副題:“弱者いじめ”の連鎖を断つ
太郎次郎社、1997年発行
前項で触れた北村年子さんが書いた昔の本を探して読んでみました。
思わせぶりでナルシスティックな文章が気になりましたが、内容は鋭く、唸らせるモノがあります。
道頓堀の“橋の子”(夜橋に集まる子どもたち)で、ホームレス襲撃事件の首謀者である“ゼロ”とその周辺の人々の有り様を中心に、著者の阪神・淡路大震災のボランティア活動経験なども織り込みながら話が進みます。
彼女の抱く素朴な疑問は「なぜ“ゼロ”はホームレスを殺さなければならなかったのか、その背景を知りたい」ということ。
知れば知るほど、現代社会から排除された人々の生き様があぶり出され、その歪みが弱者を苦しめている現状が見えてくるのでした。
社会的に「加害者」として糾弾されるゼロは、被害者でもあった・・・。
この本の内容は、いじめの本質を的確に突いた次の文章に集約されると思いました;
<いじめる側の心の叫び>
“自分に価値がある”と思えない気持ちから、自分より弱く低い位置に誰かを置き、他者の価値を否定し、攻撃することで、「自分の価値」を確かめ、保障し、奪われた“自尊心”を取り戻そうとする行為ーそれこそが「いじめ」なのだー。
なけなしの「自分の価値」を必死で見いだし確かめようと、誰かをいじめ、おとしめ、さらに満たされることのない心の上を抱えたまま、自分を否定しながら、もがき苦しんでいる。
ただ存在しているだけで価値がある、生きているだけで素晴らしいーそんな「あるがままの自分」の価値を、いま、どれだけの子どもたちが、他者から認められ、自分に認めることができているだろう。
いじめられ、否定され、自尊感情を奪われた心が、みずからの価値を確かめるかのように、さらに弱い他者の自尊心を奪おうとする。その「いじめの連鎖」はいま、他者に対してだけでなく、薬物依存・摂食障害・自殺といった「自分いじめ」にむかう多くの少年少女たちの抑圧された自傷行為を増幅させている。
<メモ>
自分自身のための備忘録。
■ 阪神・淡路大震災の現場で
ボランティアの若者達には「元いじめられっ子」が多かった。
ボランティアに来たその人自身が、ケアを必要とする心身の状態である場合も少なくない。人を助けたい、癒したいと痛切に思う人ほど、自分自身の中に癒されたいものを持っていることも多い。
もともと公園や路上で生活していた人達は、同じ被災者であるにもかかわらず講演を追い出され、避難所からも排除され、水や食料の救援物資も渡されなかった。そして『住所不定』を理由に罹災証明も出されないまま、義援金はもちろん、あらゆる福祉施策からも切り捨てられた。
■ 道頓堀の“橋の子”たち
「一般の通行人なんて、ホームレスに目もくれへん。まるでいないのと同じ。相手にもせえへんしケンカも売らへん。酔っ払って道に寝転がってようが、血ィ流して倒れてようが、通行人も交番のおまわりも、知らんふりや。けど、少なくとも、橋の子はホームレスのおっちゃんらとの接点があった。」
「学校のクラスのいじめと、同じやとおれは思う。接点があるからこそ起こるんや。自分と同じ土俵にいる、同じ目線にいる者同士やからこそ、そこで弱いやつを見つけていじめる。先生とか目上の人間とかにぶつけるんやなくて、同じ視界にいる、同じ場にいる人間やからこそ、いじめるんとちゃうかなって」
■ いじめられっ子の弱者いじめ
もしかしたらゼロは、からかってもホームレスの人がやり返してこないのが、よけいに腹たったんかもしれん。ゼロは、自分がずっといじめられていたことに対して、腹立ってたから。そのとき何も言い返せへん、やり返せへんかった自分に、腹が立ってたんやと思う。」
やり返せなかった自分への腹立ちー。弱いものが自分の弱さにいらだち、さらに弱いものを殴る。いじめられっ子だったゼロの「ホームレスいじめ」は、そんなゼロの「自分いじめ」であり、「自傷行為」だったのかもしれない。
■ 釜ヶ崎の人々
東京の「山谷」(さんや)、横浜の「寿町」(ことぶきちょう)とともに、日雇い労働者の「三大ドヤ街」の一つに数えられる「釜ヶ崎」。しかし、「釜ヶ崎」という地名は地図にはない。大阪市西成地区の一角、JR環状線の新今宮駅から南側のほぼ600メートル四方一帯が「釜ヶ崎」と呼ばれる街になる。そこを行政サイドでは「あいりん地区」という奇妙な名称で呼んでいる。
