やはり、つなぐ穴だな~。微妙に理解していない処が、混乱を来す理由でもあるのかな。
やっぱり、集中的に出来るって謂うのは一つの才能だよな~。
好きな科目は集中出来るんだけど(苦笑)
普通の科目はな~。まあ本当はこんなこと遣っている年齢でも無いのかもだけど、一念発起して、っていう人もマックのバイトからっていう人もいるし。
まあ、人生それぞれってことなんだろうけど。志、信念を曲げるぐらいだったら死んだ方がマシだし、死ぬ時期が延びたに過ぎない。
高校の頃入院して奨学金が取れなくなり、それまで、支えだったHIDEも自殺なのか、事故なのか無くなちゃって、新たな作品も聞けないって、架空の友達、いや仲間違うか、同士の様な存在を失って、気力が尽きたんだよな・・。
中学1に引っ越し、本来の親友もいないし、学校生活も最悪、そして家庭環境も最悪、仕舞いに心の拠り所の音楽まで、約束だったステレオプレイヤーまで、取り上げられ、何をしても体が重かったもんなー。
勉強しててよかったのは、そんな自分が病気だったということが、判るように成ったということか(微笑)
働いてたって、死んでいるようなもんだし、仕舞いに雇用不安という、それまで考える事をやめていた、「生きる・活きる」という、行為になってくるし。
バイクは本当に「死」を身近にしてくれることで、五感を研ぎ澄まし、現実に引き戻し、現実感を与えてくれる。
最近では脳が活発に働くという研究結果も報告されているらしいし。
車が嫌いな理由が、この現実感の欠如に由来するんだよな。まるで、ゲームの様に感じる世界。
ソレは快適で、楽で、簡単な動きで、でも集中しなければいけない。そうしないとゲームでは表示だけだが、
現実の車は突如として、それ迄の非現実的な装いから、ゲームオーバーのみを現実のものとさせる。
しかし、車はソレが無いと、「普通の日常のこと」に影響を及ぼしてくる。矛盾を抱えた存在。
だから、せめて私はマニュアル車というやや厄介だけど、ある種の、瞬・間・瞬間の現実を己に知らしめる行為が必要になるのだ。