廣島パイレーツ・チャンネル

広島の名も無き”田舎侍”が地元プロスポーツを中心に色々と書いて行く過激なスポーツコラムや、広島の市政や街づくりについても

ホワイトデーですか...

2008-03-03 22:22:22 | Weblog
 gooのトラックバック意見板で「ホワイトデーに欲しいスイーツは??」をやっているので私も男性ながら参加、私は贈る側ですが無難にクッキーにするか、それともショートケーキにするか...と言ったところです。 シュークリームなんかも良いですし。 ランキングの一位はチーズケーキらしいですが、母はチーズケーキがダメなので他の物にするしか無いでしょうね。 今年のバレンタインは母からもらった一個だけでしたから...

                 

旧本能寺遺構確認 無防備信長、深まる謎 圧倒的兵力差、すぐ決着(産経新聞) - goo ニュース

「本能寺の変」舞台で新説 信長の宿泊場所、実は小規模御殿(産経新聞) - goo ニュース

 本能寺は秀吉の時代に今の場所に移転しているそうなので、今回は旧本能寺の遺稿を調べた様ですね。 時代劇に出て来る本能寺は高い屋根がある大伽藍で、高い塀の向こうに多数の幟が見え、その幟に描かれてある桔梗の家紋を見て明智光秀の謀反だと分かる場面がよく出て来ますが、今回の調査によると本能寺はあんな大きな建物は無く、邸宅風の広い建物で周りに堀が廻らせてあったらしいですね。 『信長公記』の記述が正しいとすれば白地の寝間着(?)姿の信長が弓矢とか長槍で境内に侵入して来た兵士達(よく考えたら自分の家来...)と戦い、鉄砲で撃たれて足を負傷し、建物内に引っ込んで中で切腹するところは時代劇の場面と同じなのではと思いますが。

 本能寺は光秀の一万三千もの大軍に包囲され、信長もせめてもの意地で戦って見せたが勝ち目など端から無いのですぐに自刃、あっさりと決着は付いて光秀は信長の嫡男・信忠が近くの二条城に居ると情報を得てすぐに攻撃を開始、二条城は寺よりは防御力があるので多少は奮戦したが多勢に無勢で信忠も自刃に追い込まれたとか。

                 

 最前線とかならともかく、信長はまさか自分の広い領地の中心に近い京都で襲撃されるとは思わなかったと思います。 明智光秀は浪人だった彼を大名にまで引き立てた信長に背くなんて自分でも直前まで想像もしていなかったのかも知れないですし。 私は愛読書『逆説の日本史』(井沢元彦さん・小学館)の記述通り、光秀は四国の長宗我部氏の処遇を巡って信長がそれまでの光秀のやって来た長宗我部氏の織田政権取り込み策を一方的に反故にした事で感情的に謀反に踏み切ったのだと思っています。 事実、本能寺の変は四国征伐の軍勢が大阪港から出撃するその日の早朝に行われているのでうすから。

 それと本能寺の変を巡っては朝廷や毛利氏、果ては秀吉や家康まで様々な”黒幕”の存在が言われて来ましたが、私も本能寺の変そのものは光秀の単独犯行を支持します。 実際、信長を倒した後から光秀は各地の大名や朝廷に自分への指示を呼び掛けていますが、反逆者の彼を支持する武家勢力はわずかでしたから。 光秀ほどの戦略家が計画的に実行していれば信長を殺した後の為に十分な根回しをしていたはずですし。 でも真相は分からないですし、本能寺の変を巡っての謎は坂本竜馬暗殺の黒幕が誰かと同じで日本史最大のミステリーとして後世にも受け継がれるのではと思っています。


 ...以上です。
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