小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

オウム真理教

2015-03-15 23:40:56 | 考察文
オウム真理教の事件が起こって、今年は、20年目である。

オウムについても、色々、書きたいことがある。ので、書く。

ただ、私のオウム真理教に対する、見方は、世間一般の人とは、かなり、違う。

ちなみに、オウムの言葉の由来は、AUM「オーム」であり、ウパニシャッド哲学では、非常に、深い、思想的、哲学的な意味であり、それは、価値ある、哲学用語なのである。

私の尊敬する、心療内科医の、池見酉次郎先生も、「オーム」の優れた哲学を称賛している文章を書いている。

日本では、オウムという、言葉を聞くだけで、ほとんどの人は、反射的に、嫌悪感を持ってしまう、だろうが、それも、仕方がないが、原始仏教における、AUMとは、深い哲学的思想の言葉なのである。

ちなみに、昔、誰かが、私に、「オウム真理教の方ですか?」と電話してきた。

かけてきたヤツは、間違いなく、医学部を卒業した時の、同級生の、単細胞バカ人間である。誰かは知らない。

私は、「何を根拠に、そういう推測をするのですか?」

と聞き返したら、相手は、あわてて電話を切った。

単細胞バカ人間は、無口で、人と付き合わず、何を考えているのか、わからない人間は、私が孤独なので、オウム真理教に、すがって入って、友達を作ろうとしている、と推測したのだろう。

確かに、私は、孤独で、友達もいないが、私は孤独に強いし、そもそも、絶対的な無神論者である。

もちろん、キリスト教、仏教、イスラム教、など、宗教のことは、よく知っているし、関心もあるが、そして、宗教とは何か、を説明することも、出来る。

世の99%の外交的な人間は、精神的、観念的なことには、滑稽なほど、思考力が弱いである。

逆に、例外的人間である、内向的な人間は、精神的、観念的なことには、めっぽう強いのである。


太宰治(内向的人間)は、「如是我聞」で、志賀直哉(外向的人間)および世間一般の人に対して、次のように述べている。

「君たちには何も解らず、それの解らぬ自分を、自慢にさえしているようだ。そんな芸術家があるだろうか。知っているものは世知だけで、思想もなにもチンプンカンプン。開いた口がふさがらぬとはこのことである」

(太宰治「如是我聞」)

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昨日はホワイトデー

2015-03-15 21:59:48 | Weblog
昨日は、ホワイトデーだった。バレンタインデーの時、あの人から、欲しい、と思っている人が三人いた。しかし、くれなかった。無理もない。彼女らは、私に、かなり好感を持っていていてくれるのに、私は、どうしても、彼女らと、打ち解けて、話すことが、出来ないからだ。

事務的な話は、しても、くだけた話は、どうしても出来なかった。私がもうちょっと、話しかけていれば、彼女らも、バレンタインデーで、チョコをくれた、だろう。私が、あまりにも、シャイ過ぎるのである。

バレンタインデーで、チョコを貰わなくても、ホワテトデーで、彼女らに、チョコを渡すことは、出来る。しては、ならない、などという規則などない。

いっちょ、近くのコンビニで、100円の、ダースでも、買って、渡そうか、とも思ったが、やっぱり、後々、恥ずかしい気分になるので、出来なかった。

彼女らは、私に好意をもってくれている。私も彼女らに、好意を持っている。

ということで、目には、見えないチョコの、やりとりは、精神的にしているようなものだ。

プラトニックなチョコ交換は、お互い、心の内に、しているようなものである。

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