小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

これからは大学より国家資格の時代

2010-09-22 04:06:51 | Weblog
これからは大学より国家資格の時代だと思う。

大卒なんて肩書きはもはや通用しなくなっている。(東大とか一流大学は別)

そもそも、日本の大学は、入ったら遊ぶ所である。それに。大学生は授業になんか出ないでアルバイトの毎日である。単位は過去問の一夜漬けである。講義の内容が身につくはずがない。あなた自身を振り返ってみても、大学の授業など、ほとんど全て忘れてしまっているだろう。

だから、これからは大学に進学するより、何かの専門学校に進学して、国家資格を取っておいた方がいい。あるいは、大学に進学しても、在学中に、遊ぶのではなく、何かの国家資格を取ろうと必死に勉強しておくことだ。

たとえば。自動車整備士の資格と技術を持っていれば、失業したり、転職やリストラされたりされることはないのだ。調理士、その他、どんな資格でもそうである。これからは国家資格と専門技術。

そうでないと、もう自分のやりたい仕事を選ぶことは出来なくなり、国家が必要とし、また、仕向けようとしている、介護の仕事にしか就けなくなる。介護の仕事なんて、やりがいも無いし、面白くもないぞ。

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検察2

2010-09-22 03:14:21 | Weblog
検察は、冤罪をつくることに対して感覚が鈍感になっているのだろう。

一般人だったら、人を冤罪にするなんてことは、考えただけでも恐ろしく、慎重になる。

しかし。検察は、人を疑い、人を裁こうとすることが仕事である。仕事というものは、どんな仕事でも、長くやっているうちに感覚が麻痺してくるのである。

ましてや検察は社会的地位の高い公務員であるから、なおさらである。仕事でミスをしてはいけない、などという民間のあらゆる仕事の緊張感などさらさら無いだろう。

医者の仕事でも似た面がある。医療は人の命を与る仕事である。しかしそれが職業になって、慣れてくると、そして人の死を見ることが当たり前になってくると、人の命のかけがえのなさに対して鈍感になってくるのである。

医者なんかより一般人の方が遥かに人の命の尊厳を自覚しているのである。

人を裁くということも、一般人にとっては恐れ多いことである。だから裁判員は、「疑わしきは罰してはいけない」という感覚が強く働き、ひけ腰になるのである。

また、人を罰してやろう、社会的地位の高い人間を、どん底におとしめてやろう、というのは、愉快な行為である。検察は、国家権力を傘に国民の税金でこれを楽しんでいるのである。

また。国策捜査などというものがあるように。検察も警察と同じように暇な仕事である。暇で何もしないでいると退屈するものである。そのため、事件が無く、暇になってくると、仕事のやりがいを求めて、事件を無理につくっているのである。

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久々にブログのランキングに入る

2010-09-22 02:28:54 | Weblog
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