研究2の9(2018年2月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
【白鳥】P44~
参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放
65 白鳥のまどろむ湖を手のひらが飛びてゆくなりたれの手のひら
(レポート)
白鳥がしづかに湖に体をうかべて、まどろんでいる。その湖をたれかの手のひらが飛びてゆくという。美しい景を乱すなく、飛びゆくものは、雲なのか、風なのか、それらもこめて生けるものを包みこむ自然の力であろう。(慧子)
(当日意見)
★ここから歌がリアルでなくなって難しくなりますね。湖には白鳥がおそらく一箇所に固まってま
どろんでいて、その上を手のひらが飛んでいく、影像としては思い浮かべることが出来るけれど、
手のひらだけが飛んでいくのはリアルな景ではないですよね。慧子さんのレポートだと、この手
のひらは人間のものではなくて、「自然の力」?「たれの」と言っているから人間じゃないかな
あ。(鹿取)
★実景としては雲だったのではと思うのですが、手のひらは慧子さんのいう通りだなあと思いまし
た。(真帆)
★手のひらが飛ぶというのが分からないのです。撫でていくなら分かるんだけど。(T・S)
★松男さんは手のひらの歌をたくさん作っていて、大震災の時も悲しむ人を撫でるたくさんの手の
ひらが欲しいという歌を作っています。そうすると「たれの」とは言っているけどこれは自分の
手のひらであって、撫でるとは言っていないけどまどろむ白鳥の1羽1羽を慈しむ手のひらとも
読める。自分は岸にいて白鳥を撫でることはできないので手のひらだけが飛んでいく。実景とし
ては雲だったという説をもちろん否定はしないし、飛んでいく雲に自分の手のひらも少し混じっ
て欲しいって願いかも知れない。(鹿取)
★今のは凄く魅力的な意見だと思いました。これまで、つぶさに白鳥を観察して歌ってきて、ジー
と眺めているうちに目に見えない自分の手が飛んでいって撫でたいとか思っている。(真帆)
(後日意見)
『雨(ふ)る』にこんな歌がある。〈くれのこる遠山並にかざしたる掌がうす雲となりて浮かぶも〉、雲と掌の関係の手助けになるだろう。鹿取が当日意見で述べている東日本大震災をうたった歌を下記にあげる。(鹿取)
まぼろしのわがたなごころとびてゆき生きのこり哭くひとの背をなづ
『雨(ふ)る』2016年刊
わが掌ひやくにひやくさんびやくあらばともおもふ慟(な)く背をさするまぼろし
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