日雇い労働の仕事は、公共職業安定所が斡旋するのが原則になっている。だが、実際には職安の紹介する日雇い仕事は圧倒的に少なく、こと釜ヶ崎ではまったくない。結局、雇用の大部分は「手配師」と呼ばれる暴力団関係者の「ヤミ雇用」に依存し、そのため労働者は賃金の大半を暴力団にピンハネされる上に、労災時の保障のない不安定な雇用状況の中で、条件や約束の反故、賃金未払い、といった労働被害に日々晒されている。
そこで野宿生活を強いられている人の事情はさまざまだが、その多くは、かつては日雇い労働者として働き、労災事故や病気、不況や高齢化にともない失業に追い込まれた人達である。
労働者を見張る西成警察は、監視カメラの下で白昼堂々とサイコロバクチを打つ暴力団の違法行為には見て見ぬふりをし、瀕死の状態で倒れている野宿者を「450」(ヨゴレ)と暗号で呼び、倒れている人を放置し、救急車は重体の労働者を路上に置き去りにしていく。
■ 野宿者の持つ“隠れた就労障害”
野宿者にはてんかんなどの“発作性の持病”を持っている人が多い。
そしてもう一つ、“文字を奪われている”ことで、貧困やさまざまな事情で教育を受ける権利を奪われ、読み書きができないハンディを背負う人が多い。
“発作性の持病”のために職場を転々とし、事件当時無職だったゼロ。そしてその持病のために、小学校時代は「特別学級」に入れられ、他の生徒達と同じように授業を受ける権利を奪われ、成績も悪く、さらに中学時代は教護院で過ごしてきた。たとえ読み書きはできても、中学校卒業後、学歴社会の競争から「落ちこぼされ」てきたハンディを持つ若者であった。
ゼロの野宿者への憎悪は、いまも「やり返せない」自分、そして「未来の自分」への姿への不安と恐怖をもはらんでいたのではないだろうか。
■ 善悪の区別がわからない、差別する子どもを作ったのは誰?
野宿労働者の弁;
「大人の意識が子どもに反映しているんです。まず、大人が差別しているんです。商店街では水蒔いて寝られないようにするし、警察は追っ払うし、公園には網を張っては入れないようにするし、ベンチには仕切りをつけて寝られんようにする。大人がまず、排除しているんです。大人と子どもの違いがあるとしたら、大人は殺さないだけです。」
野宿者を襲う若者、弱者をいじめて笑う子どもたちー。彼らの「善悪の判断」がつかない「希薄な倫理観」を指摘し、避難し、嘆くことはたやすい。しかし、人間を襲う子どもたちの姿は、こうした地域の大人達の倫理観そのものであり、社会全体の差別意識そのものを、まさに身をもって私たちに映し出して見せている。
■ いじめられっ子が窃盗に至る心理
いじめられていた頃は、そんなもんだ(誰も助けてはくれない、僕は一人が当たり前)と思っていたし、そう自分に言い聞かせていた。だからわざわざ、敵だらけの学校に行くこともないと思ったし、家にお手も親に怒られるし、それなら楽しいことと言えば、誰かの命令でものを盗んでそいつの機嫌を取るくらいなら、嫌いな奴のために親の金や他人の金を取らされるぐらいなら(もうそんなんはうんざりだったし・・・)僕自身のために、誰かからお金を盗んで、楽しく使おうと思ったし、また、それがあの時は、たった一つの楽しみだった。
■ いじめた経験もいじめられた経験もある青年の言葉
「僕がいじめたときは、いつも自分がつらいときでした。いじめることによって、自分のつらい精神状態が、少しいい状態になるような気がしました。」
「僕は今、けっこう生きているのがつらいんで、もし誰かをいじめて、その人を不幸に落とし入れることができたら、自分がましに見えるんですよね。それに、自分に価値があるってあまり思えないから、人を・・・他人を否定したいんですよ。他人を否定すれば、ホントに自分がましに見えるから、人をいじめたいと思います。」
「中学の時社会科で習った、江戸幕府が農民の下にえた・をつくることで、不満を解消したというのと似てるなあと思って・・・僕の場合、そんな感情で、人をいじめたいと思います。」
・・・「いじめ」という不当な暴力から自分を守れず、自尊心を奪われ、自分の価値を認めることができなくなった自己評価の低い心は、自分を否定する「自分いじめ」のなかで、さらに「弱者いじめ」を生み出していく。
■ ほんとうに「強い人」とは
ほんとうに「強い人」とは、単に弱い人を守れる強い力のある人ではなく、「弱さ」を認め、受け入れ、尊重できることこそが、真の「強さ」だと思います。自分の「弱さ」を否定しないでください。弱い自分であっても、同じ弱さを持つ人に共感できる「弱さへの共感」を持てることこそが、真の「強さ」だと、私は信じています。
自分を守れて初めて、他人を守れる人になると思います。
太郎次郎社、1997年発行
前項で触れた北村年子さんが書いた昔の本を探して読んでみました。
思わせぶりでナルシスティックな文章が気になりましたが、内容は鋭く、唸らせるモノがあります。
道頓堀の“橋の子”(夜橋に集まる子どもたち)で、ホームレス襲撃事件の首謀者である“ゼロ”とその周辺の人々の有り様を中心に、著者の阪神・淡路大震災のボランティア活動経験なども織り込みながら話が進みます。
彼女の抱く素朴な疑問は「なぜ“ゼロ”はホームレスを殺さなければならなかったのか、その背景を知りたい」ということ。
知れば知るほど、現代社会から排除された人々の生き様があぶり出され、その歪みが弱者を苦しめている現状が見えてくるのでした。
社会的に「加害者」として糾弾されるゼロは、被害者でもあった・・・。
この本の内容は、いじめの本質を的確に突いた次の文章に集約されると思いました;
<いじめる側の心の叫び>
“自分に価値がある”と思えない気持ちから、自分より弱く低い位置に誰かを置き、他者の価値を否定し、攻撃することで、「自分の価値」を確かめ、保障し、奪われた“自尊心”を取り戻そうとする行為ーそれこそが「いじめ」なのだー。
なけなしの「自分の価値」を必死で見いだし確かめようと、誰かをいじめ、おとしめ、さらに満たされることのない心の上を抱えたまま、自分を否定しながら、もがき苦しんでいる。
ただ存在しているだけで価値がある、生きているだけで素晴らしいーそんな「あるがままの自分」の価値を、いま、どれだけの子どもたちが、他者から認められ、自分に認めることができているだろう。
いじめられ、否定され、自尊感情を奪われた心が、みずからの価値を確かめるかのように、さらに弱い他者の自尊心を奪おうとする。その「いじめの連鎖」はいま、他者に対してだけでなく、薬物依存・摂食障害・自殺といった「自分いじめ」にむかう多くの少年少女たちの抑圧された自傷行為を増幅させている。
<メモ>
自分自身のための備忘録。
■ 阪神・淡路大震災の現場で
ボランティアの若者達には「元いじめられっ子」が多かった。
ボランティアに来たその人自身が、ケアを必要とする心身の状態である場合も少なくない。人を助けたい、癒したいと痛切に思う人ほど、自分自身の中に癒されたいものを持っていることも多い。
もともと公園や路上で生活していた人達は、同じ被災者であるにもかかわらず講演を追い出され、避難所からも排除され、水や食料の救援物資も渡されなかった。そして『住所不定』を理由に罹災証明も出されないまま、義援金はもちろん、あらゆる福祉施策からも切り捨てられた。
■ 道頓堀の“橋の子”たち
「一般の通行人なんて、ホームレスに目もくれへん。まるでいないのと同じ。相手にもせえへんしケンカも売らへん。酔っ払って道に寝転がってようが、血ィ流して倒れてようが、通行人も交番のおまわりも、知らんふりや。けど、少なくとも、橋の子はホームレスのおっちゃんらとの接点があった。」
「学校のクラスのいじめと、同じやとおれは思う。接点があるからこそ起こるんや。自分と同じ土俵にいる、同じ目線にいる者同士やからこそ、そこで弱いやつを見つけていじめる。先生とか目上の人間とかにぶつけるんやなくて、同じ視界にいる、同じ場にいる人間やからこそ、いじめるんとちゃうかなって」
■ いじめられっ子の弱者いじめ
もしかしたらゼロは、からかってもホームレスの人がやり返してこないのが、よけいに腹たったんかもしれん。ゼロは、自分がずっといじめられていたことに対して、腹立ってたから。そのとき何も言い返せへん、やり返せへんかった自分に、腹が立ってたんやと思う。」
やり返せなかった自分への腹立ちー。弱いものが自分の弱さにいらだち、さらに弱いものを殴る。いじめられっ子だったゼロの「ホームレスいじめ」は、そんなゼロの「自分いじめ」であり、「自傷行為」だったのかもしれない。
■ 釜ヶ崎の人々
東京の「山谷」(さんや)、横浜の「寿町」(ことぶきちょう)とともに、日雇い労働者の「三大ドヤ街」の一つに数えられる「釜ヶ崎」。しかし、「釜ヶ崎」という地名は地図にはない。大阪市西成地区の一角、JR環状線の新今宮駅から南側のほぼ600メートル四方一帯が「釜ヶ崎」と呼ばれる街になる。そこを行政サイドでは「あいりん地区」という奇妙な名称で呼んでいる。
