http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/world/newsengw-20110803-01.html?pageIndex=1加藤祐子さんの記事を読んだ。この記事を見ているとtoleranceという言葉が浮かぶ。先日知って紹介されていたモノと重なる。toleranceという言葉は日本語の様に受け入れるという意味は内包しない。耐えるという意味が内包されている。
記事を読んでいるとそんな想いが頭に浮かびながら読んでいた。
文章の日本の名誉を誤解、強く同意する。
彼のような心理に陥ってしまうのは大変関心があるが・・。。
。。これは趣味的探求に近いことだろうな。このことで父と話題になった。言語発想に問題があるのではないだろうかと。考えていると。
心に問題を抱える外国人女性が家族と対話する話があった。英語の理解ははじめに結論を部分的では在るが述べる。それに対し日本語は過程を本来は大事にする体系であると。
それ故女性は本来聞いてもらいたい過程の話が出来ずに相手が席を立つ。日本語は最後迄聞きなさいとは昔の人はよく言っていた。
確か真田さんも私の祖先さんも、武田さんも、謂っていたんじゃなかったかな。うちの親からもよく言われたしな~。