千葉で有名な桜の名所だがあんまり知られていない所へ言った。
今年は本当に桜が綺麗に感じる。
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こんな所を彼女でも居て一緒に歩いたらさぞ、幸せな気持ちになるんだろうな・・と思いながら、歩いて近くの有名な湖にでも歩きたいなと思いながら、なんだか儚い思いに駆られる・・(微笑)
去年は原発やら放射能やら何やらで、みる暇が無かったということもあるだろう。
去年の前半6月頃まで、一日に何回も、自分の家が船の上に浮かんでいるんじゃないかと思うほど、揺れる頻度が多かった。一日6回位、震度3とか、4とかが頻繁だと、勉強もろくに集中出来なかった。
なんて言ったって、書いているノートに鉛筆が揺れる揺れる(苦笑)
まあ、それでも受かっている人は受かっているんだからね。
幅広く受けたりしているから、一点集中の方が良いのは判ってるんだけど、若くもないから悩ましいよな~。
おっと、そんな話では無く、写真をあまりに美しくて撮ってしまった。
桜こそ、なんというか撮っておきたいというか、、昔はそういうモノを撮っておける機械がなかったわけなんだから、尚更儚いということを胸に感じて、いたんじゃ無いだろうかな・・。
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最近ライフログなるものが流行っているらしいけど、あれこそなんだか、人間の自然と一部という感覚的なモノを退化させる、動物としての本能が壊れているという行為の最先端を行く行為に思われて仕方が無い。
禅を行っていると、ある種の自然との一体感を感じる。
自然というのは大袈裟かもしれないが、今この瞬間ゝを人は感じることが非常に困難だと、思い感じる。
その一瞬、刹那に感覚を向かわせる、行為が本来の姿、という何というか脳の求ムルところなのかと感じだ。
遣っていると、みたことも無い筈のビジョンが見えて来るから不思議。
そんなことを遣りながらバイクを運転したら、何だが禅の状態に近いという感覚に気付かされた。
乗馬も医者に完治不能といわれた半身麻痺の人が乗っていると、動かせるように回復してくると言う。
身体の均衡をとると、「いう」のは簡単だが、その一瞬一瞬に集中しなければならないし、心理実験でも馬の共感感覚はとんでもないモノがある。
しかも、映画アバターの様に器官が繋がっているわけでも無いから、乗られている方の感覚が伝わっって来るわけでも無い。
そういう、脳の、新しいモノへ誘うのかもしれない。