やはり段々と慣れてくると早くなってくるな.それに根本の原理を自分の思考に求められるというのは新たな挑戦だったのかもしれない.この事を考えた事によって自分が何を研究したかったのか浜崎洋介の話も含めて何だか全体像が朧げに見えてきた気がする.
今更かよと言う気もしなくもないが,この事が決まらなくて研究職を挫折する人も居る位だしな.全く愚かしいと言う程でもないのかもしれない.
何だか,文章が自然と発生する感覚を得る様になるというのも一つの成果だったしな.自分が日本語文法に付いての理解が不十分だったと言う事を改めて認識させられることに為るとはと言う感じだ.
一つ思ったのが何故古文が昔はよく取りあげられていたのかと言う事だよな.最近少しやってみて,古文が外国語の文章を学習する前段階にもなりうると言う事と情操と言う面にも向かう可能性があると言う事か.
だけど此れは自分で総合的に捉えるという姿勢で性質というモノに目が向いて居ないと非常に厳しいものだよな.小学生の頃に周りに性質ってどういう事なの?っと聞いて周ったが誰も明確に答える人が居なかったんだよな.その時にも祖父ならその質問に的確に答えられただろうねという祖母の悲哀な表情が忘れられない.
そういう顔の表情が昔は解らなかったんだから.
今更かよと言う気もしなくもないが,この事が決まらなくて研究職を挫折する人も居る位だしな.全く愚かしいと言う程でもないのかもしれない.
何だか,文章が自然と発生する感覚を得る様になるというのも一つの成果だったしな.自分が日本語文法に付いての理解が不十分だったと言う事を改めて認識させられることに為るとはと言う感じだ.
一つ思ったのが何故古文が昔はよく取りあげられていたのかと言う事だよな.最近少しやってみて,古文が外国語の文章を学習する前段階にもなりうると言う事と情操と言う面にも向かう可能性があると言う事か.
だけど此れは自分で総合的に捉えるという姿勢で性質というモノに目が向いて居ないと非常に厳しいものだよな.小学生の頃に周りに性質ってどういう事なの?っと聞いて周ったが誰も明確に答える人が居なかったんだよな.その時にも祖父ならその質問に的確に答えられただろうねという祖母の悲哀な表情が忘れられない.
そういう顔の表情が昔は解らなかったんだから.