小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

感情の自制

2015-03-17 22:36:55 | 考察文
オウムで、麻原の四女の、中学校の、バカ校長と関連することを言おう。

私は中学からは、自由学園に入った。寮生活をした。私が中学二年の時、私は寮の委員となった。同じ寮の委員で、一つ年上に、あだな、が、ゴキブリ、ビリケン、本名は、橋本(もちろん本名)というヤツがいた。私は、彼にさんざん、いじめられた。倉庫に閉じ込められて、「パンツを脱げ」と私に命令した。変態なヤツである。夜中、寝てたら、何かが触れたのに、目を覚ました。橋本が私のパンツを脱がそうとしていた、ところだった。私は、つらくて、泣いて、親に電話した。(具体的なことは恥ずかしくて言えなかった)
寮の委員(半年)が終わった時は、ほっとした。

そして、その翌年、橋本の弟が男子部に入ってきた。
私の時の自由学園は、軍隊的で、上級生の命令は絶対で、下級生いじめ、も日常茶飯だった。
私に、橋本の弟を、いじめてやりたい、仕返しの気持ちが激しく起こった。
しかし私は自分の気持ちを自制して、橋本の弟は、いじめなかった。
復讐するなら、私を、いじめた橋本、本人にすべきであり、橋本の弟は、いじめたい感情が起こっても、何もされていない、橋本の弟を、いじめるのは、筋違い、八つ当たり、である、と私の理性が自制したのである。
こんなことは、当たり前である。
これは完全な事実である。


オウムの事件にしたって、被害者や世間の人は、犯罪を犯した当事者である、麻原や幹部だけに限定して、恨むべきなのに、それは、刑務所や留置場の中で、出来ないから、罪のない、オウム関連の人間に、八つあたり、しているだけなのである。

ちなみに、私の頃の自由学園は、バカばかりだった。

多くの生徒は、「下級生の時、いじめられたんだから、上級生になったら、下級生をいじめる権利がある」
というような、バカげた理論を持ってるヤツが多かった。

私は、「下級生の時、いじめられて、つらい思いをしたから、上級生になったら、下級生に、優しくしてやろう」
と思って、実際、そうしていた。

そのため、寮の部屋替えの時は、下級生(特に一年生)は、私が室長の部屋に、なりたい、と言っている生徒が多かった。

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アレフ

2015-03-17 22:19:57 | 考察文
オウム真理教の事件から20年になる。麻原が逮捕された、確か、三年後くらいに、アレフの荒木氏と、一人の在家信者が出席した、「朝まで生テレビ」があった。You-Tubeで、見たのだが、今でも、あるかどうか。は、わからない。
遠藤弁護士と日刊現代の二木氏と、アレフの、市への移入を住民の要求で拒否している、どっかの市の、市長二人、などが出ていた。あの討論では、遠藤弁護士が一番、まっとうなことを言っているな、と感じた。
一番、バカなことを言ってるな、と思ったのは、アレフの信者の市への移入を拒否している市長二人である。
市長は、「私には、市民の安全と安心を守る義務がある」
と、堂々と言っていた。住民の反対が圧倒的に多かったからである。

市長二人は、つくづくバカだな、と思った。
たとえアレフの信者であろうと、法的に、市に移入する権利を持っているのなら、市長は、移入を認めなければ、ならない。それが法治国家である。こんなのは、あったりまえのことである。住民の全員が反対したなら、日本の法を破ってもいい、と言うのか?
その理屈でいけば、住民の全員が、言ったことなら、日本国の法を破ってもいい、ということになる。
住民の全員が、言ったことなら、何をしても、いいことになる。

住民の全員が、一人の(道徳的に)悪い人間、を殺せ、と言ったら、市長は、市民の安全と安心を守る義務があるから、殺しても、いい、ということになる。全くバカげている。
リンチ(私刑)を、堂々と認めている、そのバカさ加減には、開いた口が塞がらない。
イエス・キリストがまさに、そうだったじゃねえか。

それより、アレフが新聞代金を払っているのに、新聞を配達しない、新聞屋は、問題がない、というのか。こんなのは、まさに、契約違反、立派過ぎる犯罪じゃねえか。それには誰も何も非難しない。警察も動かない。嫌いなヤツは村八分、じゃねえか。徳川幕府の、村八分は、百姓を統治するための、幕法である。現代は、江戸時代以下である。

それにしても、アレフの荒木氏は、客観的に見ると、可哀想である。
京大を出て、顔も良く、性格も温厚誠実である。
麻原なんて、業の深い、殺人ひげゴジラ、に関わってなければ、そして、おとなしく、普通に生きていれば、一流会社に就職でき、あるいは、大学なり、どこかの研究所で、優秀な学者になれて、社会的地位も高く、きれいな人と結婚して、理想的な家庭を築くことが、出来たであろうに。

オウムを非難する人の多くは感情的で、ミソもクソもいっしょくたにしている。

また、アレフには、パソコンの販売で儲けた金を、サリンの被害者に、謝罪として支払う必要など全くない。
なぜ罪を犯していない、そして、罪の自覚のない、アレフの組織や、信者が、サリンの被害者に謝罪の金を払わねばならないのか?
私には、さっぱりわからない。

オウムの時の幹部で、犯罪に関与して、洗脳がとけた幹部のヤツラなら、自主的に、払うべき、と思うのは、わかるが。

そもそも、オウムの顧問弁護士の青山にせよ、運悪く腰痛になってしまっため、オウムと関わり合うことになってしまったのが、不幸の全てである。腰痛にならなかったなら、平穏無事な幸せな人生が送れたのである。

決して、青山の自由意志、思想、などとは、全く関係ないのである。それを世間では、青山の、思想ととらえている。

バカな事を言っている市長二人がもし、腰痛になって、オウム神仙の会、に関わっていたら、彼らの、極めて弱い頭のレベルでは、間違いなく、オウムの幹部になっていたことは、まず疑う余地はない。

単に、偶然、出会いの、運が良かったか、悪かったか、だけの問題である。

また。Wikipediaには、こんなことが書かれてある。

「麻原の四女1989年(平成元年)生まれ。龍ケ崎市に転居した時は、市の方針でその市の学校の転入拒否で2人の弟共々学校にも通えなかったという。協力者達のお陰で何とか学校に通えるようになったものの、学生時代はいじめに遭い、中学の校長からは「父親の所行を考慮すれば貴方は死んでも仕方のない人間だ」と評された。」

こんな事を言う、校長は、校長としても、教育者としても、人間としても、失格である。


「正義は成就されよ。たとえ世界が滅びるとも」

(インマヌエル・カント)

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