日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

数学から島津久光そして磯田道史へ・・

2018-04-12 08:55:18 | 日記
 数学の才能が無いのは分かっていた。何故なら平面パズルが面白いとは思えないからなのだが,キャストパズルという立体のパズルは面白いと感じるんだよな。


 其れは置いておいて,才能の話で飛び抜けた者はこれはどうにもならないと分かっている。だが普通の人はある程度は時間に比例するらしい事は学んだ。確かに掛けている時間が短かったのかも知れないとは良く思う。自身の問題と言うことになってしまうのかな。。


先程流れてきた,教育の格差を容認すると言う社会的傾向があるらしいことがtwitterで流れてきたが,大変悲しくなり,残念に思った。何故ならそう言うのを是正して社会をよくしていくと言うのが本来の姿であると思うし,改めて本来の日本に存在していた貴族が存在しなくなってしまったんだと思わずには居られない。残った残滓どもはその言葉に相応しく滓どもで,本来的な姿を失った欲深い業の深き者共ということか。


 本来的な姿と言うのが,立場と地位はあるのに責任と自覚と覚悟と矜持という責務と義務を失った者と言うことか。これがGHQも齎した物であり,明治政府も齎したものでもあるのか。島津久光が本来齎したかったモノを西郷隆盛などの下級藩士が打ち砕いた末だと言うが,何処まで真実なのかな。磯田道史はその様な事を言っていたが,私は実際に学んでいないので何とも言えないが・・。



蛇足 上記面でも西郷隆盛を私は尊敬はしていなかった。幼い頃からの違和感。社会の何かがオカシイと言う感覚だけはあるがそれが何かは中々解らずに居た訳だが,特に感じたのが西郷隆盛を知った時だったんだよな。最近では久坂玄瑞だったんだよな。それは彼の行動を誉めそやす者が明治の者達に多かったとか。オカシイよなという思いか。
コメント
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