剤の決定の根拠を得るための作業仮説である。
□ 中医学の基本原則と三大原則
・基本原則(素問より)
「邪気盛則実、精気奪則虚」
「虚則補之、実則瀉之」
・三大原則
1.体内に邪魔なものが存在すると病気を起こす。そのときはそれを取り除く。
(外邪)風寒暑湿燥火
(病理産物)痰飲、瘀血
2.生理活動を行うものが滞ると病気を起こす。そのときはそれを巡らす。
気、血 → 気滞、血瘀
3.生理活動を行うものが不足すると病気を起こす。そのときはそれを補う。
気、血、津液、精 → 気虚、陽虚、血虚、津液不足、陰虚、腎虚・・・
□ 中医学の基礎概念
・人体の生理活動を行うもの:気、血、津液、精
・人体の構造:
(表)皮膚、肌○、表在する筋や経絡など
(裏)五臓路婦、奇恒の腑、深在する血脈など
・外界から人体に侵入し悪影響を与えるもの(外邪):風、寒、暑、湿、燥、火
・体内で発生し悪影響を与えるもの(病理産物):痰飲、瘀血
□ 日本漢方は「方証相対」
日本漢方は明医学を単純化・日本化して日本に根付かせた後世派(曲直瀬道三ほか)が江戸中期以降、傷寒論を中心にした張仲景に帰り、理論よりも実践を重視した古方派(吉益東洞ほか)が台頭、主流を占めた。
その後、明治政府の漢方医廃止政策から昭和の復興期を経て、各種の症候分類学説を積み重ねて、これらを基に方証相対で症例に対峙している。
使用される方剤は、その症候に相対して決定される(方証相対)。鍵と鍵穴に例える先人もいる。
方証相対の概念・精神は、吉益東洞の「目に見えぬものは言わぬ」という言葉によく表され、病理の根拠が不明な現在においては、方剤決定の根拠はブラックボックスであるから、症候分類学として臨床に臨むということ。
そこで一旦リセットボタンが押された日本漢方は、疾患と方剤の架け橋となる学説を積み重ねていくことになる(次項)。
□ 日本漢方の多層構造
1.原典主義学説 ・・・傷寒論/金匱要略の記載を重視するという古方学派の原理主義。それ以外の文献にある方剤についても、その記載を重視する姿勢。
2.六病位学説 ・・・熱性伝染性疾患だけでなく、あらゆる者のすべての疾患を傷寒論の六病期に当てはめ、その傷寒論の方剤を使用する(「傷寒に万病あり、万病に傷寒あり」)。他の出典の方剤にも六病期を設定する。
3.気血水学説
4.腹診学説
5.補完的臓腑学説
6.症候・病名の2ベクトル学説(簡易八綱分類学説)
7.西洋医学病名投与学説
・・・日本漢方の特徴は、あえて古典的生理学・病理学を否定し、方剤選択の根拠となる理論はブラックボックスとして、この症候分類学説群によて症例に臨む点である。
□ 六病位学説
あらゆる疾患(万病)が六病位を経ると考える。
疾患は病邪と正気の相対で表され、表から裏へ、陽証(熱証)から陰証(寒証)へ、実証から虚証へ、軽症から重症へと経過し、すべての疾患を抱える者は六病位のいずれかに分類される。
□ 気血水学説
しばしば中医学の気血津液弁証と比較され、類似する部分も多いが、病理を分析する気血津液弁証と、症候分類の証である気血水学説は本質が異なる。
古方学派日本漢方はそもそも、伝統的漢方中医学の生理学が否定されたところから出発しているので、生理学がなければ病理学も存在し得ない。気血水学説における各証(気虚/気滞、瘀血/血虚、水毒など)は症候分類の証である。
中医学の気血津液弁証の証は症候⇒病理⇒証⇒治法⇒方剤である弁証論治における、病理の要点たる証である。
日本漢方では生理学がない中でも、これらの病床を漢方医学とも西洋医学とも言えない素朴なイメージで表現されることがある。
(水)日本漢方では脱水に相当する概念は水の証にはない。西洋医学の概念である脱水という用語がしばしば転用される。近年、一部の論者により水毒(水滞)あ「透明な液体のあるべきところの過剰な存在又はないはずのところの存在に加え、あるべきところの不足」という「透明な液体の偏在」と、脱水も含有する概念として定義されることもある。
一方、中医学では脱水に相当する「津液不足」なる概念もある。
□ 腹診学説
日本で発展し、日本漢方の独壇場と言える。
多くの腹証は他の日本漢方学説では解説されていないし、されようともしていない。
□ 補完的臓腑学説
上述各学説でも方剤の決定が難しい場合、一度は放棄されんとした臓腑学説が一部応用されることがあり、補完的臓腑学説と位置づけよう。
とりわけ「腎虚」(八味丸、六味丸など)、「脾虚」(人参湯など)が挙げられる。
しかしあくまでも症候のイメージたる臓腑の証にとどまり、中医学の「病理の要点」たる証ではない。
そしてその症候のイメージは西洋医学的な解説が多く、漢方医学的な再定義の試みはされていない。
□ 2ベクトル学説
各証高や疾患ごとに、八綱分類の虚実、寒熱による4象限にあらかじめ権威ある専門家によって方剤を設定させ、これをあんちょことして利用する方法。
ここで問題になるのが中医学と日本漢方の虚実の概念の違いである(次項)。
□ 中医学と日本漢方における虚実の概念の違い
日本漢方における虚実には闘病反応の強弱という概念があるが、そのベースにあらゆる疾患に病邪の存在があるという前提がある。これは吉益東洞の万病一毒説につながる認識かもしれない。
一方中医学においては、病邪が存在しなくても生理活動を行うものの停滞や不足でも発病しうるという認識の相違がある。つまり、存在・停滞・不足の三軸の概念である。
<実>
中医学(存在や停滞の実)・・・邪魔なものの存在と生理活動を行うものの停滞
日本漢方(抵抗力の実)・・・体力の実、もしくは気血の力が旺盛、闘病反応が盛ん。
<虚>
中医学:生理活動を行うものの不足。
日本漢方:体質的な虚弱、もしくは気血の力が弱い、闘病反応が弱い。
・日本漢方にあって中医学にない概念:中間証
・中医学にあって日本漢方にない概念:虚実錯雑
□ 中医学における虚実錯雑とは?
