天皇制は、なくした方が日本はよくなるかもしれない。日本が外国と違う所は、天皇制が神話(古事記)の時代から続いてきている確固とした存在である。ということだ。三種の神器。天皇も時代の変遷によって変わってきているが、天皇親政(天皇が権力を握って政治をしようとする)とか、天皇も権力を握ろうとしたりしたことも何度もあるが。天皇は正義であり、官軍であり、天皇の意志でないものは朝敵であり、足利尊氏も、権力をとるためには、どうしても光厳天皇をかつぎたさなくては、ならなかった。天皇を味方につける必要(大義名分)が、どうしてもあった。徳川時代は、天皇は飾り物だったが。明治維新でも、戊辰戦争でも、天皇の敵は朝敵(悪)であり。天皇は、良くも悪しくも、日本の歴史を考える上で、絶対、無視できない存在であり。日本の権力の歴史は、太古の時代から綿々と続いている飾り物である天皇というものを、いざ権力を取ろうという戦いになった時、担ぎ出してきた歴史である。唯一の天皇に対するクーデターが成功したのは、鎌倉時代の北条政子の後鳥羽上皇の隠岐の島への追放であろう。(承久の乱)
日本の権力の歴史は、飾り物である天皇を味方につけることにあった。
日本史だけしか知らないと、盲目になってしまう。
世界の国の歴史を見ても、こんな例外的な変な国は無い。
ある集団で、一人、カリスマ的な人間がいると、他の人間はダメになってしまうのである。
ある実験グループでも、一人、猛烈に頑張るヤツがいると、他のヤツは、あいつにませておけばいいや、と、だらけてしまうのである。
太平洋戦争でも、天皇がいるから、山本五十六がいるから、日本は負けない、と、そういう精神的な信仰に寄りすがってしまうのである。
これが日本の歴史である。そして、日本人の精神である。
しかし、カリスマ的な人間がいないと。そして、ある実験グループで、猛烈に頑張るヤツがいないと。怠けてる奴らは、自分達で、何とかしなくては、という自覚が目覚めるのである。
これが西洋の歴史である。
もちろん、他国にも、キリスト教、イスラム教、があるが、それは、カリスマ的存在ではない。そのカリスマは、とっくの昔に死んで、いないのだから。
つまり、西洋人は、自分達で、やろう、という精神であり、日本は、天皇がいるから大丈夫だという、依存、甘え、の精神である。それは、今も続いている。これからも続く。
マッカーサーは、天皇を戦争責任者として処刑する必要はなかった。と思うが。天皇制を無力化して残した、ということは、戦後の日本において、日本人の精神の形成において、功と罪の両方があった。天皇は処刑しなくても、普通の人間として、生かし、天皇制は、無くした方が、もしかすると、良かったかもしれない。
そうすれば、寄りかかって依存するものがなくなり、天皇がいるから日本は大丈夫という、根拠の無い、日本人の深層心理に、存在する信仰もなくなるから。自分達でやろうという、精神が生まれていた可能性がある。
絶対的なタブーというものを、作ってはならないのだ。
民主主義国家、自由主義国家では、タブーというものは無い。
こう言うと単細胞のアホウどもは、左翼だとか極左だとか、共産主義(アカ)だとか、テロとか、革命とか、過激派とか、オウムとか言うかもしれないが。
私は民主主義国家は絶対、否定しない。(例外は哲人政治)
天皇制のある民主主義国家と、天皇制の無い民主主義国家と、はたして、どちらの方がいい政治形態なのか。これは、非常に難しい問題である。
フランス革命の、あのフランス市民の勝利を見よ。どんな国でも悪政権に対する輝かしい市民革命の歴史を持っている。日本人は、どんなに悪政権がのさばっても、革命を一度も起こせない、起こしたことのない情けない歴史の国なのである。
もちろん、江戸時代より、ずっと以前から、暴政に対して、農民たちの命をかけた一揆は無数にある。だから、日本人は、勇気がないわけではない。
ただ日本国家全体として見ると、天皇に対して革命は起こせなかった。大逆事件とか、キリシタン弾圧とか、内村鑑三もそうだが。命をかけて、天皇に逆らった人々は、いくらでもいる。しかし天皇制に対して革命を起こせなかったのは、天皇という、非常に強靭な、綿々と続いてしまった、システムの壁が、高すぎ、厚すぎた、からであろう。
