小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

自由主義経済

2010-09-20 18:19:27 | Weblog
民主主義、自由主義経済。自由主義経済の国というのは、ある意味、恐ろしい。国家と国民の関係を、国家=親。国民=子。と、たとえると、親は子に、全く自由に生きることを許しているようなものだ。親は子に何の拘束力も、何の権限も持たない。というより、それを自分の意志で捨ててしまっているのである。躾というものがない。しかし親(国家)は子(国民)が幸せになってくれる事を心の底から願っている。そして親孝行もして欲しいと思っている。そんな変な家庭である。それで親(国家)の役割といったら、必死で、「こっち(日本)の水は甘いよ」と、色々な手を打ち、子(国民)が、自分の意志で、日本のために一生懸命、働く意志を持つ人間になるよう仕向けているような政治形態である。しかし子は親の色目に従うとは限らない。実に恐い。
鎖国をしていた徳川260年の方が、遥かに安定した経済体制である。何と260年も政権が安定し、他国に依存せず、自給自足の生活が出来ていたのだから。(もっとも、百姓の生活は悲惨を極めたし、一揆や、打ち壊しなども、無数にはあったが)しかし政権も経済も安定した国家であったことは間違いない。ジャッキーチェンは、「完全な自由は危ない」という発言をして、アジアでは顰蹙をかったらしいが、かなり政治を見る目がある。「人間の自由は決して奪ってはならない。たとえ、その結果、野垂れ死にしようとも」というのが、民主主義、自由主義経済の根本思想だが。しかしその結果、何が起きたか。バブル崩壊で日本の経済はガタガタになった。企業は、安い労働力を求め海外進出し、国内の産業は空洞化した。もはや日本一国では独立して生きられず、外国に依存し、外国との狡猾な関係を、絶えず無い知恵絞って考え続けなくてはならなくなった。実に、日本という国家を維持するのに、ややこしくなった。自由主義経済は綱渡りのような危険な状態に絶えずさらさられている。明治維新の時、開国か攘夷かをせまられて、日本は開国の道を選んだが、はたして、あらゆる面でそれがよかったか、と言えるであろうか。人間は自由になると、やりたい放題のことをやり、怠け、自分の利益になることだけを考えて行動する。世界と隔絶された未開の土地の、文明化されていない一部の部族には、生活は不便であっても衣食住の生活や、その部族の団結、維持が壊れることはないのだ。あるいは。サル社会を見よ。何と役割分担がしっかり、なされていることか。ギリシャはとうとうサル以下になった。はたして日本もサル以下になるか。少なくとも、なる可能性は十分ある。なぜなら。維新の志士達にとっては、日本の安泰が自分の命以上に大切なものだったからだ。しかし、今の日本の政治家に、そんなヤツが一人でもいるだろうか。世襲議員が大半を占める今の政治家にとっては、選挙に立候補するということは、地盤、看板、カバンを親から引き継げるから、非常に有利な上級公務員に就職してみようという就職口の選択肢の一つに過ぎない。

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