日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

壊れた世界の秒針は

2021-09-11 00:34:47 | 日記
 「壊れた世界の秒針は」と言う曲が、何だか心に沁みる曲だと思っていた。何故かと言う思いからか、何度も聴いているうちに、すると何だか記憶を参照するという感覚になって、参照しながらこの曲を聴いている独特の感覚を感じて行くと幼い頃の恐らくは小学校高学年4年生の終わりから5年生に掛けての感覚の記憶を思い出すようになり、そして何だか解らない感情の波を思い出すに至った。

その思い出した感覚と記憶はモヤモヤとしたものの他に頭にも来る、癇と癪に両方とも触れるものといえる。その両方とも触れるものを簡単に言えば怒りに近いが、単純な怒りではなく、今だからこそ解るが大人達への怒りの感覚に近いと言っていいのかもしれない。

実際に居る、周りの大人達に対する怒りというものではなく、この様な環境を詰まりは教育の実態を放っている大人達と言っていいのかもしれないが、その存在に対する忿怒というモノなのかもしれない。仕組み自体を少しづつ知る今では教育委員会に、そして当時は文部省に文部大臣という事になるかな。

教育内容の整合性が取れていないというのに、それが馬鹿馬鹿しい祈りの様なものでそれが叶うとする姿勢にマコトの精神を見られなかったと言うのが幼いながらに解ったのかもしれない。

そして、その感覚だけが記憶に刻み付けられて、このRE-MAINのエンディング曲の壊れた世界の秒針はの状態に、為っていくのが解って居ながら、手立てをしない様に怒り、そしてその状態を解決しようとする為の手掛かり的存在の良く解っている祖父も存在しないということにか。
コメント
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