俳句の類想・類句について

2011-11-03 21:20:00 | Weblog


ブログ仲間Aさんの書かれていた記事から、俳句の類想・類句について今私が感じていることをひと言。

下品に言ってしまえばいわゆるパクリである。

私も俳句を始めた初期の頃は、とんでもないことだ!と怒った怒った、それも激しくね。

Bさんという人が自分の句をある人にパクられた!と言い出した時も、私は無関係の外野なのに勝手にBさんの肩を持って怒ってしまった。今は?・・後悔・反省している。冷静に考えれば、あながちパクリとは断言できなかった句だ。

俳句は17音の短詩型である。定番の季語5音を入れると、あと12音しか残っていない。その12音で吾が胸の思いの全てを表現する時、誰かの句に似てしまう可能性は極めて大きいといわざるをえない。

世間に広く認知されているものでなければ、無名の知らない誰かの句とそっくりでも、それは致し方ないだろう。むろん知りながらパクる場合もあるかもしれないが、その点は本人の良識的判断に負かされているのが現状だ。

私が他人の句を見て、どこぞで見たことのありそうな気がしても、句は句として先入観を持たず、全体のトーンに無理がなければ良い句としているのもそういうこと。

先日見た有名俳句誌にも、先達の句とそっくりな句が載せられていた。全国版に載るくらいだから、(私が知らないだけで)その人も名のある俳人なのだろう。が、どうしてこういうことが起きるのかしばし理解に苦しんだ。

しかし時に魑魅魍魎の跋扈する俳句の世界、案外こういうことも普通にあるのか、特別批判も排除もされずまかり通っている。そんなこんなで潔癖性だった私も、いつしかハードルがゆるゆると下がり、良く言えばまろやかになってきたのかもしれない、などと自嘲(苦笑)



      



※(11/4追記)人は自分が思うほど誰も自分のことを見てはいない、と皆さんも感じる事があると思う。ブログについても然り。しかし、自分の力を見せつけたくてたまらない人は、ときに自意識過剰に陥っている。ナルシストも結構なのだが・・。

さて今日は家に工事の人が入って朝からバタバタしてしていた、その割には良いこともあったりして?(笑)昨日古い家の渋柿を旦那に採ってきてもらい、今日は吊し柿も作り軒に干し終えた。では今夜は更新を失礼して早めにお休みなさいませ~





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