日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

声に付いての一考

2014-03-11 00:04:36 | 日記
何故、160cm半ばの女性の声が好きなのかと考えていた。


想い出してみれば、初恋の女の子も164cmだった。当時は随分身長が高いという印象だが。小学校の一時期、抜かされて居たときもあった(苦笑)


そういう理由なのだと思ったが、では何故好きになっていったのかと、よくよく思い出す。



すると、祖母のことが思い浮かぶ。祖母は159-160位だった。



小学校の時、居る筈のない祖母の優しい声が幾度か頭の中に響いて聞こえた気がした時があった。



それは家庭科の時間だった。今まで、よく考えるまで、幻聴だと思っていた事柄だ。廊下の反響音も多分にあったのだろう。



離れて、身長が高ければ半音づつ下がるのかも知れない。それが原因なのかもしれない。



人は歳を経れば若干声が低く成る。ソレと重なり・・


そういうことなんじゃ無いだろうか。



そういうことが、その子と列の最後辺りで、話しているのが楽しかった。



だが、もう一人のでかい女子には何も感じなかったな…。ムカついただけで。。やっぱり複合的なものか~。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史と怖れ

2014-03-10 01:08:57 | 日記
恐怖。その言葉の解説にハッとさせられた。確かにその通りである。リベンジでも、三国志でも、私が読んだ兵法書でも。



しばしば此の事について、考える。すると、二つの死を経験を経た自分にとって前と後では明らかに考え方が変わっていると意識出来る。


武田信玄の言葉を始めから知っていたら変わって居ただろうか?



判らない。というのが正直なところ。だが、自分なりの選択は最善であったのではないかと思う。



そういう、逆境に似た環境に似た武将が居た。何となく知ったというのが始まりであったが。


最近になってより知り、好きになった。伊達政宗。彼の生き様の内容を大河ドラマで知って歴史に興味を持ち始め好きに為っていったことを思いだした。



三色ボールペンの話。一部書いていないところがあるが、あの気持ちは一生忘れない。


あの頃の自分と物凄く重なる部分があり、父との関係も共感する部分が多くある。



混乱してきたので投稿。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

独り言

2014-03-10 00:58:43 | 日記
奇妙な夢だった。


何故かロシア語を話し、二つの学び屋なのか、そういう場所で葛藤しているのである。それは何処だったか・・。



何処であるのか分かった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする