日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

強烈な記憶と混乱しそうになること

2021-05-09 22:08:37 | 日記
 幾度となく、文章を綴ろうとするがその度に波の喫水線の様に感覚を防ぎ混乱しそうになるので、こういう時こそ、この場所に綴るべきこと。

先ずは纏めるべきことは二つ在り、学ぶべきことも三つ在り、ソレが混乱の発端か。それぞれ出るものに、取り入れなければ為らないことが、それぞれありその事を認識しなければ為らないな。

一つ一つ、歩みを進めるように一歩一歩だな。次は大事であり影響は重大だが、長年取り組んでいる居る為か取っ掛かりし易い自省か。

 世的な変化の違和感を持ち始めたのは何時頃からだろうかと問う時に、思い至る事があり、それを特に感じたのはクロスアンジュという作品を見た時か。この手の作品は此れまでに見た事はなく、それは確信へと至り、特に今なら解るが全体の精神的なモノの劇的な変化を観た。

確信へ至るという事は前段階が有る筈で、どの作品からだったかと思うとトータル・イクリプスからが特に感じ始めたという事。この手の作品は海外では人気が無い筈であり特に日本人向けであり、にも拘らずアニメ化するには相当にお金が掛かるので、それに見合う程に求められていなければ実現しない。

どの辺りかと言えば見ればある程度は解るが世界観が拡大して、その影響が自身にまで及び且つ、迷宮状態で世界に働き掛けようとしている点である。さらに言えばそれが個人ではなく他者も存在しているというところである。

個人のみの視点で言えば過去にもあったかもしれないが、恐らくそれは妄想の域を出なかったという事。

所謂という事になるのか、幻想と妄想の泥沼と言うヤツなのかもしれない。感覚だけではなんとなく感じる気持ちの悪さと、奇妙な感覚だけがあるという事。

この事を感じていたのは浜崎洋介と藤井聡の対談で語られている事で 

藤井聡×浜崎洋介「近代における築土構木(前編:風土と近代社会の乖離)」(築土構木の思想 第45回)


でも解るが、当時の私では私の核芯へは染みて来なかったと思う事が、自分の性質に向き合えていなかった未熟さか(苦笑)

酒鬼薔薇聖斗の話が三本の動画の中の何処かで語られているが、小学校に入る前の幼い頃に感じた、気が狂いそうになる感覚が拍子に浮かび、当時のこの場所に居たくないという強烈な感覚を思い出して、トイレの小がその場所でどうしても出来なかった記憶が蘇る。

浜崎洋介は人間の情というモノに向き合う事は流石だなと改めて思い、藤井聡との対談がこれ程面白いものになるのかとも興味深かったということか。

コメント
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