日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

選択肢と闘争感覚

2013-12-31 00:24:06 | 日記
 指摘しないという記事で、みてみたい動物的と書いたが、有り体に言えば自分の器の小ささ故に棄てていた選択肢が実は正解の布石じゃなかったのかという発展的見方だろう。自分の糧としたいという事か。


本当に選択とは興味深いことだよな。サンデルの白熱教室でもあった気がするし、自由という隷屬だったかそんな本にもあった気がする。


そういう漫画などの芸術家は本質をついていると思うよな~。


それで直感する数学という本が気になってしまったのか。何故この本が気になったのか自分でもよく分からなかったんだよな。。


理由を聞かれたことがあったけど、何となくとしか答えられなかたんだよな。本当に自分は感覚が先に立つよな・・。


ある面では動物的といえるのかな。


何かを感じるのも、動物的感覚に近いし、狩りをする時の危険信号的なものに近いかもしれない。そして昔喧嘩をするときも、そして本当に集中して格闘技をやるときも、動物的反応感覚、そして思考の融合この状態になったときに負けたことは無い。


 自分の内なる修羅的で、残忍冷酷非情で先読み型で闘争心の塊の様な殺してやるという黒い闇の様が、液体のように殆ど侵食する感覚に成ったときは分かっていても全く反応出来ず単調に成ってしまう。


 そうなっていない時に言われたのが金剛力士像の阿吽の様な表情をしていたと言われたことがある。


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昔の喧嘩の話の続きの、感覚の話がようやく書けたな。(微笑)

コメント
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