こんばんは (=^・^=)
ズル休みしていまして・・申し訳もございません。
ブログを休んでウォーキングや読書に精を出していました。やっと目標距離をクリアでき一人喜んでいます v(^0^)v
さて今日は墓参りに。道の反対側にフラットなカロートが造成され、今月初めての方が入られたようです。
これは良いですね~↓石もあまり使わない、地震にも倒壊の危険がなさそうだし、気に入りました。けど、わが家はすでに昔風に建ててしまいましたので、もうどうしようもありませんが・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/ce/9ef070754a156f3c07808f80c41664ca.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/f5/ca5ef7ad3f22983c93d1813b00d345b4.jpg)
故人に戒名は無く俗名で、表は「南無妙法蓮華経」と○○家代々、花立にはシキミ、あとは線香台があるのみ。
シンプルがいいじゃないですか、胡散臭い戒名でなく俗名のままも良い感じ。人によっては所属する宗派ごとに複数の戒名をもらっている故人もおります。
不思議に思うでしょうが、要するに判断も決断もできぬままお寺を一本化させなかったわけで、それぞれに顔を使い分けているのです。日本人は信仰深いのかな?(笑)
複数の宗教に重複で所属していることも多く、それで宗教施設が発表する信者数が膨れ上がるのですね。
観光寺院でなければ、お寺は葬儀関連の布施や法要の回向料、もろもろの寄付で成り立っています。それなりの地位に昇った和尚さんはいいですよ、本を読んでいても寝転んでTVを見ていても、勉強家だ!と周囲に褒められるんですから。
じつは金勘定が得意なのに、いかにも悟ったような顔をしてする説教は、その昔解脱された方々が書いたマニュアル本(教典)でしょう。オリジナリティなんかないですよ。
学校の先生やお医者さんは同じ聖職者でも、訳の分らない生きている人間が相手ですもの、なんぼかキツイお仕事だと思います。
菊食す後ろめたきはどんな味 青萄
胡散臭い戒名に同感!
金額で決まる戒名もあれば
無料でくれる戒名もある。
私はそんなもんいらん。
だいたい見ても意味わからんし
ブログを開設してない私にとって、ブログ開設者の更新が楽しみの一つです。
かといってこちらから更新して下さいとは云えません。
過去記事にコメントを残すしか有りません。
例えどの様な内容で有っても記事が読めると云うのは私個人として嬉しい事です。
墓の戒名、亡くなってからも金が掛かるなんて私には理解出来ません。
私には戒名なんて要らないと思ってます。
墓もいらないと思って居ます。家族の心の中に記憶が残って居れば充分だと私は思って居ます。
青山墓地や有名処の墓には御立派と云うにふさわしい墓が有りますが私にはそんなに金掛けて何処が良いの?と云う感じしか有りません。
例え墓を建てるとしても簡素なもので充分だと思って居ます。
長く書いてしまいましたが私はこの様に考えて居ます。重く成ってしまいましたスミマセン。
戒名というのは仏の弟子になったときに頂くものです。
人間が亡くなると自動的にそうなる、というのは極めておかしな話で、我々は今まで・・ほとんど洗脳されていたのではないか?なんて思ったりして(笑)
お坊さんは、戒名の付け方マニュアル本を持っているはずだよ。
お坊さんでもピンからキリまでいらっしゃいますから、あまり批判してもいけませんね。僧は宝物(ほうもつ)だそうですから^^;
立派な戒名を頂くと、後の法要その他にも延々と、それなりのお金がかかります、昔からそういう慣習がありますね。
お寺さんに所属しない家では、葬式の時に戒名をつけてもらってそれっきりという場合があります。だから前払い込みで高額の戒名料を取るのではないかなぁ、などと私はにらんでいます。
お墓もね、一度建ててしまうと維持管理が大変ですよ。今後の課題ですね。当方は市営霊園ですので、年に5千円ほどの使用管理料を口座から落とされるだけです。
しかし、着々と肥やし!を蓄えておいででしたね♪
スッキリした墓碑、これが理想かも知れません。
友達は主人亡き後、同じような碑にして「ありがとう」と刻みました。
数人で見学までしてきました。
因習にとらわれて、中々寺と縁が切れない哀しさ。
戒名の長さで値段が違ったり。
葬儀の華麗さにスタンスを置くことがまかり通って。
今後は発想の転換で、死に方と死後を自分なりにが一番の課題です。
あら心配した?そうそう3日も休むとブログは彼方に遠ざかる~(笑)
まあね、昔はそれぞれのお寺に所属するのが当たり前でした、一方都会に出た人々は面倒な所属をしなくなっただけ。
お寺も収入源が無いから、葬儀関連で一気に回収しようとするわけね^^;
でもそれが葬式仏教に堕落した姿。小さなお寺は別としても、大きなお寺で世襲にするのは間違いの元、仏縁も人徳も何もあったものではない。
住職には、その息子か娘婿、(それがいない場合)甥などの親族がなることが多い。仏が説いた教え’放下’の逆バージョンだなぁ(;^_^A アセアセ・・
ぼく自身、あまりにひどい寺と「離檀」まで演じましたし…。
宗教というのは、それを信じる者がいてこそ成り立つのですよ。
思い切って長年の檀家さんをやめたことは、ブログに書かれていましたね、あれは住職がひどかった。
その後別のお寺を探したのですか?
>菊を食べると、どうして後ろめたい、のですか?
菊は天皇家の紋章ということもありますし、花そのものを食べる、まぁちょっとした非日常的後ろ暗さのようなものかなぁ^^;
現在は、別のお寺とお付き合いしています。
食用菊を販売しているくらいですから、あまり考えたことがありませんでした。けっこうおいしく食べています。