馬場あき子の外国詠55(2012年8月)
【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P113
参加者:K・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、
渡部慧子、鹿取未放
レポーター:曽我 亮子 司会と記録:鹿取 未放
402 ステンドグラスの絵図に悲しみの祈りあれどミュシャの光をわれは見てゐる
(レポート)
プラハ城にある聖ヴィート大聖堂に描かれたミュシャのステンドグラス「聖キリルと聖メトディウス」は王家の洗礼を主題にしたものであり、祈りの心が込められている。しかし私はこの絵に、ミュシャの生国モラヴィア特有の鮮やかな色彩とのびやかな彼の心を見たのである。(曽我)
□聖ヴィート大聖堂のステンドグラス「聖キリルと聖メトディウス」
キリルとメトディウスはギリシャ出身の兄弟で、863年チェコにキリスト教を伝え、
プラハのプシェミスル王家の人々の洗礼を行った聖者である。ミュシャのこのステンド
グラスにはアール・ヌーボーの官能的傾向は見られず、スラブ的要素の強い晩年の作で
ある。
□アルフォンス・ムハ(ミュシャはフランス読み)
1860年南モラヴィアに生まれる。1894年フランスの大女優サラ・ベルナールに
出逢うことによりアール・ヌーボーの旗手として華やかにヨーロッパ各地で活躍する。し
かし1910年故郷チェコに戻ったムハは大連作「スラヴ叙事詩」「運命」などを長い年
月かけて製作する。これらはムハの愛国心から描かれたもので、スラヴ民族の戦いと希望
が表現されている。
ムハは晩年もはや官能的絵画は描かず、鋭い目差しで対象を見据えるスラヴの女性を描
いたのである。後、ナチスに退廃芸術家として捕らわれたが釈放され、間もなく1939
年7月78歳で没した。出典 ウィキペディア
日経BPプラハ・チェコ(中世の面影を残す中欧の町々)
(当日発言)
★聖ヴィート大聖堂はプラハ城の中にある。古い建物でステンドグラスの一部を改装した
もの。(藤本)
★この歌を読むと、401番歌「かへりみるプラハ城はればれと静かなり歴史はいまにより
てかがやく」の下の句を納得させられる。(鈴木)
(後日意見)
ミュシャが生まれたモラヴィアは、現在のチェコ。聖ヴィート大聖堂は1344年から600年をかけて建築されたという。ステンドグラスの一部を1931年ミュシャがデザインして制作した。全体はチェコへのキリス教布教の様子が描かれている。次にその一部を拡大したものを掲載したが、ミュシャらしさがよく分かる。ただ、ここにはチェコの民族衣装を着た女性が登場し、「スラヴ叙事詩」に繋がる部分である。ミュシャはこの頃、民族への思いを深めていたが、1939年ナチスのチェコ侵略後は厳しい尋問を受けることとなった。そんなミュシャの生涯を思い浮かべながら作者は美しいステンドグラスを通す光を見ている。ここにはミュシャ自身の民族への思いなども投影して「悲しみの祈り」が描かれていて、その悲しみに〈われ〉は強く打たれるけれど、眼前にはステンドグラスの美しい光があって、それを見ているよ、というのだろう。この「カレル橋」は光と影がテーマのようだ。(鹿取) ※ブログでは写真を省略
【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P113
参加者:K・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、
渡部慧子、鹿取未放
レポーター:曽我 亮子 司会と記録:鹿取 未放
402 ステンドグラスの絵図に悲しみの祈りあれどミュシャの光をわれは見てゐる
(レポート)
プラハ城にある聖ヴィート大聖堂に描かれたミュシャのステンドグラス「聖キリルと聖メトディウス」は王家の洗礼を主題にしたものであり、祈りの心が込められている。しかし私はこの絵に、ミュシャの生国モラヴィア特有の鮮やかな色彩とのびやかな彼の心を見たのである。(曽我)
□聖ヴィート大聖堂のステンドグラス「聖キリルと聖メトディウス」
キリルとメトディウスはギリシャ出身の兄弟で、863年チェコにキリスト教を伝え、
プラハのプシェミスル王家の人々の洗礼を行った聖者である。ミュシャのこのステンド
グラスにはアール・ヌーボーの官能的傾向は見られず、スラブ的要素の強い晩年の作で
ある。
□アルフォンス・ムハ(ミュシャはフランス読み)
1860年南モラヴィアに生まれる。1894年フランスの大女優サラ・ベルナールに
出逢うことによりアール・ヌーボーの旗手として華やかにヨーロッパ各地で活躍する。し
かし1910年故郷チェコに戻ったムハは大連作「スラヴ叙事詩」「運命」などを長い年
月かけて製作する。これらはムハの愛国心から描かれたもので、スラヴ民族の戦いと希望
が表現されている。
ムハは晩年もはや官能的絵画は描かず、鋭い目差しで対象を見据えるスラヴの女性を描
いたのである。後、ナチスに退廃芸術家として捕らわれたが釈放され、間もなく1939
年7月78歳で没した。出典 ウィキペディア
日経BPプラハ・チェコ(中世の面影を残す中欧の町々)
(当日発言)
★聖ヴィート大聖堂はプラハ城の中にある。古い建物でステンドグラスの一部を改装した
もの。(藤本)
★この歌を読むと、401番歌「かへりみるプラハ城はればれと静かなり歴史はいまにより
てかがやく」の下の句を納得させられる。(鈴木)
(後日意見)
ミュシャが生まれたモラヴィアは、現在のチェコ。聖ヴィート大聖堂は1344年から600年をかけて建築されたという。ステンドグラスの一部を1931年ミュシャがデザインして制作した。全体はチェコへのキリス教布教の様子が描かれている。次にその一部を拡大したものを掲載したが、ミュシャらしさがよく分かる。ただ、ここにはチェコの民族衣装を着た女性が登場し、「スラヴ叙事詩」に繋がる部分である。ミュシャはこの頃、民族への思いを深めていたが、1939年ナチスのチェコ侵略後は厳しい尋問を受けることとなった。そんなミュシャの生涯を思い浮かべながら作者は美しいステンドグラスを通す光を見ている。ここにはミュシャ自身の民族への思いなども投影して「悲しみの祈り」が描かれていて、その悲しみに〈われ〉は強く打たれるけれど、眼前にはステンドグラスの美しい光があって、それを見ているよ、というのだろう。この「カレル橋」は光と影がテーマのようだ。(鹿取) ※ブログでは写真を省略
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます