この子を連れて、もっと温暖な所で静かに暮らしたい。
この子に一度でも、果物が木に生(な)るところを見せてやりたい。
母がよく、そんな言葉を発し始めていた頃。
ある日突然、これからず~と電車に乗って、親戚がたくさん住んで居る○○というところに行くんだよ。そこはとても気候が暖かくて、木にも葡萄が生っている良いところなんだよ、と泣き笑っているような顔の母に言われて、急遽身支度をさせられたのだった。
小学校に上がって半年ほどが過ぎていた頃、と思う。兄は、高校生だった。それから、家族それぞれの思いが錯綜する中で汽車に乗ったのだろう。
夜汽車だったかもしれない。が、道中のことなどは何ひとつ記憶が無い。ただ夜中に起こされて、乗り換えのため一度汽車を降り、吹きっ晒しのホームで次の汽車を待ちながら、暗い線路の向こうを透かし見たことは覚えている。寝かされたり歩かされたり負われたりして、気がついたら、どこかの駅に着いていた。
落魄の一家が漂着したのは、下がパチンコ屋で賑やかな伯母さんの家だった。次の日、別の伯父さんの家に行くと、目の前の庭に葡萄の実が生っていたのだ。不思議なものを見るように私は、口をあんぐりと開けて見ていたらしい。
母が、あれが葡萄の木と葉っぱと実だよ、と教えてくれた。はじめて本物の果物というものを見た衝撃で、私は茫然自失してしまったのだ。その時、カシャッと何かの音がしたようだった。
空を見あげると、ぎゅぃ~~んと引いてゆくファインダーらしき物に光が当たって、煌いたのが見えたのだった。果たしてその時、私の居るちっちゃな世界は箱庭なのだと気がついた。
その後その町で私はしばし、ちっちゃな風来坊をやっていたのである。
後年、あの時の我われ一家は、もしや夜逃げ(?)ではなかったのかと反芻したのだった。。。どうやら、違ったようなのだが・・。
<今日の一句> 蟻地獄松風を聞くばかりなり (高野素十)
人参の花
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この子に一度でも、果物が木に生(な)るところを見せてやりたい。
母がよく、そんな言葉を発し始めていた頃。
ある日突然、これからず~と電車に乗って、親戚がたくさん住んで居る○○というところに行くんだよ。そこはとても気候が暖かくて、木にも葡萄が生っている良いところなんだよ、と泣き笑っているような顔の母に言われて、急遽身支度をさせられたのだった。
小学校に上がって半年ほどが過ぎていた頃、と思う。兄は、高校生だった。それから、家族それぞれの思いが錯綜する中で汽車に乗ったのだろう。
夜汽車だったかもしれない。が、道中のことなどは何ひとつ記憶が無い。ただ夜中に起こされて、乗り換えのため一度汽車を降り、吹きっ晒しのホームで次の汽車を待ちながら、暗い線路の向こうを透かし見たことは覚えている。寝かされたり歩かされたり負われたりして、気がついたら、どこかの駅に着いていた。
落魄の一家が漂着したのは、下がパチンコ屋で賑やかな伯母さんの家だった。次の日、別の伯父さんの家に行くと、目の前の庭に葡萄の実が生っていたのだ。不思議なものを見るように私は、口をあんぐりと開けて見ていたらしい。
母が、あれが葡萄の木と葉っぱと実だよ、と教えてくれた。はじめて本物の果物というものを見た衝撃で、私は茫然自失してしまったのだ。その時、カシャッと何かの音がしたようだった。
空を見あげると、ぎゅぃ~~んと引いてゆくファインダーらしき物に光が当たって、煌いたのが見えたのだった。果たしてその時、私の居るちっちゃな世界は箱庭なのだと気がついた。
その後その町で私はしばし、ちっちゃな風来坊をやっていたのである。
後年、あの時の我われ一家は、もしや夜逃げ(?)ではなかったのかと反芻したのだった。。。どうやら、違ったようなのだが・・。
<今日の一句> 蟻地獄松風を聞くばかりなり (高野素十)
人参の花
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私もそうでした。友達との別れは非常につらかったです・・・。
昨日まで遊んでいた仲間と、一生会えないのですからね。車の中でずっと泣いていましたよ。
私はそれを何度か経験しました。
父親の仕事の都合だったのですが、その時は親を恨みましたね。
トーコさんの箱庭という表現は素晴らしいですね。
所詮人間なんて小さいものです。
空から見たら粒にも見えないことでしょう。
幼い頃からそういう感覚が養われていたのですね。
☆
引越しは多かったですね。路頭に迷っていた、と言った方が近いかも・・アハハ
長めのコメント、ありがとうございます。たいそうお忙しいのに
今日は寝不足続きで、頭がクラクラするので、これでもう寝てしまおうと思っています^^
コメントと☆、ありがとうございます
私にもあります。
私のもあるそのシーンは、よその庭で遊んでいる私を、母とよそのおばさんが笑いながら見ているところ。
ちっちゃな風来坊さんにとって、木なっている葡萄は幸せのシンボルだったのでしょうか。
心の中にある箱庭は、トーコさんにとっての歴史であり、財産でもありますね。
>記憶の底のほうにある茫漠たる風景。
そうですそうです。沢山の断片が脈絡無く散見していました。今までは。
しかし、鮮明だったものが、とうとう記憶がぼやけてきてしまいました。なのでぼやけたところは、妄想系フィクションで補修しております(笑)
コメント☆、いつもありがとうございます
昔の苦労は今のよい思い出です。
昔があって今のトーコさんがあるのです。
親を恨んではいけません。
山に行けばシラネニンジン、藪に咲くヤブニンジン・・・
どちらもセリ科の植物ですが、葉っぱがニンジンの葉に似ています。
8月になればシラネニンジンに会えるかも知れません。
大きな山を歩く予定です。
この白い花、ニンジンでよかったですか?
もしかしたら、違うかしら・・と思っていました。
でも、わずかに見えていた土から出ていた本体が、大きな人参の様だったから。。(笑)
大丈夫です。今更親を恨んではいませんよ。できるだけ、客観的に見るようにしていますもの。えへへ
名前の分からない木があります。花は薄紅色のような見た目と大きさも、綿飴みたいなフワフワなのですよ。山小屋さんならご存知と思います。
コメントと☆、ありがとうございました