いやぁ本当に眼がねぇなぁ~。座頭市の面白さは目を眼に掛けて、実際の目を見えなくする事で眼を強調するところかなぁ。たまに出て来る「何もかも反対に成っちまって」っていう言葉とかが、戦後の日本に掛けて、見えなくなったっと掛けて、そんな中だけど、人についてはうれしいところは変わっていなくて、そんな所がなんだか変わってないのがうれしく、そして、変わって欲しくないのがこの作品で、石原裕次郎の歌にも表れる。勝新太郎は此れだけは忘れるなということを言いたかったんだろう。
そして、戦後世代の我々に、座頭市の様に生きるしかないとある種の諦観の様な思いを私風に言えばボヤキ、かっこ良く言えば、作品の主題において居たんだろうな~。
やっぱり時代劇って、背景を借りた、西洋でいう所の文学作品、戯曲やオペラなんかと同じで好きだよな-。