昨日の夕暮れ大谷川散策↑枯れてしゃらしゃらとイヌショウマ↓
橙に大和の闇のみっしりと 上野まさい
「大和」という地名から呼び出されてくる世界は数限りなくある。三輪山などなだらかな山並み、あるいは、奈良の古寺や堂塔を思い浮かべる人もいるだろう。そうした歴史懐古のイメージによって、この句を鑑賞するのもいい。しかし、「橙」を上五に据え「大和の闇」と打ち出されると、その闇の彼方に見えてくるのは、古代の大和政権であろう。規模の大きな古墳は、すでに三世紀後半には、この地方に出現していたそうだし、五世紀あたりからは、さまざまな名の大王が登場し、東日本はすでに勢力圏下にあったという。あまつさえ大陸にまで出兵している。おそらく、血で血を洗う戦は、身内の権力争いから侵略まで絶えることはなかっただろう。
そうした軍事権力としての大和と欲望の闇が句の向こう側に見えてくるのだ。付け加えれば、「橙」は、いうまでもなく「代々」と同義。争うことが人間の本性であるのは何も「大和」に限ったことではないのだけれども。
年暮るるいつも昨日の神田川 平松彌榮子
この句も地名、ここでは川の名前がもたらすイメージが、句の世界の基盤をなしている。神田川は元は平川といったそうだが、江戸の上水確保のため家康が改修を命じ、二代秀忠の頃に神田川と呼ばれるようになった。家綱の時代に、芭蕉もこの川の改修に携わっていたのは周知の通り。神田川は、都会化が進み一時は死の川の趣も呈したが、鮎など魚類が棲めるようになり、江戸川橋から上流に向かって桜が植えられ、花見の名所ともなった。「よしきり橋」や「ゆうやけ橋」など微笑ましい名前の橋が架けられているところもある。だから、東京に住む人にとっては、さまざまな思いを育んでくれた川だろう。
とはいうものの、やはり、「神田川」のイメージを決定的にしたのは、南こうせつ等の歌「神田川」である。曲もさることながら、歌詞となった言葉の力が大きい。この句の「昨日」がどんな「昨日」であるか。それは鑑賞者にゆだねられている。しかし、眼前の神田川が、いつも昨日の神田川であるという発想には、そこに、いつでも昨日のように蘇る青春の映像があるのは否定できないことだろう。
出羽根雪歌祭文の小屋が開く 阿部宗一郎
この句も「出羽」が句のイメージを決定づける。渡りの瞽女でも、どさ回りの門付けでもいいだろう。歌祭文に導かれるように、小屋が開いて、根雪に囲まれた雪国の長い冬が始まるのである。
寒林へ耳から先に入りけり 高橋彩子
「耳」の選択が確か。野生の感覚である。
〈高野ムツオ主宰の好句鑑賞〉
ヤマユリ↑ニッコウキスゲ↓全て枯れて種子も飛んだあと
ブログを見ていただいてありがとうございます🐧
大口を叩いて 唇寒し 酒粕であまり甘くない甘酒を作り 柚子もいれて飲んでおります🍵 毎度あり~✌️
この感性!凄い
橙 代々
ただただ感服🙇
そして青萄さまの心意気やよし! 🙆
NHK俳句・岸本先生の再放送を見た あの人の添削は控えめで上品で頗る良い 感心するが ワタシの身には付かないのである🥵