冬の背高泡立草
墓標とも冬の背高泡立草 大澤保子
個人的なことになるが、昨年十二月の「街」とのコラボ句会に参加した際、私は、
我々も霜の背高泡立草 高野ムツオ
というのを出句した。ただし自分自身に〈霜を被り背高泡立草菩薩〉というのがあったから、また「霜の背高泡立草」かと心に引っかった。しかし、発想が異なると思ったのでまずは投句した。私は、このことより「我々も」という表現の可否にとらわれていた。「我々は」なのか、また「我々」で世代を超えた理解が得られるか。
しかし、帰りの新幹線の中で、〈団塊の世代汝は背高泡立草 秋元幸治〉というのがあったのを思い出した。
十一月の栃木吟行会に出句されていたものだ。発想がよく似ている。異なるのは秋元の句が背高泡立草を「団塊の世代」と断定しているのに対し、私の句は、どの世代なのかは読み手に任せられている点だ。しかし、どうしても、類句のそしりを免れない。
そう思っていたら、栃木句会に同行した佐藤成之から私の心配と同じ指摘があった。やはり、秋元の句が下敷きとなって私の句が出来てしまったのだと納得した。類想類句の問題は、よく俳壇を賑わせる。判断に難しいケースもずいぶんある。鬼房に、
人間をやめるとすれば冬薊 佐藤鬼房
という句があったが、句集『半跏坐』に収録後、楸邨に、
人間をやめるとすれば冬の鵙 加藤楸邨
があるのを知って、自作から削除した。確かに「人間をやめる」という発想は、この二句に限ったことではない。実際、ネット上のコメントにも「人間をやめるとすれば」の次に、「あなたなら何を入れるか」というものがあった。百人百様の答えがあろうし、その数だけ俳句も産まれそうである。
「冬薊」は鬼房らしいし、「冬の鵙」はなるほど楸邨。どちらも佳句と思いながら、鬼房の潔さに感銘したことを覚えている。類想句ができることは詩型の特質上、やむを得ない。大切なのは作者自身の判断だろう。たとえ上五中七がまったく同じでも、異なる新しい世界を創出することだってもちろんあるわけだ。
大澤保子の句の感想をうっちゃったまま、思わず余計なことを書き連ねてしまった。この句の「冬の背高泡立草」も、これまで何度も使われたフレーズに違いない。それを承知の上で、私は、「墓標とも」の把握は、やはり独自であるといいたい。しかも、これは陸奥、荒涼たる台地が連なる岩手であって、より、その姿が見えてくる。
私も三十年ぐらい前から何度か「背高泡立草」の句を作っているが、納得できるものはほとんどなかった。この句を見て、この長ったらしくやっかいな草花の名も、やっと俳句の言葉として定着したと感じた。
〈高野主宰の好句鑑賞〉
その年の角川俳句賞受賞作の眼目句と 上五を除いて全て同一の同人句が 俳誌に採用されていたことである
このように過去の主宰のお考えを知ることで 疑問に思っていたことが なるほどと府に落ちることもある