中医学では闘病反応の強弱にかかわらず、邪が存在すれば実。邪実で、闘病反応が弱いものは?
→ 邪実+生理物質の不足=虚実錯雑
(例1)日頃から感冒に罹りやすい虚弱な者が気管支炎に罹った。
・気の不足した肺に、 肺気虚 → 虚証
・患者が侵入して痰を生じた。 肺寒淡 → 実証
⇒ すなわち、肺気虚・寒痰 → 虚実錯雑
(例2)日頃から胃腸虚弱な者が、食後に胃のもたれやつかえをおぼえる。
・脾胃の気が不足したため、 脾胃気虚 → 虚証
・胃に痰飲が生じる。 胃痰飲 → 実証
⇒ すなわち、脾胃気虚・痰飲 → 虚実錯雑
(例3)凝血塊を伴う月経痛の強い者が、貧血になった。
・子宮胞内の瘀血に、 → 寒証
・気血両虚が合併する。 → 虚証
⇒ すなわち、気血両虚・瘀血 → 虚実錯雑
□ 日本漢方と中医学の相違比較
(日本漢方) (中医学)
学問根幹 原典主義 補瀉虚実
学問体系 キメラ状 収束型
テトリス状 生理・病理・治療学
症候分類学
生理・病理 部分的 体系的
補完的
診断治療 方証相対 弁証論治
システム
臨床実践性 極めて高い 高い
腹診重視 腹診軽視
発展性 増殖的 自己完結的
開かれた学問 閉じた学問
西医親和性 クロスオーバー 併存
検索していたら、日本・中国・韓国を比較したHPを見つけました。
古方派の吉益東洞は、小泉純一郎が「自民党をぶっ壊す」と言ったように「漢方理論をぶっ壊す」人だったようです。日本漢方の流派にも触れています。私の本棚にもある「漢方診療医典」は産みの苦しみを経験した貴重な本であることがわかりました。
一部改変して引用させていただきます;
■ 「中医・韓医と日本漢方」(加島雅之:熊本赤十字病院)
1.日本漢方
大陸と交流が始まった時と期を一にしている。 その中で現在にまでつながる医学の形として姿を現すのは、安土桃山代に同時期の中国の明代後期の医学を輸入し体系化・マニュアル化(この診療システムを「察証弁治(さっしょうべんち)」という)を行った曲直瀬道三の曲直瀬流である(「後世派」)。この流派は江戸時代中期まで日本の漢方医学の主流をなしたが、徐々にマニュアル化された方法論の固定的運用と安易で無難な治療法に堕してしまった。
江戸時代中期に吉益東洞らによる医学革命が行われ、後の日本の漢方医学の方向を決定づけられた(「古方派」)。 古方派は漢方医学理論の全てを否定し(吉益東洞に至っては医学に理論があることそのものを否定しようとしている)、中国の後漢の末に誕生したとされる傷寒論・金匱要略の処方を中心に、症状・症候の組み合わせに対して一対一対応のように使用する(この方法論を「方証相対」という)。 古方派の誕生の背景には治療対象となった人々が大衆にまでに広がったこと、梅毒やコレラなどの難治性感染症の流行、堕落した後世派へのアンチテーゼ、当時流行した朱子学の理論性を否定した復古儒学の強い影響がある。
この後の日本の医家は立場の差はあるが、個々に古方の方法論と伝統的漢方概念・理論を自らの経験・見識で折衷する形で医学を形成していく。 明治期に入り政府により漢方に対する弾圧が行われ、江戸時代よりの系譜はほぼ断絶してしまう。少数の医師らの手により明治末から昭和初期にかけて漢方の復活が図られた。
その主だった流派には古方派の流れをくむ2流派(後の大塚敬節のグループと千葉古方と呼ばれるグループ)と後世派の流れをくむ1流派(一貫堂医学といわれるグループ)、古方派・後世派の中間的立場をとる1流派がある。昭和の初期にこうした諸流派が共同して金字塔というべき教科書が編まれた。 「漢方診療の実際」である(1969年以降は「漢方診療医典」に改名)。この本はその序文にあるように西洋医学しか学んだことがない医師が全く予備知識なしに漢方の実践を図ることができることを目指して作成された。 版を重ねる過程で、臨床上の必要性および漢方医学としての体面の問題から、ある程度の漢方概念を導入せざる得なくなった。 しかし、先に述べるように伝統中国医学の体系を引き継ぐ後世派と一方でその根幹からの否定を目指した古方派の矛盾を解決せず、なおかつ、全く漢方の素養のない者に概念を説明するためには、伝統的な漢方用語を新たに定義し直し体系化することとなった。 そこでは本来、病態を説明するための諸概念が、ある種の病状を分類する概念として理解される形となっている。