明治維新からの日本の近代化、太平洋戦争の時の天皇の神格化、など、日本は、外国の侵略からの本当の危機感を感じた時には、天皇制は良いものとなり、日本人は一致団結して日本を守ろうと頑張る。が、平和な時には、天皇制があるから、日本は、外国からの侵略も無く、国内経済も破綻はしない、と天皇制という信仰に甘えてしまい、ダメになる。と言えるだろう。(ちなみに戦後の驚異的な経済復興は天皇制とは、関係がない)
日本の権力の歴史は、飾り物である天皇を味方につけることにあった。
日本史だけしか知らないと、盲目になってしまう。
世界の国の歴史を見ても、こんな例外的な変な国は無い。
ある集団で、一人、カリスマ的な人間がいると、他の人間はダメになってしまうのである。
ある実験グループでも、一人、猛烈に頑張るヤツがいると、他のヤツは、あいつにませておけばいいや、と、だらけてしまうのである。
太平洋戦争でも、天皇がいるから、山本五十六がいるから、日本は負けない、と、そういう精神的な信仰に寄りすがってしまうのである。
これが日本の歴史である。そして、日本人の精神である。
しかし、カリスマ的な人間がいないと。そして、ある実験グループで、猛烈に頑張るヤツがいないと。怠けてる奴らは、自分達で、何とかしなくては、という自覚が目覚めるのである。
これが西洋の歴史である。
もちろん、他国にも、キリスト教、イスラム教、があるが、それは、カリスマ的存在ではない。そのカリスマは、とっくの昔に死んで、いないのだから。
つまり、西洋人は、自分達で、やろう、という精神であり、日本は、天皇がいるから大丈夫だという、依存、甘え、の精神である。それは、今も続いている。これからも続く。
マッカーサーは、天皇を戦争責任者として処刑する必要はなかった。と思うが。天皇制を無力化して残した、ということは、戦後の日本において、日本人の精神の形成において、功と罪の両方があった。天皇は処刑しなくても、普通の人間として、生かし、天皇制は、無くした方が、もしかすると、良かったかもしれない。
そうすれば、寄りかかって依存するものがなくなり、天皇がいるから日本は大丈夫という、根拠の無い、日本人の深層心理に、存在する信仰もなくなるから。自分達でやろうという、精神が生まれていた可能性がある。
絶対的なタブーというものを、作ってはならないのだ。
民主主義国家、自由主義国家では、タブーというものは無い。
こう言うと単細胞のアホウどもは、左翼だとか極左だとか、共産主義(アカ)だとか、テロとか、革命とか、過激派とか、オウムとか言うかもしれないが。
私は民主主義国家は絶対、否定しない。(例外は哲人政治)
天皇制のある民主主義国家と、天皇制の無い民主主義国家と、はたして、どちらの方がいい政治形態なのか。これは、非常に難しい問題である。
フランス革命の、あのフランス市民の勝利を見よ。どんな国でも悪政権に対する輝かしい市民革命の歴史を持っている。日本人は、どんなに悪政権がのさばっても、革命を一度も起こせない、起こしたことのない情けない歴史の国なのである。
もちろん、江戸時代より、ずっと以前から、暴政に対して、農民たちの命をかけた一揆は無数にある。だから、日本人は、勇気がないわけではない。
ただ日本国家全体として見ると、天皇に対して革命は起こせなかった。大逆事件とか、キリシタン弾圧とか、内村鑑三もそうだが。命をかけて、天皇に逆らった人々は、いくらでもいる。しかし天皇制に対して革命を起こせなかったのは、天皇という、非常に強靭な、綿々と続いてしまった、システムの壁が、高すぎ、厚すぎた、からであろう。
明治維新からの日本の近代化、太平洋戦争の時の天皇の神格化、など、日本は、外国の侵略からの本当の危機感を感じた時には、天皇制は良いものとなり、日本人は一致団結して日本を守ろうと頑張る。が、平和な時には、天皇制があるから、日本は、外国からの侵略も無く、国内経済も破綻はしない、と天皇制という信仰に甘えてしまい、ダメになる。と言えるだろう。(ちなみに戦後の驚異的な経済復興は天皇制とは、関係がない)