以前にもご案内したことですが、私は2年半前から「写真俳句ブログ」のサイトに「青萄」という名前でブログ参加させてもらっています。
そこの<ユーザー作品集>を今回初めて買い求めてみました、今のところ2冊の刊行。来月にもう一冊の予定とか。ネットの無料PDFファイルで見るのと違って、なかなか良いものです~!
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企画編集の管理人さんが、できるだけ大きいサイズの写真を送ってください、という意味が何となく分りました。
えごの花が一面に群れ咲いているはずの写真も↑白い花がぼんやりしてよく見えないですね。
コンデジの設定、容量が大きくなるのを嫌って、私はずっと最小サイズでしか撮りませんでしたから。本の実物を見て「・・これではなぁ・・」と、いろいろ反省点あり。
しかしネット全盛時代とはいえ、紙の本というのはかなり使えますね。
「あんた今なにやってんの?」と胡散臭そうに訊ねる人には、この本を見せれば一目瞭然、論より証拠(笑)
すでに知人2人の質問に答えて、ならばとこれを取り出して渡すとビックリして黙りました。好きで写真を撮っているとか、俳句を作っている、と言ってもじつは誰も信じていない、世間にはお体裁屋で口だけの人も多いですから (^^ゞ
そうだ~いつか自分の写真俳句本が一冊できればいいなぁ、なんて目標や希望も、ふと^^;
でも個人で作る句集とか写真集とか、本人が思い立つことと、資金を使えば簡単に誰でも出せる時代ですし。
自分のブログを本にして出版する人もいますが、業者を儲けさすだけでそれ自体にほとんど意味も説得力もないのですね。そもそも自分以外に誰がブログ本などを読みたいと思うだろうか、と。
作品は何らかの形で、第三者の眼を経なければ客観性に欠け、単なる自己満足の具象化とみなされるでしょう。
また「俳人」という名称も曖昧なものである。さる有名な俳人曰く、俳句を作らないでも「新聞の投稿欄に出ている俳句などをけっこう見たりする人」も広い意味では俳人だ、と言っていた。えッそうなの?と思うけど、要するにそういうことなのだ。
画家は有名画廊で個展を開き、かつ絵が売れなければ「画家」とは言えないそうである。では’俳人’と名乗って幾許かでも稼げる人は、今どれくらい居るだろうか、たぶん俳句界ヒエラルキー頂点に近いほんの一握りの人々ではないだろうか。
話が変な風になったが、要するにまぁこれから少し真面目になろうかい、ということで (^▽^)エヘ
俳句ではないにしろ、僕もしたいなぁなんて
誘われてしまいます。といいつつ、ネタ的に
はだれも必要感はないですね(笑)。
俳句とか短歌とかでしたら、とても良いですね。
いやいや地理さんのブログは記録としても価値がありますし、人気ですからね。
自家製の俳句集とか短歌集、お金を出しも欲しいものもあれば、もらって困るメーワクものもあり(苦笑)
無隣堂の本屋に有りますか?
空見さんの俳句、楽しんでますよ。
NHKのEテレでは「写真五七五」という投稿番組をやってました。
写真と俳句を合体なんてゲテモノだぁ、と最初は思いましたがそれがなんと1+1=3になるんですね。驚きました。
空見さんは写真も俳句もお世辞抜きに相当の腕前ですから是非写真俳句集を出版してくださいませんか。
日頃の精進の賜物です。
これからもず~と続けてくださいね。
余談ですが写真俳句は季語を入れなくてもいいのでしょうか?
教えてください。
ところで、本題から外れた枝葉末節ですが、カメラを何回か買い換えてます。そのたびにサイズは大きくなりますが、ぼくはいつも最大サイズで撮っています。大きいサイズで撮って美しい写真だからこそ、縮小してもきれいに見えるのですから。
また印刷写真はPCディスプレイよりもずっと精細なので、たとえ小さく見えても大きいサイズのものが縮小されているわけです。
印刷写真として美しくセットすることは、大きいディスプレイを使って、仕上がりの色まで考えて調整して、ネットとはまったく違う作業が必要なので、ぼくは面倒だからほとんどやりません。
俳句とフォトが合体してると、素人でも凄く面白くて。
実際に句を作る人は、字体として載るからせめぎあいがあるのでしょう。
画家と呼ぶ定義…などは。
有名でなくても、親しめるならよしとするワタシには理解出来ない世界かも。
ピカソは、どう見ても分からない人なのです。
自伝を出版する人も多いけど、自慢史とか申しますね。
その点、フォト俳句はユーモアと発想の妙に期待が持てます♪
購入は止めたほうが身のためですよん(笑)
写真に文字入れ、上手な作品だとうっとりしますが、何でもかんでもただ写真に文字を入れればいいだろう的なのはゲンナリ、できればやめて欲しいものです。
そもそも写真にデコレーション加工するのはデザイン作品であり、だったら別に写真でなくても良いのでは?と思うこともあります。
写真は写真として楽しみたいし、俳句は俳句として、という方々も一方にはいらっしゃいます。ゲテモノは私も嫌いでして・・(^^ゞ
がんばっていれば、何処かのシーンで面白いことにも出会えるものですね。
まぁこの展開は予想外でしたが、けっこう楽しんでいます^^; しかし今後の展開はまったく未定。
俳句が趣味と言うと、それってお金になるの?と訊かれます。お金が欲しいならパートかアルバイトか詐欺でもしないと・・(笑)
そうですか~写真は大きいサイズで撮って縮小、それがキレイらしいですね。
思うに~私の撮るのはケチな性格を反映して、ケチケチ小さい写真ばかりなんです。
効果が目に見えればいいのですが、ほんの少しの違いなら、コストパフォーマンス的にどうなのか?
来年は少し大きいサイズにも挑戦してみようかしら、とも考えますがさてどうでしょう(笑)
フォト俳句はピッタリはまるととてもキレイですけどね、そればかりずっと見てきたら飽きるんですね。
森村先生も写真の中に文字を入れることは余りされないようです。
私としても、写真は写真として鑑賞したい、俳句は俳句として楽しみたい、という気持ちが最近はだんだん強くなってきています。
字体や色や配置や大きさなど、文字入れの面白い要素はたくさんあるフォト俳句ですが、それも危険なマンネリズムに陥ると、逆効果でしてね。
まぁ、それぞれ思うとおりにやればいいことですけど(笑)娘には、何事にも文句が多い!と烈しく叱責されておりますワタクシ^^;
自伝ね、ともかく人間ってのは自分を美化したがります本能的に。ですからおそらく意図せずとも、ウソで塗り固められた文章になるでしょう。せめて3割は控えめにしないと(^^ゞ