小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

日本の天皇制

2010-09-21 19:30:50 | Weblog
日本の天皇制を考える場合。日本の皇室は、国民と皇室とが緊密な精神的相互関係によって出来上がっている、としかいいようがない。そして天皇制は成功している。
(もともと人間の性格は、精神的相互関係によって出来るという面は誰にでもあるが)
もちろん皇室のそれぞれの人は、(全ての人間のように)生まれつきの先天的な性格を持って生まれる。しかし。日本国民は皇室に対し、畏敬の念を持って見ている。それを皇室は逆に感じ取って、畏敬の念で見られているという自覚をして襟を正さなくては、という思いを抱かざるを得なくなっている。もし、どっちかの見方が変わったら、皇室のあり方も変わってしまうだろう。日本の皇室はそれが日本人気質から成功しているのである。これはかなり日本の平和に役立っている。もちろん日本人は日頃、天皇の事など考えない。しかし、一朝時ある時に、この精神的相互関係は大きな力を持ってくるのである。

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日本

2010-09-21 19:22:12 | Weblog
日本がどんなに住みにくい国になっても、日本で生まれた日本人が皆、海外に移住して、日本という国がなくなってしまう、ということは絶対ない。確かに日本人の中には外国に移住した人もいる。しかし大局でみると、日本人は日本を脱出しない。日本人を日本につなぎとめておくもの。それは愛国心とは言いがたい。もちろん多少はあるだろうが。日本人を日本につなぎとめておくもの。その一番のものは、言語、風習、風土と私は考える。
はたして日本という国で生まれて、20年以上、肌にしみついている、それらを脱却することが出来るだろうか。そして日本は単一民族。(たしかに日本にはブラジル、ハワイなどへの移民の歴史があるが)そして日本人気質もある。またヨーロッパと違い、国境というものがない独立した島国という地理的な特質もある。
だから日本はどんなに経済的にどん底になっても、ハーハーゼーゼーいいながら存在しつづけるだろう。

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検察の捜査

2010-09-21 16:29:41 | Weblog
検察は、怪しい人物に対して、おそらく、こうだろうというストーリーを組み立てる。(マスコミもそうだが)まず憶測のストーリーをつくることから始める。
それを悪いように言う人もいるが、それは違う。
最初にストーリーを組み立ててみるのは悪い事ではない。というより、(それしかない、と言ったら言い過ぎになるが)それが一番、立件に踏み切る確実な方法だからだ。
警察の捜査にしたって、あくまで、犯人の「動機」というものを第一に考える。し、「動機」を第一に考えるべきだ。
大切なことは。最初に検察が作ってみたストーリーは、あくまで、「仮説」であるという自覚をしっかり持っていなくてはならない、ということだ。捜査していくうちに、「仮説」でつくってみたストーリーが、どうも怪しい、と思われてきたら、最初につくった「仮説」を捨てて、あらたに、捜査によって見つかった証拠を元に、別のストーリーの「仮説」をつくらなくてはならない、ということである。
学者の研究方法というのは、これである。まずある研究対象の妥当性から、ある「仮説」を立ててみる。そして実験する。そして、実験の結果、「仮説」が間違っていたら、「仮説」を取り消し、あらたな「仮説」を立ててみる。そして実験する。この無限の繰り返しが、学問である。
私は検察官の心理はわからない。
しかし、検察の誤りは、最初に「仮説」のストーリーを立てて、捜査していくうちに、「これは違うんではないか」と気づいても、学者のように、最初に立てた「仮説」を撤回するということをしない点にある。
どうして検察は、「仮説」の撤回をしないのか。
考えられることとしては。
(1)まず、そもそも検察組織は学者ではない、ということである。
(2)検察官のプライド。検察官は、「オレ様は司法試験に通ったエリートなんだ。優秀な人間なんだ。その頭のいいオレ様の推理が間違うはずはない」というケチなプライドにしがみついている、ということが考えられる。最初につくった「仮設」を否定するということは、自分の誤りを認めることである。(人間は誰でも、自分の誤りは認めたくないものである)ましてや、司法試験に通った社会的に地位の高い検察官では、自分の誤りを素直に認めようとせず、目をそらそうとするだろう。(学者でもプライドの強いヤツは、自分のつくった仮説を否定せず、何としても、それにしがみつくのもである)
(3)正確な捜査をするのは面倒、という検察官の怠慢。検察官はプライドが高い。最初につくった「仮説」のストーリーが、捜査によって、「どうも違うんじゃないか」とわかってきても、あらためて、1からやり直すのは、面倒くさい。間違っているとわかっていても、最初に立てた「仮説」のストーリーを無理矢理、押し通してしまえ、という、いいかげんな態度になっているのではないか。これも当然、自分は検察官というプライドによる所が大きいように思う。公務員の仕事というのは、長くやっているうちに、だれてきて、惰性になりやすい。人の命がかかっている事でも、他人事だから「そんな事どうでもいいじゃないか」という怠惰な気持ちになりやすい。「公務員はサボる」これは間違いない鉄則である。
(4)検察官の人事、出世と関係しているのだろう。検察も公務員の一つの組織である。迅速に多くの事件を処理する検察官が有能な検察官として評価されて、早く出世するのだろう。たとえズサンな処理であっても。そんなことはどうでもいいことなのだろう。

要するに、検察組織というものは、傲慢で、プライドだけ高く、ずさんで、決め付け捜査をし、捜査の途中で、自分らに間違いがあることに気づいても、自分らのメンツのために無実の人間を罪人にしてしまう組織であるということである。

今回の厚生労働省の村木厚子元局長に対しても、
「どうせ官僚なんて善人ヅラしてても悪いことをしてるんだろう。むしろ善人ヅラしてるヤツに限って怪しい。性格がおとなしいヤツは正義感もたいして無いだろうから賄賂をもちかけられたら受けとるだろう、官僚が何か積極的に頑張っている裏には必ず金の見返りがあるだろう」
とアホ検察は決め付けたのだろう。

検察の問題は、検察に対してブレーキをかける公的機関が無いということである。

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前田恒彦主任検事

2010-09-21 16:20:41 | Weblog
前田恒彦。人間のクズだな。こんなヤツ。村木厚子さんと国民に土下座して誤れ。

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