日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

ガックリくること 追記20180409

2018-04-02 12:43:27 | 日記
 何故、図形変換の認識に時間が掛かるのかと思ったら、数学Ⅰの図形変換の所をやって居なかったんだな。

情けないやら悔しいやら。教科書を確認したら高校の頃授業で省略されているところそのものやん。っとガックリと来てしまう。どんだけ仕様の無い高校だったんだ。

まあ、分かっていた事ではあるが、、そうならない様にしようとして進研ゼミ等の通信教材に頼ろうとしたが母親に拒否されてしまったんだもんな。。


乞ういう所まで、裏切るのかと言うのかが、私の中で更に衝撃だったんだな。私への小学時代の約束すらも、裏切られたという思いか。それ故に何故なんだろう何故なんだろうと当時問い続けてしまったんだもんな。現在はそうでない仕組みなりが有って、それなのかでスクールカウンセラーがいるんだもんな。

当時の私が心に対する認識なんて鬱病という認識すら完全に誤解していたものな。誤解の内容と言えば精神がおかしくて,暴れる人と言う認識だったし。ましてや自身がそれに類するモノの状態であるなんて夢にも思わなかったものな。


そういう思いを下地にしつつ,大学の先生が数学は人に付いて学ばなければ為らないと言っていたが,私の高校の先生なんて凄く聞き取りにくい声の先生でもあったし。眠い声でずっとはなすんだし。マジかよなんて初めての授業で思っちゃったんだもんな。此れの他には更に,質問にマトモに答えてもくれなかったり,長岡亮介と比べると全然理論的でも無いし。


そう考えると,実際は穴が多くて、必要な学習内容を遣っていなかったと言えるのかな。それが自身の頭の中で哲学的にも影響したと言う事なのか。武田邦彦の誠人間為人間故にか。



長岡亮介も語っているが,数学授業の曖昧さが日本社会の空気性を生み出している?って私も言われてそう思った。「数学の二つの心」と「数学者の哲学+哲学者の数学―歴史を通じ現代を生きる思索」の二つを後者は少しだが読んで。
コメント
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