日雇い労働の仕事は、公共職業安定所が斡旋するのが原則になっている。だが、実際には職安の紹介する日雇い仕事は圧倒的に少なく、こと釜ヶ崎ではまったくない。結局、雇用の大部分は「手配師」と呼ばれる暴力団関係者の「ヤミ雇用」に依存し、そのため労働者は賃金の大半を暴力団にピンハネされる上に、労災時の保障のない不安定な雇用状況の中で、条件や約束の反故、賃金未払い、といった労働被害に日々晒されている。
そこで野宿生活を強いられている人の事情はさまざまだが、その多くは、かつては日雇い労働者として働き、労災事故や病気、不況や高齢化にともない失業に追い込まれた人達である。
労働者を見張る西成警察は、監視カメラの下で白昼堂々とサイコロバクチを打つ暴力団の違法行為には見て見ぬふりをし、瀕死の状態で倒れている野宿者を「450」(ヨゴレ)と暗号で呼び、倒れている人を放置し、救急車は重体の労働者を路上に置き去りにしていく。
■ 野宿者の持つ“隠れた就労障害”
野宿者にはてんかんなどの“発作性の持病”を持っている人が多い。
そしてもう一つ、“文字を奪われている”ことで、貧困やさまざまな事情で教育を受ける権利を奪われ、読み書きができないハンディを背負う人が多い。
“発作性の持病”のために職場を転々とし、事件当時無職だったゼロ。そしてその持病のために、小学校時代は「特別学級」に入れられ、他の生徒達と同じように授業を受ける権利を奪われ、成績も悪く、さらに中学時代は教護院で過ごしてきた。たとえ読み書きはできても、中学校卒業後、学歴社会の競争から「落ちこぼされ」てきたハンディを持つ若者であった。
ゼロの野宿者への憎悪は、いまも「やり返せない」自分、そして「未来の自分」への姿への不安と恐怖をもはらんでいたのではないだろうか。
■ 善悪の区別がわからない、差別する子どもを作ったのは誰?
野宿労働者の弁;
「大人の意識が子どもに反映しているんです。まず、大人が差別しているんです。商店街では水蒔いて寝られないようにするし、警察は追っ払うし、公園には網を張っては入れないようにするし、ベンチには仕切りをつけて寝られんようにする。大人がまず、排除しているんです。大人と子どもの違いがあるとしたら、大人は殺さないだけです。」
野宿者を襲う若者、弱者をいじめて笑う子どもたちー。彼らの「善悪の判断」がつかない「希薄な倫理観」を指摘し、避難し、嘆くことはたやすい。しかし、人間を襲う子どもたちの姿は、こうした地域の大人達の倫理観そのものであり、社会全体の差別意識そのものを、まさに身をもって私たちに映し出して見せている。
■ いじめられっ子が窃盗に至る心理
いじめられていた頃は、そんなもんだ(誰も助けてはくれない、僕は一人が当たり前)と思っていたし、そう自分に言い聞かせていた。だからわざわざ、敵だらけの学校に行くこともないと思ったし、家にお手も親に怒られるし、それなら楽しいことと言えば、誰かの命令でものを盗んでそいつの機嫌を取るくらいなら、嫌いな奴のために親の金や他人の金を取らされるぐらいなら(もうそんなんはうんざりだったし・・・)僕自身のために、誰かからお金を盗んで、楽しく使おうと思ったし、また、それがあの時は、たった一つの楽しみだった。
■ いじめた経験もいじめられた経験もある青年の言葉
「僕がいじめたときは、いつも自分がつらいときでした。いじめることによって、自分のつらい精神状態が、少しいい状態になるような気がしました。」
「僕は今、けっこう生きているのがつらいんで、もし誰かをいじめて、その人を不幸に落とし入れることができたら、自分がましに見えるんですよね。それに、自分に価値があるってあまり思えないから、人を・・・他人を否定したいんですよ。他人を否定すれば、ホントに自分がましに見えるから、人をいじめたいと思います。」
「中学の時社会科で習った、江戸幕府が農民の下にえた・をつくることで、不満を解消したというのと似てるなあと思って・・・僕の場合、そんな感情で、人をいじめたいと思います。」
・・・「いじめ」という不当な暴力から自分を守れず、自尊心を奪われ、自分の価値を認めることができなくなった自己評価の低い心は、自分を否定する「自分いじめ」のなかで、さらに「弱者いじめ」を生み出していく。
■ ほんとうに「強い人」とは
ほんとうに「強い人」とは、単に弱い人を守れる強い力のある人ではなく、「弱さ」を認め、受け入れ、尊重できることこそが、真の「強さ」だと思います。自分の「弱さ」を否定しないでください。弱い自分であっても、同じ弱さを持つ人に共感できる「弱さへの共感」を持てることこそが、真の「強さ」だと、私は信じています。
自分を守れて初めて、他人を守れる人になると思います。