小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

テニスコーチのバカさ

2015-03-14 19:39:07 | 武道・スポーツ
つくづくテニスコーチは、バカだと感じる。

私は、何人ものテニスコーチの球出し、の練習をさせられたが、全員が、全く、同じである。

それは。フォアかバックを、指定して、ポーンと、山なりの緩い球を打つ。全員がそうである。

何も考えていないから、皆、同じなのである。

フォアかバックを、指定せず、少し速度の速い、ドライブのかかった、球を出すことだって、出来るのだ。これなら、怠け者のコーチも、疲れまい。

球出しの球でも、こういう球だと、緊張感が生まれ、グリップ・チェンジに、そなえ、そしてテークバックを早くして、グリップ・チェンジして、移動して、打たなくてはならない、から、生きた球の練習に近くなるのだ。

しかし、そんな、球出しの練習をしているコーチは、一人も会ったことがない。

なぜ、昔あった、オートテニスが、今、なくなってしまい、バッティングセンターに代わったか。それは、オートテニスの球が、死んだボールであり、練習しても、上手くならない、からである。オートテニスは、速い球に、速度を調節しても、インターバルの時間から、来るボールが、わかるから、楽に打ててしまうのである。

球出しの球、という点では、サービスも、ラリーを始める時の最初の、ベースラインからの、球も、球出しの球と言える。しかし、これらは、生きたボールである。

なぜなら、球を出す方の精神が緊張しているからだ。

それに比べて、テニススクールで、行われている、山なりの、ポーンとした緩いボールは、打つ方に心が入っていないのである。だから、死んだ球なのである。すべてが予測できてしまうのだ。

ラリーや、試合では、何を意識しなくては、ならないか。

わかりきったことだが、それは、相手の心である。どこへ、打ってくるか、どんなスピードの球が来るか、どんな回転のかかった球か、に、備えなければ、ならないのである。それに対する準備とは、相手の動作を見ることであり、相手の心、を読もうとすることなのである。

ポーンと、何の心も入っていない、球出しの球では、この、「心の準備の練習」、というものが、全くないから、球出しの球を、いくら、速く、打てても、実際のラリーでは、球出しの球を、打つように、打てないのは、当然のことなのである。

しかし、You-Tubeのコーチは、優秀な、頭のある人が、結構いるのである。

というより、バカコーチは、説明能力がないから、You-Tubeなど、作ることなど、出来ないのである。

では。逆に。You-Tubeに出ている優秀なコーチの一人を紹介しよう。

Tennis House fun の元木コーチの説明、実演、は、実に優れている。

特に、フラットサーブの説明、https://www.youtube.com/watch?v=TqzfteB5Hkoなどは、極めて、わかりやすい。

無考えに、力任せにサーブを打っていると、肩を痛めやすい、ことまで、ちゃんと解るように、説明している。

ドライブの回転の、かけ方の説明も、実にわかりやすい。

そして、さらに、原理が解ると、You-Tubeで、言っていないことまで、自分で考えて、わかるようになる。

その一例。サービスで、ドライブをかけて、強く打っても相手コートに入れるには、どうしたら、いいか。

それは、トスアップを高く上げることだ。トスを低くして、ボールが止まった時に、打っても、ドライブ回転は、かからない。しかし、トスをかなり高く上げて、速いスピードで落ちてくるボールを、打つと、ドライブ回転が、かかるのだ。ボールが、落ちてくる速度が速ければ、速いほど、ドライブ回転も、多くかかる。この理屈は、元木コーチの、フラットサーブでの、ボールの回転のかけ方、を見て、少し考えれば、わかることだ。

私が、元木コーチの説明を、参考にして、フラットサーブを、打っていたら、テニススクールのバカコーチは、肘を残してはダメで、振りぬかなきゃダメだ、と言った。

私は、「You-Tubeのコーチの言うことと、ここのスクールのコーチの、言うことが、違う場合、どちらを、選べばいいんでしょうか?」と言いたくなった。

しかし、やめておいた。答えは、わかっている。テニススクールのバカコーチは、生徒を自分のイエスマンにしなければ、気がすまない。からだ。

私には、とても、組織に属すことは、出来ない。

(ブルース・リーも、組織の人々を、鈍感になってしまったロボットと、堂々と書いている)

それでも、必要上、どうしても、組織に属さなければ、ならない場合、どうすれば、いいか。

それは、バカを装うことである。

何も考えていない人間のように、見せかけ、バカ殿の言うことを、「はい。はい」と、ハキハキ誠実で熱心な口調で答えることである。

決して、自分の意見、や、考え、などを、言ってはならない。

バカ殿を、もちあげ続けるのは、疲れて、バカバカしいが、そこは、自分をおさえて、我慢しなくてはならない。


「自我というものは、それを持っていることを、ちょっとでも、人に知られてしまうと、それは自分の身を滅ぼしてしまうほどの危険なものなのである」

(ゼーレン・キルケゴール)


「・・・その通り。こんな返事は、相手に優越感と憐憫と可愛らしい感じを与え、それから一知半解の長講釈をお前にしてくれる機会を与える。その内容が全部まちがっていても、又、まちがっていない部分は全部お前がとっくに知っていたとしても、好奇と尊敬の目を輝かせて聴き入らなくてちゃいけない。世間が若い者に求める役割は、騙されやすい誠実な聴き手ということで、それ以上の何ものでもない。相手に思い切り喋らせることが出来れば、お前の勝ちなのだ。それを片時も忘れてはいけない」

(三島由紀夫「天人五衰」)

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