現在の日本漢方の陰陽・虚実・寒熱・瘀血・水毒などの用語の概念および、西洋医学の診断名を縦糸に用い、日本漢方を特徴づける一つである、臨床的ポイントを表す口訣・日本で独自に発展した診察法である腹診・簡単な脈診を用いて、漢方概念で表わされる分類項目に当てはめ、これを横糸として処方を決定するというシステムはこの本によって完成した。
2.中医学
現代の中医学と呼ばれるものは共産革命後に中国政府の命令によって、その当時の伝統中国医学を集大成することで形成された。 その手本とされたのは、清代末に西洋医学の流入に対抗すべく伝統医学の学校における近代教育の試みが浙江省の私学校でなされたものであった。その教育は西洋医学の教育・診断の方法論に倣い、基礎理論・生理・解剖・病理・症候学と続く内容となっている。 診断システムもまずどの臓腑系統のシステムの異常かを確認した上でその病態生理を把握するものとなっており、現代の中医学の教育・臨床システムもその体系を受け継いでいる。
中医学の診断から治療にわたる診療システムを「弁証論治」という。 弁証論治は病態である「証」を診断しそれに基づき治療法を議論するということである。同じ診断名の病態であっても合併状況、進行の状況に基づき様々な選択を考え治療戦略をたてる。 前述の日本漢方の「方証相対」の、ある種の処方が有効である症状の組み合わせという言わば“症候群”としての意味合いの「証」に対して、一対一対応の処方を選択するというシステムとは好対照である。 処方の理解も日本漢方では処方単位での理解となるのに対して、中医学では処方を構成している一つ一つの生薬の薬能が目的としている病態にどう有効であるかという視点が重視される。 こうした病態分析の基本となる漢方概念や薬能概念は主に明代後期に確立している。また、清代に確立した「温病学」(うんびょうがく)といわれる感染症学、清代末から中華民国時代に西洋医学の影響を受けて発展した伝統医学の一派(「医学中西匯通派」と呼ばれる)の影響、中西結合といわれる西洋医学の知見を積極的に漢方医学に結びつける試み、および学校教育を行う為の臨床体系の構築(こうした臨床形態を「学院派」とよぶことがある)が現代中医学を特徴づける。
3.韓医学
朝鮮半島における漢方医学の流入の起源も日本と同様、中国との交流の始まりまで遡る。 こうした中で、現代につながる韓医学は約400年前の「東医宝鑑」(とういほうがん)によって成立した。この医学は同時代の中国明代後期の医学を集大成した内容であり、同時期の日本の曲直瀬道三が著した「啓迪集」(けいてきしゅう)と非常に類似した体系となっている。 ただ二つの体系を比較すると、東医宝鑑は生理的な視点を重視し、予防医学・健康増進(伝統的には「養生」と表現される)に重点が置かれる。
現代の韓医学においても、疾病の治療の中心は鍼灸療法であり、薬物療法は養生に重点が置かれている。実際の診療の方法論では、症状・症候の伝統的分類の項目を東医宝鑑やそのダイジェスト版である「方薬合編」(ほうやくごうへん)、その他の信奉するテキストで検索し、そこに書かれている処方を中心に、状況に合わせて薬物論に基づき若干の調整(この過程を「加減」という)をして用いるという伝統的な漢方医学のある種の方法論が残存している。 また、約100年前の李氏朝鮮末に生まれた「四象医学」も韓医学の特徴的な内容の一つである。 この医学では人体の気の昇降・集散の傾向と消化吸収機能の壮健さにより人を先天的な4つの体質に分類し、その体質診断に基づき、先天的生体の偏りを矯正する処方を服用することで治療・養生を目指す体系である。