小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

焼き肉屋をつぶす

2008-10-13 20:37:25 | Weblog
焼き肉屋をつぶす。

食欲の秋である。
近くにあった焼き肉屋がなくなってしまった。
そこは90分で食べ放題だった。
私は時々、そこに行って焼き肉を食べた。
私は元はとる主義である。
元はとったと自負している。
しかし店としては、こういう客は嫌なものである。
実際、店に行くと店員との口論が絶えなかった。

店員「お前なー。食べ放題だからといってロースばっかりガツガツ食うんじゃねえよ」
私 「いいじゃねえか。ルールに違反してるわけじゃなし」

私がそう言うと店員は不機嫌そうな顔で厨房に戻っていった。
その後も、三日絶食して、三日目に目一杯食うという事をしていた。
私が行くと店員は、
「また来やがったな。お前、この店の疫病神なんだよ」
と言うほどにまでなった。

とうとう店じまいしてしまったが、やはり私がつぶしてしまったのだろう。
申し訳なく思っている。

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秋は収穫の季節

2008-10-12 18:04:02 | Weblog
秋は収穫の季節である。
春、植えた稲が夏の日差しを浴びてすくすく育ち、秋になってずっしりと実がつく。その後、刈り取られて冬は何もない、さびしい田になる。そのさびしい田にも、さびしさを感じさせる侘びと寂びがある。春から夏に育っていく稲を見るのは気持ちがいいものである。
日本は稲の国である。
稲の変化していく様子に一番、日本の季節の移り変わりを感じる。


沖縄は、そういう四季の変化が無いから趣きがないのだ。
日本の厳しい冬もまた良し、である。

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ひさしぶりにテニスをやった

2008-10-11 22:45:53 | 武道・スポーツ
夜、久しぶりにテニスをやった。
一番近いテニススクールで。
昼、慶応の「秋祭」で元気にダンスしている人達を見ていたら、私も体を動かしたくなった。ビジターがあればいいのだが、ここは無い。一回だけ無料で体験で参加させてくれる。以前にやってしまった。しかし一回だけの無料体験レッスンも、一年以上やらなければ、時効である。
久しぶりに汗をかいた。水泳だのジムだのは、休みたくなったら休めるからダメである。

数日前、体力の基本はランニングだと思って、ランニングシューズを買った。
私もランニングをはじめようと思っている。ジムのランニングマシンではダメである。
政治家の鈴木宗男は、ランニングをかかさずやっていて、私はそういう人は偉いと思っている。
ブルース・リーもランニングを日課としていた。


「格闘は策略をもって行なうゲームである」
とブルース・リーは言っているが、テニスも全く同じである。
相手はどのくらいの技術レベルとか、どういう性格とか、どういうクセを持っているとかを読まねばならない。
ボサッとしていてはダメなのである。
これは、シングルスでもダブルスでも言える。

ちなみに、最近オートテニスが少なくなった。
理由はオートテニスをやる人が少ないからで、やっても上手くならないから、やらないのだそうだ。

私はこの意見には反対である。
やり方を間違えなければ、オートテニスは上達に無意味ではないのだ。
確かにオートテニスのボールは死んだボールである。
オートテニスはスピードを一定にして、繰り返し打つべきものだと私は思っている。単調な味気の無い練習だが。しかし、そうするとラケットを握る手首の固定が出来るようになるのだ。
いわば、空手の練習における空突きの訓練のようなものである。
使い方を誤らなければ、オートテニスは決して死んだボールでも、無意味な練習でもない。

この事は、ホームページの「武道・スポーツ上達法」に書いた。

バッティングセンターは近くにある。ので、たまに行って打つ。
野球のバッティングのスイングとテニスのスイングとは無関係ではない、と私は思っている。










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慶応大学の「秋祭」に行った。

2008-10-11 19:40:14 | Weblog
今日は慶応大学湘南キャンパスの「秋祭」に行った。
ここの大学の図書館は市民なら使えて、車で10分で行けて、しかも夜11時まで開館している。
そのため、よく利用した。いい図書館なのだが、ちょっと空調が悪く、むしむしするので、そこが難点である。ので、利用しなくなった。

慶応の中等部、高等部もある。
慶応の生徒は知的でエレガントである。
慶応の女子中学生を見て、つい、「うっ。可愛い」と思ってしまった。
こういう心理は精神医学的に、ロリータ・コンプレックス、と言われている。


今日の「秋祭」は、学園祭とは違うだろう。
色々な学部の教室とか見たかったが、やってなかった。
ステージでダンスを何度もやっていた。




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昨日、外来診療を見学した

2008-10-10 05:02:29 | 医学・病気
昨日、外来診療を見学した。
大学のポリクリ以来である。
前夜、不眠で睡眠薬を飲んでも眠れなかった。
そのため、朝が辛かった。
居眠りしながら見学したりしたら、印象を悪くしてしまう。ので、やめようかとも思った。私はこの大学の医局とは、つながりを持ちたいのである。
しかし、やっぱり決断して行った。
もちろんスーツにネクタイをしめて、白衣も持って。

午前中は感動した。
人の命を救う事に較べたら、小説を書く事など、くだらない事のように感じられた。こういう経験は何度もしている。
表現したいものがある人は、芸術をとるか、行動をとるか、に悩まされる事になる。

昼休みの後もカルテを読んでいた。
私は病院に行くと、いつも思う事なのだが、全てのカルテを読みつくしたい衝動にかられる。実際、以前、ある内科、外科の病院では、徹夜で、一晩で病院のカルテを全部、読んだこともある。医療は演繹的ではなく帰納的に学んだ方がいいのである。

午前中は、ついうとうとして転びそうになってしまった。
午後も、外来診療があって、かなりたくさんの患者を見れた。
だんだん、どういう疾患が多くて、どういう治療をするかがわかってきた。
一度、見るか見ないかは天と地の、あるいは雲と泥の違いがある。
一度見ると、もう、その科の様子がわかるのである。
私が、一を聞いて十を知る、能力があるのではなく、一つを見て奥深いものを知ると、他も奥深い事が、想像できるのである。氷山の一角を見ると、氷山があるという事が実感できるのである。
一日でもいいから、ある科を見ると、その科の様子がほとんどわかってしまう。

しかし夕方になると、もう厭きてきた。同じ事の繰り返しである。
一日で厭きてしまうのに、それを一生やるなんて私には拷問よりつらいような気がする。
東大の経験30年の非常勤の先生が無給で診療していた。
びっくりした。
理由は、一つの大学では、その大学のやり方があって、視野が狭くなるから、他大学のやり方で診療する事が視野を広くする勉強になるからだと言う。そして、大学とのつながりをもつことによって、その大学に紹介することが出来るからだという。

医者は皆、真面目な人ばかりである。

やはり医者は偉い、とつくづく感じた。

私も一応、医者の端くれなのに、医者が、そんな患者のような事を言うのはちょっとおかしい。やはり私は医者の端くれに過ぎない。

そして思う事だが、医学とは人間の差別心を無くしてしまう学問である。

人の顔に美人や不美人はあっても、病気や人体の臓器に美人や不美人はないのである。



駐車場が満車だったので、路上駐車した。思った通り、しっかり駐車禁止のシールを貼られてしまった。ので、帰りに警察署に寄った。
で、警察官に話しかけた。

私「拳銃はニューナンブ38口径ですね」
彼「よく知ってますね。でも他にもあります」
私「リボルバーですか。オートマチックですか」
彼「・・・・」
私「柔道は何段ですか」
彼「無段」
私「剣道は」
彼「初段」
○(彼、交通反則告知書と納付書を書いて渡す)
彼「これを銀行か郵便局で支払ってください」

私は数日前、ウィンカーをつけずに止めた。すぐに違法駐車の巡回車が来て、ナンバーをひかええ始めた。私があわてて行ったら、やめた。頭にきたので、その後、少し、その巡回車をつけてやった。路上の人が笑ってた。



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カントの箴言

2008-10-09 02:52:41 | Weblog
カント哲学は体系的な哲学である。そもそも弁証法のヘーゲルにせよ、ドイツイデオロギーは、体系的な哲学である。また、欧州の哲学の歴史は、哲学の歴史自体が弁証法そのものである。

またカントは色々ないい箴言も書いている。

私の最も好きなカントの箴言。

「人を自分の目的ではなく、その人の目的となるよう行為せよ」




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今日も大学の医局に行った。

2008-10-08 23:33:57 | 医学・病気
今日も大学の医局に行った。
教授の勉強会があったからだ。
やはり大学はアカデミックだ。
この教授は、明るくて、研究者肌で論文をたくさん書いてて、臨床の能力も優れていて、すごくいい先生だ。
パーフェクトな先生だ。
と、書いているのは、私が教授に約束した事を守るためである。
医学はカルチャーセンターと違って勉強する機会がとりにくいのだ。
世の中、ギブ&テークである。
ただで教えてもらうのは申し訳ない。
それで私はこう言った。
私 「先生。私、ネットで先生の事、書きますよ」
教授「変なこと、書かないでよ」
私 「変な事なんか書きません。先生は素晴らしい先生だって書きますよ」
教授「でも、2チャンネルに書くと変な事、書かれるでしょ」
私 「2チャンネル何かに書きません。私ブログ持ってますからブログに書きます」
教授「ブログって何?」
私 「ブログ知らないんですか?」
○(研修医が三人いた。男二人と女一人)
私 「ブログって日記みたいなホームページです」
教授「あんまり変な事、書かないでよ。教授がちょっとハイだとか」
私 「そんな事、書きません。それはそれは素晴らしい先生だって書きます」
私 「先生。もし×科の患者がいたら、先生に紹介状書いて先生の所に送ります。素晴らしい先生だって」
私 「北海道で×科の患者がいても、先生の所に紹介状、書きます」

勉強会の後、教授と私と研修医三人で飯屋に行くことになった。
私は、一人の研修医を乗せて飯屋に行った。
焼肉料理を食べた。
私の方が精神状態がハイだったので、やたら喋った。

実際、研究肌で性格温厚ですごくいい先生である。

こうやって書いた事で約束は守った事になる。
しかし×科が何科かを書かなければ意味はない。
×科が何科か、わかるような事を書こう。

この先生の事は9月25日でも書いた。

明日は外来見学である。




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ぐれる心理

2008-10-08 02:19:21 | Weblog
ぐれる心理

ぐれる心理はわかる。ぐれる、という行為は何も劣等性の特権ではない。真面目な大人でも、自分の仕事は出来てもパソコンは苦手という人は多い。私もパソコンをはじめた頃、わからない事があると、パソコンをぶっ壊して小説を読みたくなった。かな入力のブラインドタッチまで出来るようになっても、わからない事が出てくるとパソコンをぶっ壊したくなる衝動にかられた事は何度もある。

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座右の書

2008-10-07 08:07:35 | 考察文
座右の書

座右の書とは自分の信念の書物、あるいは格言と思われがちである。そう言っても、それほど間違いではない。しかし、座右の書、の本当の意味は、いついかなる時でも肌身離さず持ち歩いている本や銘である。つまり信念を超えた信仰に近い意味があるのである。

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去年の秋

2008-10-06 01:36:20 | Weblog
去年の秋の事を書いておこう。

去年の夏、事故にあってから、何となく気力が無くなってだれていた。
秋はただでさえ、物思う季節なので、哲学的な性格の私は人生が虚しく感じらてしかたがなくなった。しかし人生は短く芸術は長い。たまたまよく通る所に韓国料理店があった。私はグルメではない。食い物に興味はない。しかし、コンビニ弁当よりは、ファミリーレストランの食事の方がうまく、ファミリーレストランの食事より飯屋の食事の方がうまい。ことだけは感覚的に間違いない。それで一度、その韓国料理店に入った。店は韓国一色だった。全然わからないので、プルゴギを注文して食べた。これが結構、うまかった。ので、二回、食べた。だが高い。わざわさ高い金を出して三度食べる気にはならなかった。というか、二回で厭きた。その後は、デニーズの彩りサーモン御膳にはまった。サーモンと二つの牡蠣フライがやたらうまかった。
運動はしなかった。去年はパソコンを盗まれた。それ以来、人を信じられなくなり貴重品は永井荷風のように、肌身離さず持つようになった。
夏にダイビングプールで、飛び足刀蹴りで飛び込んだら、肋軟骨にひびが入ってしまい、二ヶ月くらい痛かった。以上が去年の秋。

今年は夏にやたらに海に行って、プールに行って泳いで、泳ぎがうまくなって、つい泳ぎたくなって、夏が終わっても温水プールに時々、行くようになった。水泳も上級者になるとクセになる。スポーツは中毒性がある。だが、健康のためにはいい。ジムにも時々、行っている。トレーニングの仕方を工夫すれば、ジムの単調なトレーニングもあきないでやれる。わざわざ、テニススクールや空手道場に行く気まではしない。小説を書いた方がいい。という事で、小説をいくつも書いている。もはや、学生時代に書いていたような掌編は書けなくなって、最低でも、五十枚は書く。掌編で、うまくまとめるのは、それなりに難しいのだ。特にラストのつけ方が難しい。ラストは小説の必然性から出たものでなくてはならない。そうすれば、掌編といえども、完成したミクロコスモスとなる。それが難しいのだ。ある程度の量を書けば、ラストに頭を使う必要はさほどなくなる。体も意識して鍛えるようになった。ともかく積極的になった。当然の事だが、健康な体あってこそ小説も書ける。ちなみに、このブログは小説を書く息抜きとして書いている。また書く事で小説のネタを思いつく事もあるだろう。
けっして小説を書いていないのではありません。いずれ発表します。お楽しみに。えっ。お前の小説なんか期待もしてないし楽しみになんかしてないんだよ。ですって。ははー。ごもっともです。なまいき言ってすみませんでした。

今年は出だしはよかったのだが、6月に大きな失敗をしてしまい、6月7月8月と死ぬ事を本気で考えていた。まあ、日にちを間違えて無断欠勤した、という事なのだが、それで職を失ってしまったのだ。「恒産なければ恒心なし」である。しかし、医療情勢に変化が起こって、9月になって完全に復帰した。

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鈴木その子

2008-10-05 01:16:34 | 医学・病気
鈴木その子

今では故人になってしまったが、ダイエット研究家の鈴木その子さん。
まあ、一言でいえば昔の日本人の食生活が良いということだろう。彼女は自説に自信を持ってて、本などで読んでもよく研究してて、生化学の代謝の知識の豊富さに感心した。彼女は他説を否定し、また自説を否定されることを怒る。私は別に否定しない。世に健康法の本は無数にある。健康法以外でも、宗教でも何でもハウツーものでは、我こそは真説と主張している本のいかに多いことか。ある説を主張している本があるかと思えばその正反対の説を主張している本もある。これでは読者がまよってしまう。では何が真実なのか。
一言でいって、そういうのは大抵、自分がそれをやって利いた場合が多い。だから、それはその人にとっては真実なのだ。しかし、人間は体質も性格も一人として同じ人はいない。自分にのみあてはまる真実を全ての人に敷衍している場合が多い。
ブルース・リー語録にもこういうのがある。
「私にとっての真実はあなたにとっての真実ではない」
「真実は限定されない」
それと自分の専門の視点で見てしまっている場合がある。私が研修医の時、指導医の先生からこんな話を聞いた。ある先生がいて、その先生は膵臓炎が専門だった。その先生にかかる患者は皆、膵臓炎と診断名がついてしまった。病理学者のウィルヒョウによって近代医学は臓器の病気という事がわかった。肝硬変は確かに肝臓の病気である。しかし人体は決して独立していない。人体はそれ自体、一国の経済のようなもので、全てが有機的に関連している。だから体の調子の悪い人は膵臓にも影響が出ていると言っても誤りではない。つまりその先生の考えは誤りではない。多くの人が自分の専門を持っていて自分の専門の視点から見てしまうため百花繚乱の健康法の書物が出来てしまうのである。
ではどうすればいいか。それは、自分にとっての真実を探すしかないのだ。

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六会コンクリート

2008-10-04 00:47:18 | Weblog
六会コンクリート

去年の夏、レンタルバイクに乗っててダンプにはねられた。
まあ、傷跡ができただけで、機能的な後遺症はなかったのでよかったが。
私はスキーが出来るし、トランポリンでバク転やバク宙もけっこうやった事がある。
スキーでは転倒はつきものである。スキーをやると、転ぶ時の反射神経が身につく。
滑ってて、「あっ。転ぶな」と思った時、すぐに頭を安全に転ぶ準備に切り替える反射神経が身につくのである。トランポリンでもそうである。危険が予測された場合、すぐに身を守る頭の切り替えが要求されるのである。スキーにせよ、トランポリンにせよ、身に危険が起こる可能性がある運動である。少なくとも水泳では、そういう危険はない。から、そういう反射神経は身につかない。オートバイのレースや格闘技、激しく走るスポーツだったら、転ぶことはしょっちゅうだから、そういう反射神経は身につきやすいだろう。
しかしスキーは、明らかに転ぶ可能性がわかっているから、その点、スキーの方が転ぶ時の反射神経が身につきやすいだろう。
ダンプは猛スピードで追い越したので、はねてから、かなり前方でとまった。私は動けない。前方のダンプを見ていると、運転手は降りてこない。ひき逃げする気なのか、と私は思った。
ダンプの運転手は、交通の邪魔にならないよう止める所を探していた、と言った。まあ、何とも悠長な性格である。しかも、接触事故ではなく、人身事故である。バイクが倒れて壊れ、人がアスファルトの上で血を流しているというのに。
こんなのは頭がおかしい。
接触事故でも、事故が起こったら、すぐ車をとめるべきである。そして、すぐに相手の所に駆けつけるべきである。それは、ひき逃げの意志が無いという証明をつくるためである。事故が起こったら交通が一時、乱れるのは、当たり前である。しかも相手は車の運転を仕事としている人である。どんなに後で、もっともらしい理屈を言っても証拠にはならない。「思ってた」なんて証拠にはならないのである。一生、ひき逃げの疑惑ができてしまう。
事故が起こったら、ひき逃げをする意志が無いという証拠を真っ先につくるべきだ。
その後、車を乗っていると、その会社のダンプが目にとまるようになった。
その会社は、今年の夏、大きな問題になった藤沢の六会コンクリートである。コンクリートに日本工業規格(JIS)で認められていない溶融スラグを混ぜていて、今年の夏に建物にポップアウト現象が起きて大問題になった事は、全国ニュースでも放送された。今では、営業停止である。
事故の後、やたら六会コンクリートのミキサー車が走っているのが目についた。異物を混ぜ始めたのは、ちょうど去年の夏ころからである。
事故の後、会社に行って会社の人と話したが、あきれる対応だった。
一言も謝りもしないどころか、加害者の運転手が落ち込んでしまっていると私を非難してきた。過失割合はむこうが100%で私は完全な被害者なのに。
あきれた会社もあったものである。
日本では、車両事故では加害者が全て弁償しなければならないが、人身事故では加害者天国なのである。また、事故が起こった場合、被害者より加害者の方が動揺する。だからといって加害者を被害者より、いたわれなんて理屈は言語道断である。大人としての責任がないとしか言いようがない。

Yahooで「加害者天国」と書いて検索するとバーと出てくる。
だが「被害者天国」と書いて検索しても「加害者天国」と出てくるのである。



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本田宗一郎

2008-10-03 01:57:04 | Weblog
本田宗一郎

私は本田宗一郎が好きである。最初に氏を知ったのは、小学校5年の時、氏が書いた「スピードに生きる」という本を読んでである。オートバイ好きの私は、すぐに好きになった。何て面白い人なんだろうと思った。今でも、文庫本で、「俺の考え」という氏のエッセイは売っている。図書館には、もっとたくさん、人間、本田宗一郎を考察した本はある。文庫本の「俺の考え」は書店から無くなることはないだろう。もちろん、今では時代遅れな内容もある。ではなぜ、なくならないか、というと、本田技研の創始者であることから、人間、本田宗一郎を知るために買う人もいるだろう。しかし、それ以外にも理由はある。
それは本田宗一郎の発想がユニークで、ユーモアもあって、面白いからである。
しかし、最近、You-Tubeで、本田宗一郎の生の話すのを見て少しがっかりした。
本や写真から受けるイメージは、やさしく、いつも笑ってるようなパーフェクトさしか、感じなかった。

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空手の訓練

2008-10-02 00:43:48 | 武道・スポーツ
空手の訓練

空手では突きにせよ、蹴りにせよ、受けにせよ、原理は同じである。
つまり正拳突きと手刀や貫手や裏拳は形が違うだけで原理は同じである。
蹴りにせよ、前蹴りと廻し蹴りや横蹴りは原理は同じである。
では正拳突きの練習だけしていれば、他の手技も出来るようになるか。
前蹴りだけしていれば廻し蹴りや横蹴りも出来るようになるか。
空手は退屈な練習だから、厭きないよう、全ての技を練習するから、正拳突きと前蹴りだけ練習する人は現実的にいないから、もしそうしたらどうなるかはわからない。
こう書いていると、やはり横蹴りは前蹴りが出来ても、横蹴りの練習もしなくては、十分な横蹴りは出来にくいだろう。横蹴りのバランスのとり方、股関節を柔らかくする練習、足刀のしめ方、などやはり横蹴り独特の訓練が必要だろう。
しかし私の体験では感覚的に、最初の仮説もわりと言えるのでないかと思っている。空手の技は原理が同じだから、上達する時には、全ての技が一気に上達する経験を何度もしているのである。

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ゴミ袋の有料化

2008-10-01 04:37:31 | Weblog
私の住んでる市ではゴミ袋が有料になった。
コンビニでゴミ袋をまとめ買いするのは、さほど面倒ではないが。
しかし、何のために高い市民税を払っているのか。
私はこんな市長も市議会も全く信用していない。

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